秘密(2)
アシュリー殿下と出かけて秘密を打ち明けた翌日。
護衛の任務を終えて、交代したところでアシュリー殿下に声をかけられた。
「スカーレット、この後の予定は空いているかしら? 大事な話をしたいのだけれど……」
真剣な表情のアシュリー殿下にわたしは頷き返す。
「問題ありません」
「そう、良かった。残りをすぐに片付けるから、少し待っていてちょうだい」
「承知しました」
もう夕方なので、この時間に執務室を訪れる者は少ないだろう。
殿下が示した壁際の椅子に腰掛けて待つ。
書類作業をしているアシュリー殿下の姿をぼんやり眺める。
……昨日、殿下の前であんなに泣いてしまった。
思い出すと少し気恥ずかしいが、そのおかげで気分は軽い。
これまでのわたしは精神的にギリギリのところに立っていたのだと、今更気付いた。
殿下に打ち明け、否定されなかったことが嬉しい。
ずっと重く圧しかかっていた記憶が、苦痛が、和らいだ。
全てが昇華して消えたわけではないけれど、一度目と二度目で苦しんでいたわたし自身の感情は慰められた。前二回の記憶があるからこそ、わたしは今のわたしになれたのだと思える。
……もう、一度目と二度目のわたしを否定しなくていい。
一度目も、二度目も、きっと間違ってなどいなかった。
ふと顔を上げたアシュリー殿下が微笑んだ。
「待たせてごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。……終わりましたか?」
「ええ、終わったわ」
殿下が立ち上がる。
「これから国王陛下と兄上に会いに行くわ。アタシもスカーレットに話さなければいけないことがあるの。……それで昨日の話だけれど、もしスカーレットがつらくなければ、二人にもう一度説明してもらえるかしら?」
国王陛下と王太子殿下に会いに行くと聞いて驚いた。
だが、アシュリー殿下の真剣な表情から、何か理由があるのは伝わってきた。
「構いません」
……ただ、陛下と王太子殿下に信じてもらえるかどうか……。
アシュリー殿下が近づいて来るとわたしの手を取った。
「大丈夫、父上と兄上も信じてくれるわ。その理由も含めて、話がしたいの」
「分かりました」
そうして、アシュリー殿下について王城の奥に向かう。
後ろには護衛の近衛騎士達が付き従っていたが、ある扉の前で殿下が騎士達に待つように告げた。
扉は近衛騎士達が守っており、アシュリー殿下とわたしを見ると騎士の一人が扉を叩いた。
中から扉が開けられて国王陛下の侍従らしき男性が一礼し、脇に避ける。
殿下と共に中に入れば、そこは応接室だった。
「アシュリー、レヴァイン、よく来た。さあ、こちらへ座りなさい」
ソファーには既に国王陛下と王太子殿下がおり、殿下も空いているソファーに座った。
殿下のそばに控えようかと思ったが、殿下に促されたのでわたしもその横に腰掛ける。
国王陛下が手を振ると侍従が下がる。
応接室の中には国王陛下と王太子殿下、アシュリー殿下、そしてわたしの四人が残された。
シンと静まり返った中で国王陛下が口を開いた。
「それで、アシュリーよ。大事な話とは何事だ?」
「まず初めに、アタシ達は両想いになりましたわ」
「ほう?」
国王陛下と王太子の視線に内心でヒヤリとした。
こちらを探るような視線を感じつつ、わたしは一つ頷いた。
「アタシはスカーレットと結婚したいと考えておりますけれど、その前に、彼女の話を聞いていただきたいのです。これは我々ミレリオン王家にも関わるであろう話なので」
アシュリー殿下の言葉に疑問を感じて見上げれば、目が合い、微笑み返される。
「大丈夫よ、スカーレット。ありのままを話してちょうだい」
重ねられた手を、わたしは握り返した。
そして国王陛下と王太子殿下に顔を向ける。
一度だけ深呼吸をしてから、わたしは『これまでのこと』を説明したのだった。
説明をしている間、国王陛下も王太子殿下も口を挟むことなく黙って聞いてくれた。
自分のこれまでを客観的に話すには難しい部分もあったけれど、わたしが言葉に詰まるとアシュリー殿下が優しく背中を撫でてくれて、何とか全てを話すことが出来た。
「──……こうして、わたしは騎士の道を選び、このミレリオン王国にまいりました」
全てを聞き終えた国王陛下と王太子殿下は眉根を寄せていた。
……やはり、信じてはもらえないだろう……。
俯きかけたその時、国王陛下が言った。
「確か、何代か前に我が国の姫がレンテリア王家に嫁いだことがあったな?」
それに顔を上げれば、アシュリー殿下が頷いて返事をした。
「はい。急いで調べさせたところ、現在のレヴァイン公爵の母親がレンテリア王家の姫君で、その姫君は我が国から嫁いだ王女の娘でした。スカーレットにはミレリオン王家の血が流れておりますわ」
「そういうことか」
「であれば、納得出来よう」
何故か王太子殿下と国王陛下が頷き合い、わたしを見た。
「レヴァインよ、そなたの話を信じよう」
国王陛下にそう言われ、驚きのあまり一瞬言葉を失った。
「……何故、信じていただけるのですか? こんな、ありえない話を……」
「常識的に考えれば『信じられない話』であろう。だが、我が王家ではありえるのだ」
「ありえる、とは……?」
国王陛下がわたしをジッと見つめる。
「我がミレリオン王家の血筋には、時折『加護持ち』が生まれる。加護持ちとは、常識ではありえない奇跡を起こすことが出来る力を持つ者のことであり、古の時代に存在した魔法使いの血が先祖返りにより濃くなり、現れると言い伝えられている」
遥か昔、それこそ御伽噺と言われるほど過去の時代。
この世には『魔法使い』という存在がいた。
生命力とは異なる『魔力』と呼ばれる力を持ち、特殊な技術により、その魔力を現象に変えることの出来る稀有な能力。魔法使いは魔法により火や水を生み出し、風を吹かせ、巨大な土人形を動かしたという。
しかし、魔法使いは元々、数が少なかった。
そして魔法使いも全てが優秀ではない。
力の弱い魔法使いもいれば、力の強い魔法使いもいた。
中には己が魔法使いであることを明かさない者もいただろう。
ある時代では、魔法使いは忌み嫌われ、恐れられ、迫害の対象にもなった。
ほとんどの魔法使いはその時代に消えたと言われているが、実際はそうではなかった。
「ミレリオン王家の始祖は魔法使いであった」
何代も、何代も、新たな血が入ることで魔法使いの血は薄れていく。
だが、不思議なことに『加護持ち』が途絶えることはない。
何代か間が空くことはあっても、先祖返りが現れる。
そこまで聞いて、何故国王陛下がそれについて語るのか分かってしまった。
「わたしは、その『加護持ち』なのですか……?」
確かに王太子妃教育の中で、レンテリア王家の血筋についても学んだ。
先祖全てとまではいかないが、十代前までの王家直系の系譜について覚えている。
その中にはミレリオン王家から嫁いだ王女が、当時の王弟と結婚し、その娘がレヴァイン公爵家に嫁いでいるというのも記憶にある。自国と他国の王家の血が流れる公爵。それもあってレヴァイン公爵家は国内でも力を持っていた。
けれども、父からそのような話は聞いたことがなかった。
「恐らく、そうであろう」
国王陛下がアシュリー殿下を見る。
アシュリー殿下が頷き、わたしに顔を向けた。
「実はアタシも『加護持ち』なのよ」
ハッと息を呑むわたしに、アシュリー殿下が苦笑する。
「スカーレットほどすごい力はないけれどね。アタシは『自分の傷や病を他者に移すことが出来る』の。逆に他者の怪我や病を代わりに受けることは出来なくて……一方的で嫌な力よ」
「その、陛下や王太子殿下は……?」
「父上と兄上にはないわ。レンテリア王国に嫁いだ王女も加護は持っていなかったし、ここしばらくは加護持ちが出ていなかったのだけれど、アタシが当たっちゃったのよ」
肩を竦めてみせるアシュリー殿下は困ったような顔をしていた。
「これは憶測だが、レヴァインは先祖返りによりミレリオン王家の血が濃いのだろう。調べることは出来ないが、きっとレヴァインは魔力が非常に多く、その加護は『死によって時を遡る』ものだと思われる。死の瞬間に己の魔力全てを使って時間を巻き戻すことで、死を回避出来るのかもしれない」
もしそうだとしたら、恐ろしい力である。
わたしの死によって世界の時間が巻き戻ってしまうとしたら、それを知った者は絶対にわたしを利用しようとするだろう。わたしが死で全てを『なかったこと』に出来るのだから。
いつの間にか震えていた自分の体を抱き締める。
……こんなものは『加護』ではない。これは『呪い』だ。
時間が巻き戻せても、その記憶を持つのはわたしだけ。
死んで巻き戻る度にわたしは孤独を味わうことになる
「大丈夫……大丈夫よ、スカーレット」
アシュリー殿下に抱き寄せられる。
「加護の秘密は王家の直系しか知らないわ。そして、アタシ達は加護が現れても、決して使ってはいけないと教育されているの。……この力が明るみに出れば戦争が起こるから」
「……各国は挙ってミレリオン王家の血を欲しがるでしょう」
「ええ、そうよ。そして強い『加護持ち』が得られるまで、子を成すことを強いられるわ」
だからミレリオン王家は『加護』を秘匿する。
不意に、何故アシュリー殿下が王位継承権を持たないのか、気付いてしまった。
王太子に、王になれば、注目される。各国は必ず調査をするだろう。
どこから『加護』の話が漏れるか分からない。
どんな力を持っていたとしても、常人からすればそれは『奇跡』である。
そして人間は己の理解が及ばない力を恐れる。
奪い合いが起きるか、潰し合いが起きるか。どちらにしてもミレリオン王国は無事では済まない。
わたしの考えを察したのかアシュリー殿下が微笑んだ。
「アタシは加護があってもなくても、兄上が王太子になるべきだと思っているわ。兄上はアタシより政に長けているし、頭も良いし、何より民を愛しているもの」
「……アシュリー殿下は違うのですか?」
「アタシじゃダメよ。アタシは弱いから、自分が怪我を負ったり病にかかったりした時、どんな行動をするか分からないわ。大切な民に自分の傷を押し付けるかもしれない。そんな人間、王に相応しくないでしょう?」
アシュリー殿下は自身のことをそう言うが。
「……殿下はそのようなことはしないと思います」
もしも自分優先の人間だったなら、あの夜会でわたしを助けることなどなかったはずだ。
繋がったままの手を握り返す。
「まだ短い間ですが、わたしが見て来た殿下はそんな人間ではありません。少なくとも、わたしを助けてくださった殿下は『己の痛みを他人に押し付ける』などという人間ではないでしょう。そのような人物であったなら、見て見ぬふりをしたかと」
そしてあの場では、ほとんどの人間がそうだった。
どうして三度目が違ったのかは分からないが、一度目と二度目では、確かミレリオン王国の使者は自国に帰った後であったように思う。偶然、今回はまだレンテリア王国にいたのだ。
……もし、もし一度目や二度目でアシュリー殿下がいたなら……。
その時も、今回のように声を上げてくれたのだろうか。
……きっと、殿下は同じようにした。
互いに見つめ合っていると、コホン、と咳払いがわざとらしい響く。
「ともかく、レヴァインは『加護持ち』の可能性が高い」
慌てて国王陛下のほうに顔を戻して頷いた。
話を戻すが、他にわたしの状況を説明出来るものはない。
「ミレリオン王家としても、レヴァインを他国に渡すことは出来ない」
「父上、それはつまり──……」
「うむ」
アシュリー殿下がわたしを見る。
繋いだままの手を、今度はアシュリー殿下が握った。
「スカーレット、アタシと結婚してください」
ドキリと心臓が大きく脈打った。
「加護なんて、全部ただの理由付けに過ぎないわ。アタシはずっと、あなたが好きだった」
そっとアシュリー殿下の手がわたしの頬に触れる。
「昔、あなたがアタシを助けてくれたあの時から、アタシの心はスカーレットのものよ」
だから、とアシュリー殿下が微笑む。
「これからは、あなたを守らせて?」
その言葉にわたしは思わず笑ってしまった。
「近衛騎士であるわたしは殿下を守る立場なのですが」
「それなら、お互いに守り合えばいいわ」
さらりとそんなことを言うアシュリー殿下に少し気恥ずかしくなる。
けれど、それが嬉しかった。
どちらか一方が助けるだけではなく、困ったときに支え合える。
そういう関係のほうがわたしは嬉しい。
「……わたしの背中は殿下に預けます。だから、殿下の背中はわたしに守らせてください」
アシュリー殿下の表情がパッと明るくなる。
幸せそうに、嬉しそうに、アシュリー殿下が微笑んだ。
「ええ、アタシの背中はスカーレットに預けるわ」
三度目の人生でようやく幸せを見つけられた。
それは予想外で、初めて歩む道だけれど、もう怖くない。
……わたしの横にはアシュリー殿下がいてくれる。
そのことがとても心強かった。