第07話「少女と老人」(2)
店内を散策するアキラの右手側のテーブルに並んだ銅製のロウソク立てと、左手側の花瓶や水差しの装飾の独特さが職人達の個性を語っている。
すると、キューキュとタイヤの音をさせ、みしみしと今にも床を割りそうな音もさせながら、二人組みがテーブルとテーブルの作るT字路を曲がってきた。
一人は白に近い銀髪で痩せ細り、車椅子に乗った皺の目立つ男性。
「お前は古い物を何でも悪く言うがね」
その車椅子を押すのはランプの明りを反射する程に鮮やかで、長い銀色の髪を一つ結びに。
上品さを感じさせつつも、動き易さを重視しているフリル付きのフレアスカートと薄手のシャツ。
それを纏うのは白地に青い一筋がある花、プスキニアのように、優雅さの中に強さという芯という雰囲気の美少女。
「ですけど」
そう言うと、十歳前後の少女は恐々と店の品々に目をやった。
白を基調とした衣服は、汚れがつけば大変に目立つだろう。
「だからこそ、連れてきたのだ」
(祖父と介護をする孫娘か)
「こういう店で、宝探しをするのも一興だよ」
骨董品の魅力を知ってもらいたいという祖父と、理解は出来ないでも――付き合おうという孫娘。
アキラは二人のやりとりを微笑ましく思う。
(いや、それより)
規則正しく並べられたテーブルが作り出した通路。
そこは大人二人がぎりぎり、すれ違える程度の幅はある。
だが、その程度しか、余裕が無いとも言える。
アキラは邪魔にならないように、そっと、足を動かすと、テーブルの反対側へと回る。
(ん?)
一メートル程のテーブルを挟んで、すれ違った二人に、ふと、何かを感じた。
彼らに何故、目を惹かれたのかが分からないまま、アキラはさり気なく――気づかれないように視線を向ける。
皺の目立つ男性は少女に話しかける為、やや辛そうな表情で首を捻じ曲げていた。
(何だ……あの太さ? いや、分厚さは?)
アキラの知る車椅子を軽自動車だとしたら、老齢の男性の使う車椅子は大型トラックだ。
背もたれの部分は三十センチ程の厚みがあり、肘掛け部分も大人の男性の腕三本分程はある。
(昔の車椅子って、あんなデザインだったのか?)
多くの工業製品が最初は大型であり、徐々に小型化していく。
それを思い出したが故に、半ば無理やりに自分を納得させると、失礼にならないようにと視線を逸らした。
だが――。
「そうだね。価値ある何かを見つける事が出来たなら……柔道という技を使う東洋人を見つけだして、お前のコーチにつけてあげよう」
そのような話が聞こえると、つい、聞き耳を立ててしまう。
(あぁ、酒場でも言っていたな。俺達みたいに格ゲーのキャラになった別の地球の日本人? それとも、この地球の日本人か?)
その悩む様も絵になるアキラが考えを巡らす間も、当然、世界は回り続ける。
「はい。お爺様。分かりました」
少女はそう言うや、車椅子を放り出し、どたどたと駆けだした。
服が汚れようとかまわないとばかりに。
老店主は迷惑そうに顔を顰め、諌めるべき親族は悪戯を眺める好々爺を気取っていた。
(今までみたいのは嫌だが、試合形式でなら、戦ってみたいな)
アキラは未知の強者を想像。
彼、または彼女が好人物である事を願いながら、ぎゅっと拳を握る。
(それはそうと……。お爺ちゃんを放りだすなよ)
孫のヤンチャぶりを見守りつつも、寂しそうにしている車椅子の男性に、そっと、近づいた。
しかし、不意に振り向いた男性に。
その痩せ身からは想像出来ない射抜くような目を向けられ、アキラはスカートに隠された内側で足を下げ、静かに腰も落とす。
「ん? 何かな。お嬢さん」
だが、何事も無かったかのように、男性は顔を和らげる。
アキラも構えそうになっていた両手から、そっと、力を抜いていく。
(こんな物騒な街だ。突然、背後から、近づかれれば……。ああ。今のは俺が悪いよな)
「何か、手伝えないかなと思ってね」
「おお。ありがとう」
アキラは車椅子の手押しハンドル部を握ると、何時、動き出したのが分からない。
それ程に静かに走らせ始めた。
(手元で操作出来るブレーキは無い。グリップ部も包帯を巻いているだけで、心許無い)
レッドの『中の人』として、子供の車椅子を押した時の事を思い出しながら、事故防止の機能が不足し過ぎている事に顔を顰める。
(油が燃える時の臭いを消す技術を開発する暇があるなら、車椅子の安全性を先に向上させろよ)
心の中で愚痴を零してから、タイヤの走る音をさせずに店の中を進んで行く。
** § **
少女は宝探しという言葉を実践せんとばかりに、棚板に足をかけ、背の低さで見れない棚の上部列を覗いていく。
行儀が良いとは言えない行為に顔を顰めていたアキラの視界に、レジカウンターの上で作業中の老店主の姿が入った。
彼は衣服が汚れ、ボロボロになってしまった人形の手入れを行っている。
ただし、アンティークショップに似合う年代物ではあるが、二色の格子柄を纏った和人形――少し前にアキラが見た市松人形だった。
(さっきの猫の声、聞き覚えがあると思ったら……。いや、今は)
「あんな風に走り回ったりして、怪我をしそうで怖いですね。落ち着かせた方が良いのでは?」
アキラは遠まわしに、孫を大人しくさせろ――と車椅子の男性にうったえた。
だが、それに気づかないのか、それとも、無視したのか。
「子供はあれぐらいな方がいい」
元気が溢れ出る孫の悪戯を見守る好々爺の態度を崩さない。
(孫娘が可愛いってのは分かるけどな。それでも、限度ってものがあるだろ)
知らない大人が注意するのでも、女性ならば、男性と違って、威圧はしないだろう。
今の体を便利に思う事に、少なくない躊躇いを感じた時だった。
老店主が手に持っていた何かを落として、カウンターの裏で屈むと同時だった。
「こんな可愛い人形もあるじゃない!!」
レジカウンターの前を一度は走り去った少女は壁を蹴り、フリルを靡かせながら、軽やかに舞い上がる。
フィギュアスケートのスピンの様に、小さい体をくるっと回しながら、その細い手を和人形へと伸ばしていく。
「え!」
少女の意図を察した老店主は血相を変えた様子で立ち上がると、必死に手を伸ばした。
我が子を守らんとする母親の様に、それは必死な形相だった。
「ファァァッ」
カウンター裏で三毛猫も威嚇の一声きをあげる。
だが、皺だらけの指が届きかけた寸前、少女が歓喜の叫びをあげた。
「お爺様ァ! 見つけましたッ!!」
少女は黒髪でおかっぱ頭、市松模様の着物を着た人形。
東人形や京人形とも呼ばれる――市松人形を抱えて、車椅子に座った祖父に向かって走る。
彼女を必死に追わんとする老店主は呼吸の辛さに顔を歪め、床に膝を着いた。
「違います」
老店主は必死に立ち上がると、そう叫びながら、少女に手を伸ばした。
「ゥア」
だが、右足の甲を彼女の靴の踵で上から抑えられた。
否、釘で床に打ちつけられたように、固定されてしまった為、まともに歩く事が出来ずに、左肩から床へと派手に転がってしまう。
「――」
老店主は肩が痛むだろうに、水底に沈んでいく者が空気を求めるように、必死な形相で手伸ばしながら、何かを叫んだ。
しかし、それは今、優れた聴覚を持っているアキラでも、何と言っているのかを聞きとれない声にしかならなかった。
「お爺様! お爺様の言うとおりでした!! こんなカビ臭い店にも、こんな可愛いお人形がありました」
人形を天に捧げるかのように高々と抱え上げながら、走り寄った少女は――。
「お爺様、こちらの方は?」
老店主の手元から、誘拐同然に人形を持ち去った少女を見開いた目で見ている美女。
金色で流れるような長髪の赤いドレスの彼女に、きょとんとした顔を向けながら、祖父に何事も無かったかのように尋ねた。
「さっき知り合った親切な方だよ。おぉ! そういえば、まだ、お名前を」
目の前で起きた出来事を信じられずに、半ば呆然とした状態で、ただ、眺めていた。
だが、老店主が必死に立ち上がろうとしているのを見て、アキラは少女を突き飛ばし、尻餅をつかせる事になろうと構わない――と床を蹴った。
「ッ!?」
だが、少女は迫り来る赤い疾風に怯む事も、体を強張らせる事も無かった。
後ろ向きで円を描く様に歩き、最少の動きで衝突を回避した。
「大丈夫か」
アキラは肩を貸して立ち上がらせんと、老店主の隣にそっと屈んだ。
「あッ! お、おい!!」
老店主はアキラの細い肩に手を振り落とし、その勢いで立ち上がるや、必死の形相で少女に向かって走り出す。
「その子は売り物じゃないッ!」
(子? 人形は人形を作った職人や、人と巡り合せる店主にとっては息子、娘なのかもしれないが)
何かを見落としている気がするのだが、それが何かが分からない。
奥歯に何かが挟まっているようで嫌だ。
そのような釈然としないという表情でアキラは三人の方に顔を向けた。
「ッ!?」
そして、二本の矢を続けざまに心臓に打ち込まれたかのような衝撃を受け、危うく、後ろに倒れかける。
その射手が車椅子に乗った皺だらけの男性と、彼以上に鋭い眼光の持ち主の少女だと分かると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「孫はこの人形を気に入ったらしい。幾らだね?」
車椅子の男性はそう言うと、懐に手を入れて分厚い。
納められている札束で分厚いだけでなく、それ自体が分厚い。
防刃を目的としたかのような財布を抜き出した。
「お爺様。こんな素敵なお人形は初めて見ました」
少女は胸元の市松人形を窒息させんばかりの勢いで、ぎゅっと抱きしめる。
「さっきから言っているでしょう。その子は売り物じゃない」
今にも泣きそうな勢いで叫んだ老店主にパァンと紙の束が勢い良く、投げつけられた。
腕は痩せ細っていたが、投球フォーム自体はしっかりとしていた為だろうか。
それは老店主の顔のど真ん中を捉えていた。
「これで充分だろう」
「金の問題じゃない」
「がめついなぁ」
呆れ顔をした少女は素早く、服の内ホケットに手を入れると見下す笑いをしながら、チャリン、チャリィンと硬貨を次々と床にばら撒いていく。
「これだけ有れば充分だよね」
ぷるぷると手を振るわせ、今にも殴りかかりそうな老店主と薄笑いを浮かべた少女。
二人を遮る壁にならんとばかりに、赤と金色の閃光が割って入った。
「おい。その人形を返してやれ。売り物じゃないって言っているだろ」
アキラは少女の目をじっと見ながら、ゆっくりと、諭すように話しかけた。
「嫌よ。この子は連れて帰るの」
少女は少し前までの仕草からは想像を出来ない可愛らしい声を出した。
国や地球が変わっても、意味は共通なのだろう。
アッカンベーという仕草まで加えて、アキラに返事をした直後、ふわっと、宙へと跳んだ。
否、風船の様に浮き上がった。