あなたを見つけた
それは突然だった。
「すごいわ。あなた、とっても強いのね」
懐かしい声と口調に思わず息が詰まる。
そこには、わたしが望んでいた人が微笑みを浮かべて立っていた。
* * * * *
警護の任務がなかったので、いつものように訓練場で他の近衛騎士と共に訓練をしていた。
わたしは一対一の戦いもそうだが、複数人を相手にする戦いのほうに重きを置いている。
複数人と戦えるのであれば、一人とも容易に戦えるし、あの時のように遅れを取りたくない。
……もう、大切な人が目の前で死ぬ姿は見たくない。
思い出すだけでも胸が苦して息が詰まる。
「っ、はぁああああぁぁあぁっ!!」
ガキィンッと甲高い音がして、相手の騎士の剣が弾き飛ばされる。
もう一人の騎士が切りかかってくるのを右足を下げ、体を横向きにして避け、それを下から掬い上げるようにして、相手の手元に刃先を辿らせることで怯ませ、剣を払う。
最後の三人目が突き出した剣を振り向き様に受け止めた。
相手は男性騎士で、どうしても性差の問題でわたしのほうが力は弱い。
一瞬身を引き、相手が思わずといった様子で前のめりになったところに、胸を狙って剣先で突いた。力加減はしていても、それなりの衝撃はある。騎士が息を詰めるのが分かった。
後退る三人目を追いかけ、前に出る。
「くっ……!」
「遅い!」
体勢を立て直そうとする前に剣で下から振り上げる。
刃を潰してある模擬戦用の剣の腹で三人目の顎を叩き上げた。
ふらつき、数歩下がった後に三人目が座り込む。
「そこまで!」
その声にわたしは剣の構えを解いた。
「大丈夫ですか?」
座ったままの三人目が顎を押さえながら頷いた。
「ああ。……だが、痛いな」
「すみません、少し力加減を誤りました。医務室に行きましょうか?」
「いや、大丈夫だ。それにしても、レヴァインはあっという間に強くなるなあ」
顎を押さえながら騎士が苦笑する。
それに、他の二人も弾かれた剣を拾い、頷きながら近づいて来た。
「もうオレ達より強いよな」
「先輩として、嬉しいような、悔しいような……」
それにわたしは微笑んだ。
「先輩方の教え方が上手いからですよ。おかげさまで複数人を相手にして戦う技術も身に付きました。わたし一人で訓練しているだけでは、ここまで学ぶことは出来ませんでした」
事実、わたしは一対一では強くても、複数相手では弱かった。
だから近衛騎士になってから、先輩達に『複数を相手にする戦いを教えてほしい』と頼み込んだ。
最初は全く勝てなかったが、彼らはわたしに色々と助言をくれて、複数相手での戦いの基本から応用までを幅広く教えてくれた。ただ一人で訓練をしていた三度目のわたしでは得られなかった技術である。
話しながら訓練場の端に移動し、タオルで汗を拭っていると周囲の視線がわたしの背後に向けられる。
それに疑問を感じた瞬間に背後から声がした。
「訓練中、ごめんなさいね」
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
固まりかけた体を動かし、振り返る。
さらりと太陽の光を反射させる濃い金色が視界に飛び込んで来た。
中性的なようで、どこか男性らしさを感じさせる整った顔立ちは美しく、その瞳は透き通った綺麗な水色で──……視線が絡み合った瞬間に、体が小さく震えた。
「すごいわ。あなた、とっても強いのね」
微笑む男性──……アシュリー・ヴィエ=ミレリオン、その人がそこにいた。
後ろにはバネッサとシェーンベルク殿もいて、懐かしさが込み上げてくる。
しかし、彼らにとってわたしは『初めて会う人物』である。
わたしは小さく呼吸をして、剣を地面に突き刺した。
騎士の礼を執り、挨拶を行う。
「ミレリオン王国第二王子殿下にご挨拶申し上げます」
わたしの言葉を聞いて、そこにいる人物の立場を知った騎士達も同様に礼を執る。
それにアシュリーが目を丸くした。
「あら、アタシのことを知っている者がいるのね」
「第二王子殿下は剣がとてもお強いと風の噂で聞き及んでおりましたので」
「まあ、他国にまで知れ渡っているなんてなんだか照れくさいわ」
ふふ、と小さく笑うアシュリーにわたしも微笑み返す。
涙腺が緩みそうになるのを、瞬きで誤魔化した。
……ああ、今、アシュリーは生きている。
それが何よりも嬉しくて、奇跡を目の当たりにして感動を覚えた。
国王陛下の予想はきっと正しかったのだ。
わたしには『加護』があり、死ぬと時間を巻き戻す力がある。
……あのまま諦めなくて良かった……。
「第二王子殿下、無礼を承知で一つお願いしたいことがございます」
アシュリーが小首を傾げる。
「何かしら?」
「第二王子殿下と剣を交える栄誉を賜りたいのです」
三度目の時、アシュリーと戦ってみたいと思った。
けれども機会がなくて、護衛の任務の際にアシュリーが騎士達相手に剣を振るう姿を、いつも羨ましく感じながら眺めていた。
そして、出来ればわたしに興味を持ってほしい。
キョトンとした後にアシュリーが微笑んだ。
「アタシもあなたと剣を交わしてみたいと思っていたわ」
「……わがままを聞いていただき、ありがとうございます」
「気にしないで。あなたは剣武祭で三位だったと聞いたわ。その実力に興味があるの」
それから、アシュリーは上着を脱いでバネッサに預けた。
近くにいた近衛騎士から刃を潰した訓練用の剣をシェーンベルク殿が受け取り、確認して、アシュリーに渡した。アシュリーは重さを確かめるように数度、剣を振る。
アシュリーとわたしは訓練場の中央に移動し、そこで向かい合う。
こうして剣を向け合うのは初めてだが、やはり懐かしい。
……また、あなたに会えた。
それだけでわたしがどれほど喜びに打ち震えているか、きっとあなたは知らないだろう。
練習用の剣を構える。
「名乗るのが遅くなりましたが、わたしはレヴァイン公爵家の長女、スカーレット・レヴァインと申します」
「アタシはアシュリー・ヴィエ=ミレリオン。ミレリオン王国の第二王子よ。……まあ、あなたは最初から知っていたようだけれど」
……ああ、知っている。
あなたの温もりも、優しい眼差しも、好きだと囁く甘い声も。
わたしだけが『前』の記憶を持っているから。
「……まいります」
アシュリーが微笑んだ。
「ええ、いつでもどうぞ」
そして、わたしは駆け出した。
* * * * *
甲高い音を立てながら剣同士がぶつかり合う。
アシュリー・ヴィエ=ミレリオンは剣を振るいながら、不思議な感覚に包まれていた。
目の前にいるレヴァイン公爵令嬢とは初めて出会ったはずだ。
それなのに、その鮮やかな赤い髪を見た時、既視感に囚われた。
日の光を浴びて煌めく赤い髪に、神秘的な紫色の瞳をした彼女は一目で女性だと分かるものの、それでいてどこか男性的な雰囲気もあり、男女両方の魅力を併せ持った人物だった。
女性にしてはやや背が高めではあるが、周囲にいる男性の近衛騎士達に比べると低く、体つきも彼らには劣るはずなのに彼女は三人相手でも引けを取らない強さを持つ。
そして、今こうして剣を交えて分かったことがある。
……この子はいつだって本気なのね。
たとえ隣国の王族と知っていても手加減はしていない。
彼女の剣捌きが、眼差しが、これが遊びでやっているのではないと告げている。
アシュリーは自然と笑みが浮かんだ。
……剣武祭第三位と聞いていたけれど、これは違うわね。
彼女の本気がその程度だったとは思えない。
ミレリオン王国内では最も優れた剣の腕を持つと言われたアシュリーが押されている。
奇妙なことに、彼女はアシュリーの動きを知っているふうに感じられた。
アシュリーが踏み込もうとすれば身を引き、剣を振るえば予測した様子で避けられる。
その動きはアシュリーがどう戦うのか知っていなければ出来ないものだった。
……とても強いわ。
だから、こちらも本気を出さなければいけない。
剣の構えを変えれば、即座にレヴァイン公爵令嬢が距離を取る。
「これで決めるわ」
そう宣言すれば、レヴァイン公爵令嬢も背筋を伸ばし、剣を構える。
そして、示し合わせたように互いに駆け出した。
アシュリーが最も得意とするのは『突き』である。
手を伸ばすため、どうしてもその後の動きが制限されてしまうのだが、いつだってアシュリーは一撃必中だったので、その後について考える必要はなかった。
走りながら構えれば、驚くべきことにレヴァイン公爵令嬢も同じ構えを取った。
……面白い!
アシュリーは笑った。
互いの剣が突き出される。
顔のすぐ横を剣が通り抜け、数本、ハラリと髪が切れる感覚がした。
それは相手も同じだっただろう。
アシュリーの剣も、相手の髪を僅かに切り取っていた。
間近でレヴァイン公爵令嬢と視線が交わる。
紫色の瞳が煌めき、その瞳に複雑な感情が渦巻くのを感じた。
束の間、互いに息を止めて見つめ合う。
……アタシは、彼女を知っている……?
しかし、記憶の中にある赤い髪の人物など一人しか──……。
「そこまで!」
アシュリーの近衛騎士であるバネッサの声が響き、反射的に構えを解く。
レヴァイン公爵令嬢も剣を下げ、一礼した。
「お付き合いいただき、感謝申し上げます。……わたしの負けですね」
「あなたが一瞬、迷わなければ、あなたの勝ちだったわ」
「……気付かれておりましたか」
「どうして迷ったの?」
その問いにレヴァイン公爵令嬢が微笑んだ。
困ったように眉尻を下げ、けれど柔らかく、ふわりと笑ったのだ。
「あなたを傷付けるなんて、わたしには出来ません」
ドキリと心臓が脈を打つ。彼女を見ていると既視感があった。
……やっぱり、あなたは……。
「ねえ、アタシ達……どこかで会ったことがあるかしら?」
レヴァイン公爵令嬢は、困り顔で微笑むだけだった。
* * * * *
その日の夜、ベッドの中でわたしは寝付けずにいた。
────……アシュリー……。
六年ぶりに見たアシュリーは変わっていなかった。
そして、予想以上に強くて格好良くて……共に戦えたらきっと、とても心強いだろう。
護衛の任務でアシュリーが騎士と戦うところは見ていたが、あの強さは想像以上だった。
今更ながらにあの時、わたしが戦うよりもアシュリーに剣を渡していたほうが良かったのではと気付いて少し憂鬱な気持ちにもなったけれど、それについてはもうどうしようもない。
互いに剣を交わし、間近に迫った最後の瞬間を何度も思い出す。
抱き締めたクッション越しにドキドキと自分の心臓が高鳴っている。
何度思い出しても鮮やかな水色の瞳が美しかったと、溜め息が漏れる。
前回ではアシュリーと剣を交えることがなく、あんな表情を見ることはなかった。
剣を持ったアシュリーは凛として、いつもより男性的で、素敵だった。
巻き戻る前はたった二ヶ月ほどしか一緒にいられなかったけれど、わたしにとってはかけがえのない時間で、この六年間はずっとその思い出を頼りに努力してきた。
……それしか頼るものがなかったから。
だが、今は酷く安堵している自分がいた。
アシュリーが生きている。それが何よりも嬉しかった。
ここまで来るのに六年かかると分かっていても長かった。
さすがに四度目だからか、同じことを繰り返すのはつらい時もあった。
体も十二歳のただの令嬢に戻ってしまったし、そこから以前のように動けるまで鍛えるのも大変だったし、剣術を学ぶために先輩騎士達や剣術の教師に頭を下げて習った。
この六年、ただ強くなることだけがわたしに出来ることだった。
逆に何もしていないと不安になって、とにかく訓練を続けた。
三度目よりも王太子との仲は悪化していたが、どちらにしろ婚約破棄されるのだ。
より嫌われたとしても今更である。
昼間のアシュリーとの戦いを思い出すと体が震える。
……きっと、もう悪夢は見ない。
あの日、アシュリーが死んでいく光景を何度も何度も、夢に見た。
おかげであの日のことを忘れたことなど一度たりともなかった。
「……大丈夫だ。わたしはまだ、頑張れる……」
むしろ、気合を入れなければいけないのはこれからだ。
王太子から婚約破棄をされて、アシュリーに声をかけてもらい、ミレリオン王国に行く。
それから、アシュリーが死なないようにミレリオン王家に全てを打ち明けなければ。
でも、今度は受け入れてもらえるだろうか。
……そう思うと、少し怖い。
怖いけれど、アシュリーを守るためならどんなことでもする。
目を閉じれば瞼の裏に美しい水色がちらついた。
「あなただけは絶対に死なせない」
わたしに『愛している』と言ってくれた人。
今度こそ、あなたを守ると誓う。
あのような失態は二度と犯さない。