第01話「二度別れた元彼女と週末の夜を」(2)
雑に脱ぎ捨てられていった衣服を一つ一つ手に取る度に、甘い香りが部屋の主である男性の鼻を刺激。
服の持ち主が常に部屋に居た時を鮮明に蘇らせていく。
(二度ある事は三度あると言うが、三度目の正直って諺も)
デザインが独特な為、修理が困難な『衣服』を着用する事も少なくない。
(二度別れて、三度目の付き合いは……今度こその継続? また別れ話? どっちになるんだ?)
ヒーローショーの『中の人』という職業柄もあってか、皺にならないように丁寧に畳んでいく。
(しかし、この悪癖は)
女性の衣服を一まとめにし終えると、同棲時代に繰り返した口論を思い出しながら、テーブルの前に座りなおした。
(外では見た目通りにビシっとしているのに、何でプライベートだと)
苦笑いをしながら、コントローラーのレバーを左手で掴むと、右手でボタンの一つを押した。
すると、再生されていたデモ画面が終了。
数年前から始まった格闘ゲーム・ブームの最中に生まれた異色作の一つ『カーミラ』。
登場するキャラクター全員がモンスターであり、人の形をしていない者も少なくない。
その家庭用版のタイトル画面がブラウン管テレビに映し出され、キャラクター選択画面へと変わる。
(特定のキャラ同士は相性が悪過ぎて、運に頼らないと勝負にならない)
レバーを動かし、揺れる炎というデザインのカーソルを、横一列に並べられた八枚の肖像画の一番左端に合わせた。
『プレイヤー・ワン・カーミラ』
アナウンスが流れると同時に、選ばれた肖像画が燃え上がる。
(ゲームとしては、同キャラ対戦も出来る続編の『ハントレス』。更にバランス調整がされた三作目の『サヴァイヴ』の方が上だと思うけど)
男性はテレビの上に乗せられていたアーケード・ゲーム専門誌にチラリと目をやった。
(世界観を何よりも重視したからか、キャラ其々の特徴が尖がり過ぎている『カーミラ』が一番面白いんだよな)
画面が暗くなり、凜とした雰囲気の金髪女性と年季の入った芝刈り機。
あまりに対照的な肖像画が左右にアップで映し出された。
『ステージ・ワン・カーミラ・ヴァーサス・モウア』
アナウンスが終わると、画面は明るくなっていき、田舎の田園風景といった光景が映し出される。
そして、ドレスを纏った金髪の女性の眼前で、芝刈りを行おうとしていた男性が、芝刈り機に背中を切り刻まれるという惨劇が始まった。
(自我を得た機械が人を襲う。ホラー映画だと定番の展開だけど、最初にそういう作品を考えたのは誰なのだろう? 電話代が値下がりして、インターネットを気軽に使えるようになったら、調べてみるか)
男性がそのような事を考えている間に、被害者は息絶え、何事も無かったかのように勝負開始が告げられる。
** § **
男性がコンピューターが操る七体目との戦いの佳境に入った頃だった。
カチャリとバスルームの扉が開き、湯気が流れ、少し遅れて、石鹸と甘みのある香りが続く。
『ゲコォ』
TV画面の中、力士が四つん這いになったような形体の蛙のキャラは一鳴きするや、その重そうな姿からは想像を出来ない程に高々と跳ねた。
大会の時のようにまで緊張をする必要はないが、勝負は勝負として、男性は目の前に集中していた。
だが、何も着けていない白い臀部が、ブラウン管テレビの裏側を横切ろうとすれば――。
「ッ!」
無意識に目で追ってしまう。
(しまった)
と同時に、降ってくる蛙も中途半端に見ていた為、左手で握ったレバーを動かし、右手でボタンも押してしまっていた。
『せぇぇィッ』
ドレス姿の淑女が発するとは思えない声。
だが、美しさも兼ね備えた気合の叫びを響かせ、金髪の女性キャラの片足が振り上げられる。
血のように真っ赤な靴先が見事な円を、満月を虚空に描いた。
そして――。
犬歯のように鋭いヒール部分を大地へと降ろした彼女の頭部に向かって、巨大な蛙のブヨブヨとした腹が降っていく。
『ぅあッッッ』
苦しさよりも、悔しさの方が強いのだろう声をあげながら、蛙に乗りかかられた女性キャラの背中が地面に向う。
『ゲコォォォ』
乱暴にペンキを浴びられたように、画面が断片的に赤く染められていく中、ボディプレスを決めた巨大蛙が一鳴きをした。
『K. O.。ファースト・ラウンド・トード・エンペラー ウィン』
「何よ。ガキみたいな反応をして」
女性は小馬鹿にした声を出しながら、ブラウン管テレビに薄っすらと桃色がかった白い双丘を乗せる。
『セカンド・ラウンド』
「ここも」
そして、くるっと回ると、同じ色合いの白桃二つを指差した。
「こっちも、何度、見たのか忘れたの?」
『ゲゲ、ゲコォ、ゲコォ』
その場から、一歩も動かない女性キャラに対して、巨大な蛙が水掻きつきの手での張り手を繰り返す。
『ぁぅッ』
苦悶の表情で一方的に叩かれ続けていた女性キャラは眩暈を起こし、必死に倒れまいとしているかのように、よたよたと体を前後に揺らし始めた。
「いや」
男性は言葉短に呟くと、レバーを左右にガチャガチャと振るい――四分の一の円を描くように動かし、ボタンの一つに指を伸ばす。
「ビールを貰うね」
拭き残した湯を髪から零れ落としながら、すたすたと台所の方に歩いて行くと、冷蔵庫の前で張りのあるヒップを突き出した。
『凍てつけッ』
男性は右目を冷蔵庫を置いてある部屋の端に必死に寄せ、左目は正面のTV画面に向け、何も見逃すまいと強く誓う。
半分とはいえ、意識を向けられている事に気づいていないのか? それとも、気づいているからなのか?
女性は誘うように腰を動かしながら、冷蔵庫の中を漁っていく。
「ねぇ……何時まで、舞台に立ち続ける気なの?」
「ん?」
男性は女性の唐突な問いかけに驚き、一瞬だったが、コントローラーから、両手を離してしまった。
『ゲコォ』
巨大蛙の口が大きく開くや、その全長を優に超えるだろう舌が伸びる。
だが、男性が握り直していた左手がレバーを動かしていた為、防御姿勢をとれていた女性キャラは舌を弾く事に成功。
「私がやったのは、凄い短い期間だったけど……。それでも、ちびっ子達にキラキラした目を向けられるのは好きだったし……楽しかったよ」
女性は六角形チーズのパックを右手で取った時、何かを感じた顔に。
左手にビールを握った時、怪訝な表情になり、ゆっくりと立ち上がりながら、火照った体を男性の方へと向けていく。
「けど、あんな怪我もあったんだしさ」
男性は顔を顰めると、何が刺さったのかを確認するような目を太ももに向けた。
「ああ。だが」
ヒーローショー出演の学生、舞台の倒壊事故から母子を救う!
そうやって何度かマスコミに取り上げられた結果、バブル崩壊の就職難もあり、大学卒業後も『中の人』を続ける事になってしまった。
『ブレークタイム』
そんな過去を持つ男性が端側にあるボタンの一つを押すと、人間を騙っているかのような声のアナウンスが流れ、テレビの中の世界は白黒映画のように全ての色が失われていく。
「次期レッド候補はちびっこ好きだし、組み手稽古も熱心だ。けれど、実戦と魅せる戦いは別だ」
そう言うや、ぎゅっと握った拳を一突き。
ぱぁんと何かを割ったかのような音を鳴らした。
「もうちょっと、殺陣を教えられるまでは」
快活に笑う男性に対し、女性は口をへの字に曲げる。
「そう言って、何時までも舞台に立っていそうなんだけどー」
端正な顔は顰められ、豊かなバストを更に強調するように腕も組まれていた。
「ショーとはいえさ。超人になって、他の超人と戦うのは面白いけど」
そう言うと苦笑した男性に対し、女性はむっとした顔を向けながら、ビールのタブを引っ張る。
「高校大学で学んだ電気技術を仕事に活かしてみたい。その気持ちも強いから、裏方に回るのも楽しみなんだよ」
「ふーん」
女性は何か言いたげな顔をしながら、形の良い唇にビール缶をやり――ペッと床に中身を吐き捨てた。
「温ッ」
「温い?」
「うん。缶を持った時にアレ? って思ったけど……中途半端にしか、冷えていないよ」
その言葉に男性は眉を顰めると、首を傾げた。
「冷蔵庫、調子が悪いの?」
「同棲一回目の時に買ったやつだから、あと十年は」
女性は懐かしむような顔をすると、ゆっくりと、冷蔵庫の方に歩き出す。
「まだ使っているんだしさ……。また、やり直そうよ」
そう語りながら、冷蔵庫の中をゴソゴソと動かし始めた。
揺れ動く白桃への視線に気づいているのだろう。更に艶っぽくなった声で尋ねる。
「こんなにスタイルが良くて、可愛くて、ゲームにつきあってくれて、コスプレHにも理解がある女性の子ってさ。レアだよ」
(そして、風呂に入る時は脱ぎ散らかすし、休日は裸で部屋の中を歩き回る。女性として、いや、人として、かなりアレだ)
男性は眉間に皺を寄せるも、苦笑と同時に解いた。
(だけど、他の女とつきあって、長く続いた事は無いしな)
「うーん。冷気が出てないね」
そう言うと冷蔵庫を閉め、女性はコンセントの所でしゃがみこんだ。
(モーターの不具合? 直してみろって、冷蔵庫からの挑戦か?)
久しぶりに工具を出すか――なんて事を男性が考えている時だった。
「あーこれだ! 上から、落ちた荷物のせいで、抜けちゃっているじゃん」
推理小説の真犯人が分かった。
そんな口調で語った女性の柔肌を伝って、拭き残りのお湯がポタポタと垂れ続ける。
だが、濡れた手で、プラグをコンセントに差し込もうとしているのを見て、男性は驚愕の表情で立ち上がる。
突き上げられたテーブルが跳ね上がり、乗っていたコントローラーの一つが床に落ちた。
「待て! 触るな!!」
必死に走った。
それは、もし、五メートル走という競技があったならば、世界新記録を樹立出来るだろう速さだった。
だが、それでは、遅かった。
感電した相手を助ける時は、絶縁体となる何かを介さなければいけない。
「絶対に素手で触るな」
「最悪、ゴム底靴で蹴れ! 相手を怪我させるとしても、死なせるよりはマシだ!」
男性が学校で教師や先輩達から、散々教わった事だった。
だが、命の危機に瀕した元彼女を前に、冷静な判断など出来るはずが無い。
「凛子ッ!!」
それが神月アキラという男性の最後の言葉だった。