☆12 薄氷の湖の上で
気分を変えるために庭へ出た俺は、噴水の置かれた花が美しく咲き誇る平地から、何気なく目線の先にあった草木の垣が壁となった迷路に迷い込んだ。
「はぁ……。これだけ壁が有れば、会場からは見えないだろう……」
誰からの目線も気にしないで済むことに安堵しながら、迷路の中をぶらぶらと歩いてみる。出来ることなら、会場へは戻りたくないなぁなんて思っていた。
髪をぐしゃぐしゃと掻き回したい衝動を抑え込んで拳を握りしめ、空を仰いだ。
「結局、ルーナもよく分かんないし……なんでこんなパーティが開かれてるのかも分かんないし……あーー!!もう!!認めるつもりがないなら開催なんてしないでくれーー」
やっぱりな、ほら見たことか。
俺は自分自身へ嘲笑めいた言葉を投げる。
リシェーラの意志とは関係なく、きっとこのパーティはこれ以上良いものにはならないだろう。そんな予感だけが胸の中を渦巻いていた。
「……バックれちゃおうかな……」
兄さんに会いたくないし、絶対リシェーラの兄と姉には良く思われてないし、なんならパーティ会場の人たちからの品定めのような視線を浴びるのはもう懲り懲りだ、うんざりだ。
「………なんか、もういやだ……」
俺はしゃがみ込んで下を向き、はぁーーーーっと深いため息をこぼした。
半ば本気で会場にはもう戻らなくても良いよなって思い始めて来た。
その天罰かなにかなのかもしれない。
「にゃーーん」
「ふぐ!!」
垣から飛び出てきた猫に、俺は頭を思いっきり踏んづけられた。人の頭を踏んづけておいて、黒猫は「にゃーん」と鳴いて悪びれもせず尻尾を揺らしながらテコテコと何処かへ行ってしまった。
「……な、何だったんだ……?」
あっけに取られていた俺の耳に、再びガサガサと揺れる葉の音が届いた。
——— もしかして、また猫!?
立ち上がって身構える。頭を守るために手で髪を抑え込んで防御策は完璧だ。
すると、俺の元へ小さな身体が飛び込んできた。
「にゃおーんっ………」
「………へっ!?」
赤いリボンのついた黒い髪が(葉っぱとか色々を付いている)まず目に入った。それから、自分が抱きつかれたのだと自覚するまでに5秒ほどかかった。
「にゃーー……ネコ、捕まえました……」
小さな少女だというのを認識するのに、さらに5秒ほどかかった。
(え、あ、え!?人!!?ち、小さい‥‥女の子……)
いや、ちょっと待って。
「えっと……俺は人なんだけど……」
「……にゃーーん?」
黒髪の頭がもぞもぞ動いて顔を上げた。
(青緑色の瞳……天族!?)
今日のパーティの招待客か!!
「わ……っ」
すぐさま少女の肩に手を置いて、俺はお互いの体を引き離した。背後の垣に食い入るくらい急いでズサササッと後退する。
(見たところ、まだ12、13歳くらいの女の子じゃんか。迷子か……?もしかしてさっきの猫は飼い猫……?)
「あ、えっと……もしかして迷……って……」
「ネコ、捕まえた……」
???????は、へ?????????
彼女の持っている独特の雰囲気のせいなのか、理解が追いつかなかった。
確実に初対面なはずなのだが、なんでか少し拗ねた表情をした黒髪の少女は、態々退いた俺に抱きつくためだけに飛び込んできた。俺、今度は女の子ではなく猫に見えるのだろうか。
そして今に至る。
「—————— えーーと……?あの……初対面、じゃ、なかったですかな?」
草木が迷路の壁にも見えてくる庭園の中、俺は困惑していた。
すごく混乱していた。
「えっと……うん、初対面……だった、と、思います……」
ぽやーーんとした表情の12歳ほどの幼い少女が、首を傾げながら俺に抱きついていた。あれぇ、可笑しいなぁ、変だなぁといったご様子で………。
それを言いたいのはこっちだよ!と内心で叫ぶ。小さい子故に内心のツッコミ言葉は飲み込むしかなく、いやホント勘弁してください。
頭の中は、飲み込んだ言葉が大渋滞を起こしている。
とりあえず、俺はそっと少女を身体から引き剥がして少しずつ距離を取っていく。
「あ、えっと……人違い……いいえ、猫違い……かも」
「いや!どう見ても人間なんだけど!!?……まぁ、さっき黒猫がここを通ったけど、俺はどう見ても黒猫じゃないし、黒くないと思わない……?」
「んと………、あ。…………そう、みたいですね?」
ぽややーーん、へにゃーーふわーーっとした掴みどころない空気に、俺はガクリと肩を落としたのだった。
「……あ、わかりました。まだ謝罪をしていなかったから……、怒って、る?ごめんなさい」
いや、うん、怒ってはないんだけど。謝罪を受けていないのは、そうなんだけど、それは俺も同じことで。だから別に謝って欲しいわけじゃない。でも、でも、まず人と猫を間違えるかなぁ普通。
困惑しながら成り行きを見守る俺の前で、肩で切り揃えられた黒髪と長く伸びた後髪を軽く手櫛で梳かしてホコリを払った少女はセーラーカラーの襟元に手を置いた。
青緑色の双眸が優しく微笑む。
「ありがとう、ございます。……じゃなかった、ごめんなさい。私、は、猫を探していたんですけど……」
ジッと此方を見つめた末に、困ったなぁという表情で少女は言った。俺の事を上から下まで観察している。
「うん、と……。あなたはやっぱり猫には見えないかも、です……」
「だから!!俺は人だ!!」
「………人………!!」
「なんでそこでびっくりしてるんだ……?そう、俺は人族。そして名前はカイン・エルドア。今日のパーティを主催しているリシェーラ・レネジアの………まぁ、一応、リシェーラの……星巫だよ」
言っていて悲しくなってくる、このパーティから逃げようととも考えていたくせに。
「……星巫……さん」
「別にキミの名前は聞かないけど、迷子かな?そしたら、パーティ会場がこの先を行けば見えてくるよ……猫は、使用人さんに伝えればきっと探してくれると思うよ」
少し距離を取って腰を落とす。少女と同じ目線になった俺は、怖がらせないように意識しながら精一杯の笑顔を作ってみる。もしかしたら、引きつっていたかもしれないけど。
「………あっち、です?」
俺の指差した方向へ少女も指を示す。
「そう、あっちだよ」
俺は頷いてみせる。
しばらく無言になってしまった少女は、「わかりました……」と言って会場の方へ脚を踏み出したのだが。
「お兄さんは、戻らなくても……いいん、ですか?」
少し進んだ先で、俺の方を振り返った少女は不思議そうに尋ねきた。
「……俺は……」
俺は。
「俺は、もう少ししたら戻るから平気だよ」
言葉に詰まりながらも、そう答えた。
その返答で満足したのか、黒髪の少女は薄く微笑むと小さな歩幅でパーティ会場の方へと駆け出して行った。
「………あっちは……パーティ会場……」
小さな背中を眺めていた俺は、不意に記憶の片隅を刺激された気がした。古い、昔の記憶。
少年の世界が、180度変わった日。
俺は、胸元に仕舞った星のペンダントを握りしめる、それから立ち上がって服に付着した埃を払う。
「———— 諦めるのは、まだ早いか……」
腕を上げて背筋をんーーっと伸ばす。
眩しい太陽に目を細めながら、次いでに視界に入ってきた青空の中で、大きな雲がゆったりと浮遊していた。
「よし、俺も会場に戻るかな……」
ルーナの舞台はもう終わってしまっているだろうな。見ていて欲しいと言われていたのに、最後まで観ないで出てきてしまった。
後で、ちゃんと謝らないとな。
そんな事を考えながら、俺は迷路の中を歩いてパーティ会場まで戻った。
居ない間、心配してくれていたのだろう。壁の花と化していたリシェーラは直ぐに俺の姿に気がつくと慌てて駆け寄ってきてくれた。
「もう、遅くて心配しちゃったのよ。よかったわ、ちゃんと戻ってきて」
「ご、ごめんリシェーラ……」
言えない。
逃走してしまおうと思っていたなんて言えない。戻ってきた俺がリシェーラを見つけやすいよう一人で居てくれたのかもしれないと考えると胃がキリキリと締めつけてくる。
せめてもの罪滅ぼしに、俺は内心で「すみませんでしたーー」と東の国に伝わる究極の謝罪方法【土下座】を炸裂させていた。
「カイン?何よ、変な顔して……」
「いや!!別に!なんでもないよ……あはは……」
「ふーーん、そう……」
納得していなさそうなリシェーラの表情は見ていて辛い。ので、俺は彼女の興味を逸らすことにした。
「あ!リシェーラ、凪咲さんに紘夜先輩が来てるよ!」
「え?……本当ね!ナギ!!来てくれたのね」
頬を桃色に染め上げ嬉しそうに微笑んだリシェーラが、パタパタと二人の人物—— 大人びた緑色の袖長なドレスに身を包んでいる凪咲と、彼女をエスコートしている黒服の紘夜先輩に駆け寄って声をかけた。
もちろん俺もついて行く。
「……リシェ、今日も素敵です……。あ、ではなく。ごめんなさい、折角のお披露目パーティだというのに随分と遅れてしまいました」
「ううん!いいのよ。来てくれたことが嬉しいもの!それより、ナギの用事の方は大丈夫だったのかしら。お家のことだったんでしょう?」
「ええ……いいのです。本家から小煩い者が来ただけですので……。そんなことよりリシェのパーティです」
「そんな事を言ったら可哀想だわ。きっとナギのことを心配しているのよ」
「いいえ!あれはそういう類では……」
「ほーら、そんなに怒った顔をしないのよ。ほっぺフニフニ〜」
「う、うみゅ……。リシェ……ほっへをふにふにしはいでくらはい……!」
きゃっきゃっうふふと会話に花を咲かせる女子。
楽しそうだなぁと微笑ましく思った俺の横に並び立った先輩はむず痒そうにお祝いの言葉をくれた。
「改めて、星巫となったこと……なんだ、えっとおめでとうだ」
この人、背が高くて厳つい見た目に反していい人なんだよなぁ。
今日、会場に入ってから初めて言われた祝辞をしみじみと噛み締めながら俺は「ありがとうございます」とお礼を返す。
初のダンジョンに最後まで見捨てずに守ってくれて、訓練に付き合ってくれて、そんな先輩がパーティの現状を理解して嫌味を言うわけがない。寧ろ現状とは関係なく「おめでとう」と思ってくれているのだろう、俺はただ純粋に先輩の言葉が嬉しかった。
「ありがとうございます、先輩」
「ああ……それなら凪咲嬢に言ってくれ。俺の独断では来れなかった……」
「そっちは、まぁリシェーラがお礼を既に言ったいるみたいですし、俺からは紘夜先輩にと思って。来てくれたことと……それからお祝いの言葉をくれたことです」
「ふ、そうか……」
紘夜先輩も、なんだか嬉しそうだった。
「紘夜、話は終わりましたか?そろそろ時間です」
「嗚呼。わかった」
「では、私たちはこれで。来て早々、帰ることになってしまってごめんなさい、この後にまだ予定があるのです」
「ううん!来てくれただけで嬉しいわ。その、ちゃんと会話をするのよ?ナギ」
「…‥わかってます。まぁ、相手がまともな話をしてくれたらですけど」
「もう!そんなこと言わないの」
「態度には態度を。私は相手と水平な態度を計って釣り合わせているだけですよ」
「それって結局、相手と同じ態度をやり返してるだけで、いつまで経っても平行線ってことよね……。そんなに、お父様のことが……いいえ、何でもないわ。また、学園で会いましょうねナギ」
「——— えぇ……また学園で……」
紘夜先輩を伴った凪咲さんの後ろ姿を見つめるリシェーラは、なんだか不安そうだった。
「……リシェーラ……?」
思わず、彼女の顔を覗き込んでしまった。
リシェーラはハッとしたように大きく一度瞬き、曖昧に微笑んで何も語らなかった。どうやら有耶無耶にしたいらしい。
それなら仕方ない。俺は何も聞かずに姿勢を正した。
姿勢を正して……、一気に顔を顰めそうになった。ぐっと眉と鼻の頭に力を入れて、嫌な顔は抑えられたはずだ。多分だけど。
さっきは何にも挨拶なんてしなかったくせに。そんな考えが内心で浮かんで消えた。でも、不快感を顔に出してはいけないし、声に出してはいけない。
「おやおやおや、我が愛しの妹のリシェーラじゃないか。随分と暇そうだなことだなぁ?面倒な来賓の挨拶は我々に任せて、おいて」
だって、その相手は兄さんを伴ったリシェーラの兄だったから。あくまで上品に歩いているが態度そのものはとんでもなく偉そうで、ニマニマと尺に触る傲慢な笑顔を浮かべている。
背後にいる兄さんは、彼の半歩後ろに控えていた。リシェーラに対するレイヤの言動を嗜めようとはしていない。兄さんの静観するような態度と我関せずの涼しい表情に、なんだか俺は初めてとは言わないけれど久しぶりにムッとしてしまった。
「……はい、お兄様!だってお兄様とお姉様が面倒な事は任せても良いって言ってくれたでしょう?だから、私、存分に甘えさせて貰ったのよ」
これが、“そっちが言ったんだから文句は言わせねーよ?”とか、“そっちが何か根回しをしてるんだろう”とか、そんな尖ったことを表しているのであれば、水面化の戦いが白熱したに違いない。
だがリシェーラは至って純粋に、純度100%の本音を口にしているのだと、悪戯っ子のような無邪気な笑みで俺は直感した。
リシェーラの兄も、家族だからこそ余計に分かってしまったのかもしれない。一度奥歯を噛み締めた表情を浮かべると、少女の小さな頭に手を伸ばして、そのまま白金の髪を一気にかき混ぜた。
腹いせだ!!と叫びたくなった口元を手で押さえる。
「きゃ、ちょっとお兄様……!なんてことをするのよ!せっかく髪型を作って来たのよ!?」
兄にめいいっぱい撫でられたリシェーラの髪は直ぐにぐしゃぐしゃになってしまった。
妹が怒って、ポカポカと叩いてきているのに痛くも痒くもないのか、寧ろ晴々とした笑い声を上げている。
「はははっ!リシェーラこれは酷いなぁ。髪型を直しに行ったらどうだ?」
「お兄様のせいでぼさぼさになっちゃったのよ!!意地悪っ」
「意地悪、意地悪か。ふん、優しさは時に他人に理解されないものだな。なに、これからキサマは偉大な兄に感謝するだろう。別室で使用人に直して貰ったらどうだ?」
「言われなくてもそうするわ!こんな髪じゃいられないもの。カイン、カインも一緒に来て————」
「—— リシェーラお嬢様」
唇を尖らせていたリシェーラがそう言って、俺に伸ばしてきた手を、いつの間にか現れた姉さんがすくいあげた。
よく見ればレイヤ側にもリシェーラの姉が扇で口元を隠して側に立っている。
リシェーラも驚いたのだろう。小さな肩が揺れて、白金の髪がその肩を滑り落ちた。青緑色の瞳で跪く姉さんを見下ろした少女は、棘のある口調で自分の行動を妨げられた不機嫌さを露わにする。
「……貴方は、お姉様の星巫でしょう?私の星巫はカインなのよ。カインが私と一緒に来るべきだと思わないかしら?」
「それは……その、女性同士の方が何かと良いのではないかと……」
「そうよぉ、リシェーラちゃん。お直ししてくるなら男性よりも女性の星巫を付けておきなさい。そっちの子には先ほど忘れちゃった挨拶をしないといけないもの」
「……挨拶?……わかったわ……。カインは置いて行くわ、でもお姉様の星巫も連れて行かないわ。私の星巫は、カインだけなの」
「———— そう、わかったわ。リシェーラちゃんがそう言うならもう無理強いはできないわね……。なら、使用人を連れて控室に早く行ってしまいなさい」
扇を畳んだリシェーラの姉は、妹のわがままに困ったような顔をして「仕方ないわねえ」と微笑みを浮かべた。「ごめんなさいお姉様」と明るい顔で謝罪をするリシェーラを見送った後、俺のことを仇を見る目で振り返った。
「っ!」
背筋が伸びる。
広間の全注目は、今、リシェーラの兄姉と兄さん、姉さん、そして俺に集まっている。
先ほどまで賑やかだった空気が、徐々に静まり返っていく。張り詰めた空気、高まる緊張感。そう、俺が感じているだけなのか。
「ねぇ、貴方……確か名前はなんだったかしら?」
「え?あ……えっと、カイン……カイン・エルドア、です」
「そう……。ひとつ、勘違いをして欲しくないのだけれど、今から尋ねる事はただの確認なのよ?リシェーラちゃんの為にも、正直に答えてもらいたいの」
「……はい」
「噂に聞いたのだけど、貴方、本当は星巫になるには必須の適合条件である“ 魔導回路 ” と “魔素” がないのですってね?」
「—————————— !!
「……い、え……。俺が、ないのは………ないのは……、“魔素”の方です」
「なんて事だ!!我が愛しいの妹の星巫が、魔素のない欠陥品だったとは!!」
俺の返答に、芝居がかった口調で芝居がかった嘆きの動きをするレイヤ。その大きな声は、俺たちを注目していた周りにざわめきを呼ぶ。
“魔導回路”———— 体内に張り巡らされた血管のようなもので、流れるのは血液ではなく星花の魔力。
この回路を持って産まれた人族でも稀有な人間だけが星巫になれる。
“魔素”———— 魔導回路に存在する、“魔力”と融和するもの。
回路に魔力を留めて蓄える為の要素でもあり、同時に魔導回路の潤滑油でもある。
魔素の多い回路は、その分魔力に対する耐性と適合性が高い。優秀だと称される星巫の判別にもどのくらいの“魔素”を持つのかが占める割合は大きいと聞いたことがある。
人族は、必ず自分の子どもが生まれると“魔導回路”と“魔素”をどのくらい持っているのか調べる。
その儀式で俺は全く魔素がないのだと判明してしまった。———— だから、“魔素”のない俺は《欠陥品》《落ちこぼれ》なのだ。
「……カイン。貴方のことはリシェーラちゃんはずっと、ずっと、ずっと、ずっと昔からお気に入りみたいなのよ。私たちが何を言ってもカインじゃないと星巫にしない、カインが星巫じゃないなら生きてなくてもいい……なんてワガママを言い放題。いくら妹が可愛くても、間違った道を行って欲しくないのは姉として当然でしょう?だからね……」
だから、自分からリシェーラの星巫(ミティ)を辞めろと、目の前の女は言った。
「それ、は………」
声が、震える。
「貴方から言ってくれたら、リシェーラちゃんだってワガママを言わずに引き下がると思うわ」
「ねぇ、お願いよ。貴方だって、リシェーラちゃんの星巫には相応しくないと思っているのよね?」
「俺……は………」
辞める?リシェーラの星巫を?
まぁ……いいのかな。さっきだって俺はこのパーティを抜けようとか思っていたわけだしさ。もう、色々言われるくらいならいっその事辞めて楽になってしまえばいいんじゃないか?
「俺は………」
そうだ。もう、諦めよう。
家には戻れないから、街で何か仕事を見つけて働いて暮らそう。努力は実らなかったけど、きっと街で生きていく時に役に立つことだってあるだろう。もう、いいや。
返事をしようと口を開いた時。ふと、庭が目に入った。
白金の髪が舞って、優しく微笑んでくれたリシェーラの顔も、「カイン」と呼んでくれる温かい声も、必要だと差し出された手も、約束をした熱を持った小指も——— 十年前のことだけど、俺は鮮明に思い出すことができる。
星のペンダントを握りしめる。
「俺は……」
決心を付けた俺は、顔を上げた。レイヤと兄さん、セレンに姉さんを見渡してから自分でも分かるくらいに満面の笑顔を作った。
「俺は、辞めません!」
もういい、なんてことあるわけない。
そんなこと、あるわけがなかった。
「俺は、ずっとリシェーラの星巫になる事を目標にして来ました。その間、リシェーラはずっと俺のことを信じて待っていてくれた、応援してくれていた……!」
学園の寮の部屋に置かれている家から持ち出した鞄。その中に収納した青色の便箋の束は、俺が10歳になった時からずっと送られてきていたものだ。
12歳を過ぎてからは頑張ってねとは書かず、学園での授業や日常が事細かに記載されてカインも一緒に居たらどんなだったとか、文書は全て前向きで期待に満ちていて—— 、
「手紙の最後には必ず、“待ってる”って書いて締めるんだ。………俺は、待っていてくれたリシェーラの星巫をこんな形で降りるなんて、願い下げだ!!」
「そう、わかったわ……残念だわ」
一度引き下がった少女の代わりに、リシェーラの兄が招待客へと一歩進み出た。両腕を広げて高らかに宣言した。
「———— 皆々様!!どうか、ご覧あれ!!我が星巫が、愛しい妹の星巫という大役を奪おうとする悪役を撃退してみせましょう……!」
「—————— は?どういう……」
離れた距離に居たはずの兄さんが、二歩目で視界から消える、一度瞬きをすれば眼の前には兄の姿が。ハッと目を見開いた俺は受け身も取れず後方へ吹き飛ばされた。
「っ!?ぐふっ……!!」
招待客から悲鳴なのか歓声なのか分からない声が上がる中、俺は吹き飛び、床に身体をぶつけながら転がってテーブルに激しくぶつかった。
乗っていた料理が皿ごと床に落ちる、ガシャーンと皿が砕け、ぼたぼたと俺の頭と床に誰も手をつけていなかった料理が振った。
頭に乗ったのは、ローズマリーを使った赤みの肉料理。薄切りにされた肉と微塵切りになった玉ねぎのソース、添えられた薬味などを手で払い除け、俺はヨロヨロと立ち上がった。
ゆったりとした足取りで歩いてくる兄さん。だいぶ飛ばされたらしい、兄さんが俺の前に立つまでに割と時間がかかった気がした。
くらくらと回転していた視界が、兄さん一点に留まる。
俺のことを見下ろしている兄さんは、腹立たしそうだ。
「おい、なんだ?先ほどからのお前の目は……」
「………目……?」
疑問系で答えながらも、予想は俺の中でついていた。リシェーラに対するレイヤ達の態度が気に入らなくて、つい不満を心中でボヤいていたが、顔にも心情が出ていたのだ。特に、俺の“両目”に。
何故だか兄さんは昔から俺の榛色の双眸が嫌いだ。主ともいえる盟約相手の天族に非難する視線を向けられて、余計に腹立たしくなったに違いなかった。
(でも、そんなの……!俺だって!!)
「お前如きが……星巫にはなれないはずの欠陥品が、何様のつもりでレイヤ様を見下しているのか!!立て……、今この場で、私が直々に生意気な愚弟のお前をリシェーラ様の星巫から引き摺り下ろしてやる」
「が……っ、ぐっ………!がはっ……!」
腹のみぞおちを何度も踏みつけられ、上手く息が吸えない。口から吐き出す液体はあっても息が出ていくばかりで、肺に新たな空気が流れ込んでは来なかった。
やばいとか、不味い、とかを思うよりも先に生存本能が働いた。兄の足と自分の腹の間に盾代わりに腕を入れて、ズキズキと痛む腹を丸めて腕との空間を僅かに設けた。
「っ!!」
次の蹴りが腕に来てしまう前に、床に落ちてしまっていた身近な料理を掴んで兄さんへ投げつける。
「はぁ、小賢しいな……」
「ぐっ……」
腕で投げられた料理を払い除けた兄さんは、心底呆れたようにため息を付いて俺の頭を踏みつけた。ぐりぐりと左右に動く靴底は俺の頭を床に擦り付ける。
「なぁ、カイン。私とてお前の兄だ。愚弟が恥をかかないようにしてやってるのが分からないのか?これ以上、手をかけさせるんじゃ無い。お前は辞めるといえばそれでいいんだ」
「っが!!?」
ボールを蹴るように、俺は壊れたテーブルの中へと吹き飛ばされた。
先程床に顔を付けた時に切れたのか額から血が伝い始め、俺の視界は既にぼんやりとしていた。
兄さんが、近づいてくる音がする。リシェーラの兄が「さぁ、皆さんこれでお分かりになられただろう!いかに分不相応な者が妹の側に侍っていたかを!」なんて声を嬉々として弾ませているのが聞こえる。
「カイン、パーティはもう終わる。楽しかったか?お前は一度もパーティに出た事なんてなかったことを考慮してやっても、これで充分だろう?さぁ、もう終わりにしますと言うんだ」
兄さんの声は静かで、呪詛のように体に絡まってくる。
喉元に鞘に入ったままの剣が突きつけられた俺は、背筋にひんやりとした汗が伝うのを感じた。手足もブルブルと震え始める。
「ほら、カイン。この私の、オマエの兄さんの言うことが聞けな………っ!?」
「っ、う……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ—————!」
俺は、吠えた。
これが初めての反抗だったかもしれない。
剣を払った俺に、兄さんが瞠目し左足が一歩後退するのがわかった。震える体に叱咤して立ち上がり、拳を握りしめて振りかぶる。
俺には“魔素”がない。
盟約を一度切っても、魔素に融合して貯めておいた星花の魔力を使用し、星巫だけで盟約するなんて芸当はできない。
本の通り、基本通り、星花と星巫が揃った時にしか盟約も魔導も使うことが出来ない。
だから、俺の今の攻撃手段はひとつだけ————!!
俺は兄さんの頬めがけてスピードを拳に乗せながら真っ直ぐに腕を突き出した。
「はぁ……この程度か。無能なお前では私に届かないんだよ」
「がはっ……」
容易く避けられた俺の拳。
側頭部から兄さんの鞘が衝突した激しい痛みが送られてくる。脳は揺れ、視界は曲がり、俺は多分膝を床に付いてそのまま倒れたのだと思う。
「カイン、カイン!!カインーー!!」
(リシェーラ……?)
朦朧とした視界の中、俺の耳に届いたのは、一人の少女の俺のことを心配してくれているような、焦っているような声だった。




