第02話「工業都市の悪徳"警官"」(1)
広がる暗雲から、ポツポツと雨が降り始めた夜。
突然の雷が街を照らすと共に、虚空から『何か』も降らせたが、気づけたのは、廃品漁りの男一人だけ。
とある遺跡の探索中に負った傷の為、冒険者稼業を続ける事が出来なくなるも、生来の目の良さを失わなかった彼は『それ』が時代錯誤なドレスを纏った女性だと見逃さなかった。
公的記録に残っているのは、数百年単位に数人。
だが、実際は更に多いだろうと言われている。
違う世界から来た人間――通称、異世界転移者。
着古された服の男は雨の中、走り回った末に『彼女』を見つける事が出来たが、歓喜ではなく――失望の表情を浮かべていた。
「何てこった」
男は悪臭漂うゴミの山に上半身を埋めている女性を。
正確にはスカートの上に重ねられたスカートをじぃっと見つめ、意を決した表情をするも、その動作は真逆で緩慢だった。
「うぅッ」
男は片手で鼻を摘みながら、必死に残る手でゴミ山を掘り返す。
雨でも軽減されない悪臭の酷さに、何度となく吐き気を催しながら。
「こいつは……ははッ。いい女じゃねぇか」
生ゴミ塗れになろうと、一切損なわれない美しさ。
もしかすると、彼女が纏うならば、生ゴミでさえ、アクセサリーになるのかもしれない。
それ程の凜とした雰囲気で、一度見れば記憶に刻まれるだろう美貌。
肩まで下りている流れるように豊かで長い金髪も見事だし、肌も輝かんばかりの艶やかさだ。
明暗をつけてはいるものの、ほぼ赤一色のドレスの襟元を白のフリルが彩っている。
男は氷細工を触るように恐る恐ると、目鼻も美しく整っている顔に手を伸ばし――。
「ひッ!?」
その冷たさが雨に濡れた為では無いと気づき、落胆の表情を浮かべるも、直ぐに苦笑いを浮かべた。
物好きな客達を扱う娼館と繋がりを持っている男の事を思い出したからだ。
掘り出し物があるから、この稼業はやめられない――そう書いてある顔で雨の中を走り去って行く。
** § **
雨が強まる中、とある街の集積所に山積みにされたゴミの山が、まるで生き物であるかのように揺れ動き始めた。
いや、山が揺れているのではない。
ゴミ山の間に寝転がっていた何者かが動いているのだ。
バァァッン。
再びの落雷を合図として、海を割る預言者のように、周囲のゴミの山を崩しながら、人影がゆっくりと立ち上がる。
「?」
全身に少なくない生ゴミを付けており、側に寄るだけで悪臭がうつりそうだが、それらを差し引いても魅力的だった。
「ゥアォエ」
何かを呟こうとした後、白い指先を突きささんとばかりの勢いで口内へと突き入れる。
そして、その容姿からは想像も出来ないような結果を降り注ぐ雨と夜闇が隠した。
「俺は何を」
片手を艶やかな髪に突き入れ、そこにも多数の――がある事に気づくと、不快げに頭を振りながら、緩慢な動作で周りを見回す。
「何処だ。此処は?」
乱暴な口調だが蠱惑的な声で呟くと、己が体に――ドレスを越しにも分かる豊かな胸部に目をやり、きょとんとした顔をした。
「俺は何で女装をしているんだ? わざわざ、こんなフェイクバストまで着けて」
美女は首を傾げ、自分のバストを触ろうとしたが――。
「そうだ……凛子」
大切な何かを忘れてしまっていたという顔で走り出す。
その姿は闇に溶け込むように、次第に薄っすらとしたものへ――まるで霧の様な姿へと変わっていく。
** § **
雷雨の中、とあるゴミ集積所に激しく動き続ける人影と、面倒くさげに動く人影があった。
「で? そいつは何処にいるんだ?」
要所要所を固めつつも、動きは妨げない。
実用性重視の紺色の鎧と、同じ色に染められた獣の皮をなめした分厚いズボン。
米国の警察官が被る制帽のような形状のヘルメットも着けた男が、雨の中、ゴミの山を崩している男に尋ねた。
「おかしい。此処のはずなのに」
降雨によって、多少は緩和されるとはいえ――ゴミの山が掘り返される度に悪臭が広がる。
「隣の地区のだったか? いや、此処のはずだ」
一刻も早く立ち去りたそうな紺色の男の前で、もはや廃棄寸前の服を着た男が猛烈に手を動かし、更なる悪臭を生み出す。
「ちッ」
紺色の男は苛立ちを露わにすると、片手を剣を収める為の鞘にしては短か過ぎる。
ちょっとした小道具入れとしては、縦長で使い難そうにしか思えない。
そのようなデザインの鞘を挿した腰へと手を伸ばしていた。
全身にゴミの臭いを纏わりつかせた男は背後の気配に気づくと――。
「おいッ! ま、待ってくれ!! 俺は金になる話をッ!」
警察官が扱う警棒のようにも見えるが、長さや太さが異なる棍棒を片手にした男を見て、震える声を響かせる。
「死体だろうと、あんな良い女なんだ! 死姦好きの客も扱っている娼館に持っていけば!!」
「無駄足を踏ませやがって」
紺色の男は怒りを露わに踏み込むと同時に腰を沈め、右手で何かを掬い上げるような動作。
野球で言うところのアンダースローで棍棒を放った。
「ギャァッ! か、肩が!!」
投球との違いは、ゴミ集積所を荒らした迷惑男の肩を砕いた棍棒が、ブーメランのように弧を描く事。
「ふん」
紺色の男は獲物を狩って、主に届ける犬のように戻ってきた棍棒を腰の鞘に戻すと、胸ポケットから取り出した何かを口に放り込んだ。
「飲みなおしの店は何処にするかな」
肩を砕かれ、何とか立ち上がろうとするも、足を滑らせ、泥水の中をのた打ちまわるしかない。
ゴミ捨て場を荒らした男の悲鳴をBGMに、紺色の男はクチャクチャと音をさせながら、難題を前にした顔で雨の中を歩き出した。
** § **
無我夢中であったが故に、その女性は気づけなかったのだろう。
凄まじい雷雨の中を走っているというのに、雨粒が体に当たっている感覚が無い事に。
しかし、それでも――。
(ッ!?)
急に降り注ぐ間隔が短くなり、滝のようになった雨の中だろうと、助けを求める誰かの声を聞き逃す事はなかった。
(どっちからだ?)
とある三叉路にだけ立ち込めていた霧が、人が上半身だけを捻っているかのように左右に揺れ動く。
ゆらゆらと動く度に、少しずつ、薄れ始めた霧の中にぼんやりとした人影が現れ始めた。
やがて、豪雨の夜闇の中のでも、決して見失う事は無いだろう。
ほっそりとしていてるが、力強さも感じさせる金髪の女性の姿へと変わった。
(集中しろ。子供達の歓声が響く中で、イヤホンでの指示を聞き取る時のように)
血のような色のドレスが雫を吸う中、美女は端正な顔を更に引き締めると、右手方向に向かって走り出す。
一度も、雨でぬかるんだ地面に足をとられる事もなく。
ピチャ、ピッ――、ャ――。
一歩、二歩、三歩と走る度に闇に溶け込むように、その姿が薄っすらとしたものへと変わっていく。
次第に水溜りが発する足音も小さくなっていく。
そう。まるで、誰も雨の中を走ってなどいないかのように。
** § **
とある木材置き場の掘っ立て小屋の中で酒臭い息を放つ男が興奮した声を。
圧し掛かられた女性は何とか脱しようと、叫びをあげながら、必死に手を振り回す。
だが、男の右手がそれを叩いていく。
そして、男の左手が服にかかると、女が即座にそれを払い落とした。
「放せッ」
女性が悲鳴じみた抵抗の声をあげる度に、男は興奮していく。
最初、男が酔っ払っていた事もあって、勝負は拮抗していた。
だが、男は重量級というほどでは無いにしても、標準的成人男性よりも、太っていた。
しかも、皮製の鎧を着て、腰に剣まで提げている相手を押し返すのは容易では無い。
故に天秤は傾き始めた。
「ぁぅ!? くそッ!」
そして、泥で足を滑らせるという致命的な失敗もし、地面に倒れた女は圧し掛かられてしまう。
「ん?」
両手で女性の両腕を封じた後に、その唇を塞ごうとしていた彼は何かを感じて振り向き、風が無いのに霧が小屋の中に流れてくるのを見た。
「何だ?」
巨体を活かして抑え込みながら、上半身を捻っていた男は霧の一部が突出し、顔に向かってくるという異常現象に口をポカンと開けた。
「うッ!?」
霧が急速に薄れると同時に、酔いを醒さませる程の美貌の女性が現れる。
暗がりでも分かるほどに赤黒いドレスを纏った彼女の白く細い手で顔面を掴まれても、男は呆けたように動けなかった。
「――ッ!!」
だが、口と鼻を塞がれ、軽々と吊り上げもされた事で、男は空気を求めて暴れ始めた。
解放を求めて、見えない足元の相手を蹴ろうとするが、ただ空を蹴るだけだ。
震える手が腰の得物に伸びた時――。
「いァァァッ」
美女は気合の叫びと共に、片手で掴んでいた男を猛スピードで振り落とした。
舗装された道や石畳の上ではない。
土の上。それも、湿気で柔らかくなった土の上とは言っても、背中、続けて、後頭部も打ちつけられたのだ。
絶叫をあげるかは個々人の痛みに対する馴れ次第だろう。
それでも、多少なりとも、苦痛の声はあげるはずだった。
男が叫びをあげられなかったのは、叩きつけられた後も、口と鼻を抑えられ続けていたから。
そして、美女は左手を大きく引くと――力強く握っていた拳を、片手で押さえ続けていた相手の腹部に一直線に打ち込んだ。
「ゥヴゥ!!」
くぐもった悲鳴をあげ、男の体がピクピクと痙攣をする。
女性を強姦しようとしていた男をじっと見下ろした後、美女は一歩、後ろに下がると両の拳を握って、腰の所で構えた。
続けて、大きく息を吸って、ゆっくりと吐く行為を二度続けた後、物陰で蹲っていた女性の方に向かった。
「あ、ありがとう」
女性の返事に訝しげな顔をした後、美女は手を伸ばした。
「大丈夫か」
直後、隙間から射しこんだ稲光が二人を照らし、彼女達は奇しくも、相手に対して同じ事を思う。
(この人の服って、何時の時代の?)
不自然なまでに細いウェストに、肩まで下りている流れるように豊かな金髪の鮮やかさ。
一度見れば記憶に刻まれるだろう美貌の彼女はまるで傘の様に広がった――とまでは言わないまでが、ティーカップを乗せられるくらいには、後ろ腰が水平に出っ張っていると分かる。
そのようなデザインで血のように鮮やかな赤色のスカートの上に、乾いた血のような色合いの赤黒いスカートを重ねて履いていた。
そして、立ち上がる手伝いを――と手を差し出されていた女性。
彼女が着ていたのは、紐で締める事で肌に密着させるボディスとシュミーズドレス。
その下に見え隠れするのは、上下が短くて、胸部は一切覆っていない。
ある種の機能性を持たせた金属製コルセットだった。
そして、彼女はドレスの泥を叩き終えると――。
「オラァァッ」
痛みで意識を取り戻すも、その痛み故に再び意識を失う。
地獄のような反復をしながらも、泥の中で必死に起き上がろうとしていた男の顔面に、雷鳴さえ霞む程の叫びと共に飛び蹴りを叩き込んでいた。
「街娼だからって、甘くみるんじゃねぇよ」
意識が混濁する中でも、迫り来る一撃を避けようとする男の努力を嘲笑いながら、女性の踵は一発、二発と振るわれる。
(やっぱり、英語だ。聞き違いじゃない。それに……俺もさっき、無意識に英語を喋っていなかったか?)
納得いかないという顔の美女は今にも、腕組みも始めそうな様子だった。
「どたんばで値切ろうだ!?」
豪雨の如く降り注ぐ踵から逃れんと、男は体をよじるも、着いた手を蹴り飛ばされ、よじった顔に踵が飛ぶ。
(値切る?)
美女は泥まみれの男と、蹴りを降り注がせる女性の関係を悟るも、彼女が男を殺しかねない勢いなのに気づくと、慌てて走り寄った。
「待て! 気持ちは分かる……とは言えないが」
「ァ?」
肩に手を置かれた女性は首を捻ると、不満顔で背後を睨みつけた。
だが、舌打ち音と共に最後の一撃とばかりに踵を叩き込むと、恩人の方へ体を向けなおす。
「そうだね。こんな屑とはいえ……殺すのは拙いよね」
女性は不満を露わに呟くと、泥まみれとなった男の隣に屈み込んだ。
「何だよ。持っているじゃないか」
男の懐から分厚い皮製の財布を取り出し、紙幣を全て抜き出すと、女性は財布を振り上げた。
「小銭は勘弁しておいてやるよ」
意識が無かろうと、硬貨の詰まった財布を顔面に叩きつけられた衝撃で、反射的に男の体がピクっと揺れ動く。
(俺のやった事は間違っていない)
そうは思いつつも、完全には納得し切れていない。
浮かない顔をした美女の所に、ご機嫌顔の女が歩いて行くが――。
「うッ!?」
慌てて顔を背けると、ゆっくりと恐る恐ると顔を向け直した。
「さっきは、まさかと思ったんだけど……。何、この臭い? ゴミの山の中からでも出てきたの?」
女性は哀れむような目を向けると、左手でスカートを捲くりあげて、右手を内腿にすっと伸ばす。
「皮被りの股間にかける薬剤だけど」
そう語るや、タイツを留めていた太ももに付けるガーターの上にベルトで固定していた小瓶の蓋を開け、ドロリとした液体を美女の黄金の髪や整った顔に乱暴にかける。
突然の行為に反応出来なかった彼女が、口の中にも飛び込んだ粘液を吐き出しながら、文句を言おうとした時――。
「なッ?」
まるで、最初から、かかっていなかったのように、粘液は一瞬にして消滅していた。
「まとめ買いしても、一本二十ドルはするけど、助けてもらったからね。無料でいいよ」
女性は快活に笑うと、美女の手をぎゅっと握る。
「何があったのか分からないけれどさ。とりあえず、飲もう」
そして、強引に手を引っ張って、雨の中へと歩き出した。
(何があったか……か。俺もそれが分からないんだよ)
対戦格闘ゲーム『カーミラ』での持ちキャラだった女吸血鬼。
色合いや細かい装飾など、衣装に差異は少なくないが、凜とした雰囲気で、一度見れば記憶に刻まれる美貌。
ドレス越しにも分かる豊かな起伏の彼女を映した水溜りを見て、神月アキラは心の中で悲しげに呟いていた。