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第08話「レッジェ商会」(1)

 刃物で裂かれようと、泥で汚れようと、気づいた時には何事も無かったかのように綺麗になっている。

 便利だが、あまりにも不可解。

 血のような色は生きている事の暗喩なのではないだろうか? と想像をさせる。

 だが、何故か、脱ぐ気になれない為、普段着同然に着こなしているドレス姿のアキラだったが、今夜は襟元にアンティークショップで購入した薔薇のコサージュを着けていた。

 隣の淡い青色のイブニングドレス姿の凛子は襟元を大きく開き、ケープ状の銀色の肩周りと雪を模したブローチで露出した胸元を上品に彩っている。


 時代錯誤な姿のアキラだけなら、遠慮なく卑猥な言葉を飛ばすだろう一階の酒飲み達。

 だが、上流社会の令嬢のような姿の凛子と共に階段を降りてきたからだろうか? ただ、皆が黙って息を呑む。

 羨望の目を向け、手を止めた娘達が宿の女将に一喝されるのを聞き、二人は申し訳なさそうな顔で足早に宿の外へと出る。


 その夜、二人を待っていたのは老齢ではあるが背筋のピンとした御者と筋骨逞しい白馬。

 見た目に華やかさは無いが、とても頑丈そう。正に質実剛健という言葉が似合う黒光する馬車だった。


 宿屋街を抜けて、数分した頃、揺れを感じさせない馬車は刃を握る者達が物陰に見え隠れする通りへ入った。

 だが、誰もが御者の顔を見るや、慌てて逃げていく。

 野犬達も、馬の迫力に圧されたのか、漁っていたゴミを放り出した。

 更に十数分が経った頃、高級店が並ぶ区画に入り、とある石造りの建物の前で静かに止まった。


「いらっしゃいませ」


 樫の木の扉が無音で開き、燕尾服に似たデザインを纏った壮年の男性が二人を出迎える。

 手を差し伸べるというエスコートを受け、馬車を降りた二人は(うやうや)しく礼をした彼に挨拶を返し、レストラン・レニーニの樫の扉を潜った。


 フロアは横幅二十メートル程で、左右にテーブル席がずらっと並び、三割ほどが使われている。

 中央の一段高めに作られたステージに置かれたピアノが、揺れるランプの明りに照らされて幻想的だが、あいにく、今、弾き手はいない。

 だが、静かな色合いで派手さは無いが、可憐な服装の女性が見事な弓使いで華麗にヴァイオリンを弾いていた。


 アキラと凛子が耳を傾けているのに気づくと、壮年の男性は取り出した懐中時計をチラリと確認。

 歩く速度を自然に落としながら、右手側の通路の奥へ。

 入り口側からは陰になって見えない厨房の横にある通路へと入った。

 もし、誰かが見ていれば、壁の中に消えてしまったように見えただろう三人を、窓から射しこむ月光が怪しく照らした。


**  §  **


 店の最深部。

 防音の為、扉が分厚い仕様の個室がいくつか並んだ更に先。

 迷宮の奥底のような部屋の扉の前には、右目を前髪で隠したウェイターが立っていた。

 彼はアキラと凛子を案内してきた男性から、役目を引き継ぐとばかりに目で合図をすると、軽くドアをノック。

 音も無く開いた扉の内側には、そのウェイターの鏡写しのような――実際、隠れているのが左目という以外、うり二つの若者が立っていた。


「え?」


 凛子は足を踏み入れようとした瞬間、不意に手を掴まれ、怪訝な顔をアキラへと向ける。


「考え過ぎだと思うけどな」


 アキラは凛子の耳元でそっと囁くと、見た目は自然体で。

 だが、実際は全身を耳と目にして、部屋に足を踏み入れた。


 ほの暗い部屋の中にある人の気配は三つ。

 一つは直ぐ隣に立つウェイター。

 一つは実体の無い影のように部屋の奥に控える男。

 そして、最後の一つは――。


(やっぱり、杞憂か)


 アキラが安堵の一息を吐くと、それを察したのだろう凛子が静かに足を動かし、隣にそっと立った。

 油を燃焼させるタイプの大型ランプが部屋の真ん中に吊るされており、真下には年代物だが、長年大事に使われてきたと分かる。

 本来、八人以上用だろう大きさのテーブルと三つの椅子が並べられており、奥側の椅子に腰かけた何者かが二人を待っていた。


「君達にも予定があっただろうに」


 僅かに聞こえていた弦楽器の演奏が終わったのを合図としたかのように、人影が音もなく動いた。

 ランプの光が薄暗闇の中に、イタリアン・スーツに見える紺色の装いを浮かび上がらせる。


「急な招きに応じてくれてありがとう」


 服越しにも分かるようなアスリート体型。

 日本の侍映画に外国人侍を出すならば、十人中八人が彼を推すだろうという風貌の二十代半ばで暗い金色の髪が長めの男性だった。


(アレッサンドロ・レッジェ)


 打撃を入れると同時に掴み、投げに繋げる。

 『当身(あてみ)技』で完封され続け、辛うじて一本をとろうと結局は――そうやって、多くの百円玉を消費させられた。

 故に忘れたくても、決して、忘れられないだろう強敵。『レコード・ア・ウルフ』第一作のラスボス。

 アキラは彼の姿を目の前の男性に重ねるが――。


(ゲームでは見慣れた服装だけど、髪型も年齢も違うからか? かなり雰囲気が違うな)

「服に着られているつもりはないのだが」


 アキラの心中を悟ったかのように、レッジェは苦笑を浮かべた。


今の(・・)私には似合わないかね?」


 その言葉で、アキラは初めてレッドの『中の人』になった時の事を思い出す。

 奥さんが予定よりも早く、産気づいたとの連絡が先代の『中の人』に入ったのは、握手会のスタート直前だった。


「子供達の為だ。アキラ! お前がレッドになるんだ!!」


 そうやって、急遽、託された衣装に手足を通した日。

 大鏡の前で、先代と同じポーズを決めるも、司会のおねえさんは何か言いたげな顔をしていた。


「あ、いや……。そんな事は無いと思います」

(初対面なのに……既視感(きしかん)があるし、相手が相手だと身構えていたら……この話し方。距離感が狂う)


 ばつの悪い顔で、喉に何かが詰まったような感覚に襲われながら、アキラは言葉を紡ぐ。

 そして、自分を無言でじっと、見ている凛子に気づいた。


「本日はお招きありがとうございます。ミスター・レッジェ」

「あの晩はありがとうございました。レッジェさん」


 主賓として招かれたアキラの両手がスカートの裾を持ち上げ、恭しく礼をすると、凛子も同じように続いた。


「堅苦しい挨拶は抜きにしようじゃないか。ミス・凛子。ミス・アキラ」


 凛子の隣に立っていたウェイターが音をさせずに椅子を引き、彼女は皺を作らないようにスカートに手を当てると腰を降ろした。

 アキラの側に立っていたウェイターも、音をさせずに椅子を引く。

 ()も躊躇いつつも、皺を作らないように座ろうとしていたが――。


「それとも、ミス・カーミラと呼んだ方がいいかな?」


 椅子を払うようにガタンと蹴り飛ばし、足を動かせる空間を作ると同時に、強張った表情をレッジェへと向けた。

 あまりにマナー違反な行為にウェイター達は顔を顰め、部屋の隅に控える男が呆れ顔をしたのが雰囲気で伝わる。

 だが、レッジェ当人はそれを咎めるような声はあげない。

 むしろ、自分が悪かったとばかりに――。


「仕事柄、人の顔と名前を覚えるのは得意なつもりなのだが」


 自分が相手の名前を間違ったという(てい)で、場を納めようとする。

 そして、非難がましい目を向けていた凛子が、アキラに囁くように語りかける。


「私も驚いているけど……とりあえずはさ。座りなよ」

「ああ」


 釈然としない表情でアキラが足を元の位置に戻すと、数歩後ろに下がっていたウェイターが音も無く近づく。

 そして、何事も無かったかのように、ぴったりのタイミングで()が座れるように、椅子を押してくれた。


**  §  **


 ウェイター二人がすぅっと消えるように退室し、早くも、数分が経つ。

 だが、時折、油の燃える音がするだけで、誰も一言も発しなかった。

 まるで凍りついたかのような場を動かさんと、凛子が意を決した表情をすると、美女(・・)の白く細い手が、テーブルの下で彼女の膝の上に乗せられた。

 そして、アキラは躊躇いがちに口を開く。


「レッジェさん。あなたも俺――ゥ」


 アキラは凛子も含めて、俺達と言いかけたのを飲み込み、喉に何かが入ったばかりに咳払い。


「失礼。俺と同じように」


 別の地球から来た人間なのか?――と問いかけたくなったが飲み込んだ。


(いや、それは無い。ぽっと出の人間が成功を出来るような業界じゃない)


 アキラの心中を読んだかのようにレッジェは――。


「異世界から来たのか? かな」


 ニヤリと嫌な笑みを浮かべ、美女(・・)の柔肌を芸術の石像のように硬くさせた。


(現実とゲームは違うと分かっていても……。カウンターをとるのに長けていたキャラにそっくりな相手に、先手先手をとられるのは変な気分だ)


 アキラは渋い顔で黙り込むと、静かに考えを巡らせ始める。


(それに異世界……異世界か。強姦をされかけていた女も、俺の事を異世界の人って呼んでいたな)


 そして、この不可思議な地で最初に出会った女性について思い返す。


(まぁ、そうだよな……。別宇宙の地球とか、そういう言い方はSF映画の用語。異世界とか呼ぶ方が一般的か)


 その沈黙が返答だとばかりに、レッジェは苦笑を浮かべた。

 そして、テーブルの上に両手を乗せ、何も隠し事は無いとばかりに大きく開き、静かに口も開いた。


「私はこの世界で生まれた人間だが、君達の世界に行った事はある」


 驚いたアキラが立ち上がるのと、凛子が目を見開くのは同時。

 そして、反応が予想通りでつまらない――と言いたげな目を向けられていた。


(来る事が出来るなら、行く事も出来る……。それも当然か)


 アキラは無意識の思い込みに気づかされると、髪を掻き毟りながら、乱暴に椅子に腰を落とした。

 凛子が非難めいた目を向けるも、苦言は(てい)しなかった。


「君達の世界は文明や技術の発達の仕方が違ったが、大陸の形が同じで、使用されている言語も酷似していた」

(同じ名称の川があるから、そうだろうとは思っていたけど……)

「きっと、私達と君達の世界は」


 そこで言葉を切ると、レッジェは一枚の硬貨を懐から取り出した。

 テーブルの上で弾かれ、人の顔が描かれた面、大型の鳥類が描かれた面が交互に入れ替わる。


「このコインのような関係なのだろう」

(裏表があるのは同じでも、カードと違って、等価値。どっちが優勢や、主従とかは無い。上手い言い方だ)


 レッジェの言葉に素直に納得したアキラに対し、凛子は何か言いたげに顔を曇らせた。


「そして、君達の世界にも『アレッサンドロ・レッジェ』という男がいる」


 二人の反応を待つかのように言葉を切った。


「だが、彼は物語の登場人物の一人。正確には主人公に倒される(かたき)役だ」


 ゲームのキャラの若い頃に酷似した容姿の男が、そのキャラについて語る。

 不可思議な光景にアキラと凛子は戸惑いを隠せなかった。


「でも、それは」


 沈黙を保っていた凛子が言葉を継ぐ前に、無言でレッジェが手で制する。


「そうとも、私は彼ではない。そもそも、彼は架空の人物だ」


 その一言にアキラと凛子は、ほっと一息を吐いた。


(もし、自分はゲームのキャラだ――なんて言い出したら、また、この世界が何なのかが、分からなくなるところだった)

(自分に似た存在が三人はいるって話。こっちの世界にも、似たようなのがあるのかな?)


 頭の中で話を整理しようと、凛子は手元の注がれていたグラスに唇をつける。


「彼の優れた服装のセンスを真似た私が言っても、説得力は無いだろうがね」


 そう自嘲気味に笑いながら、レッジェはイタリアン・スーツによく似た服を自慢げに誇示した。


(優れたものは何でも採り入れる。それが誰のものだろうと……。別人のはずなのに、ほんと、ゲームのレッジェによく似ているな)


 やはり、ゲームが現実化したのではないか? と疑念がふつふつとアキラの中で蘇る。


「ミスター・レッジェ。そんな不可解な現象をどう思います?」


 悩み顔も絵になる美女(・・)の問いかけに対し、レッジェは躊躇いがちに口を開いた。


「仮説は二つ。一つは我々の世界を、君達の世界の芸術家が無意識に垣間見て、それを元に作品を作り上げた」

(ゲームデザイナー達を悪く言う意図が無い事は分かるけど……)


 不快気に顔を歪めたアキラの前で、レッジェも奥歯に何かが挟まった様子で語る。


「悪気が無かったとしても、それは生活を覗き見されたようなものだ」


 覗きの被害者。

 アキラも女装コスプレ姿時に経験があった為、レッジェの心情を痛いほどに察する事が出来た。

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