話し合い
その後、国王陛下と王妃様が来て、わたしとミレリオン王国第二王子殿下、そして今回の騒動を起こした王太子とウィルモット侯爵令嬢は皆で別室へ移動することとなった。
すぐにわたしの両親とウィルモット侯爵夫妻、ウィルモット侯爵令息も部屋に集まる。
国王陛下と王妃様、そしてミレリオン王国第二王子殿下、わたしの両親がソファーに座る。
……ウィルモット侯爵夫妻は知っていたらしい。
侯爵夫妻と王太子、侯爵令嬢以外は顔色が悪かった。
どうやら侯爵令息はこのことを知らなかったようで、あまりの顔色の悪さに心配になるほどだった。
部屋の周囲を人払いさせてから、国王陛下が口を開く。
「エミディオよ、これは一体どういうことだ? 王家と公爵家が取り決めた婚約を公衆の面前で破棄するなど……」
「父上、私は先ほど宣言した通りスカーレットとの婚約を破棄し、ここにいるエイリーンと結婚します!」
「何故だ? スカーレット嬢は王太子妃教育も優秀で、剣の才にも優れており、社交界でも有名で力がある。家柄も血筋も問題はない」
国王陛下の言葉に王太子が眉根を寄せた。
「しかし、このようにスカーレットは常に男のような格好をしており、婚約者の私を立てることもなく、いつも私を見下してくるのです! そんな女と結婚など出来ません!」
……過去二回は見下したことなどなかったけれど。
この三度目の人生もそうかと訊かれると、答えに窮するところはある。
以前までは王太子の苦手分野はわたしが補い、いずれ夫となる者に尽くし、その立場を立てるのが当然だと思っていた。
だが、その結果わたしは裏切られて死んだのだ。
この人生では死なないために剣の道を選んだけれど、そこで、王太子がどれほど小さな男だったのかわたしは気付いてしまった。
勉学にも励まず、そこそこの剣の腕と第一王子という身分を誇り、王となるために必要な後見を得るために選んだ婚約者の意味も深く考えずに他の女と浮気をした挙句に一方的に婚約を破棄する。
王太子となる者の行動にしてはあまりに短絡的だ。
王妃様は絶句しているし、国王陛下は頭が痛いと言わんばかりに額に手を当てる。
「エミディオ、そなたは政略の意味を分かっておらんのか? 王家と公爵家で結んだ婚約は契約でもある。それを一方的に、それも相手に何の過失もないのに破棄するということは、家同士の契約すら守らない──……つまり、王家の信頼を落とすことなのだ!」
国王陛下がソファーの肘置きに強く拳を叩きつけた。
それにはさすがのエミディオもまずいと感じたらしく、少し体を竦ませた。
「何より、お前の不得手をスカーレット嬢ならば補える。彼女が騎士となったのも、いざという時にお前を守るためだったのだぞっ? これほど優秀で献身的な者は他にいないではないか!」
「ですが、私はスカーレットのような女は愛せません!」
「王となる者に必要なのは感情ではない!」
国王陛下がこれほど声を荒げる姿は初めて見た。
「エイリーンだって優秀です! それに愛嬌もあり、社交界でも力を持っており、侯爵家ならば王族の結婚相手として問題はないはずです!」
……この人は根本的なことが分かっていない。
わたしが選ばれた理由も、何故わたしでなければいけないのかも、国王陛下の言葉を聞いていれば普通は分かる。
黙って様子を窺っていたミレリオン王国の第二王子殿下も、これには心底呆れた顔をしていた。
国王陛下は頭を抱えたけれど、すぐに顔を上げるとわたしとわたしの両親に頭を下げた。
「スカーレット嬢、レヴァイン公爵夫妻、息子の愚行を本人に代わり、私が謝罪する。……本当に申し訳ない」
王妃様まで頭を下げたものの、わたしの両親は「顔を上げてください」と言う。
「王太子殿下の行いを許すことは出来ません。これにより、今後レヴァイン公爵家を軽視する者も出るでしょう。我が家は顔に泥を塗られたのですから」
「今回の件については改めて説明の場を設け、皆にスカーレット嬢やレヴァイン公爵家に非がないことをきちんと伝えると誓おう」
わたしの父と国王陛下の会話に王太子が「父上!」と非難の声を上げたものの、睨まれると何も言えずに押し黙った。
それでもウィルモット侯爵令嬢を抱き締めて離さない辺り、彼女を愛している気持ちは事実なのだろう。
もし、王太子が国王陛下や王妃様に己の気持ちを伝え、ウィルモット侯爵令嬢が努力する姿勢を見せていたら。大勢の前で婚約破棄などせず、話し合って解消していれば、これほど大事にはならなかったはずだ。
わたしはそっと手を挙げた。
「発言をお許しいただけますでしょうか?」
全員の視線がわたしに突き刺さる。
国王陛下が頷いた。
「スカーレット嬢も言いたいことがあるだろう」
「ご配慮、感謝いたします。今回、王太子殿下は王家主催の夜会でわたしとの婚約を破棄し、既に他国の方々の知るところとなってしまいました」
「うむ……」
「今更なかったことには出来ないでしょう。王太子殿下の行いについて話すよりも、今はこれからどうするかを話し合ったほうが良いかと」
国王陛下と王妃様が心配そうにわたしを見たけれど、考え直した様子で頷き合った。
「そうか……そうだな、そのためにアシュリー殿もこちらに来てもらったのだ」
国王陛下がミレリオン王国の第二王子殿下へ顔を向ける。
「アシュリー殿、あの場でスカーレット嬢を助けていただき感謝する。もしも貴殿がいなければ、スカーレット嬢と公爵家の立場はなかっただろう」
ミレリオン王国の第二王子殿下がわたしを騎士に、そして己の婚約者にと声をかけてくれたおかげで、わたしは『王族の婚約者として不相応』と謗られることもなく、公爵家の面子も保たれた。
わたしの両親も感謝のためか頭を下げる。
だが、第二王子殿下は首を横に振った。
「お気になさらないでくださいませ。むしろ、レヴァイン公爵令嬢には失礼な行いでしたわ。隣国の第二王子であるアタシがあのように声をかけては、断りたくても断れなかったでしょう」
ごめんなさいね、と第二王子殿下がわたしに謝った。
「いいえ。婚約破棄された時点でこの国から出ようと思っておりましたので、非常にありがたいお申し出です。わたしはミレリオン王国へまいります」
それに全員がギョッとした様子でわたしを見る。
そこまで驚くことではないだろう。
王太子に婚約破棄された令嬢が国内で嫁ぎ先を見つけられるはずもないし、最初から国を出るつもりで剣の腕を磨いてきた。
「スカーレット、何を勝手なことを……!」
と父が怒った様子で立ち上がった。
「どちらにせよ、わたしは国内で過ごすのは難しいでしょう。家名に泥を塗った責任を取れと言われても困りますし、王太子殿下が王になられた際、どうなるか分からない不安もあります」
それについて、王太子本人ですら反論はなかった。
たとえ今は近衛騎士という職に就いていても、王太子が国王となった後も続けられるとは限らないし、わたしも王太子に仕えるつもりはない。
「幸い、我が家を継ぐのは弟です。わたしが家を出たところで問題はございません。……このまま国内にいても陰で笑われるだけですので」
国王陛下と王妃様が息を吐いた。
立ち上がった王妃様が歩み寄って来て、わたしの手を取った。
「スカーレット、あなたは何も悪くないのに……」
国王陛下も王妃様も、一度目、二度目、そしてこの三度目も、とても良くしてもらっていた。
それだけは少し心残りだが仕方がない。
王太子が他国の来賓などもいる場であのようなことをした時点で、もうわたしが王太子妃となる道は閉ざされた。
……わたしも今はそれでいいと思っている。
ミレリオン王国の第二王子殿下も立ち上がった。
「レヴァイン公爵令嬢につきましては、我が国で手厚く対応いたしますわ」
「それなのですが、とりあえず近衛騎士としてまずは雇っていただけないでしょうか? このように一度婚約破棄されている身ですので……すぐに新しい婚約をと言われましても、まだ受け入れられないのです」
これはわたしの本心だった。
一度目とも二度目とも今回は違う。
もし一度目にこうして声をかけてもらえていたら、何かが変わっていたのだろうか。
……もしもの話なんて無意味なことだ。
第二王子殿下はわたしの言葉に頷いてくれた。
「ええ、レヴァイン公爵令嬢がそう望むなら」
「ありがとうございます」
それから、国王陛下と王妃様に顔を向ける。
「両陛下、今まで大変良くしていただきありがとうございました。……ご期待に応えることが出来ず、申し訳ありません」
「スカーレット嬢が謝ることではない」
「そうよ」
「優しいお言葉、感謝いたします。わたしはミレリオン王国へまいりますが、隣国よりレンテリア王国の繁栄を願っております」
それから、王太子とウィルモット侯爵令嬢に振り向く。
わたしと目が合うと二人がたじろいだ。
「王太子殿下、ウィルモット侯爵令嬢、どうかお幸せに」
それに、王太子の腕の中でウィルモット侯爵令嬢がキッとわたしを睨んだ。
これくらいの嫌味は許してもらいたいものだ。
国王陛下も王妃様も、王太子とウィルモット侯爵令嬢の関係を認めるとは一度も言っていない。
ウィルモット侯爵夫妻は黙ったままだ。
あれほど大々的に王太子が『侯爵令嬢と結婚する』と言ってしまったのだ。王族が己の言葉を簡単に取り消すなど、出来るはずもない。
両陛下が何と思おうとも、ウィルモット侯爵令嬢は王太子と結婚することになるだろう。
……だけど、エミディオ様はやはり抜けている。
ウィルモット侯爵令嬢を『王妃に迎える』とは言わなかった。多分、王太子は彼女とだけ結婚するつもりなのだろうが、国王は側妃を娶ることも多い。
国王陛下が王命で他の令嬢を王太子の新たな婚約者に据え、ウィルモット侯爵令嬢を側妃に落とすことも可能だ。
それについては両陛下に任せる。
もうわたしが関わることではない。
「王太子殿下と侯爵令嬢につきましては、両陛下のご判断にお任せいたします。……第二王子殿下」
「あら、アシュリーでよろしくてよ」
第二王子殿下がニコリと微笑んだ。
「では、アシュリー殿下。不肖の身ではありますが、改めてよろしくお願いいたします」
スッと目の前にアシュリー殿下の手が差し出される。
「ええ、よろしくね」
三度目の人生で、ようやく抜け出せた。
* * * * *
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢! 私、エミディオ・ルエラ=レンテリアは貴様との婚約を破棄し、ここにいるエイリーン・ウィルモット侯爵令嬢と婚約する!!」
レンテリア王国の王太子が舞踏の間に響き渡るほど大声で、叫ぶように言った。
隣国との友好関係を深めるべく、使者としてこの国を訪れていたミレリオン王国第二王子、アシュリー・ヴィエ=ミレリオンは呆れてしまった。
それだけで王太子が指差している騎士姿の歳若い女性が婚約者のレヴァイン公爵令嬢で、王太子の腕の中にいるのが王太子が浮気をした相手だということが分かる。
同時に、何て愚かな者が王太子に選ばれているのだろう、と頭が痛くなる。
こんな大勢の前で一方的に婚約破棄を言い渡されるなど、貴族の令嬢にとっては致命的である。
……こんな者が次代の王なんて、この国は大丈夫かしら?
今後の交流についても改めて考え直す必要があるかもしれない。
それに、婚約破棄された令嬢は、と心配になる。
しかし、そこからは予想外だった。
「王太子殿下の命、承りました」
鮮やかな赤い髪を後頭部の高い位置で一つにまとめ、夜明け前にたまに見られる紫に染まった空のような美しい紫の瞳がまっすぐに王太子達を見据えている。
女性にしてはやや背が高く、スラリと手足が長く、騎士の制服を着ていても女性的な体つきが分かる。
女性だが、男装をしていた。
化粧など全くしていなさそうだが、それでも人目を引くほど整った顔立ちは女性でありながら、角度によってはどこか男性的な雰囲気も感じさせる。
「婚約破棄してもらえて良かったです。わたしも、あなたと結婚するつもりなどなかったので」
王太子に向かってハッキリとそう返したレヴァイン公爵令嬢に、傷付いた様子は欠片もない。
そうして、アシュリーはふと気付く。
鮮やかな赤い髪に紫の瞳、ややつり気味の目。
昔見た時より成長していたのですぐには分からなかったが、レヴァイン公爵令嬢の顔立ちには見覚えがあった。
……あら、もしかして……?
「っ、貴様のような者はこの国から出て行け! 国外追放だ!!」
「はい、言われなくとも出て行くつもりです」
王太子の言葉にレヴァイン公爵令嬢が微笑んだ。
その表情は、やはり記憶にあるものとよく似ていた
……これは運命の悪戯かしら?
アシュリーは静まり返った中で一歩踏み出した。
「ちょっとよろしいかしら?」
昔、助けてもらった令嬢を、今度はアシュリーが助けることが出来るなんて。
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢、ミレリオン王国にいらっしゃらない?」
……アタシは受けた恩は忘れないのよ。
* * * * *