☆14リシェーラの慟哭
兄に強引に撫でられてぐしゃぐしゃになってしまった髪型を直すべく、リシェーラは会場を抜けて休憩室へ入るとドレッサーの前に座って身をメイドへと委ねた。
「ふんふーん♪」
「ご機嫌ですねリシェーラ様」
白金の髪をメイドに結い直して貰いながら、リシェーラは椅子の上で鼻歌を唄いながら軽く体を揺らす。
頬を赤く染めながら、リシェーラはメイドへ「えぇ!とってもいい日になってしまいそうよ」と嬉々として答える。
口の前で細い指先を合わせて幸せそうに微笑む少女の頭は、「左様ですか。ですが、動かないでくださいませ」とメイドの手によって鏡の正面に向けられる。
鏡の中にいる少女は、ほんのりと頬が桜色に染まっていて口元が緩んでいる。なんだか髪を結い直している間、自分の幸せそうな顔と向き合い続けるのは段々と気恥ずかしくなってきてしまって、リシェーラは視線だけを下に落とした。腿の上で左右の指先同士をクルクル回して髪の毛が直るのを待つ。
嬉しかった。
親兄姉は今までカインのことを理解してくれなかったから。親はあまり子供のことに口を出さない人達だったのだが、何故かリシェーラの星巫は例外だったらしい。
けれど、同じように反対していたはずの兄や姉が今回のお披露目パーティを開催するに当たって、両親の説得からあまり学園から出られないリシェーラの代わりに彼女の希望に沿って準備まで積極的に行ってくれたのだ。
兄とはなんだか最近疎遠になっているのを感じていたが、このパーティをきっかけに少しは距離が縮んだ気がした。
疎遠になっていたのは、妹を心配してくれていた兄とリシェーラ自身が勝手に距離を取っていたのかもしれない、なんて考えが過ぎって少女は小さく笑った。私、反抗期だったのかもしれないわと。
「出来ましたよ、リシェーラ様」
「ありがとう!」
ハッと気がつけば、髪の毛は綺麗にセットされていた。左右でハーフアップされた白金の髪は、緩く八の字を描きその先は胸元まで垂れて輪を作っていた。凝った髪型の上には球体になったガラスや小さな生花で飾られ、少し控えめだが過不足のないバランスだ。
満足げにお礼を述べたリシェーラは立ち上がると白と青色のドレスの裾を簡単に直す。それから鏡の前を去ろうとしたところで、鏡に映る自分の横の姿を一瞥した。
「……髪型、変えたけれど……。カインはなんて言ってくれるかしら……」
早く戻らなくちゃ。
ワクワク、ドキドキを抱えてリシェーラはパーティ会場へと戻ったのだが。
「なにかしら……?」
少女の顔を見た会場の出入り口に立つ警備の使用人の様子がおかしい。何かを隠そうとしているような時間を稼ごうとしているような辿々しい様子で、リシェーラが徐々に近づいてくる事に明らかに困っている。それになんだか会場の中も騒がしい。
良い意味で盛り上がっている感じではない。歩のスピードがあがり、ヒールの靴が床をカツカツと鳴らした。
「開けて」
厳しい口調のリシェーラに、使用人は顔を見合わせる。どうやらモゴモゴと兄に言われただのなんだのと言っているが関係ない。
「開けなさい」
「は、はい……」
二度目の冷たい言い方で、ようやく扉が開かれる。
素早く会場の中を確認するリシェーラ。だが、人が多くてホールの中央で何かが起こっているらしいことしか分からない。
会場に足を踏み出せば、直ぐに招待客が取り巻きと化す。ワラワラと集まってきてリシェーラを囲んでくる。
(さっきまで、近寄ってすら来なかったのに……なにかしら)
「まぁ!おかえりなさいませリシェーラ様、髪型を変えられたのですね」
「え、えぇ……」
「リシェーラ様はなんでもお似合いだ」
「ありがとう。ごめんなさい、通してくださる……?」
囲みをすり抜けようとするリシェーラを人の壁が阻む。
「リシェーラ様、素敵なパーティですわね。先程はご挨拶が遅れてしまって……」
「え、えぇ……。ごめんなさい、後でご挨拶に参りますわ……通して……」
香水の匂いがキツイ婦人の横から顔を出そうとしたリシェーラの腕を誰かが引いた。一気に人の壁から抜け出したリシェーラが「っ!?」と声にならないくらいに驚いて顔を上げれば、そこには嫌な笑みを浮かべた兄と扇で口元を隠して微笑んでいる姉が目の前にいた。
「お兄様!お姉様!ありがとうございます」
二人の表情が気になるが、ホールの中央の方に意識がいってしまう。先程から誰かの微かな悲鳴と周囲の嫌な囁き声が聞こえてくる。
「いやいや、困っている妹を助けるくらいなんてことは無い。可愛い妹が道を阻まれて潰されかけていたんだからな!嗚呼いや、ご婦人は気を悪くしないでくださいね?何せ妹のことだ、つい敏感になってしまう」
「そ、そうですわよねー。おほほほ……」
兄の含みのある言い方は、背後の招待客の顔をひくつかせる。姉はリシェーラのことしか見えていないのか、少女の髪を優しく撫でた。
「ああん!可愛いわーリシェーラちゃん!!だからねぇ、やっぱり勿体ないわ」
「お、お姉様……ごめんなさい、私……」
構っている暇はないのと言いかけたリシェーラを押しのけて、姉のセレンは手のひらをホールの中央に向けて掲げて高らかに告げた。
「だから……思い出はここまでよ。さぁ、夢から目覚める時間よぉリシェーラちゃん!」
「すまない!皆々様、可愛い我が妹に楽しい演目を見せてやってくださいますか?」
姉の発言に便乗した形で兄のレイヤが、大きく声を上げた。
レイヤの声に、徐々に近い人からリシェーラ達の前から退いていく。少しずつ人の群れが割れていくことで見えくる景色。
人が、寝転んだ人を踏みつけていて、床には血痕が付着していた。寝転んでいるのは、見知った灰色の髪の容姿で、そしてリシェーラが選び注文した服装に身を包んだ人物で。
「……え?」
そんなわけない、そんなわけが、な、い。
取り巻きが道を開けた先の景色を見たリシェーラは、目を疑った。だって、だってそこに居たのは。
「————— なに、を、してるの……?」
驚愕して、唖然と立ち尽くしてしまう。
理解が追いつかなくて声が震える。
想像をしていなかったことが、目の前で起こっていた。リシェーラの思考が僅かに停止する。
「カイン!!カイン、カインーーー!!」
名前を呼びかけても反応を示さない少年。
リシェーラは、兄と姉を咎めるように睨んだ。
「お姉様お兄様、どうして、こんな、こと……!!こんなの、こんなのはただの暴力だわ!!」
「言ったでしょう?リシェーラちゃん、夢から目を覚ます時間よ。あんな子、あんな欠陥品は貴方に相応しくなんてないの。あんなに無様で……ほら、目が覚めるでしょう?」
夢から覚める?
なんだ、それは。姉の声の単語ひとつひとつが、リシェーラの肌にベタついて張り付いてきて気持ち悪い。
「アイツは魔導回路がある癖に、魔力を貯める魔素がないと聞いたからな。お前の才能を削れるだけ削るだけの者とつるむなど……、流石に我が妹のことを気の毒だと思ってしまったわけだ」
レイヤの顔は微塵もリシェーラを想ってなどいない。
「そうよ!魔力を貯める魔素がないと、いっぱい魔力を持っていかれるんだから!もう、だからずーっと反対していたのに。でももうお披露目パーティまでしたんだから我儘は充分叶えてあげたでしょう?貴方に相応しい新しい星巫を用意してあげるから怖い顔をしないでリシェーラちゃん」
「……なに、よ、それ……」
裏切られた!!!
兄と、姉に!
嘘だった。嘘だったのだ。今日のための準備の手伝いを、あんなにも快く協力してくれていた二人の姿は偽物だった。
胸が、痛い。
なんで?なんで?なんでこんな酷い事をするの?
絶望感と激しい怒りと罪悪感が入り混じり、リシェーラは、悲痛な表情を浮かべた。裾の横で拳を握りしめ、奥歯をギリリと噛み締める。
「……っ!!」
胸が苦しくて胸元を握りしめ、前屈みで顔を俯かせるリシェーラの大きく見開いた双眸から一粒の涙が落ちた。
(カイン、ごめんなさいっ)
真っ黒な感情が、少女の心の奥底から一気に湧き出す。
くる——————— っ!!
☆☆
リシェーラの声が聞こえた。
「リシェーラ……。そうだ、約束……したんだ……」
地べたにはいつくばった状態で、顔だけを起こす。
目を細めて、霞む視界の中に俯く少女を映した。
直ぐに貴族の中に少女の姿を見つけることができてホッと安堵できたのは僅か数秒だった。
「え?」
「……ぅ、うぁぁ……」
リシェーラの様子が何か変だ。綺麗にセットされた緩く巻かれた白金の髪がユラユラと逆立ち始め、彼女をまとう周囲の空気が冷え付き、俺の身体をゾワリと粟立てる。
少女の小さな悲鳴が、また唸りをあげる。
「あ、ぁぁぁ……」
「リシェー……ラ……?」
少女の不気味な異変に気がついた客も、恐る恐ると彼女から離れて出し、俺を踏みつけている兄からも、息を詰まらせる音が聞こえる。
リシェーラは一度少し足下をふらつかせ、たたらを踏む。青白い手で顔を覆い、そして……。
「あ、あ、あぁ……いヤ"ア"ァ"ァ————————ッ!!」
少女の絶叫が、響いた。
膨大な魔力の波動が再び風を伴って放出され、彼女自身を守るように包み込む。
「ぐ……、げふ!」
あの兄さんが全く受身を取れずに魔力の圧に押し潰されそうになっている。床に四肢を付いて、血を吐き出した。
「許さない、許せない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない!許さない!許さない許さない!!!」
怒りをぶつけるように、リシェーラは兄さんを魔力の波動で痛ぶっていく。兄さんはもう意識が飛びかけていた。
いつもは強者でいるはずの人が、こうも簡単に。こんなにも簡単に、弱者へと変わってしまった。
凄いと思った。俺の気持ちは少し高揚してしまった。
だけど……。
「リシェーラが魔力暴走を起こした!早くお客様を避難させるんだ!!」
「どけ!!私を先に部屋から出せぇ!」
「ちょっと!?レディが先よ!」
背後では多くの人たちが恐怖で我先に避難しようと争い、騒ぎ出している。パニックになっている。リシェーラの為に彼女を喜ばせようと慌ただしく準備をしていた使用人が中心となって避難を誘導していた。よく見れば中にはケガをしてしまっている人もいた。
(俺は、何をしてるんだ……?)
「はぁ……、はぁ、はっ……」
不穏な気持ちが俺を急に襲い、動悸がし始める。
嫌な風にドクどクと鼓動が鳴る。息がしにくい。身体は強張っていく。
目の前では氷のような少女が兄さんを痛ぶって遊んでいるように見えた。背後では逃げ惑う人。周囲には割れたガラスの破片やめちゃくちゃになった会場が、それに怯える使用人の姿もあった。
リシェーラが好きだと言ってたケーキも、床で潰れてぐしゃぐしゃになっていた。
(あれ?なんでこんな事になったんだ?俺は、俺は俺は俺は……リシェーラの側に居るのに何をしてるんだ?)
「はぁ……っ、は、っは……」
俺はリシェーラの後ろでただ身体をすくませて座り込んでしまっている。リシェーラの魔力の風が俺だけは守るように周囲を囲んでいる。
俺は安全地帯で、何をしているんだ?
「っ………!!」
俺は馬鹿だと、唇を噛んだ。
リシェーラが怒ってくれている気がした。
俺の為に、怒ってくれていると思ってしまった。兄さんへ、周囲へ、心の奥底に沈めるしかない、どうしようもない行き場のない気持ちを吐き出してくれている気がした。
だけど、絶対にリシェーラは見境なく破壊するような、今彼女がしているような、こんな事はしない——!
「リシェーラ!!もうやめて!君が傷ついちゃうよ!!」
星のペンダントを握りしめながら声を張りあげても、彼女には届かない。
今の彼女は魔力を暴走を止めようとはしていない。意識があるのか定かではないが、暴走に身を委ねているようにしか見えなかった。魔力をただただ放出し、それらを全て兄さんへとぶつけている。
彼女の攻撃の全てを受ける兄さんは、もはや意識はなく、ズタボロになっていた。兄さんの体から床に血が滴る。
「……いった。っ、リシェーラ!!もうやめろ!」
俺を包囲して守ってくれているはずの風は、内から外へ出ることを断じて許しはしない。
指先で風に触れれば、赤い光がバチバチと弾けた。俺はその衝撃に顔をしかめ、直ぐに指を引っ込める。
「リシェーラッッ!!」
名前をどんなに気持ちを込めて叫んでも、少女には届かない。俺は息を呑んだ。
俺にはリシェーラを止められない、どうしたらいいんだ。
「……そんなに、あの子のことを止めたいの?」
「ああ、止めたい。このままじゃ、きっとリシェーラだって傷付いちゃうから………え?」
沈んでいた顔を上げた。
「なんで……」
風の檻の中に閉じ込められていたカインの側 (といっても檻の外側だが)には一人の少女—— 膝を曲げて腰を下ろし、肘を曲げて両頬に手を添え、気だるそうに小首を傾かせて此方を見つめる少女がいた。
「んー……なんでって、決まってるじゃない。私は、カインの味方なんだよっ」
ルーナは軽い調子でそう言って、笑った。
「だから、ね。ルーナがカインにしてあげられる手助けを、私は全部してあげたいの……」
「あ!ちょ、危ないって……!!」
一瞬だけ、ルーナの灰色の瞳孔が青緑色の光を帯びる。俺の事を軟禁していた風を、たったの2本の指——右手の人差し指と親指でペチリと弾いた。
いやいや、そんなデコピンみたいな攻撃がこの竜巻みたいな剛鉄みたいな風に通じる訳ないじゃんと考えてしまったクズい俺を殴りたい。それからそんな考えが浮かんだ俺の代わりに土下座して謝りたい気分になったのは次の瞬間だった。
「ほら、立ってカイン。貴方のためだけの舞台はまだ終わってないよ?」
「え……、えぇ!?なんで!?」
ルーナが、風の檻の中に居たはずの俺へと手を差し伸べてくる。俺と、白雪みたいに白くて細い少女の腕の間に、今や風の壁なんて無かった。
デコピンと同じ攻撃が、あれだけ俺の手を拒んでいた風の檻に効くなんて!!俺の目と口が大きく開いたまま、閉じない。
ルーナは可笑しなもの見たようにクスリと小さく口角を緩めた。
「そんなに驚く事?ほら、私も、一応……星花だから……」
ルーナはそう言うと俺の手をとって、まだどの星花の星の紋章も入っていない俺の“星の刻印”へ静かに目を落として……何故か唇を深く噛んだ。気がかりに思っていると、ルーナはそれから真っ直ぐに目を俺と合わせてくる。
「……カイン、リシェーラさんを止めるには盟約を使って盟約を発動させて。その後は暴走している魔力の流れをカインの魔導回路に流し込むことで流れを正常にしてあげることができれば……」
「リシェーラが持ってる魔力の流れが正常になれば、今の魔力暴走を起こしているリシェーラのことを止められるってことだな」
俺の言葉に、ルーナは頷く。
星花の持つ魔力を吸収することのできる【盟約発動】を使えるのはこの会場の中で、いや世界中を探したって今は一人だけ。
そうだ、俺だ。リシェーラと学園の教会で盟約を交わしたのは、彼女の星巫になったのは俺だ。
——— 俺だけなんだ!!
「ありがとう!ルーナ!!」
俺は拳を握りしめ、荒れ狂う竜巻の中心へと駆け出した。ルーナの事を一度も振り返ることなんてせずに。
☆☆
少女は、舞台の中央—— 主人公枠が当たる場所へと少年が走り出していくのを見送った。
ただ少年の格好悪い背中を静かに見つめて座り込んでいる。リシェーラの暴走に巻き込まれていたルーナは折角可愛くしたドレスも女の子から見れば気になってしまうくらいボロボロで、髪だって崩れて可愛くない。
リシェーラの暴走した魔力が帯びた風が吹き荒れる音がうるさい。挫いた足首がズキズキと痛んで仕方がない。これ以上は人の手を借りないと動けそうになかった。
本当は、文句の一つや二つ、言ってしまいたかった。
まだ彼に本当の事を話せていない代わりに、見て欲しかった。自分が貴方といない間に積んできた時間を、重ねて来た成果を。
痛い。
「なのにいないんだもん……見てくれるって言ったのに……いないんだもん……」
「やだ……」
「やだ、やだ……」
あーー………五月蝿いな。
「……いっちゃ、やだ……っ」
灰色の双眸から、涙が溢れそうになる。きっと、足首の怪我が熱くて痛くて痛いせいだ。
本当は、助けないで良いよと酷い事を言ってしまいたかった。助ける手助けをする必要なんてなかった。助けるための手段だって教えたくなかった。背中なんて押したくなかった。
「味方だよ……なんて、嘘ばっかりだ……。ばか……」
だけど、だけど、だけど、それでも!
「———— それでも、私はカインの味方なんだ……」
だから、少女は少年を見送った。




