三度目の婚約破棄
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢! 私、エミディオ・ルエラ=レンテリアは貴様との婚約を破棄し、ここにいるエイリーン・ウィルモット侯爵令嬢と婚約する!!」
怒声と共に王太子に指差される。
柔らかな金髪に水色の目をした王太子は、十二歳の時からずっとわたしの婚約者だった。
……ああ、またか。
この状況は初めてではない。
わたしは過去に二度、同じ経験をしている。
死んでは同じ時を繰り返す。
一度目の人生は婚約破棄受け入れ、家名に泥を塗ったと両親に詰られ、責任を取るために自害させられた。
二度目の人生は婚約破棄を拒絶したものの、何者かに毒を盛られて死んだ。
恐らく、二度目はウィルモット侯爵家の手の者が公爵家に紛れ込んだのだろう。
……この王太子に誰かに毒を盛る度胸はない。
何故か死ぬ度に時間が巻き戻り、わたしはこうして三度目の人生を歩んでいる。
一度目の人生は絶望しながら死んだ。
二度目の人生は、一度目の記憶は悪い夢だと思い、結果的に何も出来ないまま、毒で苦しみ抜いて死んだ。
でも、もう死ぬなんて嫌だった。
しかし、王家から打診のあった婚約をわたしのほうから破棄も解消も出来ず、こうして、また三度目の婚約破棄を繰り返す。
そして今回、三度目の人生でも、やはり王家の夜会という最も人の多い場で王太子はわたしに婚約破棄を言い渡した。
けれども今回は今までとは違う。
全身に集中し、美しく、騎士の礼を執る。
今のわたしはただの公爵令嬢ではない。
「王太子殿下の命、承りました」
一度目のように驚きのあまり失神することはない。
二度目のように泣いて王太子に縋りつくこともない。
礼を解き、頬にかかった髪を軽く払う。
「婚約破棄してもらえて良かったです。わたしも、あなたと結婚するつもりなどなかったので」
わたしはスカーレット・レヴァイン。
現役で近衛騎士を務める公爵令嬢である。
* * * * *
わたし、スカーレット・レヴァインはレヴァイン公爵家の長女であり、下に弟が一人いる。
その弟が次期公爵となるため、弟が生まれた瞬間、わたしはどこかの家に嫁ぐことが決められていた。
それについて何かを思うことはない。
元より夫を迎えるか、嫁入りするか。家のために結婚することは貴族の令嬢として当然だと教育されていたので、それに疑問を抱くこともなかった。
現在の王家には王妃の子である王子しかおらず、しかし王子は勉学においてはあまり優秀ではなかった。
それに危機感を持った王妃が、王子の後見として、また息子の欠点を補うために選んだのがレヴァイン公爵家の令嬢。
つまり、わたしだった。
わたしは子供の頃から、どこに出しても恥ずかしくないように貴族令嬢として必要な教育は全て受けて来た。
それに目を留めた王妃様から婚約の打診を受けた。
わたしの両親は、わたしが次期王妃となることで家の繁栄に繋がると言い、わたしと王子の婚約を決めた。
そしてわたしは王子の婚約者となる。
第一王子エミディオ様は王妃様に甘やかされて育った。
エミディオ様が苦手分野の勉強は全てわたしが受け、いずれ王太子となり、国王となった際にはそばで支えられるようにと遊ぶ暇もないほど毎日勉強し続けた。
あの頃は夜に眠れなくなったり、突然胃が痛くなったりして、きっと心身共に疲れていたのだろう。
王子と出来るだけ仲良くしようと努力したけれど、わたしは嫌われていた。
その理由も『自分より優秀な女は可愛くない』というものだった。
それでも六年間、婚約者の教育を受け続け、寝る間も惜しんで努力した。
その結果、王子は立太子した。
王太子となってから二年後、もう用済みだというようにわたしは婚約破棄されたのだ。
ここまでは一度目の人生も二度目の人生も同じである。
一度目の人生は婚約破棄を受け入れた。
妻は夫の言うことに従うべきで、エミディオ様の言うことは絶対だ、と教育されてきたから、その通りに従った。
だが家に帰ると両親に罵倒され、頬を打たれた。
何故、婚約破棄を受け入れたと責められた。
あの時のわたしは反論することも出来なかった。
家名に泥を塗るような娘は要らない。
家のために自害しろと言われ、わたしは言われた通りに自害した。
……あの頃のわたしは馬鹿だった。
二度目の人生は拒絶したものの、婚約破棄から数日後に毒を盛られて死んだ。
苦痛の中で、どうして何もしなかったのかと強く後悔し、そして、わたしは十二歳の婚約まで時間が巻き戻った。
三度目の人生でも、わたしは王子と婚約した。
けれども、その後すぐに公爵家の騎士団に入って体を鍛え、剣の訓練を始めた。
最初は猛反対していた両親に『もしもの際に殿下をお守りするためです』と言えば、それ以降は何も言われなくなった。
もしかしたら、そのうち辞めるだろうと思っていたのかもしれない。
わたしは王家の教育を最短で終わらせた。
時々、王城に行くものの、後は自由だった。
筋肉痛のつらさも、掌で潰れるマメの痛さも、訓練での苦しさも、どれも今まで経験したことのないものばかりで、でも努力をすればわたしの体は応えてくれた。
疲れて食事が喉を通りにくくなっても無理して食べた。
毎日、毎日、騎士団の訓練に参加した。
体力がつき、体術を学び、剣を振れるようになり、剣術を習う。
騎士達も驚いていたけれど、どうやら、わたしには剣術の才能があるらしい。
歴史や礼儀作法の勉強よりも、剣や体術を覚えるほうが早かった。
両親に『箔をつけるため』と言って王城の騎士団の試験を受け、わたしは王家の騎士となった。
それ以降、わたしは普段からドレスを着るのをやめて、男性の装いを始めた。
両親に反対されたけれど、不思議と二人を怖いとは思わなかったし、その言葉が絶対だという感情も湧かなかった。
騎士となり、様々な人と接し、訓練で鍛えて両親よりも強くなると、二人に責められても何とも感じなくなっていた。
わたしはそのまま騎士を続けた。
訓練を受け、仕事をこなし、夜会やお茶会にも顔を出してきちんと社交界も行った。
そして十七歳の秋、年に一度王家が開催する剣武祭に参加した。
剣武祭は騎士だけでなく一般人も参加が可能で、国の優秀な武人を集めるためのものだ。ここで上位まで勝ち進めば、近衛騎士として高待遇で招かれる。
さすがに優勝は出来なかったものの、わたしは第三位という好成績を残し、王妃様の近衛騎士となった。
王妃様もわたしの『殿下を守るため』という言葉を信じており、近衛として、いずれは義理の娘となる者として可愛がってくれた。
……それで絆されはしないが。
王太子とわたしの婚約を決めたのは王妃様である。
この人がわたしを選ばなければ、あんな苦痛を味わうこともなかっただろうと思うと、とても好意など抱けない。
わたしは王太子の婚約者として、近衛騎士として王妃様へ対応しているが、そこに感情はなかった。
わたしが今回目指すのは国外への脱出だ。
婚約破棄をされ、家名に泥を塗ったとして家を出て、他国で生きる。
国内で残っても『王太子から婚約破棄された者』と後ろ指を差されるくらいなら、他国に行ったほうがずっといい。
傭兵でも、どこかの貴族の騎士でも、就職先など探そうと思えば見つかるだろう。
だから、わたしはもう泣くことはない。
「しかし、本当にわたしと婚約破棄をしてよろしいのですか? 殿下はまた一から王太子教育をやり直さねばいけなくなるかもしれませんね」
「なっ……!?」
思わず笑ったわたしに王太子が顔を赤くする。
王太子の勉学をわたしが受け持っていたことは、皆も知っている。ただ、言わないだけだ。
「ですが、それはそちらにいらっしゃる方がきっと愛の力で乗り越えてくださるでしょう。……そうですよね? ウィルモット侯爵令嬢」
わたしの言葉にウィルモット侯爵令嬢が肩を震わせる。
柔らかなピンクブラウンの髪に金の目をした、可愛らしく、庇護欲を誘うような容姿の令嬢だ。
一度目の人生も、二度目の人生も、そしてこの三度目の人生でもウィルモット侯爵令嬢が王太子の心を奪っていった。
怯えた様子でウィルモット侯爵令嬢が王太子に縋りつく。
「エミディオ様ぁ……!」
「安心しろ、エイリーン。君は私が必ず守る!」
「まあ、エイリーンは嬉しいですわぁ……!」
涙目のウィルモット侯爵令嬢を抱き寄せ、王太子が格好良く言うが、わたしはそれに呆れてしまった。
「殿下と戦うつもりはありません」
「ハッ、王家の近衛騎士が戦いを避けるとは勇猛さに欠けているな! やはり貴様のような女は──……」
「あ、いえ、本気で戦ったら殿下を叩きのめしてしまい、不敬罪に問われかねないので『戦わない』というだけです」
「何だと!?」
「そもそも剣の腕に自信がおありなら、剣武祭に参加されれば良いではありませんか。王家の中には剣武祭で優勝した王もおられました。……まあ、近衛騎士とまともに剣を交わせないようでは難しいでしょうけれど」
王太子の顔が更に赤くなる。
ここで即座に決闘を申し込まない辺り、王太子も自身の力量を理解しているのだろう。
唇を噛み締めた王太子が声を荒げる。
「騎士達よ、この無礼者を捕えよ! 王家の夜会を乱すような者は相応しくない! 早々に追い出してしまえ!!」
それに騎士達も戸惑った様子を見せた。
「呆れましたね。己では敵わないからと騎士達を使うとは。そもそも、王家主催の夜会で婚約破棄などという非常識な行為を始めたのは殿下ではございませんか」
「黙れ! 貴様は私の言うことに従っていれば良いのだ!」
「ですから、仰せの通り婚約破棄を受け入れました」
まさか、わたしが泣いて縋るとでも思ったのだろうか。
くだらない、と思っているとウィルモット侯爵令嬢が王太子に言う。
「エミディオ様ぁ、これではレヴァイン公爵令嬢がお可哀想ですぅ。彼女はこれまで努力しておりましたしぃ、このまま側妃となって支えていただくというのはどうでしょうかぁ?」
ウィルモット侯爵令嬢は勉学に励むつもりはないらしい。
わたしを側妃に据えて王妃の仕事を押し付け、王妃の身分とうまみだけを得ようという考えだろう。
「そ、そうだな! 喜べ、優しいエイリーンがこう言っている! 特別に側妃として迎えてやろう!」
「お断りします」
「そうだろう、嬉しい──……え?」
ポカンとした顔をする王太子に溜め息が出てしまう。
「ウィルモット侯爵令嬢は殿下のために努力はしたくないようですね。王太子妃教育は大変ですからね。気持ちは分からなくはありませんが」
「そ、そのようなことはございませんわっ!」
「では、わたしなど必要ないでしょう。ウィルモット侯爵令嬢、是非頑張ってください。お二方の未来を応援しております」
「っ……!」
ウィルモット侯爵令嬢が俯く。
……ああ、やっと解放される。
国王陛下と王妃様のご機嫌取りもしなくていいし、王太子とのギスギスしたお茶会も出なくて良くなり、粗探しをしようと躍起になる教育係達とも関わらずに済む。
「っ、貴様のような者はこの国から出て行け! 国外追放だ!!」
王太子の言葉にわたしは笑みが浮かんだ。
「はい、言われなくとも出て行くつもりです」
睨む王太子とそれに抱き締められているウィルモット侯爵令嬢、そして二人と対峙するわたし。
わたし達を遠巻きに眺めている人々。
シンと静まり返ったそこに別の声が響く。
「ちょっとよろしいかしら?」
男性の声なのに、女性的な口調だった。
振り向けば、そこには鮮やかな金髪に輝く翠の瞳をした美しい顔立ちの青年が立っていた。
話したことはないものの、ここ最近、何度か見かけていた人物──……確か、隣国ミレリオン王国の第二王子アシュリー・ヴィエ=ミレリオン殿下であった。
ミレリオン王国の第二王子殿下が歩み出る。
そして、何故かわたしのそばに立った。
「スカーレット・レヴァイン公爵令嬢、ミレリオン王国にいらっしゃらない? アタシの近衛騎士としてお迎えするわ。その剣の才を是非、我が国で生かしてもらいたいの」
どうかしら、と訊かれて考える。
どうせ国外追放されるのなら、ミレリオン王国に引き抜かれたほうが国境も通りやすいだろう。
しかも王族直々に声をかけてもらえるなんて光栄なことだ。
わたしは剣を鞘ごと抜いて、そばのテーブルに置く。
「今ここにレンテリア王家に仕える騎士の栄誉を返還いたします。……こんなわたしでもお仕えさせていただけるのでしょうか?」
剣から手を離して振り向くと、ミレリオン王国の第二王子殿下が頷いた。
「ええ、もちろん。もしあなたさえ良ければ、あたしの婚約者になってほしいくらいだわ」
きっと、婚約破棄されたわたしを気遣ってくれたのだろう。
王太子から婚約されたけれど、隣国の王族から声をかけられたとなれば、家への影響も少ないかもしれない。
「わたしのことを高く評価していただきありがとうございます。ご冗談だったとしても光栄です」
あら、とミレリオン王国の第二王子殿下が自身の頬に手を当てて微笑んだ。
「婚約者の話は冗談ではなくってよ?」
王太子に婚約破棄された時よりも、場が大きく騒ついた。
「アタシ、レヴァイン公爵令嬢に惚れてしまったの」