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秘密(1)






 馬車に戻るとバネッサといい笑顔のシェーンベルク殿がいた。


 二人を見て、あ、と気付く。


 ……そうだ、護衛もこっそりついて来ていたんだった。


 つまり、わたし達のあれこれも見られていたわけで。


 顔が熱くなり、思わず俯いたが、深呼吸をして平常心を取り戻す。




「お帰りなさい」


「お二人とも、おめでとうございます」


「余計なこと言わない」


「痛っ!」




 バネッサがシェーンベルク殿に肘打ちをした。結構いい具合に鳩尾に入って痛そうだ。




「あの、アシュリー殿下だけにお話ししたいことがあります」




 話せば、きっと頭がおかしいと思われるだろう。


 それでも話したいと思った。


 ……わたしのこれまでを、知ってほしい。


 わたしの表情を見て、アシュリー殿下が頷いた。




「ええ、分かったわ。バネッサ、リシアン、しばらく馬車の外で護衛を頼めるかしら?」




 アシュリー殿下の言葉に二人は「承知しました」と返事をする。


 それから、殿下とわたしとで馬車に乗り込んだ。


 扉を閉めておけば、大きな声で話さない限り、内容を聞かれる心配はないだろう。




「それで、アタシに話というのは何かしら?」




 横に座っている殿下を見る。


 少し怖い。もし信じてもらえなければ、わたしは信頼を失うだろう。


 話さないという選択も出来るはずだ。


 だが、わたしはこの人に全てを話したい。


 きっと、今話さなければ一生打ち明ける機会を失う。そんな気がしたから。


 握り締めた手が震えているのが自分でも分かった。


 ふわりとその手に大きな手が重なった。




「スカーレット、大丈夫よ」




 まだ何も話していないのにアシュリー殿下は『大丈夫』だと言う。


 人によっては無責任に感じるかもしれないが、わたしには励ましの言葉に聞こえた。


 深呼吸をして、心を落ち着け、覚悟を決める。




「わたしはこれまでに二度、死んだ経験があります」




 これまでのわたしのことも、あなたに知ってほしい。






* * * * *






 わたし、スカーレット・レヴァインは貴族令嬢らしい娘だった。


 お茶会を好み、流行のドレスや物の話をして過ごし、両親の言葉には逆らわない。


 他の子息令嬢達から傅かれて、王家に近い公爵家の令嬢でありながら傲慢な性格にならなかったのは、単にわたしが生来の臆病者だったからだ。


 令嬢らしく淑やかで、大声を上げたり走ったりせず、いつも微笑んでいる。


 良く言えば模範的、悪く言えば己というものがない。


 それが、一度目と二度目のわたしであった。


 わたしにとって両親は絶対的な存在だった。


 だから王太子との婚約の話が持ち上がった時も、両親の判断に任せた。


 元より王命に近い形の打診を断ることなど出来るはずもなく、わたしは第一王子と婚約した。


 第一王子は最初から、わたしに対する扱いが雑だった。


 両陛下より説明はされていただろうが、親の決めた相手と結婚する、というのが面白くなかったのだろう。


 王族で、いずれは王太子となり、次代の王となるのに結婚相手すら好きに選べない。何でも手に入れられる立場でありながら、一生を添い遂げる相手は選べない不自由さが息苦しかったのかもしれない。


 わたしが十歳の時には既に打診があり、十二歳で婚約した。


 婚約発表は大々的に行われた。


 けれども、その時に描かれた第一王子とわたしの絵は酷いものだった。


 第一王子は不機嫌さを隠しもせず、微笑むわたしとは微妙な距離を空けていた。


 その後、第一王子は王太子となった。


 わたしは王太子の気持ちを自分に向けようと努力したが、それは両親に言われたからで、わたしは王太子に対して親愛も何もなかった。婚約者になった責務だけがあった。


 もしかしたら王太子はそれを感じ取っていたのかもしれない。


 どれほど王太子の好きなものを贈っても、話しかけても、一緒に過ごす時間を増やしても、王太子はわたしを見ることはなかった。


 王太子妃教育が始まるとより王太子のわたしに対する嫌悪は増したようだった。


 王太子の苦手なことは、全てわたしが出来なくてはいけないと言われた。


 大勢の教師達から一日中色々なことを教わった。


 誰もがわたしを優秀だと褒め称えてくれたけれど、寝る時間も食事の時間も削り、移動の馬車の中でも勉強に必要な本を読んだ。入浴中ですら侍女に頼んで本を読んでもらった。勉強をしながら机で寝てしまうことも珍しくない。それくらい、わたしは全ての時間を王太子妃教育に注ぎ込んだ。


 そうでもしなければ『王太子妃に相応しくない』と教師達に白い目を向けられるから。


 王太子の婚約者になって以降、家族との時間は消えた。


 夕食ですら一緒に摂る余裕はなかった。


 家族と会話するのは屋敷の中ですれ違って挨拶を交わす時程度であった。


 しかし、わたしが優秀と言われるほど、王太子の態度は冷えていった。


 自分が出来ないことを婚約者に押し付けておいて、その婚約者が自分より褒められていると気に食わないなんて、なんてわがままで子供なのだろうと今ならば言えるが、当時のわたしは『自分が不甲斐ないから見てもらえない』と思い、努力し続けた。


 だが、王太子からすればそんなわたしが疎ましかったのだ。


 風の噂で王太子がとある令嬢と親しくなっていると聞いて、知ってはいた。


 それでも王命で決まった婚約がどうにかなるはずがない。


 王太子は束の間、遊んでいるだけなのだろう。


 男性のそういった部分を許す寛大さも必要だと教師は言った。


 国王となれば、いつか王太子は側妃を娶る可能性もある。


 その時、嫉妬に駆られるようなことがあってはいけない、と。


 毎日努力して、努力して、努力して──……あの夜会の日、わたしは婚約破棄をされた。


 衆人環視の中での婚約破棄は衝撃的だった。想像もしていなかった。


 あまりのことにわたしは途中で気を失ってしまい、気付けば公爵家にいた。


 わたしは婚約破棄を受け入れた。あれほど大勢の前で宣言されて、そうせざるを得なかった。


 たとえ拒否して結婚をしたとしても、わたし達の関係が冷え切っていることは全ての貴族達が知っており、わたしもレヴァイン公爵家も蔑ろにされるのが目に見えていた。


 何より、王族の、王太子の言葉は絶対だと教師達から教わっていたから。


 両親はわたしを『婚約者の心も掴めない娘』『公爵家に泥を塗った』となじった。


 そうして両親からある物を渡された。


 両親から何か贈ってもらったのは久しぶりだったのに。


 綺麗な緑色の瓶に入っていたのは毒だった。




「公爵家の家名に泥を塗った責任は取らなくてはいけない」


「次代の王に恨まれたままでは困るの」




 だから、それを飲めと言われた。


 毒だと説明した上で、娘に毒を飲めと言う。


 ……悲しかった。言葉では言い表せないほど、心が痛かった。


 それなのに王太子妃教育で感情を抑える方法を叩き込まれたわたしは、涙一つ流せなかった。


 両親の言葉に従い、わたしはそれを飲み干した。


 胃が熱くなり、息が出来なくなり、苦しくて、全身が痛くて。


 何かを感じ取ったのか、弟は使用人達の静止を振り切って部屋に入って来てしまった。


 弟が必死にわたしを呼ぶ声を最後に、わたしは死んだ。


 それが一度目の記憶である。


 そして、気が付くと王太子との婚約発表の場にいた。


 わたしは訳が分からないまま婚約発表を終えた。


 婚約が不安だからそのような白昼夢でも見てしまったのかと思ったが、夢にしてはあまりに現実味があり──……そして、多分信じたくなかったのだ。


 あれほど努力したのに全てを否定され、婚約破棄され、両親に毒を飲んで死ねと言われる。


 そんなことあるはずがない、と思いたかったのだ。


 一度目で王太子妃教育を必死に受けたからか、二度目はいくらか楽だった。


 一度やったことを復習していくようなものだったから。


 だが、わたしが優秀と言われるほど、やはり王太子との溝は深まっていった。


 色々なことに既視感を覚えながらもわたしは結局『あれは夢だった』と思うことで気持ちを落ち着け、そして何もしなかった。


 だからだろうか。結局、二度目も婚約破棄を言い渡された。


 二度目では婚約破棄を拒絶した。


 やはり両親には責められたが、毒を飲めとは言われなかった。


 代わりにしばらく公爵邸から出ないようにと言い渡された。


 その後、王太子から『婚約破棄を認めろ』という内容の手紙が何度も届いたが、わたしはそれら全てに『陛下のご意向に従います』と返した。王太子は父である国王陛下を説得出来るほどの力はなかったらしい。


 だが、一月経ったある日、わたしは死んだ。


 弟とお茶をしている最中、何者かに毒を盛られたのだ。


 恐らくだが、ウィルモット侯爵家の手の者だとわたしは考えている。


 あの王太子にはそこまでの度胸はないし、わたしが死ねば王太子と結婚出来ると考えて使用人を買収した可能性がある。ただ、両陛下がウィルモット侯爵令嬢を認めるかは別の話だが。


 毒で苦しみながら、わたしは痛感した。


 何もせずにいればわたしは死ぬ道しかない。


 これまでとは全く違う道を進まなければ。自分の身は自分で守らなければ。


 このままでは、わたしはまた死んでしまう。


 目を開けると、三度目の婚約発表の場に立っていた。


 その後すぐ、わたしは両親に話をして剣を習うことにした。


 最初は頷いてもらえなかったが『いざという時に殿下をお守りするために』『王妃となれば身を守る術を持っているほうがいい』と説得し、公爵家の騎士達から剣を習った。


 初めてのことばかりで最初はあまり上手くいかなかった。


 走ると肺が苦しくて、全身筋肉痛になるし、剣は重くて持ち上がらない。


 それでもわたしは毎日体を鍛え、剣を握り、訓練を行った。


 体力はなかったが剣の才能だけはあった。


 わたしに剣を教えてくれた騎士達は、わたしに『とにかく体を鍛えろ』と言った。


 どれほど才能があっても剣を振る筋力、走る脚力、戦い続ける持久力がなければ無意味だと。


 実際その通りだったのでわたしは努力した。


 王太子妃教育は試験だけ受けて、全て合格し、最低限のもの以外は免除された。


 剣の訓練はつらくて、大変だったが、それでも自分を守る力がついていくのは達成感があった。


 疲労感も筋肉痛も、毒の苦痛に比べたらどうということもない。


 わたしはあっという間に剣が上達し、騎士達から認められて、十四歳で王家の騎士団の試験を受けて入団した。そこからは一般騎士見習いとなり、訓練をしたり警備の仕事をしたり、悪いものではなかった。


 王太子との時間は作っていたが、ほぼ会話はない。


 そして十六歳の時には『負けなし』と言われるほど強くなっていた。


 その年に行われた剣武祭に参加し、わたしは三位となり、王妃様の近衛騎士に選ばれた。


 婚約破棄をされた後は公爵家を出ようと考えていた。


 他国に行き、そこで剣の腕を頼りに騎士なり傭兵なりになって生きる。


 たとえ死ぬことになったとしても、もう王太子の件で殺されるのだけは嫌だった。




「頭がおかしいと思われても仕方がありませんが……これが、お話ししたかったことです」




 話し終えるとアシュリー殿下が思案顔で言う。




「アタシが声をかけた時、すぐに返事をしたのはレンテリア王国を出るつもりだったからなのね」


「はい、あの国に残っても良いことはありませんから」


「そうね。それについては同意見だわ。きっと王太子と侯爵令嬢はあなたを排除しようと動くでしょう。王と敵対するくらいなら、他国に亡命したほうがいいわ」




 顔を上げたアシュリー殿下が、わたしを抱き締めた。




「スカーレット、つらかったわね」




 抱き締められたまま頭を撫でられる。




「……信じてくださるのですか?」


「ええ、信じるわ。あなたが嘘を吐いているようには見えないもの」




 その言葉に呼吸が震える。


 たとえ、心の底から信じてもらえていなかったとしても、その言葉だけでいい。


 今まで誰にも言えずに抱えて来た。


 わたしは、本当は誰かに秘密を打ち明けたかったのかもしれない。


 胸の内で絡んだ毛糸玉みたいにずっとグチャグチャだったものが、解れていくような気がした。




「アタシは死んだことがないから、あなたの味わったつらさや苦しさ、痛みを理解出来るとは言えないけれど……想像することは出来るわ。二度もそんな目に遭って、それでも諦めずに生きていてくれてありがとう」




 感じる温もりに、かけられる言葉に、体が震える。


 頬を何かが伝う感触に驚いた。


 涙を流したのは久しぶりで、それに気付くと後から後からあふれてくる。




「あなたはよく頑張ったわ」




 胸の中にくすぶっていたモヤモヤとしたものが消えていく。


 優しく頭を撫でてくれる手が、抱き締めてくれるしっかりとした腕が、安心する。


 両親にすら抱き締めてもらった記憶はあまりなかった。


 三度目では、弟を抱き締めることすらなかった。


 わたしはそれだけ必死で、余裕がなくて、怯えていたのだ。




「アタシがそばにいる。だから、もう一人で苦しまないで」




 アシュリー殿下の言葉に唇を噛み締める。


 さすがにここで声を上げて泣けば、馬車の外まで聞こえてしまうだろう。


 声を殺して泣くわたしを、アシュリー殿下はずっと抱き締めてくれた。




「これからはアタシを頼って」





 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 2度死んだことの恐怖がよく表現されていたこと。死の苦しさだけでなく、努力したことを認められなかったつらさが表現されていたこと。 やっと流せた涙の表現の仕方がとても良かったこと。 [気になる…
[良い点] (;∀;)良かった〜! やっと、涙を流せたのですね。 今まで、どれほど、抑圧されてきたのかと思うと…。 もう泣けて、仕方ありません。
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