2.みつわ荘②
容子が7歳になった頃、祖母から保養所はやめたのだということを聞かされた。
最近客人を見かけていなかったので、それはそのせいだったのかと子供ながらに理解した。
それならば、いくつかある部屋のうちのひとつを子供部屋として、自分専用の部屋にしてもらえるかもしれないという期待を勝手に抱いて、容子は一人ウキウキしていた。
今までの、妹と一緒の部屋から解放されるのは、自分がちょっぴり大人になれるような気がしていたからだ。
これまで手狭だった母屋にはなかなか友人を呼べずに肩身の狭い思いをしていたけれど、これからは、客間だった大部屋は気兼ねなく友人を呼んで遊べるスペースになる筈だった。
そんな容子だけが心に描いていた淡い夢は無惨にも打ち砕かれることになった。
「いいわね、ここから先はもう他所の家なのだから、絶対に開けて行っては駄目よ」
別館への通路のドアを施錠した母にそう告げられてしまったのだ。
「えっ?もう容子の家ではないの?」
あまりに唐突過ぎて耳を疑った。
「保養所はやめたのだから、別館は売りに出したのよ」
容子は、そんなことはまったく聞いていないし、酷いよと抗議したかったが、既に買手がついていて、来週にもリフォームがはじまるらしかった。
子供の容子が何を言ってもなす術はなく、手遅れでしかなかった。
この日から、母屋と別館へ繋がる入口は隣家との境として封鎖され、開けてはいけない扉となったのだ。
翌週、学校から帰宅すると「みつわ」という看板は外されていて、新たに「たかの」という看板に変わっていた。
その後も外観や内装の改修工事がなされていく度に、その都度容子の心は傷んだ。
人手に渡ったとはいえ、慣れ親しんだ大切なものを土足で踏みにじられるような気がして、それがどうにも耐え難かったのだ。
ひと月もせずに隣人が引っ越してきて営業をはじめる頃には、容子にとって幼い頃から宝物のような「みつわ荘」の面影はとっくになくなっていた。
翌年容子一家は、父の転勤先の隣県へ転居することになった。母屋も借家として他人が暮らすことになり、寂しさに追い討ちをかけた。
大好きだった小学校も転校しないとならなくなって、相次ぐ別れと環境の変化に容子の心が全く受け入れることができなかった。
後ろ髪を引かれつつ、容子は強い愛着のあったみつわ荘から引き離されたのだった。