19.重なる記憶 ④
「みつわ荘に滞在中は、どの辺りを観てまわったんですか?」
良質な水と温泉以外に特筆すべきものがない小さな温泉郷だから、子供には退屈だったのではないだろうか。
「バス停の近くに、射的とかスマートボールができる店があったよね」
「ああ、ありましたね、もうなくなってしまいましたけど」
それは同級生の家が営んでいた筈で、当時の同級生達はみな既にこの温泉郷を出てしまっている。
あのストーカー男の一家も、容子が引っ越した二年くらい後にこの温泉郷を出ていた。
「4歳くらいの頃に来た時は、客室に面した庭で虫とかを採って遊んだらしい。カタツムリの子供を見つけて、いたく感動していたそうだけど」
容子はその話しを聞いてピンと来た。
「あれは八神さんのことだったんですね! ふふふっ、それは我が家では語り種ですよ」
「えっ?」
その当時はまだ容子は赤ん坊だったが、祖母と母からは、みつわ荘時代の想い出話のあれこれを子供の頃からよく聞かされていた。
「今、カタツムリの赤ちゃんが産まれましたぁ!! って、眼をキラキラさせて紫陽花の
葉に乗せてうちの母達にまで見せに来てくれたらしいですよ」
「うっわ、なんだそれ、勘弁してくれ······」
修司は恥ずかしさで悶絶した。
母達の想い出話の中でも、いくつか繰り返し聞かされていたのがこのエピソードだったのだ。
その話しに登場していた本人に会える日が来るとは容子は思っても見なかった。
もしもその本人を家に連れて行ったら、まあ、まあ、まあっ、こんなことがあるなんてと、母達はさぞかし驚いて狂喜乱舞しそうだなと容子は思った。
「大文字焼きの時に来たことはありますか? 客室からも見えたんですよ」
「それは知らなかった」
「駅前の神社がある方とは反対の坂を下ると、釣りができる大きな川があるんですが、そこは行きましたか?」
「確か兄貴と一緒に行ったかな」
そう、石切をしたような気がするけど、割りと急流だった筈だ。
かつて母だと思っていた人にも手を引かれて見に行ったことを修司は思い出していた。
「行って見ますか?」
「ああ」
まさか佐和の面影を持つ女性と、かつての思い出の場所を一緒に歩くことになるとは。
人生は何が起きるか本当にわからない。
特に修司にとって、最近はそんなことの連続だった。
川へ出るまでの坂道は人気がなく、自分達の話し声も、滝川のような激しい音でかき消されてしまう。
坂に沿って道の左側は崖が迫り右側は木々が生い茂って、川音ばかりがするだけで川の姿自体はなかなか見えて来ない。
坂を下り切って、一見行き止まりに見える突き当たりを左へ曲がると、突然開けて川が現れる。
建物や電柱などの人工物がなく、360°遮るものがまったくないパノラマ。
ここは当時の容子のお気に入りの場所のひとつだった。
眼前に広がる景色に解放されるような感覚が、容子には久々で懐かしかった。
母には危ないから一人で行っちゃダメよと言われていたのに、抑えられない好奇心から一人で内緒で遊びに行った場所でもあった。
この温泉郷がもっと賑やかだった頃には、浴衣姿の宿泊客達がこの川へ向かって歩いていたから、その後をついて行けば辿り着けていた。
先程から心なしか修司の口数が減り、彼一人の自分だけの世界に浸っているようだった。
容子から離れた場所で一人佇んでいる。
(きっと何か特別な思い出でもあるのでしょうね)
少しして、修司は容子の傍に戻って来た。
「さっき川へ来る前に通って来た十字路で、7歳の時に若い男性に拐われそうになった事があって」
「······君って、色々怖い体験をしているね」
「その時は偶然父が遊んでいた私を迎えに来てくれて助かったのですが、あのストーカーは雰囲気が似ているんです、私を拐おうとした人に」
「それじゃあ、トラウマだね」
そうだ、そうだったと、容子はここへ来てはっきり思い出していた。
「あいつ、見た目は悪くないんだけどな」
修司がぼそりと呟いた。
あんなストーカーではなければ、見た目が爽やかな青年として普通にモテるのではないか。
「子どもの頃も女子には人気のある人でした。普通の女の子だったら好きになるタイプなのかもしれませんが······」
「生理的に受け付けない?」
「はい。でも、拐おうとした人に似ていなくてもきっと同じだったと思います」
容子が転校する以前に同じ小学校へ通っていた時から、妙に馴れ馴れしくて一方的で苦手な相手ではあったけれど、大人になってからは更にそうだった。
彼からしつこくされていると相談したら、妹の愛弓は残念過ぎるイケメンとバッサリ切り捨てた。
「もしかしたら······モテる人だから、全く靡かない私を受け入れられないのかしれません」
「それは自己愛の極み、イカれたナルシストでしかないけどね」
容子が彼を受け付けない理由を、修司も納得した。




