第04話「川辺の怪」(1)
格闘ゲーム『カーミラ』の制作者達は、キャラクターのモデルとした作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの著作を可能な限り、設定に反映をさせていたのだろう。
女吸血鬼となったアキラは日光の下を歩こうと、映画などで描かれる吸血鬼達のように、灰になるような事はなかった。
その代わりに――。
真っ昼間だというのに、道端に集まっている男達。
仕事をしている雰囲気ではない彼等に好色な目を向けられ、顔をしかめさせられた。
何度か、物陰に引きずりこまれもしたが、その度に片っ端から殴り、蹴り、投げ飛ばしていった。
そして、日が沈み始めた頃、重い足取りで宿屋へと踵を返すと――。
「おかえり」
軒先にはラフなシャツ姿のアキラが。
否、本来のアキラの姿に変身した凛子が待っていた。
美女は物欲しげな目を向けた後、悔しげに唇をぎゅっと噛んだ。
「苛々するのは分かるけれどさ」
(何が分かる! 自由に女に戻れる凛子と違って、俺は!!)
怒鳴りたくなるも、拳をただ強く強く握り締める。
「焦らないでさ。一緒に一つずつ、解決していこうよ」
そう言うや、凛子はアキラのスカートの中に素早く、手を差し込んだ。
「おい! 何を!?」
「あの事故。後遺症が怖かった怪我の時だって」
心を凍りつかせ、周りとの関係を絶った男を、己が掌の熱で溶かさんする女のように――。
男性特有のごつごつした手を、白く柔らかい女体の腿の上へと這わせながら、凛子は狼狽するアキラの耳元で囁く。
傍目には、軒先で情事に及ぼうとしているカップルにしか見えなかっただろう。
「大丈夫だったんだからさ。ね?」
その言葉がアキラの脳裏に、凛子と共に挑んだリハビリの日々を蘇らせる。
最初は痛みで、まともに歩く事すら出来なかった。
だが、励まされ、叱咤され、支えられる事で少しずつ、変わり始めた。
「くそっ」
アキラは吐き捨てるように、今の容姿には似合わない言葉を呟くと、そよ風に流される程に柔らかい黄金の長髪に白い指を突きいれ、乱暴に頭を掻きむしる。
「ああ」
深々と息を吐き、アキラは思い出していた。
レッドの中の人として、大勢の母子達の前に戻った日を
再戦出来る事を喜んでくれた格闘技大会の顔なじみ達との再会の時を。
「そうだな」
ぎゅっと握った拳を、じっと、静かに見つめ――。
「何、自棄になっていたんだよ。俺は」
憑き物が落ちたように爽やかな顔を凛子へと向けた。
「この世界――別の地球に来た事で、こんな姿になったんだ。なら、俺達の住んでいた地球に帰れば、元に戻れるはずだ」
快活な笑みで自信満々に――悪く言えば楽天的に語るアキラに、凛子は眉をひそめると、躊躇い勝ちに微笑んだ。
「うん。一石二鳥ってやつ」
(この世界に来た事と体の変異が無関係とは思わないけれど、今の体で帰るって可能性はあるよね)
凛子は不安を口にする事で、それが現実になるのを恐れたかのように、静かに言葉を飲み込むと、頭を軽く振った。
「まずは足場作りだ。その為に騒動を起こした」
痴漢という言葉を口にしようとした瞬間、紺色の男にバストを鷲掴みにされた時の悪寒が蘇る。
アキラの体は強張り、日が沈み始めたとはいえ、夏には不釣合いな異様な寒気に襲われた。
けれども、それを悟らせない口調で語り続ける。
「奴を捕まえて、賞金を貰ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
力強く拳を握ったアキラが何かを隠そうとしている事に気づくも、凛子は気づかないふりで彼を送り出す。
** § **
川という天然の路を活かし、効率的に荷物の受け渡しを。
そう考えた者達が協同で造り、今はレッジェ商会が単独で管理をしている船着場と石材作りの倉庫群。
それが街の最東端、セントクレア湖を一望出来る位置に広がっていた。
機能性を優先すれば、似たようなデザインになるのも必然だろう。
だが、並ぶ倉庫は最初に作られた年代も、立て直しをされた年代も異なるのに、どれも非常に似通っていた。
預かる荷物の重要さで壁の厚さは異なるし、燃焼の危険性がある荷物を収める為、専用の処置が施された倉庫もあるが、外からでは判別がつき難い。
故にだろうか? それとも、単に若者達が芸術に目覚めた為だろうか?
倉庫番号以外にも、個性的なアートが描かれている壁も少なくない。
ペンキの痛み具合からすると、最初に書かれたのは果実の絵だと分かる。
次に書かれたのは剣を構えた男と斧を握った男が対峙する様子。
最後に描かれたのは二人の前に置物のように、ちょこんと座っている狼。
統一性を感じさせない絵が描かれた倉庫の隣に、船着場とオープンテラス式の食堂があった。
(特定のエリアにのみ出没するのは、土地勘があって犯行を行いやすい。もしくは、通勤中のように、そこでしか出来ないという理由がある時だろう)
明日の仕込み担当として、一人店に残っていた女性数名が、迎えの馬車を待っている間に被害に遭った。
それも、全員があまりの気持ち悪さに、数日寝込んでしまった――という事件の起きた軒先で、アキラは犯人について考えていた。
やがて、何かに誘われたかのように、川のせせらぎ音しか聞こえない船着場に向かって歩き出す。
(だが、繋がっている用水路を含めても、何故、川の周囲にしか現れない? 水泳技術に絶対の自信を持っている反面、陸上での運動が苦手だから?)
作られてから、年数が経っている為だろう。
雲で半分以上の月光が遮られているというのに、気づける程に痛んでいた。
(ターゲットが現れるまで、長時間、水の中に浸かっているとしても……。被害者全員が口を揃えるほど、生臭くなるか?)
アキラが落下防止の柵に寄りかかりながら、真っ赤な紅を塗られた口元に白い指先をやった時だった。
北のセントクレア湖側から、船着場に向かって何かが動き出していた。
(ダイバーのように日常的に潜っている職業? そんな、あからさまに疑わしい奴なら、直ぐに見つかるはず)
己の浅い考えを振り捨てんと、アキラは乱暴に頭を振って、視界の端でゆっくりと動いている人影らしき何かを見つけた。
川岸から数十メートルの場所で、誰かがぷかぷかと浮き沈みをしている。
(あれが痴漢か?)
他にも、事件現場があるので、歩き回る事を覚悟していた。
なので、こうも、あっさりと遭遇した事に拍子抜けしつつも、アキラは気づかぬふりで落下防止の柵に寄りかかる。
そして、苦虫を噛んだ顔で、魅せつけるかのように豊満なバストを乗せた。
だが、ゆっくりと近づいてくる人影に何かを感じると、気づかれるのを承知で身を乗り出して凝視。
人影が真っ直ぐに伸ばした体を不自然に浮き沈みさせており、その手足を動かしていない事に気づいた。
(違う! あれは!!)
アキラはばっちりと大きい目を更に見開くと、少しでも近づこうと、ドレス姿でドタドタと船着場の端へと走る。
川への落下を防ぐのが目的のはずだが、船の接触で壊されたのだろう。鋭い折れ痕が剥き出しになっていた。
「おーい」
川上で誰かが落ちて、ここまで流されてきたと察して、アキラは必死に呼びかけるも、人影は無反応だった。
「起きろぉー」
手遅れになる前に助けようと、手足の柔軟運動を。
川に飛び込む為の準備を始めた時、月光を妨げていた雲が動きだした。
そして、水面に浮かんでいた人影に、月光のスポットライトがあたった。
「ふぅ~」
優雅さとは程遠い間の抜けた声を出して、アキラは安堵の一息を吐くと、崩れるように柵にもたれかかる。
(ただの流木か)
川をゆったりと流れていたのは、ぱっと見には人に見えなくもない。
自然が作り出した偶然の産物だった。
(びっくりさせやがって)
柵に胸元があたった事で、今の自分の体を意識させられ、アキラは顔を顰めた。
だが、川で溺れている人も、助けが間に合わなかった人もいなかった事に顔を和らげ、大きく吐いた息と共に気も緩めた。
故に――。
柵に乗せられた豊満なバストを見上げて、下卑た笑みを浮かべた何者かが、ゆらゆらと揺れる月に向かって川底を蹴ったのに気づけなかった。