第1話 悪意の果実 その5
「…三課、仁藤です……はい…はい…」
その数秒のやり取りだけで、黒川は事態を察する。というのも、昼寝をしようとしたときに限って仕事が入ってくるのが、彼のジンクスだからだ。
「黒川捜査官。帝都B3地区の警察から連絡です。大杉さんという方が繋いでほしいと…」
少しのいら立ちを覚えながら黒川は電話を手に取り、電話機の本体を仁藤の机から自分の方に引っ張り出した。机に山積みになったファイルの一部が床にこぼれ、仁藤が迷惑そうな顔を浮かべる。
「どうも、黒川さんですよね?」
「どうして葛城さんを通さないんすか」
「さっき連絡した時には電話が繋がらなかったんだ」
葛城のデスクを見ると、掃除用のロボットが、彼のごちゃごちゃになった配線を整理しているのが目に入る。なるほど、物理的に繋がらなかったという訳か、と納得して、黒川は再び電話に意識を戻す。
「ちょうど清掃中で、回線が一時切断されていたみたいです」
「なるほどね」電話の向こうで、メモのようなものを捲る音が聞こえる。
「あの後、周囲の人物にトリプロマ合成薬がきちんと効いているか確かめるのもかねて事情を聴いて回ったんだが、妙な話を耳にしてね」
「妙な話……ですか」
「そうそう」
仕事柄、黒川はこの手の話題に敏感に反応する。机の上からメモとペンを引っ張り出すと、わずかな隙間を活用して要点をまとめ始める。四角いふせんの隅に、日付と時刻が書き込まれる。
「663号の出現の直前、周辺で異臭騒ぎがあったというんだ。それも、一度や二度じゃなくて、立て続けにね」
「異臭騒ぎ…警察には連絡はなかったんすか?」
「それが、こちらで通報を受けた記録が見当たらないんだよ」さっきまでそれを探していたんだけどね、と大杉は言いながら、さらにファイルを数枚めくる。
「うん、やっぱり見当たらない。それで、そちらに連絡が来てないか確認したんだ」
話の内容をまとめたメモを仁藤に見せると、彼女はすぐさまパソコンで検索をかける。警察のデータベースから、異常存在の関連性が疑われる案件を拾い出し、時間帯から情報を絞る。しかし、直近二日間でのそのような情報は、まったくと言っていいほど皆無だった。仁藤が首を振ったのを確認してから、黒川は応答した。
「過去60時間分を洗ってみたっすけど、そんな話はないですね」
「…663号事案の可能性は?」大杉の声は、どこか少し震えている。
「まだ確定はできないっす。こっちで調べてみるんで、その話をしていた住人の住所と連絡先を教えてもらえますか?」
「助かるよ。位置情報と戸籍データは既に君のメールに送ってある」
「感謝します」
通話が切れると、黒川は仁藤に声をかけ、机から立ち上がった。
「行くんですか? お疲れでしょうから、休んでもいいんですよ?」
「俺の『真理眼』無しでどうやって事情を正確に知るって言うんです?それより、人手が欲しいのでついて来てください」
「…しょうがないですね」
3日以内更新予定おじさん