第1話 悪意の果実 その10
――数年前
「時々、自分の能力が嫌になるんすよ」
仕事を終えた帰り道、勾玉を握りしめながら歩く黒川は、そんな愚痴を葛城に打ち明けた。まだ雪も解けきらない、晩冬の正午である。ポケットの中に入れた手の内側でほんのりと輝くそれの熱をカイロ代わりにしながら、黒川は煙草を吸う葛城を見つめた。
「何が嫌なんだ」
「俺がいなくちゃできない仕事が多すぎることとか」
「頼られているんだからそれでいいだろう」
葛城は口から煙を吐き出し、吸殻を吸い殻入れの隅でひねりながら消すと、新しい箱を取り出して蓋を開ける。完全なものが不完全になるその時、葛城はいつも少し嫌な気持ちになった。
「『真理眼』は他の情報系巫術に比べても圧倒的に利便性が異なる。「真理を見抜く」というお前の素質は、烏三課がずっと欲していた能力そのものだ」
「だから、俺をみどりご園から早急に引き抜いたんですか?」
「……そうだ」
みどりご園。
それは、巫術の才能を持つ者たちが集められる、『異常存在対策課』直属の秘密教育機関。10歳から16歳までの子供を対象とし、日本全国から巫術の才があると見做された子供たちが集まる場所だ。トンキン市内の極秘の場所に設置されたその施設は、外部との接触が限りなく制限され、存在自体が一種の亡霊と化している場所でもある。
だが、『烏』である自分たちにとってみれば、そこは自分が育った幼少期の思い出の場所であり、黒川にしてみれば、初めて自分の存在価値を得た場所だった。だからこそ、「引き抜き」という異例中の異例として扱われた彼にとって、その場所での思い出は完成されたものではない。
不完全。
その言葉そのものが、自分自身を意味しているような気がしてならない。
「『真理』を見抜くだなんて、できなきゃよかった」
「そうか?」
「テストの正解が見れるなら便利だったかもしれないっすけど、実際にはテストを作った人間の思惑だの、大人が考えている都合だの、そんなことばっかりが見えて気が散る。何か絵でも描いてみようとすれば、描こうとしたものその物が俺に語り掛けてくる。俺が書きたい、俺が見たい世界が見れない」
葛城は黒川の愚痴を黙って聞きながら、足元で雪を被ったまま沈黙する草木を眺めた。これが、今の自分の正しい反応なのか。何も言わず、ただ静かに聞くこと。それが優しさなのか、面倒さからなのか、あるいは別の感情からなのか。それは相手にわかるはずのないこと。
ただ、黒川を除けば。
「今、俺が何を考えているかも分かる、ってことだよな」
「巫術開発訓練を受けてからは、自分で発動を制御できるっすからまだマシですよ。問題なのは、暴発した時」
「暴発?」それは葛城が耳にしたことのない話だった。
「巫術自体の暴発、自らの精神力を超える力の行使。本来、巫術の行使自体が正常な精神状態で行われるものではないことは、黒川さんも知ってるっすよね」
「シャーマニズムの話か」
「そうです」黒川は言った。「あちら側を漂う霊力や存在と、こちら側が交差する場所の曖昧さを制御すること。それが巫術の本質っすから」
しばらく長い沈黙が続いたあと、葛城は静かに言葉を続ける。
「もしも“暴走”したときにはどうなる?」
「さあ。最近はすっかりしなくなりましたから分からんっすけど…」黒川は灰に入り込んだ葛城の煙にむせてから、静かに答える。
「俺の巫術の根源的な心理状態は『共感』っす。だから、人の心に入り込みすぎることがあるのかもしれない」
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