第1話 悪意の果実 その11
「開く」という行為そのものが持つ特別な意味がある。
ひとつは、閉じられたもの、覆われた物を解放すること。
ひとつは、なにかをはじめること。
それらの二つの共通するのは、隔たれた二つの領域を通行可能にし、両者を一つの別の空間へと作り変える行為、という点だ。時間的な隔たりと空間的な隔たりが、「開き」によって統一される。そして、それこそが巫術、ひいては呪術の本質だ。
だからこそ、扉を開くその瞬間は、いつも緊張するものだった。
「此岸空間歪曲率変化なし。空間内へのエントリー可能です」
「了解。これより行動を開始する」
葛城の応答と共に、「真理眼」を展開した黒川は静かに建物を取り囲む壁の一部に触れる。それは、コンクリートブロックで出来た壁であるはずなのに、黒川の身体を飲み込み、その内側へと入り込ませていく。そして、入っていく黒川本人の身体を、生暖かいゼリーのようなものが包み込む感覚が襲った。
「抵抗はない。どうやら歓迎はされているらしいな」
「どうだか」
歓迎だったらまだマシだ。これが罠だった場合の方が危険だろう、と黒川は内心呟く。
二人が空間を潜り抜けた先に最初に目にしたのは、先ほどまでの天気とは打って変わって、まるで深夜のように薄暗い建物の庭先だった。鼻を衝く異臭……それは、腐ったブドウのような、甘い臭いだった。体全体を包み込むネバネバしたような雰囲気の漂う空気が、この場所の異常さを露呈する。二人は小型の懐中電灯にスイッチを入れると、周囲を照らしながら内部を進みだす。
「こちら葛城。エントリー完了した。調査を開始する。聞こえるか?」
「ええ。姿は見えないけれどね」
先ほどよりも若干音声の乱れた仁藤の声が、耳に装着した小型のトランシーバー越しに聞こえる。二つの隔たれた空間が、一応は確かに繋がっていることの数少ない証拠だ。
黒川は振り返りながら自分が入って来た壁の方に「真理眼」を使用する。しかし、そこには壁があるばかりで、出口になりそうな場所はどこにもない。
「脱出口の確保はできそう?」仁藤が再び質問する。
「壁を内側から抜け出せるかどうかは分からないな」葛城は壁に手を触れながら、内部の感触を確かめようとする。しかし、液体のように波紋を浮かべていた壁は、いつの間にか元のコンクリートと同じ手触りに戻ってしまう。
「黒川」
「“侵入した”ていうよりは“招かれた”方が近いかもしれないっすね」
「周囲の気配に気を付けて。他の小型異常存在が紛れてる可能性もある」
「了解」
葛城はそういいながら、先ほど手渡された白色の銃を手に取りだす。こんなおもちゃのような銃が“それ”には効くのだから驚きだ。巫術というものを科学的にとらえようとする仁藤たちの努力には、目を見張るものがある。
葛城は自身の巫術を展開できるか確認するために、懐から自身の術器を取り出しながら、静かに名前を唱える。
「……『巫術一式:八界領域』」
パリン。
皿が割れるような鋭い音と共に、彼が手に持った猪口にヒビが入る。
「大丈夫っすか?」
「これはダミーだ。本物は別にある」葛城はそういいながら、自身の猪口を地面に落とす。「どういう訳か分からないが、俺が巫術を使おうとしているのを、この建物は理解しているらしい」
「生体反応はないわ。黒川君、“真理眼”に変化は?」
「今のところ無し」
「ってことは、擬態しているわけでもない。擬態型ではないわね」
「異常建築ってことで間違いはなさそうだ」葛城はそういいながら、周囲を照らす。
黒川は静かに建物全体の庭を見回しながら、そこに置かれたものを観察する。
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