説明と期待と
話し合いを終え、わたしは自宅である公爵邸に帰って来た。
王太子とウィルモット侯爵令嬢について、両陛下とわたしの両親、そしてウィルモット侯爵夫妻がまだ話し合うようだが、興味がなかったので任せて来た。
それよりも、わたしはやるべきことがある。
アシュリー殿下と共にミレリオン王国に行くので、家を出る準備をする必要があった。
……それほど持って行くものは多くないが。
三度目の人生では、とにかく剣の腕を磨いてきた。
一度目や二度目と違い、ドレスや装飾品への興味もなく、そもそも家を出て行くつもりだったから物もそれほど多くない。
廊下を歩いていると声をかけられる。
「姉上!」
振り向けば、弟のリックスが近寄って来る。
「夜会に行っていたはずだよな? 帰り、早くないか? それに父上と母上は?」
わたしだけが早く帰って来たことに首を傾げている弟に、苦笑しながら手招きする。
「それについては説明する。とりあえず、わたしの部屋に来てくれ。廊下で話すようなことではないんだ」
そう言えば、リックスは素直について来た。
部屋に戻ると侍女も驚いた様子だった。
紅茶の用意をしてくれ、と声をかけ、侍女を部屋の外に出してからリックスに話す。
「急な話だが、わたしはミレリオン王国に行く」
「え? 何で姉上がミレリオン王国に……?」
「それについてなんだが──……」
それから、夜会での事の次第を説明した。
わたしが夜会で王太子から婚約破棄されたこと。
王太子はウィルモット侯爵令嬢と結婚したがっていること。
当然ながら王太子との婚約は続けられないこと。
国内にいてもどうしようもないので、隣国ミレリオンの第二王子殿下の誘いを受けて、あちらの国に行くこと。
「わたしは向こうで第二王子アシュリー殿下の近衛になることにした。このまま国内にいても、いつか王太子が王となった時、わたしはどう考えても疎まれるしな」
全て話し終えると、リックスが拳を握り締める。
「あのクソ王子……!!」
「こら、口汚い言葉を使うな」
「姉上は悔しくないのかよ!?」
悲しそうな、苦しそうな、そしてとても怒っている表情のリックスにわたしは微笑んだ。
「わたしは元々、王太子と結婚するつもりはなかった。王太子が他の令嬢と密かに会っていたことも知っているし、そのうちこうなるだろうとも分かっていた」
「そんな……でも、だからって人前で婚約破棄なんて、普通はありえない!」
「そうだな。ああいう人だと知っていたから、わたしはこの日のために剣の腕を磨いてきた。……リックス、わたしは婚約破棄されたら家を出ようとずっと考えていたんだ」
リックスが驚いた顔でわたしを見る。
「……姉上……」
「この家はリックスが継ぐ。婚約破棄されれば、わたしは晴れて自由の身だ。この国を出て、どこかの国の貴族の下で騎士か傭兵として身を立てるのも、悪くないだろう?」
王太子が王となるこの国で、わたしは幸せにはなれない。
実際、途中からわたしを側妃に据えて、面倒な仕事を押しつけようという考えも出てきたようだった。
このまま残り、王となった王太子が王命で無理やりわたしを自分の手元に置こうとするかもしれないし、逆に目の敵にされる可能性もある。
どうなるか分からない以上、国を出るほうが安全だ。
「ミレリオン王国に行くことについて、父上も国王陛下も了承済みだ。アシュリー殿下は明日には帰国されるので、わたしもそれについて行く」
ソファーから立ち上がれば、リックスが眉尻を下げる。
「明日……」
「しばらくこの国に戻って来ることはないだろう。……リックス、この家のことはあなたに任せる」
それに、わたしでは両親と仲良くしていくのは出来なかっただろう。
一度目に婚約破棄を責められ、自害するよう言われた時のことを、わたしは忘れられずにいる。
あの時の、冷たい眼差しの両親の表情は永遠に忘れられないと思う。
二度目は夢だと思っていたが、この三度目で、それは事実なのだと分かってからは、わたしは何かと理由をつけて極力、両親との関わりを避けていた。
このままミレリオン王国に行けば、両親との関係のやがては途切れるのではないか。
……そのほうがいい。
両親もわたしより、家を継ぐリックスのほうを可愛がっている。
それについては思うところはないし、わたしも、家族の中ではリックスが一番大事だと思える。
リックスは顔を上げると頷いた。
「分かった。……姉上、たまにでいいから、手紙をくれよな」
「ああ、向こうに着いて落ち着いたら必ず手紙を書く」
一度目も、二度目も、リックスはわたしが死ぬ時にそばにいた。
一度目は両親を止めようとしてくれたし、二度目はわたしの気分転換になればとお茶に付き合ってくれていた。
一度目も、二度目も、リックスを泣かせてしまった。
目の前で姉が死ぬ姿を見ることしか出来ないのか、とてもつらいことだっただろう。
「リックスはわたしの大事な、自慢の弟だ」
座っているリックスに近寄り、その頭を撫でる。
十五歳になり、わたしとさほど身長が変わらないほど大きくなったけれど、それでも可愛い弟である。
「姉上も、俺の大事な自慢の姉上だ」
もう、この子の前で死ぬようなことはない。
一度目も、二度目も、泣きながらわたしの名前を呼んでいたリックスを思い出すと胸が痛む。
わたしのせいでつらい思いはさせたくなかった。
* * * * *
翌朝、準備を整えたわたしは王城に向かった。
朝のうちに両親とリックスに別れの挨拶を済ませ、少ない荷物を持って城に行けば、そのままアシュリー殿下の泊まっている部屋に通された。
旅行カバンを三つ抱えたわたしを見て、アシュリー殿下が目を丸くする。
「まあ、レヴァイン公爵令嬢……もしかして、荷物はそれだけかしら?」
「はい。騎士になるのですからドレスは不要ですし、普段は騎士の装いをしているので、休日に必要な服や日用品がそれなりにあれば十分です」
アシュリー殿下付きの騎士達も、何とも言えない顔をする。
貴族の令嬢ならばドレスや装飾品を山ほど持って来るのは普通だが、王太子の婚約者でなくなった今、わたしにそれらは不要だった。
ミレリオン王国に行けば騎士の制服が与えられる。
どうせ、ほとんどの時間はそれで過ごすのだ。
もし必要なものがあれば、購入すればいい。
騎士として働いて得た給金は全て持って来ているので、向こうでもそれほど生活に困ることはない。
アシュリー殿下がおかしそうに小さく笑う。
「レヴァイン公爵令嬢は面白いわね」
「ありがとうございます。それから、わたしのことはどうぞスカーレットとお呼びください。公爵令嬢ではなく、一騎士として接していただけますと幸いです」
「そう。……では、スカーレットと呼ばせてもらうわ」
それに男装姿で公爵令嬢と呼ばれるのは似合わない。
今日はレンテリア王国近衛騎士の制服ではなく、私服でここに来ている。
その私服も男性の装いを特注でわたし用に作ったもので、わたしは基本的に私服も男装のままだ。
……最初は変わりたくて形から始めた男装だったが。
服装も、口調も、髪型も、立ち居振る舞いも、これまでと同じ運命を辿りたくなくて全て変えた。
最初は慣れなかったものの、今ではこれが当たり前になった。
令嬢らしく振る舞うことは出来るけれど、そうすると一度目や二度目の弱い自分に戻ってしまうような気がして、今は令嬢らしい行動や装いはしたくない。
「我が国に着いたら、改めてアタシの近衛と手合わせをしてもらうけれど、いいかしら?」
「構いません。ミレリオン王国の近衛の皆様と剣を交わせるのが楽しみです」
「ふふ、スカーレットは剣が好きなのね」
アシュリー殿下の言葉にわたしは首を傾げた。
剣の鍛錬は好きと言えば好きだが、では剣を振るうのが好きかと言われるとそうでもない気がする。
……どちらかと言えば読書のほうが好きだった。
だが、二度も死んで、理不尽に抗う力がほしいと思った。
いざという時に自分の身を守るには、剣の道を選ぶ必要があると考え、死にたくない一心で鍛錬を続けた。
でも、わたしに剣の才能があると分かった時は嬉しかったし、剣の鍛錬は努力をすれば確実に自分の力になる。
……剣が好きというより。
「わたしは強くなりたいのです。……この国にも強い方はおりますが、より強い者との戦いは自分を成長させてくれるので、そういう意味では『剣が好き』と言えるかもしれません」
そうなのね、とアシュリー殿下が言う。
ジッと見つめられ、少し反応に困った。
これまでの経験で、目の前にいる人間がわたしに対して敵意を持っているか、それとも好意を持っているかの判断は出来るようになった。
だからこそ、アシュリー殿下がわたしに好意的に接してくれていることも伝わってくる。
「そういえば、わたしを婚約者にともおっしゃっていましたが、以前どこかでお会いしましたでしょうか? 恥ずかしながら覚えておらず……」
わたしの言葉にアシュリー殿下が微笑んだ。
「王城に二週間ほど滞在している間、実は騎士の訓練を見る機会が何度かあったのよ。その時、スカーレットを見かけたわ。あなたの髪は目立つし、その剣の腕も見事なものだったから覚えていたわ」
「そうだったのですね」
「鮮やかな赤い髪をなびかせて、しなやかに、素早く、まるで踊るように戦うスカーレットは美しかったわ」
これまで、毎日剣の鍛錬を続けて来たし、手にマメが出来ても、怪我をしても、体中が痛くても、つらくても苦しくても耐えた。
死ぬ時の苦痛や後悔に比べたらずっとマシだった。
誰かに褒められたくてやっていたことではないものの、こうして褒められると心が温かくなる。
「褒めていただき、ありがとうございます」
貴族社会で女性が剣を振るのは好まれない。
男性からは令嬢らしくないと言われて来たし、女性からはみっともないと言われたこともある。
最近は剣の腕を認められて、女性の中でも若い人達からは『素敵だ』と言われることはあるものの、やはりそれなりの年齢の人々からは敬遠された。
王太子が言うように、男性にとって『自分より強い女性』というのは好ましくないのだろう。
それならと、わたしはドレスや装飾品を捨てた。
騎士になった時に私服は全て男物に変えた。
王太子妃教育ではたまにドレスを身にまとったものの、それ以外の社交の場では常に男性の装いでいた。
そういうところも王太子からすれば、気に食わなかったのかもしれない。
「そうそう、我が国で近衛騎士に任命するまではアタシのお客様として来てもらうから、道中も護衛はしなくて大丈夫よ」
「それは少し落ち着かないですね……」
「あら、その代わりアタシの話し相手になってもらうわよ?」
冗談めかしたふうに言うアシュリー殿下に、自然と笑みが浮かんだ。
「アシュリー殿下の話し相手とは光栄です」
言葉遣いや仕草は女性的だが、アシュリー殿下には不思議とそれがよく似合っている。
落ち着いていて、品があって、女性的な口調や仕草や柔らかい印象を与えつつ、整った容姿は男性特有の色香を持つ。
……ミレリオン王国では女性からの人気も高そうだ。
そこまで考えて、何故、わたしに『婚約者になってほしい』などと言ったのか疑問が浮かんだ。
確か、ミレリオン王国の王太子は現在二十七歳で結婚をしている。第二王子──……目の前にいるアシュリー殿下は二十五歳のはずだ。年齢を思えば婚約者がいて当然なのだが……。
何か理由があってあえて婚約していないのだろう。
もしかしたら、元から他国の者を娶るつもりだったのかもしれない。
国同士で強固な関係を築くために最も簡単で、確実性が高いのが王族同士の婚姻である。
そして王族に姫がいない場合、王家に近い公爵家の令嬢が姫の代わりに他国の王族に嫁ぐこともあった。
「一応、スカーレットはアタシの婚約者候補として我が国に来てもらう予定なの。もちろん、最初に言った通り近衛騎士として迎え入れるけれど、この国を出る理由も必要でしょう?」
「お気遣い感謝いたします」
とりあえず、表向きは『アシュリー殿下に見初められて婚約者候補としてミレリオン王国に行く』という話らしい。
実際は王太子に婚約破棄されて居場所がないからなのだが、まあ、それについてはわざわざ言わなくても皆、察しているだろう。
ミレリオン王国は我が国レンテリアよりずっと大きい国なので『レンテリア王国の王太子の婚約者』から『ミレリオン王国の第二王子の婚約者候補』になったからと言って、立場が落ちるわけではない。
アシュリー殿下と婚約しなかったとしても、ミレリオン王国で近衛騎士として出世することは出来る。
王族に声をかけられたとなれば箔もつく。
わたしにとって悪いことはほとんどない。
「旅の間はゆっくりしてちょうだい」
というアシュリー殿下の言葉に甘えることにした。
ここまで剣の腕を磨き、王太子妃教育を続け、常に何かをしていないと落ち着かなかった。
一度目とも二度目とも違う人生を歩める。
その期待で今は胸がいっぱいだった。