もう一度あの日まで
ハッと目が覚め、飛び起きる。
これまでは王太子との婚約発表の最中に巻き戻ったけれど、今回は違うらしい。
日付を確認すると婚約発表から半月ほどが経っていた。
わたしの体も、世界の時間も、何もかもが十二歳まで巻き戻っている。
……半月、出遅れた。
だが、これくらいなら努力すればまだ取り戻せる。
侍女を呼び、伝言を頼む。
「お父様に会いたいと伝えて」
今から剣を握り、訓練を行えば問題ない。
三度目の記憶はしっかりと残っているので、後は体力をつけ、記憶の中の自分と同じ動きが出来るようにすればいい。三度目よりも剣の腕を磨く時間はある。確実に、三度目より強くなれる。
脳裏に浮かぶアシュリーの微笑みを思い出し、胸が苦しくなる。
……アシュリー……。
四度目の人生。目標はもう決めた。
……アシュリーと出会い、そして、彼を守る。
そのためにも、これまでと同様に婚約破棄をされなければいけない。
それまでにやるべきことは山ほどある。
「……まさか、自分で死ぬことになるなんてな……」
それでも、またアシュリーに会いたい。
あのままアシュリーの死が確定してしまうのだけは嫌だった。
* * * * *
それから、わたしは三度目と同じ人生を歩むことを選んだ。
もう王太子との婚約発表もされてしまっているし、こちらから解消することも出来ない。
またアシュリーと出会う確実な方法は分からないけれど、三度目と同じ動きをしていれば可能性は高まるだろう。
両親に剣を習いたいと伝え、王太子妃教育についても試験を全て合格した。
さすがに四度目ともなれば王太子妃教育は受ける必要はない。
週に一度の王太子や王妃様とのお茶会、社交が出来ていれば問題ないと判断され、わたしは剣を握る許可を得た。これについては三度目もほぼ同じだったので不安はなかった。
公爵家の騎士から剣を教わった。
まずは基礎体力をつけるところから始まる。
……今のわたしは十二歳の令嬢に過ぎない。
三度目の記憶があっても、体が追いつかないのだ。
とにかく、毎日体力をつけるための訓練を行い、最初は木剣を握るところから行った。
木剣は普通の剣よりも軽く、こちらはすぐに振ることが出来た。
型を教えてもらい、毎日素振りをして、練習する。
体力や筋力をつけると共に、体に記憶を馴染ませていく。
三度目でも六年剣を振るったので、やり直しても最初から、それなりに剣を扱える。
そんなわたしの様子に騎士達は「お嬢様は剣の才能がある」「きっと天才に違いない」と言っていたが、それについては少し後めたい気持ちもあった。
だが、そんなことを気にしている暇はなかった。
あの時よりももっと強くならなければいけない。
剣の訓練と並行して、わたしは両親に頼んで医師の管理の下、毒も摂取した。
「王太子妃、やがて王妃となった暁には命を狙われることもあるでしょう」
毒を盛られるというのは貴族や王族では昔からあることだった。
だからか、毒に抵抗力をつけるために摂取したいと言っても誰も反対しなかった。
むしろ「王太子の婚約者として素晴らしい覚悟だ」と言われたが、受け流しておいた。
王太子との仲は相変わらず悪いままだ。
わたしが王太子妃教育を受けずとも、その水準に達していると知って、気に食わないらしい。
しかも剣を握り、男装しているのだから、変な女だと思われているのだろう。
お茶会でも会話らしいものはなく、互いに茶を飲み、時間になれば解散する。
どうせ、王太子は今回もウィルモット侯爵令嬢と恋に落ちる。
わたしはわたしの道を歩むために忙しかった。
巻き戻ってから二年。十四歳になり、わたしは王城の騎士の入団試験を受けた。
試験結果は一位で、わたしは新人騎士の代表として国王陛下から剣を賜った。
その後は王太子の婚約者として社交をしつつ、剣の腕を鍛え、毒耐性を身に付け、騎士の仕事も担った。忙しい日々だけれど不満はない。わたしは今の自分に出来ることは全てやった。
アシュリーは恐らく、既に何度かこの国に使節団の一員として来ているようだ。
けれども、まだわたしは成人を迎えていないので公の場での社交は出来ない。
そもそも、以前の王太子妃教育でも『王妃は国内の社交に力を入れるべし』と言われ、他国とのやり取りは陛下と王太子がほとんど行っていた。
今回もそうなので、わたしがアシュリーと会う機会はほぼない。
……成人後の夜会なら会えるかもしれないが……。
下手に三度目と違う動きをして、未来が変わるのが怖い。
騎士団に入団してから三年、わたしは地道に努力を続けた。
警備の仕事もして、訓練もして、先輩騎士達にも稽古を頼んだ。
「何故そんなに強くなりたいのですか?」
と騎士団長に問われた時、わたしは正直に答えた。
「命を懸けてでも守りたい人がいます。その人を守るため、強くなければいけないのです」
騎士団長はわたしのその言葉に「王家への忠誠心に敬服する」と返した。
きっと『守りたい人』は王太子だと思ったのだろう。
その頃には、わたしは様々な毒に対する耐性を身に付けていた。
……これなら多少の毒を受けても動きが鈍ることはない。
もし、あの時と同じ状況になったとしても、今度はアシュリーを守れる。
騎士として三年働き、そして十七歳の夏、数年に一度行われる剣武祭の開催が決まった。
わたしは即座に出場の手続きをした。
……だが、全力を出してはいけない。
今回も三位で入賞さえすれば、王妃様の近衛騎士として選ばれるのだから。
剣武祭前の予選は三つの部門に分かれ、わたしは剣部門で二位になった。これも三度目と同じで、一位の男性が剣武祭ではそのまま、勝ち進んで一位を掴み取る。
……本気を出せば勝てるのかもしれないが。
わたしの目的はここで一位を取って名誉を得ることではない。
本戦でもわたしは三度目と同じように勝ち進んだ。
三度目でも戦った経験がある分、わたしのほうが有利だった。
三度目よりも楽に勝てたが、一位になった男性はやはり強かった。
ただ、二位になる槍使いの男性には嫌われてしまったが。
「本気で戦わねえなんて、馬鹿にしやがって」
わたしが負けた時、そう言われた。強い者ほど相手の力量を理解している。
「すまない。わたしは他に目的がある。そのために入賞出来れば、それでいい」
「チッ、そうかよ。……嫌な女だぜ」
その後、わたしは予定通り剣武祭で三位に立ち、王妃様の近衛となった。
婚約破棄まであと一年。
そろそろ王太子はウィルモット侯爵令嬢と親しくなり始めている頃だろう。
わたしが王太子と侯爵令嬢の噂について聞いたのも、確かこのくらいの時期からだった。
そして、毎週のお茶会の時間が段々と短くなっていく。
王太子がお茶会に遅刻するようになり、時間を遅らせるようになり、最終的に来なくなる。
……一度目と二度目のわたしはそれに悩まされたが。
今はのんびり茶を飲める休憩時間、くらいの感覚である。
もしかしたら王太子なりの嫌がらせなのかもしれないが、どうでも良かった。
王太子が現れなくても、わたしは決められた時間が過ぎるまで茶を飲んで過ごした。
そろそろ帰ろうかと席を立ったところで、珍しく王太子が現れた。
……今日は何か用事があるらしい。
一度目も、二度目も、三度目も、王太子は用がある時だけは来た。
時間を過ぎてから来て、もしわたしがいなければ怒るのだろう。
「どこに行くつもりだ?」
と王太子に問われて呆れてしまった。
「帰るのですよ。どこかの誰かが時間になっても来てくださらなかったので、ゆっくりお茶を楽しませていただきました。ああ、本日のお菓子はとても美味しいので殿下も召し上がってはいかがでしょうか?」
「婚約者に会って早々嫌味とは、不愉快な女だ」
「政略とは言え、その婚約者との時間すら作れない方に言われたくはありませんね」
席を立ったままのわたしに王太子が眉根を寄せる。
「座れ」
「お断りします。ご用があるのでしたら手短にどうぞ」
このやり取りも三度目で何度かしている。
きっと、今回も同じ内容なのだろう。
「何故、ウィルモット侯爵令嬢の誘いを無視する?」
そう言われて、わたしは溜め息が漏れた。
一度目と二度目は明確な意思を持ってウィルモット侯爵家が関わる茶会を無視した。
それは王太子妃となる者として、結婚前から浮気をしている王太子のことを、ウィルモット侯爵令嬢のことを認められなかったからだ。
当然だ。婚約期間とは本来、互いに誠意を示して知り合うための時間である。
その間から浮気をされて、何故わたしが許さなければいけなかったのか。
三度目と今回は単純に忙しいから無視した。
第一、わたしは王太子妃に必要な社交以外は出ていない。
ウィルモット侯爵家との社交はせずとも問題なかった。
どうせ一度目から今まで、ずっとそうだったから。
「わたしは忙しいのです。王妃様と共に社交をすることはありますが、それ以上は時間が足りません。……そもそも、わたしはいくつもの家の茶会を断っていますが、何故ウィルモット侯爵家についてだけ引き合いに出すのですか?」
そう返せば王太子が言葉に詰まる。
まさか自分の浮気相手だから優しくしろ、などとは言えないだろう。
そこまで面の皮が厚い男であったなら、コソコソせず、すぐさま国王陛下に申し出てわたしとの婚約を破棄しようとしたはずだ。父である王の反感を買うことは恐れているらしい。
……そのくせ、婚約破棄を勝手に宣言するとは。
ふと違和感を覚えた。
そう、この王太子はわがままで自分勝手だが、気の小さいところがある。
そんな王太子がどうしてあんな公衆の面前で婚約破棄を宣言したのか。
あのようなことをして、両陛下の怒りに触れると分からないほど愚かではない……と思う。
誰かが王太子を唆したと考えるほうが納得がいく。
……まあ、そしてそれはウィルモット侯爵令嬢だろうな。
「……ウィルモット侯爵家は貴族派の中でも発言力がある。親しくしておけば損はない」
「そうでしょうか? 下手に親しくなれば、色々と情報が漏れてしまう可能性もあります」
「ウィルモット侯爵令嬢はそのような人物ではないっ!」
ダンッと王太子がテーブルに拳を叩きつける。
しかし、わたしの冷たい視線に気付いたのか、すぐに視線を逸らした。
王太子という立場にいながら分かりやすい人だ。
こんなことで次代の王としてやっていけるのだろうか。
「とにかく、差別をするな!」
「それならば今まで通りが良いでしょう。ウィルモット侯爵家を贔屓すれば、余計な誤解が生じかねません。他の家と同様に扱うほうが良いのです。それに、わたしはウィルモット侯爵令嬢と知り合いではないので、お茶会に参加する義務もありません」
わたしは王太子に一礼する。
「わたしは先に失礼します」
「っ、私は離席を許可していない!」
「元より席に着いておりませんが?」
「私に一人で茶を飲めと言うのか!?」
王太子の言葉に呆れてしまう。
「一人で茶も飲めないほどお寂しいのですか? わたしは殿下がわたしにしたことを参考にさせていただいているだけです。……人に無礼を働いておいて、自分の時は腹を立てるのは人としてどうかと思いますよ」
わたしとしては一人で過ごすほうが気楽だった。
不機嫌でほとんど喋らない王太子とお茶会をしても楽しくないし、空気を悪くするだけならこんな茶会などする必要はないと思うのだけれど、王妃様から『仲を深めるように』と指示されてしまえば従うしかない。
王太子もおかしな人だ。
わたしのことが嫌いならそのまま放っておけばいいものを、何故話しかけるのか。
「それでは、今度こそ失礼します」
もう一度、騎士の礼を執ってから離れる。
いくら王城の奥庭とは言え、使用人達や高位職の貴族などの目に触れる場所だ。
こんなところで二時間も放置されたわたしの身にもなってもらいたいものである。
一人でお茶をするわたしを見て「王太子に蔑ろにされている婚約者」だの「王太子の心も射止めておけない令嬢」だの、噂好きな者達はここぞとばかりに話題にするだろう。
だが、王太子が一人でいれば今度はそれが噂になる。
……これでお互い様だ。
城を出て、馬車に乗って公爵邸へ向かう。
車窓を眺めながらも別のことを考えていた。
あと三ヶ月もすれば、王家主催のあの夜会があるはずだ。
そこで王太子はわたしに婚約破棄を突きつける。
……婚約破棄が楽しみだなんて、どうかしているな。
けれども、それがなければきっとわたしはアシュリーに出会えない。
あの夜会があり、婚約破棄されたからこそ、声をかけてもらえるのだ。
「アシュリー、もうすぐだ」
あなたの綺麗な翠色の瞳が恋しい。
この六年、あなたに会うことだけを望んで生きて来た。
……そんなことを言ったら重く感じるだろうか?
それでも、アシュリーという存在が記憶にあるからこそ四度目も耐えられた。
「……わたしも、愛している」
あの時は死に際の言葉だったけれど、出来れば今度は普通の状態で聞きたかった。
そうすれば、わたしも同じように応えられるから。