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第07話「少女と老人」(1)

 他の部屋の客達が携帯食の残りか何かを与えているのだろう。

 雀達が窓の縁の所に並んで、食べ物をねだる声をあげていた。

 だが、凛子が何も無い手の平を見せると、一羽二羽と飛び立っていく。

 申し訳なさそうな顔で、姿見の所に歩いて行く彼女は一糸纏わない格好だった。


 長さどころか、色でさえ、自由に変えられるのだ。

 もはや意味は無いと分かっている。

 それども、朝の習慣として、(くし)で髪を整えながら、凛子は簡易ベッドに腰かけているアキラに問いかける。


「今夜の事だけど」


 だが、何時までたっても、返事は来ない。


「ねぇ」


 訝しげに首を捻り、薄っすらと苛立ちを混ぜた声を出した時、件の相手はベッドの上で俯いていた。


(これで三度目)


 何度起こしても、少し、目を離した隙に眠りに落ちてしまう。

 凛子は不満げに腕を組むと、昔を懐かしむように遠くを見る目になった。


(格ゲーキャラみたいに、短時間で傷が治るようになっても)


 年に数回、出場している格闘技の大会の初戦で敗退した翌日も、準決勝まで進んだ時でも変わらない。

 日課のランニングをこなす為に起きあがるのが同棲時代の朝の光景だった。

 故に今のアキラの状態に言葉に出来ない違和感、不安を覚える。

 だが、()を信じる気持ちの方が強かった。


(ちょっと、疲れているだけだよね)


 仕方が無いと納得――というよりも、諦めた表情で、程よく、筋肉のついた張りのある全身を鏡に写しながら、凛子は右手の指をパチンと鳴らす。

 すると、女性だけの劇団にも所属を出来そうな美人の全身から、(もや)が立ちのぼり始め、体全体を包み込んだ。

 そして、段々と薄くなっていく靄の中から現れた男性(・・)は、部屋に添えつけのテーブルの所に歩き、置いてあった紙の上でペンをはしらせた。


**  §  **


 更に数時間が経ち、太陽が宿の真上に昇った頃。

 それまで、本来の部屋の住人がいない部屋で一人俯き、微動だにしなかった美女(・・)の両目が勢いよく開く。

 と同時に、色白という言葉では足りない程に、肌に生気を感じさせなかった手足が動き出す。


「ん? んぅ!」


 アキラは右手で首を揉み解しながら、寝違えたのか?――と言いたげな顔でベッドから降りた。


(凛子?)


 凜とした雰囲気の美しい顔を僅かに曇らせながら、アキラは一本一本が繊細で柔らかい髪を左右に振った後、書き置きを手に取った。


(変身能力も、万能じゃないって事か)


 小物を揃えに服飾店へ行って来るね――と書かれた紙をテーブルに戻すと、金色の長髪に白く細い指を突きいれ、不満げな顔で掻き毟る。

 そして、自分の胸元に目をやり、ゆっくりと溜め息を吐いた後、静かに扉を開けて一階へと降りて行った。


**  §  **


 夜は大衆酒場となり、昼間は大衆食堂となる宿屋の一階には、四人用のテーブルが八つと、二人用のテーブルが十個用意されている。

 だが、今日はどちらのテーブルも半分程度しか使われていなかった。


(レッジェとの顔合わせの時間まで、あと七時間ちょいか)


 階段の根元に立ったアキラが寝惚け(まなこ)で、ネジ巻き式の壁掛け時計を見上げている時だ。

 整った鼻に程よく煮込まれた野菜と肉の香りが入り、釣られたように振り向くと、料理を載せたトレイを持った女将(おかみ)と目が合った。


「いい加減な食生活をしていると太るよ」


 分厚い皮エプロンという相乗効果もあり、ぱっと見には太目にも見える。

 だが、よく見れば仕事柄、筋肉がついたのだと分かる女将はスープとパンを載せたトレイを片手で持ちながら、すっと、外の通りを指差した。


「誰か知らないけれど、ごろつき達を掃除してくれたからね。朝昼まとめて食う前に、ちょっとは運動をしてきな」

「ああ。そうする」


 アキラは苦笑をすると、この世界に来る前には欠かさなかった日課の為に夏の陽の中へと歩き出した。


**  §  **


 煉瓦(れんが)や石造りの建物が並び、腰に工具を提げた男達が行き交う大通り。

 そこをティーカップを乗せられるくらいに、後ろ腰が水平に出っ張っている。

 時代錯誤な作りのスカートを履き、日焼けした職人達とは真逆の色白の美女(・・)が納得いかないという顔で、ランニングと早歩きの中間程の速さで歩いていた。

 すると、作業服のような分厚さがあり、揃いのデザインの衣服を着た若者の一団とすれ違った。

 誰もが腰に同じ工具を提げていたが、握っているパンは一つとして同じものがない。

 塩ッ気が強い、香辛料がキツイ。

 味付けが異なるだけでなく、豚肉、鶏肉、野菜のみと具材も異なっているのを、形の良い鼻が敏感に感じ取る。


(味が濃そうだけど、美味そうな匂いだ。なのに)


 彼らの一人が持っていたパン。

 ローストチキン・サンドとでも呼べばいいのだろう。

 その品に特に鼻腔を刺激されるも――。


(甘い物を無性に食いたくなるのは何故だ? 朝、起こしてもらったのに直ぐに眠っちまうし……。俺が無自覚なだけで、頭が疲れているって事なのか?)


 今の自分の状態に不安を抱き、アキラは顔を曇らせながら、少し先にある角の青果店へと歩き出す。


(日本の。俺達の地球の方の日本のとは、やっぱり、違うよな)


 幌で作られた日陰に並べられた果実の山。

 その一つをじっと見ているだけなのに絵になる。

 日焼けが一つも無い色白の美女(・・)アキラに、健康的な焼け方をした中年の女性がそっと、山積みのリンゴの頂点を差し出す。

 反応に困っていた()に、赤毛の女性は苦笑をすると、半ば押しつけるように握らせた。


「商売の邪魔になっていた奴等を追い払ってくれた礼だよ」


 その言葉で、あぁ……昨日の――と気づいた。


「ありがとう」


 その場でリンゴを一齧りし、口の中に広がった甘味と酸味に頬を緩ませる。

 もし、画家が通りがかったなら、青果店も含めた光景を永遠に残さんとしただろう。


(気候も土の質も違うからか、やっぱり、堅さが違う。けど、美味いな)


 アキラは食わず嫌いだったのを後悔しながら、凛子が用意してくれていた皮財布を出そうと懐に手を入れた。


(お土産分も)

「誰か 助けて」


 不意にぼそぼそとした呟きが風にのって、形の良い耳に届き、アキラは緊張を露わにした顔で街路を見回した。

 だが、露天商達は何事も無かったかのように若者達相手の商売を続けている。


(聞き違えた?)


 アキラは釈然としない顔で、再度、周りを見回した。

 同じ状況になった時、気のせいだと考え、素通りする者もいるだろう。

 だが、子供に接する機会が多かった()は聞き耳をたて、凛とした顔を更に引き締めながら歩き出した。


 日除けが薄汚くなってしまった店の前を通り、借り手募集中の札がかけられている店。

 ガラスが割れ、扉の錠も半ば壊れている無人の店。

 それらも窓越しに覗いてみたが、声の主らしき姿は無い。

 時代錯誤なドレスの美女(・・)が泥を気にせずに、(ほろ)馬車の下を覗く。

 それに隻眼の御者は不審の目を向けるも、何も言わずに走り出した。


「マーォ」

(三毛猫?)


 上に跳びあがりたいが足場が無い。

 困った――という表情の猫がいたのは、日干し煉瓦で作られた建物が並ぶ一角。

 とある店舗の前に置かれた傷みは目立つが、骨組み自体はしっかりとした真四角な箱の前だった。

 箱の高さは今のアキラの三分の二程度なので、一片の長さは百三十センチ程だろうか。

 店を引き払う時に不法投棄した? それとも、空き箱を仮置きしていた間に投げ込まれてしまった?

 蓋の隙間から、生ゴミの少なくない悪臭が漏れ出している。

 わざわざ、そのような所に入りたいと思う者はいないだろう。


(この中か?)


 だが、悪ふざけをした子供が落ちる可能性はあった。

 アキラは鼻を摘んで、恐々と蓋を外して、中を覗くも――幸いな事に? 誰もいなかった。

 幾つかのボロボロになった麻袋の山の陰で、ネズミの一団が何かに群っているだけだ。

 他を探すべきだと思いつつも、何故か、その様子から、目を離せない。

 その理由が分からないまま、袋を凝視していると――。


「痛ゥ」


 何かが水平に出っ張った後ろ腰に跳び上がり、更にほっそりとした腰に爪をかけ、その背を駆け上がったのだ。

 そして、それ(・・)は首を捻って、不快感を露わにした肩の主を無視。


「マァァァオ」


 一鳴きで蜘蛛の子を散らすようにネズミ達は四方八方に走り、可憐な着物を齧られていた被害者(・・・)が現れた。


(ッ!?)


 黒髪でおかっぱ頭、市松模様を纏った女児を模した姿。

 こんな街路には、あまりに場違いとしか思えない。

 そして、アキラには『カーミラ』のキャラクターを連想させる和人形だった。


「ムァァァオ」


 驚きで目を見開いていたアキラの肩から、三毛猫が飛び降りると、ネズミ達のパニックは加速。

 次々に箱の内壁に、また、別のネズミにぶつかっていく。

 だが、陰で見え難いが、箱の隅に彼等ならば通り抜けられる大きさの穴があった。

 一匹がそこから脱出に成功をすると、鉄砲水のように次々にネズミが流れ出ていく。


「マァァ」


 三毛猫は尻尾をぴんと立てると、小走りで市松人形に近づいていく。

 子猫を咥える母猫の様に人形の首を噛んだが、ネズミ達が逃げ出した出口(・・)は通れない。


(いや、動いている様子も無いし……ただの和人形?)


 もし、自分達の様な存在であるならば、ネズミ達に抵抗をしていたはず。

 それをしないという事は――。

 それでも、納得しきれない顔で、アキラは猫達を凝視し続けると、人形に口を塞がれた三毛猫がじっと見上げられた。


「ほら。抱っこしてやる」


 物欲しそうに自分をじっと見ている猫を助けんと、アキラは上半身を木箱の中へ。


(――ッ! ――ォア!!)


 河童のとは違う臭さに美しく整っている鼻を突かれ、顔を顰めていると頭を踏みつけられてしまった。


「ァァオ」


 人形を咥えている為、声を発し難いだろう。

 それでも、ありがとう――とばかりに、出っ張ったスカートの上で鳴くと、三毛猫は走り去った。


「うぅ……染みつかないだろうな」


 憂鬱な顔でアキラは臭いを払い落とさんと、ドレスを(はた)きながら、通りを八の字を描くように往復。

 しかし、声を発したはずの誰かを見つけられない。


(結局、風の音を聞き違えただけか)


 捜索が無駄になった事に安堵の一息を吐いた時、アキラはとある店の年老いた男性と目が合った。

 その木造作りの建物の道路に面したガラスウィンドウの側には、女の子向けだろう人形達が座っている。


(おもちゃ屋? 覗いてみるか)


 冷かしに罪悪感を覚えるも、好奇心には勝てなかったアキラが堅い木製の扉を潜った。

 白とダークブラウンが交じった髪の店主が几帳面なのだろう。

 清掃が隅々まで行き届いており、目につくような埃は一つとして落ちていない。

 ただ、(のり)特有の臭いや薬品らしき何かが、人間よりも優れた吸血鬼の五感を突き、アキラを(むせ)させた。


「いらっしゃいませ」


 キャッシュレジスターを操作していた老店主が声をかけた。

 レジと言っても、ハンドルを回し、内部の歯車を動かすタイプだが、全てを手でやるよりは効率的で、防犯効果も期待を出来る。


(博物館でしか見られない。そんなレジのご先祖様だな)


 アキラが差し込む太陽光と壁に固定された燭台(しょくだい)

 優しい灯りに照らし出された店内に目をやらずに、じっと、見ていたからだろう。

 老店主は自慢の孫を紹介するかのように、喜色満面で語りかける。


「こんな店には似合わないとお思いかもしれませんが、最新式なんですよ」

(こんな店?)


 訝しげな表情でアキラは店内を見回し、見事なまでに整然と並べられている品々を見た。

 五十坪程の店内には、規則正しくテーブルが配置され、その上に種々様々な品が乗っている。

 手前の方には手や指を飾る物が、奥の方には髪飾りがあった。

 出入り口から見て、反対側にずらっと並んだ棚には装飾豊かな書籍、奇妙な形の面や彫像が収められている。


(おもちゃ屋じゃなくて、アンティークショップか)


 共通点は、どれも年代物という一点だった。


(冷やかしになるのも嫌だし、今夜の晩餐会用に俺も何か着けていくかな)


 アキラがブレスレットに目をやっていたからだろう。

 ショッピングを楽しんでください――という表情の店主はレジスター操作を再開し、店内に並べられている作品達と同じくらいに時代の違いを感じさせるドレス姿のアキラも店内の散策を始めた。


「マーォ」


 だが、店主の作業はまたも中断させられてしまう。

 カウンターの裏での一鳴きを聞くや、店主はそっと屈み込んだ。


「おかえり。お前達。外は危ないんだ。あまり、出歩かないでおくれ」


 ゴロゴロと喉を鳴らしながら、三毛猫が店主の足に体をこすりつけ始めた。

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