34.結 ③
沙羅は現在の結婚相手と知り合う少し前に、好意を寄せていた男性がいたが、交際を申し訳込んで断られたことがあった。
それは他に好きな人がいるから、君とは付き合えないという理由だった。
その人の好きな相手は宮森容子という自分よりも4つ歳上の女性だった。
部署も違い、業務でも関わることのない、すれ違えば軽い会釈をする程度の接点がほぼない人であった。
そして、ある時沙羅はある男性に一目惚れをしたのだ。
なぜか社員ではないその男性は正門の守衛所に来ていた。
背の高い爽やかな見目の男性にその日一目で心惹かれた。
この人カッコいい、なんて素敵な人なのだろうと。
それからも何度か彼を見かけるようになり、知り合いになりたいと思った。
そんな時、じゃあ仲を取り持ってあげるわよと、いわゆるお局様ではあったが、それならばと口を利いてもらい交際に至ったのだ。
交際当初から、夢中になったのは沙羅の方で、彼は優しくしてくれはしたが、どこか上の空のように見えた。
それでも沙羅は彼を好きだったので、結婚したかった。
自分が婚約者になった時はとても嬉しかった。
ただ妙なことに、彼はそのお局様と何やらこそこそ裏でやっているような気配がして、なんとなく気にはなっていた。
しかもそこになぜか、あの宮森容子という女性の名前がちらついていたのだ。
彼は宮森容子とは子供の頃の知り合いだと言っていたけれど、本当のところは沙羅にはわからない。
不安になりだした時、社内ではある噂が囁かれるようになった。
それは宮森容子が沙羅の婚約者を誘惑しているというものだった。
沙羅は彼女に彼を奪われないように早く結婚してしまおうと焦った。
婚約はしたものの彼は結婚を渋り、まだいいよと先延ばしにしたい様子でいることが、より不安でしょうがなかった。
その噂によって宮森容子の評判が悪くなり、女性社員から顰蹙を買って孤立していく様子を心の中では喜んでいた。
私の婚約者を奪おうとするから、こんな目に遭うのは当然であって、いい気味だと。
沙羅はなるべく宮森容子とは視線を合わせないように、彼女の視界にも入らないようにした。
その後沙羅はようやく彼に結婚を受け入れてもらい、もうすぐ自分は花嫁になるのだという時、
婚約者である彼は、ありえないことに宮森容子を追いかけていたのだ。
しかもGPSまで駆使して。
彼を追跡して沙羅が見たものは、宮森容子は別の男性と愛を育んでいて、噂とは全く違う事実だった。
宮森容子は、沙羅の婚約者などはじめから眼中になく、歯牙にもかけていなかった。
むしろ、彼が執拗につきまとうために、その迷惑行為から護ってもらえる男性と交際しはじめたというのが実際なのだった。
宮森容子は男性社員に人気はあったが、社内で浮いた噂を聞いたりしたことはなく、身持ちのかたい女性のようだ。
しかも身に覚えのない不名誉な噂をたてられても毅然として、孤立にも屈しない気丈な人なのだ。
理由は知らないけれど、宮森容子はお局様に嫌われているようだった。
彼は元々沙羅と結婚する気は全くなかった。
「本当に結婚しなくていいから、とりあえず形だけ婚約して様子を見ていればいいのよ」
お局様にそう唆されていた。
宮森容子が嫉妬して婚約破棄に持ち込ませ、お局様は宮森の略奪愛を責めて貶める目的で、婚約者は意中の宮森容子と自分を両思いにするという計画のために、沙羅の恋心を、自分達の邪な計画のために利用したのだ。
お局様が親切そうに交際を取り付けてくれたのはそのためだったのだ。
沙羅はその罠にまんまとはまってしまった。
味方のふりをしていただけの頼れるお局様も、私の婚約者も最初から自分を裏切っていたことに気がつけなかった。
沙羅が一目惚れしたあの日、守衛所に部外者のあの人がいたのは、勝手に執心している宮森容子に会うためだったのだ。
それを知ったのは結婚した後で、後の祭でしかなかった。
夫との口論から、その企みの全貌を知ったのだ。
しかも、沙羅の親友曰く、宮森自身は不当な扱いを受け、冷たい視線に晒されても耐え、真相を皆に言いふらすようなことはせずに、自分が泥を被り沙羅の社内での立場と面子を護っていてくれたというのだ。
そんなことは何かの間違いで、絶対に嘘だと思った。
だって彼女は私の友人でもなく、親しい同僚でもないのだから。
それなのにどうしてそんなことをするのか理解できない。
なぜ婚約者が私を裏切ってでも執着している人物が、私を護るのか全く理解できない。
呪いのカードを送っても、何も騒ぎ立てず、警察にすら届ける気配もない。
あの人は一体なんなのか。
沙羅には全く理解できなかった。
砂を使った凶器による攻撃も、彼女の恋人の防御で彼女には結局一撃も与えることはできなかった。
きっと警戒されてしまっているから、また襲うのは多分もう難しい。
それに、一度試したら、なんだかもうどうでもよくなってしまった。
どうでもいいのは、あの夫もそうだ。
あの人、階段から落ちて無事だったのかな?
······まさか、死んだりしていないよね?
怪我で済むくらいなのかな?もし彼が死んだら、私って殺人犯になるんだよね。
······どうしてこんなことになってしまったの。
私はただ好きな人と結婚して、幸せになりたかっただけなのに。
私の人生は、これでもう終わりなの?
宮森容子を襲ってからは、3日間、あてもなく走っては車の中で夜を明かしたが、車内にいても朝晩は暖房をつけずにいると寒い。
息も白く、手も凍えてしまいそう。
·····寒いよ、寒い。
寒くてたまらない。
ブランケットにくるまるだけでは全然足りない。
でも寒いのに、暖房をつける気にはなぜかなれない。
気力が起きないのだ。
······誰か、私を助けて。
携帯の電源はずっと切っていた。着信音や呼び出し音が煩かったからだ。
それに、知りたくない事実を知るのが怖かった。
夕闇が迫り、あたりが暗くなっていく。
沙羅は暗闇で一人でいるのはもう嫌だった。
携帯の電源を入れると、溜まっていた分の着信が一気に音をあげはじめた。
想像以上に沢山あったのか、着信ラッシュはしばらく続いた。
ようやく音がおさまりホッとすると、少し置いてメールがひとつ着信した。
見ると、幼馴染みの亮からだった。
恐る恐るメールを開いた。
『おまえ、今どこにいるんだよ。あんなクズ男に引っかかるなんて馬鹿だなあ。
あんな奴はさっさと捨てて、俺と結婚しないか?
あいつなんかよりも俺が沙羅を幸せにしてやるからさ。
とにかくまず親に連絡してやれよ。
あと、あのクズは死んでないから心配すんな』
沙羅は涙で画面がぼやけて見えなくなった。
数時間後、立花沙羅は無事保護された。




