婚約発表
仕立て屋を呼んでから二週間後。
王家主催の夜会──……わたし達の婚約発表の日となった。
わたしとアシュリーの婚約が決まってすぐにレンテリア王家に連絡を送った。
あの夜会でもアシュリーはわたしに婚約の話をしていたのもあってか、王家もレヴァイン公爵家も了承したそうだ。元より王太子のやらかしがあったので、王家としても公爵家と表立って対立するのは避けたかったのだろう。
他国の王族の婚約者になったとなれば、レヴァイン公爵家の名誉も守られる。
今日は休日で、朝からアシュリーの離宮に来ていた。
アシュリーの離宮付きのメイド達に囲まれた時は驚いたが、そのまま浴室に連れ込まれ、これでもかと全身を磨かれた。公爵家ではいつものことであったものの、メイド達に洗われ、マッサージされるのは久しぶりだった。
全身スッキリして、この日のために用意した衣装を着る。
騎士の制服ではないが、アシュリーの騎士で、婚約者の装いだと思うと気持ちが入る。
いつも通り髪を後頭部で一つにまとめ、今日だけは薄く化粧を施される。
鏡を見たらいつもより二割り増しくらい顔立ちが整って見えたのは笑ってしまった。
ここで女性的に美しくするのではなく、中性的な美しさを強調する辺り、恐らくアシュリーから何か言われているのだろうということが窺えた。
身支度を整え終わり、最後に腰に剣を差しているとアシュリーが部屋に来た。
「……アタシの婚約者がとっても格好良くて困っちゃうわ……」
思わずといった様子で口元を押さえながらそんなことを呟くので、アシュリーに近づいた。
「それはわたしの台詞です。今日の殿下は誰よりも素敵ですよ」
「あら、残念だけどそれは違うわ。だって一番はスカーレットですもの」
白地に金と赤を基調とした服で、揃いのマントを着けて並ぶわたし達に、バネッサとシェーンベルク殿が声をかけてくる。
「殿下もスカーレットもよくお似合いです」
「嫉妬するどころか、間に入りたがる令嬢のほうが多そうですね」
「まあ、それは困るわ。アタシの腕はスカーレットだけでいっぱいなのに」
と、アシュリーがわたしに抱き着いた。
それに小さく笑い、アシュリーの背中を軽く叩く。
「大丈夫です。わたしの腕もアシュリー殿下でいっぱいですので」
「それならいいわ。……緊張していないかしら?」
「ええ、婚約発表は二度目ですから。注目されるのも慣れています」
「……レンテリア王国の王太子に怒りを抱けばいいのか、嫉妬すればいいのか分からないわね」
ムッとした表情をするアシュリー殿下の頬に触れる。
「婚約を破棄してくれたことを感謝しておけばいいですよ」
「スカーレットって寛大よね」
「そうでもありませんよ。ただ、あの王太子に興味がないだけです」
改めてアシュリーの隣に並ぶ。エスコートは必要ない。
こうして隣に並んで立つことを許されるだけで十分だ。
「それでは行きましょうか」
「はい」
そして、わたし達は離宮を出て馬車に乗り、王城へ向かった。
アシュリーに言った通り、緊張はしていない。
国王陛下が認めた婚約に貴族が反対しても意見は通らないし、わたしは血筋も家柄も問題ないのだから、わざわざ反対意見を述べて王の反感を買おうという者もいないだろう。
馬車が王城に到着し、馬車から降りて、会場である舞踏の間に行く。
警備の騎士達の視線を感じた。
制服のようでいて、しかし明らかに騎士の制服とは異なる装いのわたしが気になるのは分かる。
舞踏の間の手前でアシュリーが角を曲がり、別の方向に向かう。
「今日はこっちよ。陛下から、アタシ達の婚約の話もしてもらうわ」
アシュリーの言葉に頷き返す。
騎士達が守護する扉の前に着くと、アシュリーが扉を叩いた。
すぐに中から扉が開けられた。国王陛下の侍従だろう男性だった。
中へ通されれば、国王陛下と王妃様、王太子殿下がいる。
礼を執ると王妃様が「まあ……」と小さく声を漏らした。
「アシュリーは素敵な騎士様を捕まえましたね」
「ええ、そうなのです。アタシの婚約者は世界一格好良いでしょう?」
「あらまあ、これではどちらがどちらに嫁ぐのか分かりませんわ」
王妃様──アシュリーの母親である前王妃が亡くなってから、側妃だった王太子殿下の母親が王妃となっている──が、おかしそうに笑う。アシュリーが軽く肩を竦めてみせた。その気軽な様子から、アシュリーと王妃様の仲の良さが窺えた。
ふと、王妃様の仕草に見覚えがあると気付いた。
何故だろうと思い、視線を動かしてその理由が分かる。
……アシュリーの仕草は王妃様にそっくりだ。
きっと王妃様は母親を亡くしたアシュリーを息子同然に可愛がってきたのだろう。
アシュリーが王妃様に向ける眼差しには、家族に対する親愛が込められていた。
「アシュリー、レヴァイン……いや、スカーレットよ、婚約おめでとう」
「スカーレット、どうかアシュリーをよろしくね」
国王陛下、王妃様の言葉にわたしは大きく頷いた。
「スカーレット・レヴァインの名に誓い、アシュリー殿下をお守りいたします。……そして、婚約を認めていただき、ありがとうございます。ミレリオン王家の名に恥じないよう努力いたします」
それにアシュリーが照れたように微笑んだ。
「それ、まるで結婚式前の挨拶みたいだわ」
「似たようなものだろう。まあ、初恋冷めやらぬといった様子の弟が、ついに身を固める決意をしてくれて兄としては喜ばしい限りだが」
「兄上……っ!」
わたしの言葉に笑っていたアシュリーだが、王太子殿下の言葉に顔を赤くしていた。
アシュリーの手を握れば、赤い顔をしながらも嬉しそうにアシュリーが手を握り返してくれる。
侍従の「お時間でございます」という声に国王陛下が立ち上がった。
「アシュリー、スカーレット、そなた達の縁が良いものとなることを願う」
王妃様と王太子殿下も立ち上がり、わたしはもう一度礼を執った。
そして、陛下達について歩き出す。
一度目も二度目も、いつかレンテリア王家の方々と共に歩むのだと信じていた。
その道は閉ざされてしまったけれど、今はミレリオン王家の方々がいて、横にはアシュリーがいてくれる。場所も立場も変わったし、婚約破棄もされたが、わたしはここで幸せを見つけた。
まだ繋がったままの手が優しく握られる。
謁見の間に続く扉が開かれ、陛下達の後に続いて、アシュリーと共に入場する。
王族と共に入場したからか視線が一気に集まった。
けれども俯く必要はない。わたしはアシュリーの婚約者として正式に認められているのだ。
「今宵は皆、よく集まってくれた──……」
国王陛下の挨拶が始まり、それを聞きながら静かに深呼吸をする。
……もう引き返すことは出来ない。
だが、引き返すつもりもない。これはわたしの選んだ道だ。
「──……そして、今宵は皆に伝えたいことがある。我が息子、アシュリー・ヴィエ=ミレリオンは本日をもってレンテリア王国公爵令嬢スカーレット・レヴァインと婚約する」
ざわ、と階下の貴族達が騒めいた。
「アシュリーとスカーレットが婚約することで、ミレリオン王国とレンテリア王国の関係は更に深まるであろう。我が国の、そして二人の今日、この良き日を、どうか皆も祝福してほしい」
王妃様と王太子殿下が拍手をすると、貴族達にもそれが広がる。
アシュリーとわたしは貴族達に一礼する。
これで、わたしとアシュリーの婚約は正式に発表された。
階下の夜会が普段よりも華やかに整えられているのは、婚約発表を祝してか。
「これでアタシ達は婚約者ね、レティ」
こそりと囁かれてわたしは頷いた。
「ああ。改めてよろしく、アシュリー」
微笑むアシュリーの表情は幸せそうだった。
その後、王族への貴族達の挨拶にわたしも立ち合い、それが終わるとアシュリーと共に階下に行く。
色々な人に話しかけられたが、誰もが祝福の言葉をかけてくれた。
彼ら彼女らの本心は分からないけれど、わたしも表面上は笑顔で感謝の言葉を伝えた。
挨拶が終わり、ホッとしていれば、アシュリーに声をかけられる。
「お疲れ様」
それにわたしが苦笑した。
「いえ、わたしはそれほどでも。アシュリー殿下のほうが疲れたでしょう?」
この国の貴族はまだ全てを覚えきれていないので、会話の大半はアシュリーが答えてくれた。
わたしはほとんど横で相槌を打つか、たまに訊かれたことについて話す程度である。
「そうでもないわ。むしろ、今日は嬉しくて気力があり余っているくらいよ」
「では、わたし達も踊りますか?」
「いいわね。せっかく婚約したから、二度続けて踊れる特権は使わないと」
差し出されたアシュリー殿下の手に、わたしも手を重ねれば、優しく引かれる。
そうして、曲の合間にわたし達はダンスの輪に混ざったのだった。
* * * * *
結局、わたし達は二曲続けてのダンスを休憩を挟んで二度踊った。
「ふふ、踊りすぎちゃったわね」
目立たない壁際に行くとアシュリーが小さく笑った。
「飲み物をもらって来るわ。スカーレットは休んでいてちょうだい」
「分かりました」
近くに給仕がいなかったので、アシュリーが飲み物を取りに離れて行った。
周りの人々の気配を感じながら、壁に寄りかかって少し休憩する。
そうしていると足音がしたので顔を上げれば、見覚えのある令嬢がそばにいた。
白金色の髪の令嬢はバートランド公爵令嬢で、確か銀髪の令嬢はテセシア侯爵令嬢だったと記憶している。テセシア侯爵令嬢は前回も今回も、バートランド公爵令嬢の後ろに控えているといった様子であった。
そしてバートランド公爵令嬢の表情はあまり良くない。
令嬢として微笑んでいるものの、その視線はわたしを射抜きそうなほど鋭く、怒りを感じる。
……それもそうか。
バートランド公爵令嬢はアシュリーの婚約者に相応しいのは自分だと言われ、そう思い続けて来たのだから、突然現れたわたしがアシュリーと婚約したら腹立たしくもなるだろう。
「ご機嫌よう、レヴァイン公爵令嬢」
その声もどこか冷ややかなものだった。
「バートランド公爵令嬢、テセシア侯爵令嬢もご機嫌麗しく存じます」
「あら、アシュリー殿下がいらっしゃらないようですわね」
「ええ、飲み物を取りに行ってくださっているのです」
婚約について触れる様子がないのは祝福の言葉をかけたくないからか。
わたしとしても嫌々言われるくらいなら、何も言われないほうがいい。
そう思っているとバートランド公爵令嬢が扇子で口元を隠しながら言った。
「ご婚約驚きましたわ。アシュリー殿下もお可哀想に……。ミレリオン王国とレンテリア王国の友好のためとは言え、一度婚約破棄された方と政略結婚なさるだなんて。まあ、レヴァイン公爵令嬢にとっては過ぎるほどのご縁でしょうけれど、もしわたくしが同じ立場だとしたら婚約破棄された身でアシュリー殿下と婚約するなど恥ずかしくて出来ませんわ」
これは、一度婚約破棄された傷物のくせにアシュリー殿下と婚約するなんて図々しい、と言いたいのだろう。公爵令嬢にしては随分と直接的な嫌味を言うものだ。
年齢的にわたしとそう変わらないと思うが、どこか幼く感じる。
明らかに敵意を露わにしているところが毛を逆立てた猫みたいだ。
「確かにわたしはレンテリア王国にて婚約破棄をされましたが、こちらに非はないので婚約破棄を傷に思う理由はありません。それにアシュリー殿下とは想い合っての婚約です。バートランド公爵令嬢はアシュリー殿下の従妹ですから、殿下を心配する気持ちも理解出来ます。ですが、この素晴らしいご縁を温かく見守っていただけますと幸いです」
ニコリと微笑みながら返せば、公爵令嬢の顔が赤くなる。
ギリ、と扇子を握る手に力がこもるのが分かった。
「頭が悪いわね……! あなたはアシュリー殿下に相応しくないと言っているのよ……!」
「それを決めるのはアシュリー殿下と王家の方々です」
「っ……!」
瞬間、バートランド公爵令嬢が持っていた扇子をわたしの顔に向けて投げつけた。
頬に扇子が当たったが、この程度は痛くも何ともない。
赤い顔でこちらを睨む公爵令嬢はまるで癇癪を起こした子供のようで、怒る気すら湧いてこなかった。
しかし、周囲で遠巻きにしていた人々がシンと静まり返る。
わたしが次にどのような行動に出るのか観察しているように感じられた。
「スカーレット!」
アシュリーの慌てた声が響き、早足に近づいて来る。
その手には飲み物があったけれど、近くにテーブルに置くとすぐにわたしの頬に触れた。
「怪我はしてない!?」
「はい、何ともありません」
「そう、良かった……」
アシュリーがホッとした様子で息を吐き、バートランド公爵令嬢に厳しい眼差しを向ける。
それにさすがの公爵令嬢もまずいと思ったのか半歩、後退った。
「バートランド公爵令嬢、あなた……!」
「アシュリー殿下、大丈夫です」
アシュリーを止め、わたしは足元に落ちている扇子を拾い、汚れを払ってからバートランド公爵令嬢に差し出した。
「公爵令嬢、落としましたよ」
バートランド公爵令嬢は赤い顔のまま俯いている。
近づき、その手にそっと扇子を返す。
「物に当たるのも、人に当たるのも、やめたほうがよろしいかと。公爵令嬢とは貴族の令嬢方の上に立ち、手本となるべき存在です。何より、美しく聡明なバートランド公爵令嬢には似合いませんよ」
バートランド公爵令嬢はわたしの手を払うと扇子を持ち、踵を返して離れて行った。
…分かりやすくて、素直で、可愛らしい方だな。
アシュリー殿下がわたしの手を取った。
「本当に大丈夫? 痛いところはない?」
「はい」
「そう。……バートランド公爵令嬢がごめんなさいね」
「アシュリー殿下が謝罪することではありませんよ」
しかし、注目を集めてしまって少し居心地が悪い。
それにアシュリーも気付いたのか、苦笑する。
「少し、外に出ましょうか」
ここにいても人々の好奇の視線に晒されるだけだ。
その提案にわたしは頷いた。