☆1 君が微笑んでくれるなら
俺が編入することになってからは、全てが慌ただしかった。なにせ一週間のうちに準備を終えて学園へと行かなくてはいけなかったから。
今日は最終日、学園へと向かう日の早朝だ。
小さな窓がある机と本棚、寝具を置くだけでいっぱいになってしまうほどの広さしかない、狭い屋根裏部屋の中。
俺は安価なベッドの上で革製の鞄の中に荷物をまとめていた。合格した学校へ編入するための準備だ。
鞄の中は本と数着の着替え、ペンとインク、手帳、簡易食料、とある少女からの手紙など最低限の物しか入っていない。けれど、持って行くべき私物は全て入れてある、此処にはもう戻ってこないで済むように。
学校に編入し、5歳の頃にした約束を果たしに行くために、ずっと手紙を送ってくれていた少女との大切な約束を……。
—— カイン、約束だよ……!
脳裏に小さな少女の姿がチラついた。
小さかったあの日から、俺は15歳になり、背も手足も昔より幾分か伸びた。
けれど、未だ中性的な顔立ちは悩ましいところで、街に出ると良く商人から女の子の物をお薦めされてしまっている。まぁ、少年と少女の見分けが付かない商人なのかもしれないし、顔のせいだけとは言い難い(と思っていたい)。
そんな事はさておき、荷物がまとまると、今度は散らかった本を棚に戻し、入りきれない分は机の上に陳列。古本は私物よりも沢山あったので、荷物を整理するよりも時間を要してしまった。
「——ふぅ、こんなものかな……」
最後の一冊を本棚にしまう。
部屋を片付け終わった俺は、鞄を手に15年もの間使用していた部屋の扉を閉じた。
本当にこれで、この部屋ともお別れだ。
そう思うと自然に、部屋に対してお礼だけは伝えてなくてはいけない気分になってきてしまった。
ドアノブから手を離すタイミングで、ありがとうと心の中で呟いておく。
「カイン、もう行くのね。忘れ物はない?」
「姉さん」
屋根裏部屋から使用人用の階段を使って階下へと降りて、長い廊下を歩く俺を、家族も使用人ですらも気に留めない。たった一人だけ—— 姉を除いて。
姉さんは、憂いを帯びた藍色の瞳で心配そうに此方を見つめてくる。その瞳には灰色の髪にヘーゼルナッツみたいな榛色の相貌の俺は、どう映っているのだろうか。
というのも、この世界の貴族の子息は大概4歳、5歳の頃に“とある儀式”を受けるのだが、その儀式で両親は俺に落胆したのだ。
欠陥品であるだけではなくて、期待された結果も成績も残せない俺は期待もされず、関心もされず、家の恥、無能と言われ、爪弾きされる日々が続いていた。
そんな家族で唯一姉だけがひっそりと手を差しのべてくれていたのだ。けれど、細い手首は昔と変わらず今もダラリと垂れ下がり、もう片方の手で抑えつけられている。
その所作と、揺れ動く眼差しは昔からずっと変わっていない。それが嬉しくもあり、昔から距離を取られている証拠でもあった。
こうして心配し、最低限の施しをしてくれた姉さんも、両親や兄に逆らう気力は持ち合わせていない。そのことについて怒るつもりも問い詰めるつもりない、そういうものなのだから。
気まずい空気の中で、ややあって俺は答える。
「うん、大丈夫。……必要な物は送って、残りは持ってきたから。部屋に残してきた物が燃やされても俺は平気だよ」
「そ、そう。その、カイン……。元気で……」
「……ありがとう姉さん、本当に……」
姉が居なかったら、無能な自分は今此処に生きていなかったかもしれない。一線を引きながらもちゃんと自分を守ってくれていた姉さんに頭を下げた。
「ミリーナお嬢様、奥様がお呼びに……」
「今行くと伝えて……えぇ、直ぐに行くから」
ミリーナへの感謝を伝える時間すら母親は許してくれないらしい、奥で姉の名前を金切り声で呼び立てているのが聞こえた。
母のヒステリーに手を焼いたらしい、困った顔をしたメイドが姉を呼びにきたが、俺を迷惑そうに一瞥するだけだった。
チクリ。
少しだけ切ない気持ちが、胸を刺した気がした。
だから。
顔を上げて、せめて最後に姉へ精一杯の笑顔を作った。気まずげな姉さんに、本当に気にしないでくれと伝えるために。
「それじゃあ、姉さんもお元気で……」
こうして、思い出もない—— いや、たったひとつだけの思い出しかない、けれどとても大切な思い出が残った家を、俺はあっさりと後にして、街から乗り合いの幌馬車に乗り王都を目指す。
あの日、約束を交わして俺の人生を変えた“あの子”に会うために。
——ねぇ、カイン。いつか、いつか私の……。
優しく微笑んで、手を差し伸べてくれた少女。
「……リシェーラ。もうすぐだよ」
胸から下げた“お守り”—— 大切な少女から、幼い時に貰った星のロケットを握りしめて、馬車の中で想いを馳せる俺は、街の方を一度も振り返ることはなかった。
(……喜んでは、くれなかったな……)
それでも、最後の最後に街へと寄せたのは、ただの感傷だった。きっと目の前に仲睦まじい親子の姿があったから、そんな気分に浸りたくなったのだろう。
他所はヨソ、ウチはウチ。
気にしても仕方がないと首を左右に振って、本を開く。
馬車の中で静かに読書でもしながらボーッと過ごしていると、急に激しく揺さぶられた。
なんだ!?何事だ!?
真っ暗な視界に光がパッと差し込んでくる。
「んが!?」
「お客さん!お客さん、もう王都に着きましたよ!」
「うぇ!?あ、あれ?眠ってた……?」
行者の親爺さんは厚めの布で作られた帽子のツバを弄り困った顔をしている。
俺は急いで口の周りのヨダレを腕で拭った。
「お客さん、早く降りてもらってもいいかな?次のお客さんも乗せないといけないからね。このままぁ、街にとんぼ返りしても良いっていうなら……」
「お、降ります!降ります!すみません」
王都の壁外にある停留所で幌馬車から慌ただしく降りた俺は、検問を通り抜けた後に広い王都を探検(断じて迷子ではない、決して迷子ではないが、何度か同じ場所をウロチョロしてしまっただけだ)しながら、何とか14時過ぎには学園へとたどり着く。
学園の大きな門の前で受付を済ませると、黒のローブを羽織った教員が迎えてくれた。(長方形の小さな白い建物に駐在している警備員は、直ぐに迎えが来てくれると言っていたけどたっぷり待たされた)
「今日から編入するという生徒は貴方ですね、聞いていますよ。案内しますから、着いてきなさい」
「は、はい!」
ジロジロと俺を眺めた女教員は無言で踵を返し、ささっと歩いて行ってしまった。その後をついて俺は学園へと足を踏み入れた。
門の境界を踏み越えた先に広がるのは丸い円を描く庭。さらにその先には、白いレンガで作られた壁とアーチ状の大きな扉が只人の行く手を阻み、奥には高い塔の頭が幾つか見え隠れしている。
この学園は、元々、王城として使われていたらしい。
なるほど道理でこの広さなわけだ。
大切に遺された古城の雰囲気と、改修され、少年少女たちが通うに相応しい学園らしさが融合していた。
この【エルステラ学園】は、天族の星花と星巫の為の学校だ。
この世界には、星から生まれた妖星の血を引いた天族と、元々は天族に仕えていた巫女を中心に繁栄した人族が暮らしている。
魔力を持ち、魔法を扱う天族の中でも、星花は始祖である妖星の血が開花した特別な存在だ。
一方の星巫は、その特別な天族と儀式を交わした人間のこと。星花が身に秘めた巨大な妖星の力を扱えない代わりに力を振い、体内に他の人間にはない魔力を流すための魔導回路と魔素を持っている。
俺は、後者の星巫になるべく学園に編入したというわけだ。
———— 学園に入ったからには俺なりに頑張ろうと、そう思ったはず、だったのだが。
(……さっきから視線が痛いな……)
「ほら、見て。彼の方ではなくて?」
「もしかして、リシェーラ様の星巫!?あんな方が?」
「おい、見ろよ。リシェーラ様が幾人もの星巫候補を断って待ち続けてたっていう噂の……」
「知ってる。なのに、編入試験もギリギリだったんだろう?」
学園の内部に進むごとに、白や黒色の制服すがたの生徒から好奇の視線を注がれる。
黒い制服の星巫だけではなく、どうやら白い制服の星花にも興味を持たれているらしい。
皆が口を揃えて「入試に何度も落ちて、漸く編入試験の合格点ギリギリで通ったような、あんな奴が」と噂を広めていく。
視線が、発言が痛い。グサグサと容赦なく背中に突き刺さる。うぐぐ。
自分の歩く足が重くなって、段々と腰が丸まっていく。喉の奥が詰まり、肺の中の空気が澱んでいく。
—— この無能の欠陥品が!!
いつも俺に指を向けて怒鳴っていた父と、嘲笑うような表情をした兄の顔が脳裏でチラつく。
家も学園も自分への評価なんてこんなものか……。
下を向いたまま職員の後をついて行った俺が通されたのは学園の控え室。そこは、来客と学園の生徒が談笑する為の部屋のはずなのだ。
思わずハッと我に返った俺は焦る。
もしかしてこのまま帰される!?門前払い的な!?それはまずい!!家には戻れない!
「え、あ、あの……!俺は入学手続きをしにきたんですが……!」
「えぇ、けれど此方に待っている生徒がいるので」
「ま、待っている、生徒……?」
慌てて案内役の教師に身振り手振りで説明しようとしたが、どうやら思い違いだったらしい。
そんな事は知っていると言うように、片目だけ眼鏡の付いた女の教師が俺の問いかけに無愛想に頷くと扉をノックした。
自分なんかを待っている人なんて、彼女以外に誰がいるというのだろうか。
俺は首を傾げながら、中からの返答を緊張気味に待った。
ごきゅりと喉が鳴る。
その、一枚の扉で遮られた奥にいるのは一体どこの誰なのだろう。
声を聞き逃さないように、耳をすませる。
「はい、どうぞ」
静かな声が、響いた。
「っ!」
たった二言だけで、わかってしまう。
ゆっくりと開かれた扉の先には、“一人の少女”が青緑色の双眸を輝かせて俺のことを待っていた。
「カイン?」
ウェーブがゆるくかかった白金の髪は長く伸びていて、左右共に前へ分けた髪の一束を星と造花の飾り紐で結んでいる。整った目鼻立ち、星の形をした涙黒子、すらりとした白くて細い手足も相まって、かつての記憶よりも女の子らしく可憐な印象を与えてくる。
「カイン!カイン!カイン!カ……」
花が咲くように口元を綻ばせて、きらきらと輝く瞳のまま此方に向かって駆け寄ってきた少女は、はたと教員の視線に気がつく。「あー……えっと……」視線を泳がせ、恐らく抱きつくのを思い止まって姿勢を正した。
「こっほん……んん、ご機嫌よう、紳士様」
恥ずかしそうに咳払いをすれば、俺の手前で制服のスカートを持ち上げて軽く礼を取った。それから可愛らしく微笑んで俺の手を取った。
「カイン!ずっと、ずっと、待ってたわ」
彼女こそ、星花の中でも特別視されている少女—— リシェーラ・レネジアである。




