☆5 無力な俺に、彼女は剣を取れと言う
——……て、
—— 起きて!起きてカイン!!
「ん……」
リシェーラの声に、瞼を震わせる。
なんだか随分と長いこと眠っていた気がした。
寝ぼけ眼を擦ろうとしたけれど、なんだか体が重くて出来ない。
「あれ……?あさぁ……? はれ、リシェーラ……?っいたたたたた!!ハゲる、ハゲる、ハゲるぅ」
リシェーラの特徴的な白金の髪と青緑色の瞳を探そうと首を動かせば、髪と首の後ろの皮膚が何かに引っ張られて痛い想いをしてしまった。多分、何本か髪の毛が抜けてるんじゃないだろうか。
「いたた……」
泣きそうになりながら慎重に確認すれば体が何かに張り付いている感触があった。
次の瞬間、俺はギョッとして声を上げてしまった。
「へぇあ!?」
気分はまさに、蜘蛛に喰われる寸前の獲物だった。
粘着性のある糸が身体に絡みつき、ぎっちりと固まっていて、身動きが取れない。
なんじゃこりゃーーーー!?なに!?なに、なになになになになになににーー?助けてーー!?
混乱に陥り、助けを求めた俺は気がつく。
そうだ!紘夜先輩は!?と。
自分と一緒に落ちた筈だと俺は辺りを見渡す。身体は背中側で糸に張り付いてしまっていたので、眼球を回すくらいしか出来なかったが、意外にも視覚の可動域範囲内で紘夜先輩はぶら下がっていた。
俺が狼狽しているのがわかったのだろう、先輩の方から声をかけてくれた。極めて真面目な顔で冷静な声で。
「起きたか、カイン……」
「紘夜先輩!?だいじょ……うぶ、じゃないですね……」
「嗚呼……面目ないが、動きが取れない……」
大の男が横で蜘蛛の巣に引っかかっているようにしか見えなくて。俺は何も言わずに、そっと紘夜先輩から目を背けた。
そんな俺に、先輩は不思議そうな声で問う。
「……火の魔道は使えるか……?あの怪物にバレないように脱出を図る」
「え?あ、はい……一応、魔導回路解放レベルなら……」
「第一段階か。少し足りないな……いや、それでもいい。……後は俺がなんとかしよう」
「は、はい……!」
(魔導回路解放、【炎】……)
姿が見えない星花のリシェーラから供給された程よい魔力が、俺の回路を流れて指先から小さな炎が灯る。
炎は此方の気持ちを焦らしながら、手首に巻き付いた白い糸をゆっくりと焦がし始めていく。
(早く!早く、手首の糸を切らないと!!)
何故かはわからないが、辺りに災妖星の気配はない。今のうちに脱出してあの怪物を倒さなくては。
——という気持ちは紘夜先輩も同じだったらしいが……。
「すまんカイン、悪いが待てそうにない……。時間切れだ」
数分間、糸を焦がしていた時だった。
ようやく俺の片手が解放されたところで、既にほとんど解放されていた紘夜は顔をしかめながら、俺のことを手助けしようとした手を下ろして、俺の手の代わりに顕現させた武器を先輩の手の中に収めた。
(時間切れ?)
「……“奴”が来た」
「え!!」
奴。それは災厄の妖星のこと。
一体にどこにいるというのだろうか。俺は意識を集中させようと……いや、気配を探るまでもなく、直ぐに俺の耳を貫くような甲高い不快音が響く。
「キャーーーハハハハハハハ!!」
「ッチ。やっぱり逃げようとしたのは察知されたか」
今にも蜘蛛の巣から脱走が成功しそうな紘夜先輩の元へ飛んでいった災妖星の、その醜悪な姿——— モンスターよりも禍々しい空気を放ち、俺たちと似たような人型をしているが魔物の身体を持ち合わせている奇異さ、歪さに青ざめてしまった俺の横で、恐れを感じさせない紘夜先輩は舌打ちをする。
それから紘夜先輩が魔導回路を行使すれば、俺よりもずっと多い魔力量が放たれた。
「魔導回路4段階解放、【炎】——!!」
「ギャ!?」
「うぁ!?」
短文魔導の発動と同時に、俺を捕まえていた糸までもが燃え上がる。
糸の拘束が解けて下へと落下していく中、紘夜先輩が糸を燃料に燃え上がった炎を宿した武器で、災妖星の体を浅く傷つけたのを見た。
切られた傷口から黒い液体が噴き出る、どうやら奴らには、心はないが痛覚はあるらしい。怪物の口から悲鳴が溢れた。
「げふん!いたた……すごい……」
着地が上手く出来ず、地面にぶつけたお尻をさすりながらも、紘夜先輩を尊敬するように見上げた俺に、燃え上がる炎を携えた妖星武器を構えるその本人が指示を出す。
「カイン、隠れてろ。自分の身はちゃんと守れるな?それから星花との繋がりはしっかり握っておけ……喰われるなよ」
「は、はい!」
言われた通り、俺はへっぴり腰で後方の柱の影にヨタヨタと走る。
「少し待っていろカイン。……コイツは俺がぶっ倒す」
大きな紘夜先輩の背中が俺を守るように災妖星へと立ちはだかった。
「キャハ!」
紘夜先輩と俺がやり取りをしている少しの間で体を自動修復した怪物が、羽虫のように黒い羽を震わせて、ジリジリとやかましく羽音を騒がしく立てた。
「ふん!!」
地面を蹴って距離を詰めた紘夜先輩が、災妖星をその肩口から斜めに深く深く切る。切り付けられた怪物の体からは、黒い液体が滝のように噴き出し、背中側から二枚に降ろされた状態で地面へと倒れ込んだ。
やったのか!?
そう思うのは、所謂“お約束”というやつなのだろう。
「傷が!」
「キャハハ!!」
確かに致命傷を与えたはずの傷は、直ぐに修復されてしまった。正確には、切られた体と体を繋いでいる千切れずに残っていた糸が2枚の肉片を手繰り寄せたのだ。
痛みすらも感じていないのか、こちらを馬鹿にするような笑い声を上げる怪物を、紘夜先輩は何度も切る、そして黒い液体が流れる。だが、修復してしまう。
切る、治る。その繰り返しだ。
「ウーーー、ア"ア"ーーー!!キャパハはハ」
「……ぐっ!」
「先輩!!」
怪物の起こした風で吹き飛ばされた先輩は、空中で猫のように回りつつ、一度前屈みになって地面を擦りながら後退。鎌型の刃が地面に食い込んでガリガリと削り取り、災妖星に攻撃を喰らい吹き飛んだ距離の分、線が引かれた。
「……ッチ!治りが早い……!既に何人かの星巫を喰らって星花を取り込んでいる……!?」
傷が治らなければ、既に何回この目の前の怪物を倒しただろう。紘夜先輩は頬にかかった返り血を拭いながら、その背中は苛立っているように見える。
(紘夜先輩でも、苦戦してる……?!)
奈落の底のような糸が張り巡らされている洞窟に落ちてから、紘夜先輩も盟約が薄くなっているのを感じているのかもしれない。
無理に星花の魔力を引き出すこともできたはずだが、災妖星に盟約から漬け込まれ、星花を侵食されることは避けなくてはいけないため、短文魔導も控えて戦っていた。
ダンジョンに入らない星花を求める災妖星は、俺たちとのリンクを利用して彼女達の体を侵食するのだということを、俺はダンジョンに潜る前に先輩から聞いていた。
なるほど、それならリンクを強く作動する事で発生する魔導の使用を控えるのも仕方がない。盟約は直ぐに解除出来るものではないから。
けれど長引けば長引くほど、ダンジョンは地上に向かって落ちていくのだ。ダンジョンは時折、大きく揺れて地鳴りを起こしており、今この瞬間にもダンジョンの降下は進んでいる。
(紘夜先輩が、アレを倒せばこのダンジョンは消える……)
紘夜先輩は怪物とだけではなく、時間とも戦っているんだ。
「嗚呼……わかっている凪咲。すまん。嗚呼……時間もない、これで片付ける……、良いんだな?」
2つの刃を繋ぐ鎖がジャラッと音を立てる。
腰を少し落として、膝を曲げながらも柄を握る手と刃は水平に保たれている。
凪咲さんに魔力を引き出す許可を貰ったのだろう、「そうか」と独りで声を発すると、詩を紡ぎ始める。
「【強靭で屈強な身体と、決して折れることのない鋼の精神を持て……】」
紘夜先輩の持つ妖星武器の刃が赤く、紅蓮の色に染まっていく。その間にも先輩の周囲は、どんどん魔力量と質が高まっていく。
「【己の正義を掲げよ、正義を示せ。裁断の天秤は我が剣にあり。既に星々より審判は下された】」
「キャハハ!!」
怪物が涎を垂らして青年の間合いに飛び込んだ瞬間、星巫ごとに発現できる妖星魔導が完成する。
「紘夜先輩の、妖星魔導……!」
「【正義を貫け—— 妖星魔導・正義実行】」
「ギャアアアアアアア!?」
災妖星の足元から、業火の円柱が立ち上った。みるみるうちに、怪物の体を焼いていく。
怪物が自分の体に灯った断罪の炎を掻き消そうともがく中、影から見守っていた俺の目を惹きつけてしまうほど、美しく紅色に輝いた刃を、紘夜先輩は化け物へと振りかざした。
眩しくて、格好良くて。だからか、酷く自分を比較してしまった。先輩みたいだったら良かったのになと、こんな状況で思ってしまう自分がいた。
「……俺は、無力だ……」
紘夜先輩と災妖星が激しく火花を散らしているのに、隠れている自分。できることは邪魔にならないよう言われた通り隠れることだけ。
いいんだ。
もう、自分で自分のことは諦めている。
だから、いいんだ。いいんだ。
任せていいんだ。
「だけど、力があったら良かったのに……」
足が震えてしまって隠れるのだけで必死だというのに、何故だか逃げるしかできない自分が情けなくて、とても歯痒かった。
——カイン!カイン、聞こえる?
(リシェーラ?)
声の主を探して、顔を上げた。どうやら意図的に盟約が薄くなっているようだ。声は聞こえても思念体は見られない。
——カイン、大丈夫。私が貴方を最強にだってさせてみせるわ……!
——貴方は弱くなんかないわ、いつか誰よりも強くなる私の星巫なんだもの……!カイン、戦って。
(で、でも……そんなこと、言われたって……)
言い訳じみた返答をしようとした俺は、身体の異変に気がつく。
「震えが、止まってる……?」
たったこれだけで、声を、言葉を貰っただけなのに、気がつけば俺の体の震えは止まっていた。
カイン戦って、剣を取ってと、絶対できるわとリシェーラは言う。
ああもう、何か出来るかもしれないなんて思わせないでくれ!
「ギャァ!!」
「っ!」
化け物の悲鳴で俺は我に帰り、戦況を把握する。
紘夜先輩は鎖で繋がった赤い二つの刃と共に舞い踊っていた。
その刃は、目に見えて極端に弱くなっていく災妖星の身体に傷を付けていく。
回転していく毎に紘夜先輩の攻撃速度は加速しているようだった。刃から蒼白い炎が燃え上がり、切り刻む度に敵の身体に纏った炎を大きくしていく。「ギャァ、ギャァ!!」と、五月蝿く叫んだ終焉を悟る災妖星が、耐えきれずに紘夜先輩の前から逃げ出した。
「逃がしはしない。ふん!」
「—————— !!」
鎖ごと投げ飛ばした刃は、災妖星の首を両断して紘夜先輩の手元へと戻る。ジャラララッと激しい鎖の音だけが鳴り渡り、怪物は断末魔を上げる事すら許されず、胴体と分かれた首の部分から黒い液体を噴射させた。
どちゃりと、胴体だけが黒い液体の水溜まりに崩れ落ち、第三の目が開いた赤いツノを生やした怪物の首は俺の足元まで転がってきた。
終わった……のか?
そう思ったのも束の間。
「っ!?先輩!!上!まだ終わってない!!」
「——なっ!?」
先ほどまで固まって震えていたはずの俺は、先輩の元へと素早く駆け出していた。
「キャハハ!!」
もう一体の災妖星が、終わりの見えないほど高い天井から紘夜先輩に向かって飛びかかっていたのが見えてしまったから。
紘夜先輩は防御の姿勢を見せていたが、魔導を使ったばかり。黒い羽全体に魔法陣を重ねて展開している災妖星相手に、それでは足りない“はず”だ。
私の魔力を使って、カイン……!
嗚呼、使うよリシェーラ!
自分の思考とリシェーラの思考が混ざり合う。
俺が話したのか、リシェーラが話したのか、区別が付かなかったが、きっと彼女なら“全部持っていって構わない”ぐらいは言ってくれているはず。
「先輩すみません!!」
「ぐっ!」
受け身の姿勢を取る途中の紘夜先輩の背を踏み台にした俺は、上へと跳躍した。
カチカチ。
カチカチカチカチカチ、カチカチカチカチカチ。
時計の針が進むような音が響く。
リシェーラの魔力が全身の回路を流れて体が熱くなり、質の良い魔力に未だ適応できていない俺の魔導回路が軋む。
「キャパパパ!!」
身を縮めた怪物は、蹂躙を愉しむように笑って羽を伸ばすと広範囲の魔法を放った。
目の前に迫り来るのは、降り注ぐ無数の光線。
一つでも当たれば消し炭になるのは此方の方だし、武器だけの防御では物足りないのは見えている。
先ほどまで怯えて隠れて足も動かなかった筈なのに、俺は無我夢中で細身の妖星武器を短文魔導と共に振り下ろした。
『カインを守って!妖星の力よ……!!』
「魔導回路3段階解放【光】——!」
真正面、いや真上から迫り来る光線に剣技で立ち向かう。
銀色に輝く細剣には、魔導で発現させた淡く白い光が纏わりついて煌めきを放っていたが、リシェーラの声に呼応するように一層輝きが強まっていく。短文魔導の光が、俺の事を守ろうと剣から広がって盾を作った。
光の剣と光柱がぶつかり合って、力を競り合う。
振りおろそうとした剣を下まで持っていこうとした腕は、光の柱に抵抗され、半ばでぶつかりって均衡してしまう。
このままだと宙に躍り出たのは良いが、不利なのはこの先落下していくだけの俺の方だ。
光と光が衝突している箇所からバチバチと赤い火花が散っている。徐々に押し負けていく俺は、光線に押し潰されそうになりながら落下し始めていく。
「くっ……」
「カイン!剣で払い飛ばせ!!」
数秒の間に体勢を立て直したらしい紘夜先輩が叫んだ。僅かに生まれた時間で凪咲さんから魔力を供給してもらったようだ。下からは、もう一度妖精魔導を使う気配がしていた。
こういう素早い行動は、経験の差から生まれるのだろうか。衝動的に動いてしまった自分とは違う。
(この一線が開けば、紘夜先輩先輩が魔導を使える……!?)
「ぅ、うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
迷う事は何もなかった。
右上から左下に振り下ろそうとして半ばで止まっていた軌道を、俺は無理やり変更させた。重い岩を細剣で打ち飛ばすみたいに、絡めとるように、身体を右から左へと捻りながら、剣を左上へと持って行った。
一面白色だった目の前が、パッと開けた。
なんだか目の前を覆っていた霧が晴れた気分だ。
打ち飛ばした衝撃で、そのまま紘夜先輩の軌道から外れて落下する俺は、力尽きて他の光線と張り合う気力も出ない。剣で最低限の防御し、押し負けながら落ちていく。
「よくやった。【正義を貫け—— 妖星魔導・正義実行】」
落ちる俺と、飛んでいく紘夜先輩。
嗚呼、やっぱりカッコいいな。
「ぐはっ!っ〜〜〜〜〜!」
そんな感想を持っても、余韻に浸れないまま地面に叩きつけられて、光線が俺をあと数秒で貫こうとしていた刹那、紘夜先輩の刃は災妖星に届いたようだ。断末魔が聞こえて無数の光が消え失せる。
「た、たすかった……」
「カイン、大丈夫か?」
「は、はい……」
安心してしまった俺は盛大に息を吐くが、緊張が溶けて腰が抜けたとでも思われたのだろう。涼しい顔で隣に降り立った荒野に手を差し伸べられてしまった。
遠慮なく手を掴ませてもらうが。
「カイン、よくやったな……」
「は、はい!いえ、でも俺はそんなに……なにもしてないっていうか……」
「そんな事はないだろ。お前が飛び出なければ、もう一度魔導を使う余裕はなかったかもしれないからな……っと、カケラを回収して早く此処を撤収しようか。もうじき消滅する」
「は、はい!」
二体の災妖星の胸元に剣を突き立てると、琥珀色に輝く楕円形で直径5センチほどの大きさをした核が音を立てて崩れる。崩れた災妖星の核は砕けて破片となり、紫色に変わってしまったそのカケラを俺たちは其々で拾い上げた。
さぁ、帰ろう。リシェーラの元へ。
〈メモ〉
・紘夜先輩の妖星魔導は、【ユース・レイスト】。自分へのバフ(身体強化)と相手へのデバフ(弱体化)、魔導での攻撃に加えて持続攻撃が一気に出来るのであるー
・短文魔導は星巫なら誰でも使える魔導で、妖星魔導は星巫ごとの独自の魔導!魔法内容は星花の星と星巫の個性とかで創造されます。因みに短文魔導は解放する段階が増えるほど威力は強まります。初段は【魔導回路解放】。




