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烏三課  作者: 千歳 翁
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第1話 悪意の果実 その1


 2089年 11月某日。スメラ皇国 首都トンキン。

 内閣府付属異形存在対策室“八咫烏”。

 第四庁舎地下12階《特別収容房》


 酷く暗い部屋で、少女は静かに目を開けた。最初に耳に入って来た音は、連続的な機械音と、自らの心臓の鼓動を過大解釈させた医療設備の音だ。次に、彼女の頭によぎった恐怖は、彼女自身の身体につけられたいくつかの拘束具がもたらす、ごく自然な本能的危機感によるものだった。助けて、と叫ぼうとした自分の喉に、プラスチック製の呼吸器がつけられている。肺の奥の方から鋭い痛みがして、思わず体をのけぞらす。


「……オハヨウゴザイマス。K-33」


 機械音声の無機質な挨拶。その記号の羅列が自らであることに気が付いた彼女は、声の主を探そうとする。とたん、彼女の意識を読み取るようにして、部屋に明かりが灯される。点けない方がよかった、と彼女は心の底から後悔した。


 今や、自分の手足や体につけられた金属製の機械やプラスチックのチューブが、自分という存在の確かさを過剰に覆い隠していた。そこにあったのは、生命としての尊厳を限りなく方法的に取り除かれた、純粋な肉体としての身体だった。四方はカーテンに囲まれ、息苦しささえ感じる。さながら、ここは独房だった。


「…どこなの?」

彼女は自身でたった今下した結論を否定したかった。機械音は何もかもを知っているかのように、言葉を並べた。


「集中治療室デス」

「…病気なの??」

「現在地点ニ関スル情報開示ニ必要ナクリアランスガ足リテイマセン」


 少女は、自分が無意識に浮かべた言葉の全てを機械が読み取ることに、吐き気さえ催した。頭の中を誰かにのぞかれ、つつかれているような忌々しい感覚だ。


「難しい言葉は嫌なの…誰か、誰か人間を呼んで!」

「当該申請ニ必要ナクリアランスガ足リマセン」

「じゃあ、せめて口で話せるようにさせてよ!頭の中を直接覗かれるのなんてごめんだわ!」

「声帯部ニ著シイ裂傷ガ見ラレマス。治療完了マデ、一切ノ発話ハ禁止サレマス」


 その言葉で、反射的に声を出そうとした喉の内側を引き裂くような激しい痛みが襲った。自分の置かれている状況が普通でないことは、彼女もすぐに理解する。

 ふいに、カーテンの向こう側から人影が近づいてくる。警戒心をむき出しにした彼女の前に現れたその影は、黒川のものだった。


「……覚めたか?」

「誰よ!あなた」

「それは俺の聞くセリフだ。お前はなぜあれの中にいた?」


 あれ…という言葉に見覚えのない少女は、さらに口調を強くした。


「『あれ』って言われてもわからないわよ!だって…あたし…あたし…」


 とたん、少女の頭の中から、思い出されるべき言葉が消えていくのがわかる。いや、消えているというより、それは欠けているというほうが近かった。靄がかかったかのように、自分の過去の記憶が全く定かではない。感情の機微を察した黒川は、近くのパイプ椅子に腰かけると、じっと彼女の眼を見つめた。


「巫術零式『真理眼』展開」


 黒川の言葉と共に、彼の瞳が燃え盛るように赤く染まる。それはまるで、悪魔の邪悪さをはらんでいるかのようにどす黒く、また魅惑的だった。少女は我を忘れたまま、彼の瞳を見続ける。


「……なぜ『あれ』の中にいた?」


 少女の口が、無意識に言葉を紡ぎ始める。


「……食べられた…父さんと…母さんが……あたし……あたし…そう、確かそうよ!」


 彼女は言葉を荒げ始める。


「あたし、あの日、いつものように過ごしていた。いつも通りの一日だったの…あれが来て…あれが、あれが全部食べたの…あれは…あれは……」

「化け物?」

「……違う。あれは、あれはもっと優しくて…大切なものよ」


 黒川自身、少女の答えは予想に反していた。『真理眼』の影響下に置かれている以上、彼女はうそをつくことができない。記憶の深層部にアクセスすることも可能なこの能力をもってさえ、彼女の内面は不可思議に満ちていた。言葉にならないイメージの連続体は、それを読み取ろうとする黒川にとってもひどくストレスだった。そこに彼が見たのは不定形の何かであり、形を持たない恐怖そのものであり、あるいは平穏な幸せの、一瞬の静寂と破滅だった。


「『あれ』は身内だったのか?」

「…わからない。でも…あれは私に優しくしてくれた…なのに……どうして……」


 突然、黒川の瞼に電撃のような鋭い痛みが走る。

 彼の脳に直接入り込んできたのは、幼いころの少女の記憶だった。暖かい家庭の何不自由ないごく普通の日常。だが、それはひどく歪だった。黒川がそこで見たものは、うり二つの二人の少女であり…一方は愛され、一方はまったく愛されていなかった。


「……双子か…」

黒川はひっそりと言葉を漏らす。


「いつから、彼女は一緒にいたんだ?」

「…ずっと昔から」

「生まれたときか?」

「いいえ…もっと昔……」


 生まれる前よりも古い記憶。もしも彼女のいうことが本当なのだとすれば、問題は彼女自身の自己認識である。彼女自身が、自身を何者であると考えているかというその一点だけが、ただただひたすらに問題だった。


 黒川は巫術の使用を終わらせ、彼女のことを改めて見つめた。

 自分があの時見たのと、まったく同じ姿の少女。


 もし、『あれ』が化けていたら、今頃自分は襲われているかもしれない。


 なぜあの時自分を助けたのか、あの怪物の正体は何か。黒川自身で導ける答えはごくわずかですらない。だが、彼以外の人間からしてみれば、謎はさらに深まるばかりだ。

 ひとまずは、報告をするのを優先すべきだろう。


「……しばらく、ここで寝てろ」

「…待って! どこへ行くの??」


 少女の声ならざる声を後にしながら、黒川は部屋を後にした。


次話投稿は3日後を予定しています。

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