第58話 霊と霊
「ヘルト、貴様本気か?」
「もちろん本気さ。俺は兄さんにつく。だから――諦めるなら今のうちだぞ」
ヘルトの言葉に、ドルクは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。サリナも「信じられない」といった表情で口元を押さえている。
「……まさか本当に、こんなことが起きるとはな。――いでよ、竜牙兵!」
ドルクが右手を掲げると、無数の魔法陣が宙に花開き、そこから骨で編まれた兵士が雪崩れ込む。竜牙兵――竜の牙より生まれし不死の闘士。骸骨の胴に竜の顔、漆黒の鉤爪。不死ゆえ、打ち砕くか焼き尽くさねば蘇り続ける厄介なアンデッドだ。
「ヘルト、考え直すなら今だ」
「くどい! ――行け、七英雄!」
号令一下、七体の英霊が疾駆。煌めく剣が骨を薙ぎ、戦斧が脊柱を粉砕し、炎の呪唱が竜牙兵を朱に染めていく。骸が崩れ、炎が燃え盛り、竜牙兵は瞬く間に灰と化した。
「流石だよ、ヘルト。僕の出番は無さそうだ」
「兄さんは切り札だ。ここは任せてくれ」
頼もしい――そう思った。しかしドルクの顔は少しも揺れず、不敵に口角をつり上げている。
「見たか、俺の英霊の力を!」
「あぁ、しっかりと見届けたさ。やはり強い。――だからこそ備えておいたのだ。サリナ、準備は?」
「ええ、すべて“あの方”の計画どおり。――悪霊憑依!」
サリナが叫ぶと同時に、七英霊の身体から黒紫の靄が噴き出し、別の霊が絡みつく。英霊たちは糸の切れた人形のように動きを止め――向きを変え、ヘルトへと武器を突きつけた。
「なっ……英霊に霊を憑依させただと!?」
「普通なら不可能よ。でも時間をかけて霊を浸透させれば話は別。優秀な力ほど、いざという時に牙を剥く――“あの方”の教えよ」
“あの方”。嫌な予感が背を撫でる。
「くっ、兄さん……俺……!」
「大丈夫。下がっていてくれ。――英霊は霊界に還るだけで失われはしない。ここからは僕の役目だ」
ヘルトを魔族の斥候に預け、僕は前へ出た。ドルクとサリナが嘲笑混じりに見下ろしてくる。
「今さら貴様に何ができる?」
「そっちこそ、借り物の力で粋がるしかできないのかい?」
「黙れ! バハムート、出でよッ!」
「召喚・ファントムロード!」
三つ首の巨竜が唸りを上げ、闇の王が吠える。悪霊付きの七英雄もこちらを睨む。深紅と漆黒が混ざる脅威――確かに絶望的に見える。だが、僕はいつものように標識を立てただけだ。
「――標識召喚・隕石注意。」
コツン、と小さな標識が大地に刺さる。そこには赤い三角の中で燃え落ちる隕石の絵。
空が裂けた。
雲ごと焼く紅蓮の巨岩が、天地を貫く轟音とともに落下する。
第一波。 爆風が奔り、バハムートの鱗を剥ぎ飛ばす。
第二波。 大地がうねり、ファントムロードの影が霧散する。
第三波。 悪霊を纏った七英雄が直撃を受け、縛鎖が焼き切れた。英霊たちは光となり天へ昇る――霊界に帰るだけ。再び呼べる。
灰と灼熱が溶け合い、玻璃じみた大地が広がった。ドルクとサリナは爆風に吹き飛ばされ、膝を折る。魔法を行使する魔力も気概も、燃え残りの煙とともに抜け落ちていた。
「ば……馬鹿な……これが標識召喚だと?」
「嘘……私の霊が……!」
見下ろす僕の足元には、ぽつんと立つ一本の標識だけが残る。
「“注意”はしたよ。読めなかったのは、そっちの問題だ」
ドルクは泥を掻くように手を伸ばすが、力なく地を叩いただけ。サリナはうつろな瞳を漂わせ、嗚咽とも溜息ともつかぬ音を漏らした。もう立ち上がる気配はない。
戦意喪失――。ここで追い打ちをかける必要はない。父と母であった者たちに与えられる罰は、この敗北と無力感でじゅうぶんだろう。
炎塵がようやく晴れ、煤けた空に青が戻り始める。再召喚の兆しはない。戦いは、終わった――はずだった。
「やれやれ、気になって来てみれば揃いも揃って不甲斐ないのう」
上空から降り注ぐ嗄れた声。視線を上げると、悪魔じみた翼を生やした白髪の老人が悠々と降下してくる。
「やはり、ドルクたちが言っていた“あの方”は貴方だったんだね――デルズ・サモナン」
かつて祖父と呼んでいた老人が、空中で薄く笑った。




