第03話「二度別れた元彼女と異世界の夜を」(2)
元恋人の窮地を助けてくれた恩人達の姿を想像するも、残念ながら、アキラにはイメージが湧かなかった。
そのような心の内を見抜いたかのように――。
「アキラも知っている人だよ」
「俺が知っている? さっきの『警官』みたいに、ゲームで見たような外見の人なのか」
凛子は正解とばかりに微笑んだ。
(でも、袴の似合う外国人? POPCOのゲームに、そんなキャラがいたかな?)
首を捻ったアキラが詳しい容姿を尋ねようとすると同時に、凛子がはっと気づいた顔をする。
「あッ! 設定資料には細かく書かれているけど、ゲームだと背景の肖像画一枚だったから、ぱっと見だと分からないかも」
「資料? あぁ、『Gセン』の増刊号とかに収録されているやつか」
『Gセン』
正式名称はGerSentury。
定期的に誤植を発生させる事で有名なアーケードゲーム専門雑誌。
尚、世紀ならばCenturyなので、誌名の時点でおかしい。
「俺は『Gセン』は本誌しか買わないけど、凛子は増刊号も揃えているよな」
「当然だよ! コスプレする時はね。どこまで、そのキャラに成りきれるのかが重要なんだから!!」
熱弁を振るい始めた姿にアキラは苦笑を浮かべ――。
(多少、変わったとしても……凛子は凛子だ)
体が軽くなるのを感じると、ゆっくりと息を吐いた。
「それで、さっきの外国人さん」
「いや、やっぱりさ。ここだと、俺達の方が外国人だろ」
指摘を受けて、凛子は目をパチパチとやり――。
「あーうん。そうだね」
誤魔化すように可愛らしく笑うと、何事も無かったかのように話を続ける。
「その人が出資しているっていうレストランに連れて行ってもらって」
(凛子の人を見る目は知っているし、恩人とはいえ……初対面の男相手に無用心過ぎないか?)
口にしなくても、その思いが顔に出ていたのだろうか?
「心配してくれるんだ」
「当たり前だろ」
変に茶化ずに返事をしたのが予想外だったのか?
凛子は数秒間、体を固まらせると、照れくさそうに顔を赤らめた。
「『終業後の工場街で、君のような子が一人で何をしていた?』って訊かれてね。下手に誤魔化すのもって……『気づいたら、あそこに』って、ナイトメアの事は隠して話したらさ。疲れきった顔で腕を組んで『またか』って」
「また?」
「うん。『隣の隣の州にいたのに、気づいたら……この街にいた』とかって、奇妙な体験をした人達が、最近、何人もいるらしいんだ」
「ああ」
アキラは落胆声で語り続ける。
「俺達みたいのが大勢、この街にいるんじゃなくて、悪質なイタズラでは済まない事をやっている奴がいるのか」
「あ、それなんだけど」
凛子は一瞬、躊躇う様子を見せた後に口を開くも、すぐに閉じた。
「ん? 何か思い当たる事があるなら」
凛子の仕草から、それを読み取ったアキラは促すも――。
「あーうん。下手に先入観を持たないで欲しいからさ。あらためて話すね」
「……分かった」
後にアキラはこの時、話を聞かなかったのを後悔する事になる。
だが、自分の未来に起きる事を知る術は無いのだから、元彼女の意思を尊重し、強引に聞かないというのも選択肢の一つだろう。
「ねぇ。今、私達は何処にいると思う?」
「この街はデトロイト川に面しているらしいから、アメリカの何とか州のデトロイトだろ?」
アキラは真面目な顔で答えるも、大袈裟なまでの溜め息を吐かれてしまった。
そして、凛子は面倒くさそうに立ち上がると、全身を再び、靄に包み込む。
「こういう時は、やっぱり、こういう格好だよね」
教鞭を片手にした女教師の目元と足元を彩るのは、共に薔薇の花色のフォックス眼鏡とヒール。
純白のワイシャツの上に、灰色が混ざったジャケットを羽織って、肌に密着した淡い白色のレギンスパンツを履く。
正に教え上手の知的美人といった雰囲気。
だが、彼女に教わる生徒達はワイシャツの盛り上がりが気になり、勉強に集中など出来ないだろう。
「凛子先生の特別個人授業だよ。アキラくん。ここはね」
教鞭を向けられてから、質問の意図がようやく、分かった。
そのような気まずい顔でアキラはゆっくりと口を開く。
「SF用語でいうパラレルワールド。違う歴史を辿った別宇宙の地球」
凛子は呆然とした顔をした後、舌打ち音を鳴らした。
「何で、直ぐに正解を言っちゃうのかなぁ」
(凛子も俺と同じ考えか)
「こんなエロイ格好の先生に、生徒君が指導をされる流れじゃないのかな~」
左手を腰に当て、教鞭を握ったままの右手を激しく振りながら、唾を飛ばす勢いで凛子は不満を零す。
「つまんないの」
不満顔で指を弾いて、パチンと音を鳴らすと、その全身を靄で包み込んだが――。
「早く、変身をし直してくれ」
靄の中から、自宅で過ごす時のように、全裸で現れた元恋人にアキラは呆れ顔で告げた。
「無理」
「頼むから」
「ほんと無理なの」
ふざけている声ではない。
本当に困っている――と分かるが故にアキラも困惑。
「十回に一回くらいの割合で失敗してさ……。そうなると、十分間は再変身を出来なくなるんだ」
(失敗が十回続く事もあれば、十回以上、続けて変身を出来る事もある?)
アキラが危惧した事は、言葉にしなくても、表情から伝わったのだろう。
「二度続けて失敗した事もあるし、最高記録は連続十五回成功だったかな。便利そうだけど、非常時には使えないよね」
自嘲するように呟くのを聞いたアキラは布団の下のベッドシーツをさっと抜き取り、屈みこんでいる凛子に羽織らせる。
まるで、並べられた食器をそのままに、テーブルクロスを抜き取る奇術のような早業だった。
「ありがとう」
「まるで、ゲームが現実化したような世界にも、何らかのルールはあるって事か」
問いかけとも、自問自答の呟きともとれる一言をした後、アキラはベッドに腰かけ直していた凛子の隣に座る。
「話を戻すね。私を助けてくれた人は『気の毒に』と言ってくれたけれど……。『だからといって、私も無償で援助する事は出来ない』って」
「そりゃ、そうだろうさ」
(だからって、困っている女につけこむ様な奴なら、凛子を助けてくれた礼を言った後に)
アキラが拳をぎゅっと握ると、力みの浮かんだ表情に気づいた凛子が嬉しそうに頬を緩ませた。
「『だから、旅費を確保出来るまで、この店でウェイターをやらないか? 君なら、よく似合うと思う』って」
「ウェイター? 英語圏では、性での言い換えはしないのが通れ」
見落としに気づいたという顔で、アキラは話を続ける。
「いや、違う歴史を辿っているんだから、言語の大筋は同じでも、細部が違うのか」
「ううん。その店はさ。女は男装をして、男は女装をしてって店なんだ」
「ッ!?」
想像だにしなかった店のコンセプトを聞き、アキラは唾を噴き出しかけた。
「だから、男装の女性スタッフをウェイター、女装の男性スタッフをウェイトレスって、わざわざ分けて呼んでいるの」
何と返事をしたらいいのか? が分からない――という顔を見て、凛子は慌てて、続きを語り始めた。
「アダルトな店じゃないよ。純粋にそういう独創性を前面に出してるってだけでさ」
尚も不安気なアキラを見て、凛子は体が火照って、熱くなるのを感じ――。
「土日は必ず出勤が必要だけど、週三休のシフト制で、お給金がいいんだ。チップも貰えるし」
誤魔化すように、元気が溢れ過ぎている笑顔でVの字サインを決めた。
そのような凛子を見て、複雑な表情を浮かべていたアキラはゆっくりと、口を開く。
「『手に職を持っている』とは違うと思うが……。趣味や経験を活かせるのは強いよな」
「アキラだって、慣れない体で、あんな凄いアクションを出来ているじゃん」
アキラは憂鬱な表情で、蹲るように、肩を前方に丸めた。
「酒場へ行ったらさ。女吸血鬼が戦っているんだもん。吃驚したよ」
トラブルはあったが、全て、解決を出来たと聞こうと――。
自分が側にいられなかった事が悔しく、苦しいが故に、アキラの唇は――。
「そっか。大変だったんだな」
過ぎた事は取り戻せない。だから、今はとにかく前に歩むのだ――とばかりに言葉を紡がせた。
「ん。そろそろ大丈夫かな」
凛子はそう言うと全身を靄に包み込み、白いビジネススーツ姿へと変わった。
「そうだ。何で俺の姿に?」
「こういう荒くれ者の多い街だとね。女が一人で歩き回るのは厳しいからね」
「自由に変身を出来るのに、俺の姿になっているのかって」
「うーん。服装は自由に出来ても、私かアキラの姿にしかなれないの」
思わぬ回答に腕を組み、天上を見上げる悩まし気な女の姿は彫像のモデルになる美しさだった。
「ゲームのナイトメアの能力がそのまま再現されるのではないのか」
「うん。たぶん、そういうルール」
他に理由を思いつけないが、その推論は乱暴だとも思っている。
癇癪を起こしたように、髪を掻きむしり始めたアキラを慰めようとばかりに凛子は同意した。
それから、二人は何時間も話し続けた。
だが、緊張が解けた為だろうか?
陽の昇りが近づく頃、アキラは椅子でうつらうつらと体を揺らし始めた。
遂には崩れるように前屈みになり、そのまま、眠りについてしまう。
「あんなに頑張った後だからね」
凛子は苦笑をすると、全身を靄に包み込んで、ラフな格好のアキラの姿に変身。
カーミラ姿のアキラを軽々と持ち上げて、ベッドへと寝かせた。
** § **
陽が街の頭上に昇った頃、外の通りを歩く職人達の話し声が美女達を眠りから覚まさせた。
そして、二人は寝惚け眼のままで、廊下に出ようとするも――。
「いェなッ」
扉を開く直前、凛子はラフなシャツの男性形体へと変身。
複雑な目を向けるアキラと共に、時折、音が鳴る階段を降りていった。
「いい歳をした女の子が昼日中に起きてくるかねぇ」
客達に料理を運んでいた女将の一喝に縮みあがったアキラを放置。
凛子は十五六歳程の少女から、眠気覚ましとしてコーヒーを受け取ると席に着いた。
「ね。いい豆を使っているでしょ」
「ああ。美味いな。けど」
「何? 母さんのコーヒーに何の不満があるの!?」
ぼそっとした一言を十歳前後だろう少女に聞かれてしまう。
「何故か、今は無性に甘い物が食いたい」
「あとで、甘味をお持ちしますね」
「すまない。頼む」
年長の少女はアキラをじっと見ていた少女の手を握ると、厨房の方へ歩き出した。
「いつも言っているでしょ。お客さんをじろじろと見ないの」
「だって、あんなに綺麗で、仕草も優雅なのに……話し方が男みたいで気持ち悪いんだもん」
(俺は男だぞ。女吸血鬼の体になろうと、俺は男なんだ)
アキラはカップに残っていたコーヒーを一気飲みすると、ガンッとテーブルに叩きつけた。
(男が男の話し方をして、何が悪い?)
ビクッと体を震わせた女の子達に恐々と目を向けられながら、アキラはやり場の無い怒りに染まった顔で立ち上る。
「アキラ」
凛子が止める間もなく――ドレスを纏った美女となってしまった彼は空高く太陽が昇った昼日中の街中へ走り出し、その姿は雪だるまが陽の光に溶けるように薄くなっていった。