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☆4 堕ち行くダンジョン

 

 ぽた。

 ぽた、ぽたり。

 赤い鮮血の雫が溢れていく。


 ちく、たく。


 チク、タク。


 俺の周囲の時間だけがゆっくり流れている気がした。


『……カイン……』


 何気なく目線を動かした先で、大きなリシェーラの瞳が潤んでいるのが見えた。声音は震え、泣き出しそうな表情で固唾を飲み、その場に思念体の体で浮遊している。


 彼女の視線の先には、俺とは逆に魔物(モンスター)と少年がいるのだろう。俺は再び真正面へと眼球を動かした。


 ぼたり、ぼたり。ぼたたたッ。

 頬の上を滑り、こぼれ落ちていくのは赤い血。

 ただし—— 狼の魔物(モンスター)の。


 俺の掌には五芒星の印が切られており、魔物(モンスター)の顎下から鼻先までを貫く銀色の剣は、呼び出した《妖星武器(フェアリスタ)》。

 星巫(ミティ)となった俺だけの専用武器。

 今の状況を全て知覚し理解した時、時間は急速に進み始め、平常へと変わる。


 ちく、たく……チクタク、チクタク、チクタク、チクタクチクタク。


「ぷはっ!はぁ、は、はっ……」


 まるで忘れてしまっていたかのように、体全体で息継ぎをする。気が動転してしまっている。


 俺の喉を咬みちぎろうとしていた魔物(モンスター)は未だ存命中だ。「グルルル……」と憎らしげに喉を鳴らしながら、空腹なのか血走った瞳孔を開いて、獲物である此方を見下ろしていた。


 正直になろう。

 正直に言おう。

 めっっっちゃ怖いいいい!ちょおおおおお怖いいいいいい!!


(ど、どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう………これ、どうしたらいいんだ!?まだ生きてるんだけど!)


 剣を持つ手が震えていた。剣の金属全体に震えが伝わって、カチカチと小さな音を立てていた。

 気を抜けば、今にも剣から手を離してしまいそうになる。


「ぐるる……」


「ぅ……!」


 腹部にモンスターの爪が食い込んだ。

 あちらも、反撃をされて獲物にありつけそうでありつけない状況に苛立っているようだ。全身の体重を俺の身体に乗せてくる。

 痛い。

 痛い。

 痛い、けど……。


「く……っ、負ける、もんか……!」


「………ぐるるる……」


 低く唸るモンスターとの力の押し合いが始まった。

 ここで諦めたら、俺がやられる、この押し合いだけは、負けられない。

 此方は剣で、魔物は身体全体で。魔物の重い体重と、鋭い爪が腹部に食い込んでいる痛みに耐える俺の口は、自然とイの形で奥歯を噛み締める。

 と、今にも剣の抑えを突破して噛みついてきそうな魔物(モンスター)の首元に刃の一閃が走った。


「え?」


 俺も魔物も、目を丸くしてしまった。

 何が起きたのかと、お互いの不思議そうな顔をその瞳に映し合った。


(も、もしかして……)


「—— よく、頑張ったな……」


 低い静かな声が響けば、一瞬のうちに狼の首は落とされ、魔物(モンスター)は黒く石化していってしまった。

 吹き出した魔物の血を浴びながら、俺は直ぐに声の主が誰だかわかった。

 きょとーーんっ。呆然とした気持ちのまま見つめた通路の先には、黒髪で背の高い青年が僅かに汗ばんでいる頬を安堵したように微笑ませていた。


「こ、紘夜先輩……来てくれた……んですね」


 はぐれた俺のことをわざわざ探してくれていたのだろう。紘夜先輩はチェーンで結ばれた二つの刃—— 鎌のように三日月の形をした鉄刃を回収すると、小さな汗の雫を手の甲で拭った。


 紘夜先輩をしげしげと見つめているうちに俺の中で、ゆっくりと張り詰めいた氷が溶けて行くような、緊張がどっと緩んで行くような気がした。どんどんと気持ちの中に安心感が生まれていく。


「あ……こ、紘夜ぜぇんばいいいいいいいいいいいい。べあ"ーーーーーっ」


「ど、どうした……怪我はないか……?」


「ない"でずぅぅぅぅ……!!」


 俺は涙と鼻水を流して、狼狽える紘夜先輩に泣きついた。

 俺に触れていいのかどうか悩ましげな紘夜先輩の手が右往左往している。結局触れなかった手の代わりに、先輩は辿々しく口を開いた。


「そんなに、怖い目に遭ったのか……。すまない……」


 “すまない”、そう謝ってくれた先輩の最後の言葉には、俺とはぐれてしまってという言葉が続きそうだ。

 俺は涙を拭いた顔を慌てて横に振った。はぐれてしまったのは先輩のせいではないのだ。


「そんなことないです!いいんです!いいんです……俺もすみませんでした……」


 そう、紘夜先輩は悪くない。だって、ダンジョンの中に潜ったら紘夜先輩の後ろにいるように言われてたのに、横からのモンスターに驚いて勝手に逃げ出したのは俺の方なのだから。


 肩を窄めて、しゅーーんっとしおらしくていた俺の肩の上で再び手を右往左往させた先輩は、今度こそ軽く俺の肩を二度叩く。次いで返ってきたのは短い台詞。


「……そうか……」


「ずびぃー!は"い。というか本当に探してくれて、見つけてくれてありがとうございます先輩」


「いや、ダンジョンに来る前にリシェーラ嬢にもお前にも言ったからな……。後輩は任せろと」


「か、カッケェ……。あ、待ってください、紘夜先輩」


 俺に背を向けて再び歩き始めた紘夜先輩を、小走りで追いかけた。横ではフヨフヨと浮いたリシェーラが納得いかないといったご様子で『私だって……』と頬を膨らませていた。


 深い迷宮(ダンジョン)を紘夜先輩と進み続ける。


 腹に食い込んだ魔物の爪痕も同じ場所に同じ痛みを感じているはずの祈りを捧げるリシェーラの本体が、自身に回復魔法を使うことで、盟約(リンク)している俺の傷もいつの間にか癒やしてくれていた。


 おお……!すごいなぁ、とお腹をさすって感心していた俺は、横の壁から出てきた魔物(モンスター)に襲われる。(一瞬見えただけが、横線の入った甲羅を持ち、脚がいっぱいある昆虫みたいな魔物だった)


「うわぁぁぁぁぁあぁぁあ!?」


「———— キシャーーー!」


 魔物(モンスター)の出現に驚き、何も出来ずその場でしゃがみ込んで頭を抱えた俺の耳に、大きめの魔物(モンスター)の断末魔が届く。

 恐る恐る目を開ければ、そこにはもうモンスターの姿はない。その瞬間、また先輩に助けてもらったのだと理解した。


 迷路みたいなダンジョンの中を進んでいると、今みたいに魔物(モンスター)と幾度も遭遇してもいるが、紘夜先輩が鎖で繋がった二つの刃で器用に切り刻んでくれたおかげで俺は無傷である。


 ハハ……と、俺は乾いた笑いを浮かべた。


 前を歩いている紘夜先輩を見れば、彼の星花(スティラ)の思念体もやはり側にいて、『もうちょっとで刀が体を掠めるところでしたよ紘夜』と嗜めるように怒って、紘夜先輩の背をぽかぽかと叩いていた。

 怒られているっていうか、なんか戯れつかれているような?


「すまん……。でも、掠めるどころか通り抜けるから大丈夫だろ……」


『そういう事ではありません……!気持ちの問題です!大体紘夜はいつも戦闘になると熱くなってしまうのですから、戦以外のことも視野を開く持ってですね……』


「嗚呼、悪い……凪咲嬢」


『何を笑っているのですか……!!』


(え?紘夜先輩、今笑ってるの?無表情じゃないか?そうは見えないけど……)


 前方の二人はどうしてあんなに余裕があるのだろうか。

 二人の後ろにいる俺は、ただ今、辺りをビクビクと警戒して目を泳がせる。腕の中に自分の剣を抱えて。


『カイン、大丈夫……?顔色が良くないわ』


「だ、だいじょうぶない……」


『あわわ……。本当に倒れちゃいそうだわ……!カインーッしっかりしてー!』


 リシェーラは不安げに瞳を揺らし、慌てているのか焦りの感情が表情と動作に出ている。

 眉尻を心配そうに下げ、腕をパタつかせて俺の周りをうろちょろと飛び回っていた。


『カイン、無理をしないで?いざとなったら私が代わってあげるわ』


「うぐ……!」


 少女(リシェーラ)の言葉が、槍の如く鋭くなって俺の胸に深く刺さった。自分は、なんて情けさないだろうか。

 前方にいる紘夜先輩はあんなにも眩しいというのに。


(あ……この感覚、知ってる……)


 不意によぎる既視感を探ってしまう。

 兄や姉が過去に出場し、優勝を収めた剣術の大会に出場した時の。家族が見ている前で、一回戦で敗退してしまったあの時と同じ——


 アレは応援に来てくれたのではない。父も母も兄も、姉ですらも俺が出来ない事を確認しに来たのだ。“期待”ではなく“落胆”する為の見物だったのだ。


 感覚共に、優勝の輝かしい姿と、家族が俺を見る「やっぱりな」と言いたげな“あの怖い目”を思い出す。


「り、リシェ……」


(やめて、そんな目で見ないで!!君だけには俺は……!)


『———— カイン?』


「……ラ……?」


 青ざめた顔で縋るように少女(リシェーラ)を見上げて、思わず拍子抜けしてしまった。「………へ……?」と自分の口から気の抜けた声が漏れた気がした。


『どうしたの? カイン? やっぱり代わって欲しくなったの?』


 小首を傾げて聖女のように微笑むリシェーラの瞳は淀みなく澄んでいた。むしろ、本当に俺のことを心配しているようにも見える。


 わからない。わから、ない。

 喉が絞り出した小さな声が枯れている。


「なんで……」


 わからない。


(なんで、君は。君だけは……そんな目をしているんだ?)


『えぇと……怯えていたと思ったら不思議がっていたり混乱しちゃったり……なんだか忙しそうだけど、どうしちゃったの?』


「え………?なにが?」


『何がって、もう忘れちゃった?盟約(リンク)発動中は色々伝わって来ちゃうのよ?』


「え!?あ!!!」


 そういえば盟約(リンク)実行中なのだった。

 俺の詳細な感情までは把握できないが、伝わってくるものがどんな種類の感情なのかはリシェーラにはお見通しなのだった。


『今度は恥ずかしがってる……カインってばお年頃なの?』



「やめてええええええ!!いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!これ以上、覗かないでええええええ!!」



 俺、悶える。



『えぇ!?つ、筒抜けなんだもの!しょうがないわ!』


「いやだああああああああああああああ!!」


『あ!もう!話を、カイン?話を聞いてぇー!』


「……大丈夫そうだな……」


『紘夜?あまり大丈夫そうに見えませんが……?」


 騒ぐ後方を見て勝手に納得したように頷く紘夜先輩に、片眉を不解気に歪める凪咲さんはため息を零す。


『いえ、まぁ、大丈夫といえば先程よりは解れたという意味で大丈夫なのかも知れませんが……』



「———— キャフフフ!ナンダカイイ匂いがスル」



 その時、歪な声音が響いた。


 凪咲さんは二の句を継ぐ前に、ピタリと停止した。凪咲さんだけではなく、その場の誰もが時間が止まってしまったかのように、瞬きも、心臓の鼓動も、呼吸すらも忘れてしまったかのように停止した。


 リシェーラと俺の側に舞い降りた“災厄”を認識したから。


 “ソレ”は、耳を裂くような甲高い冷たい笑い声を響かせる。


「ネェ、お口がシャベレナクなっちゃう前ニ教えて、オシエテ?どんなタノシイお話ヲしているノ?キャハハ!」


「っ————!! 伏せろぉぉ!!!」


 紘夜先輩の指示を受けた俺は、前に飛びつくように跳ねて、伏せながら転がった。

 ごろごろと転がってダンジョンの固い岩の壁に背中を強打し痛みに顔を歪めた俺は、思わずゾッとしてしまった。ギャン!!と攻撃を弾く音がすれば、俺が元いた場所には、紘夜先輩の武器である鎌の刃が刺さっていたから。


「キャパパ!キャハハ!アタラナイ、当たらナイ。キャパハハ」


 背筋が凍りそうになる。

 恐ろしいはずなのに、まるで耳元で不快な羽虫が音を立てている様だ。


「黒い羽……顔には第三の目、赤いツノ、魔物(モンスター)の腕と足……それに黒い尾……。まさか、災妖星(オーガ)?」


 災妖星(オーガ)は、王都と学園の真上に現れたダンジョンを生み出した母体だ。これを倒さない限り、ダンジョンは下へ落ち続ける。


「嗚呼そうだ。まさかこんな下層にいるなんてな……。他の奴らに先を越されていると思っていたが……。だが、探す手間が省けた……」


 俺を守るように前へ出る紘夜先輩は、静かな目をして武器を構えた。


 災妖星(オーガ)は、その時々でダンジョン内の居場所が違うらしい。上層にあることもあれば中層にいることもある。ただ今回のようにあまりにも見つかりやすい入り口付近の下層には居ないことが多いのだというが。


「アアー!イイニオイ!良いニオイ!オイシソウ!」


「っち、星花(スティラ)狙いか……!!」


 災妖星(オーガ)は、涎を拭く事なく垂れ流す。

 思念体は見えていないのか、クンクンと鼻を鳴らしながら辺りを見回していた。


 —— なぜ星花(スティラ)はダンジョンに入らないのか、それは災妖星(オーガ)が彼ら彼女らを喰らうからだ。特別な天族のはずの星花は、この化け物からすれば極上の()なのだ。


 今回は星花(スティラ)の中でもトップクラスと謳われるリシェーラと、彼女に追随する凪咲さんの二人の匂いに釣られてやって来たのだろう。厳密には少女たちと繋がった彼らから放たれていた魔力と、彼女たちに似た微かな匂いだけれど。


()()()()()()()()()()()?」


 ダンジョンが激しく揺れた。


「「————っ!?!?」」


 俺たちの足場が崩れ落ちる。

 俺の襟と床を片手ずつで掴んでくれた紘夜先輩も、その床さえも壊れて、最後には黒い闇に引き摺り込まれてしまった。


『カイン!/紘夜!!』


 奈落に落ちて行く二人の名を星花たちは叫んだ。

 星巫の意識に干渉して後を追いかける。

 全員が姿を消す。災妖星(オーガ)の姿も、もう何処にもなかった。


 後に残ったのは、修復された床を嗅ぎ回る魔物(モンスター)だけだった。


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