第05話「用心棒」(2)
凄まじい音で揺さぶられたのが引き金となったのだろうか?
アキラは同じような経験をした数年前のショーを思い出していた。
何の前触れもなかった。
だが、耳元で大声をあげられ続けているかのように、言葉と認識出来ない音が延々と右耳に飛び込み続ける。
立っていられないが、ショーを中断するわけにはいかない。
その思いだけで、アキラは必死に立ち続けた。
しかし、まともに動けないのに、ショーを続けるなど出来るはずがない。
それが分からない程に、意識が混濁していた。
だが、その時、彼は一人ではなかった。
怪人の『中の人』はアキラの異変に気づくや、タックルを仕掛け、抱え上げるとステージの陰へと運び込んだ。
「レッドが!」
「なんて強い怪人なんだ!!」
そして、ブラックとブルーが即座にアドリブを入れた。
彼等のおかげで、ショーの流れを切らさずに一時離脱出来たアキラはマスクを脱ぎ、壊れたイヤホンを外す事が出来た。
だが、今は――単独で二人を相手に、一切の筋書きが無い戦いをしている。
けど、今は――見栄えを気にせずに、一切の制限が無い状態で動ける。
故に、まずは体勢を安定させんと、腰を深く落としたアキラの眼前で、四個目の風船がプクゥと膨らみ始める。
(走るくらいしか出来ない……ならッ!!)
酩酊しているかのように、前後左右に揺れ動いている。
優雅に歩くのが絵になる美女が、真逆の荒々しさで動く。
一歩、二歩と杭を打ちつけるように、ドスドスと音をさせそうな勢いで床を踏みながら、水蒸気を全身から放つ。
四つ目の風船がエルフの口を離れた時、アキラは霧を纏っていた。
そして、風船は半透明な幻想的な姿となった美女が文字通りの幻かのように突き抜けていく。
「小癪な技を!!」
怒号とも呆れともとれる声を背後から浴びながら、アキラはエルフに覆い被さり、何事も無かったかのように突き抜ける。
「うぉぁぉ!」
突然、冷水を浴びせられたような顔で目を見開き、両手足をピンと伸ばした体勢でエルフは固まるも、ゆっくりと緩慢に腰を捻り始めた。
だが、振り返りきる前に細さを浮き出させている赤い袖が伸び、細く白い指先が研ぎ澄まされた刃物のように彼の顔面で広がった。
「ガァッ」
無理やりに振り返らさせられたエルフは、顔面を掴んでいる相手を突き飛ばさんと必死に両手を振り回す。
だが、くぐもった悲鳴をあげる中、何事も無かったのかのように、片手で吊り上げられてしまう。
「せぇぃッ」
その白く細い腕からは信じられないだろう怪力で、ドガァッと背中を床に叩きつけられた。
軋む音を鳴らしたのは背骨か、床か。
それを知るのは呆けた顔をしたエルフだけだ。
確実に気絶をさせようと、右手で顔面を抑えつけながら、しっとりとして輝かんばかりに艶やかな左拳に力を込め、アキラは一気に振り上げる。
だが、これは一対一の戦いではない。
全身を覆った鎧の重さ故に、参戦が遅れていたものの――危機の相方を救わんとドワーフが跳んだ。
否、飛んだ。
文字通り、飛んでいた――自身を弾丸として。
「ァグゥ」
脇腹に重い。とても重い。
フットボール選手のタックルのような一撃を打ち込まれ、アキラは車に撥ねられたように飛ばされた。
ガッン。
使われていなかったテーブルの上に乗り上げ、そのまま、転がり落ちようと速度は落ちない。
ぶつかった椅子の一つを壊した後、繊細で柔らかく、艶やかな金色の髪を乱し、苦痛で顔を歪めている。
そこまでして、ようやく立ち上がれたアキラの眼前で、ドワーフは懐から小瓶を取り出していた。
エルフの先程の攻撃を。
音響兵器とでも言うべき一撃を連想し、身構えた彼の前でドワーフは小瓶の中身を、どばどばとエルフに振りかけた。
(気付け薬?)
「ふん。いつも言っとるじゃろう。体を鍛えろと」
呆れ顔をしたドワーフは溜め息混じりに、濡れ鼠になろうと動く気配のないエルフに声をかけた。
「嬢ちゃん。今度はワシの相手をしてもらおうか」
ニィッと笑うと、どっしりと腰を落として、金属で覆われた右拳を突き出す。
「この後、ベッドでも、ワシ等の相手をしてもらうからな。顔は傷つけんでおいてやる」
品の無い笑みを向けられ、苦虫を噛んだアキラは唸り声をあげそうな勢いで睨み返すや、飛ぶように床を跳ねた。
宙を舞う紅いスカートの中で白く、細い。
だが、力強い足の膝が静かに曲げられた。
(娘っ子の蹴りなぞ)
振り払うのは容易。
足首を掴んで叩き落した後、圧しかかって、公衆の前で豊かなバストを楽しむのも一興。
そのような思いを抱き、野卑た笑みを浮かべていた為に、ドワーフは気づくのが遅れた。
何時までたっても、スカートの中から、足先が一向に飛び出さない。
スカートが眼前まで迫ってから、慌てて、体を捻ろうとするも遅かった。
「ベェェッ」
堅い皮製の兜で守られていようと、頭は生物の急所の一つである。
「せぇぇィ」
側頭部に膝を打ち込まれ、視界が揺れていたドワーフの頭部に更に肘の一振りが加えられた。
「ぁがッ」
頭の天辺から、足元へと突き抜けていく一撃に呻き声を漏らすと、ドワーフは顔面から床に倒れこんだ。
(こんな見た目のせいで、油断されていたんだろうな)
今の自分の容姿ゆえに、簡単に勝つ事が出来た。
今の自分の容姿だから、性犯罪の対象になりかける。
憂鬱な顔をしていたアキラの背後で、カタンと椅子が動いた。
「さっきは不意を突かれたが」
素早く振り向いたアキラの眼前に、右手に複数本が重なったかのように見えるデザイン。
否、注意深く見れば、本当に複数本が重なっていると分かるナイフを。
左手に古びた護符らしき紙を握り、顔から液体を滴らせるエルフが立っていた。
(『M&M』で消費アイテムだった投げナイフと……あれは何だ?)
ゲームで見たのに酷似した武器。
そして、風船型の音響兵器を吐きだせるようになる液体のように――まったくの未知の道具。
躊躇いは一瞬。
距離を詰めんと、アキラが踏み込むと同時だった。
指先と手首を回転させたエルフの手の中から、ナイフが二本、一拍もおかずに飛び出す。
(何て速さだ!!)
思わぬ連射速度に驚くも、アキラは一本目のナイフを右手の甲で弾く事が出来た。
二本目を体を逸らせる事で回避すると同時に、その体を霧へと変え始める。
だが、エルフは全てが予定通りだとばかりに、冷静な表情を崩さない。
左手に握っていた古紙を自身の眼前で構えるや、三本目と四本目の刃を撃ち出した。
「<破り>」
瞬間、エルフの左手を中心として、夏の部屋の中が更に熱くなる。
掲げられていた古紙が瞬時に燃え上がったのだ。
(な!?)
動かなかった足が。
痛みも何も感じなくなった足に突然、痛覚が戻った。
まるで、無くなっていた両足が戻ってきたかのような感覚にアキラは足を止めてしまう。
「ゥ……アガッ」
そして、刺すような――ではない。
左胸部を貫く痛みを感じて、零しそうになった悲鳴を必死に飲み込んだ。
だが、右胸と三角筋のちょうど中間にも鋭い一撃を撃ち込まれると、目を見開くと共に苦鳴を遂に漏らした。
(何だ? 何をされた?)
「非実体化するのには驚かされたが」
困惑するアキラに対し、難題を前にした学生に講義するようにエルフは溜め息混じりに余裕の表情で淡々と語る。
掴みあげられ、気絶させられた過去など無いとばかりの堂々たる振る舞いだ。
「対処方法は用意している」
(そうか。俺は女吸血鬼の『霧化』を無効化されたのか)
『M&M』では――。
一部のボスキャラクターは自分や配下を強化したり、反対に敵の能力を低下させる技を使う。
そうやって、本来以上の強敵として、プレイヤーの前に立ちはだかる。
だが、それらもゲームの進め方次第では、相手の技を無効化するアイテムで対抗を出来た。
(あんな札はゲームで見た事は無いが、燃え尽きたって事は使い捨て……。だが、あと、何枚持っている? 他に何を出来る?)
何が起きたかを理解出来ると同時に、不安も沸き立つ中、背後で聞こえたのは、誰かが立ち上がる音と――。
「ワシは四つん這いにさせた娘にいれるのが好きじゃからな」
聞く者を不快にする野卑た声。
故にアキラは苦虫を噛んだ顔を更に曇らせる。
「ベッドに運ぶ前に、膝から下を砕いておくか」
ドワーフはそう宣言をする前に、腰に提げていた槌を放っていた。
だが、それは何も無い空間を突き抜けていった。
品の無い男の『己の性癖』告白を聞いた直後に、アキラは白く細い左足を軸として腰を捻った。
その直後、ほっそりとした腰の側を槌が通り過ぎたのだ。
右足先を床に着けた時、その全身から、水蒸気が立ち昇り始め、足が床を蹴る三度目には霧と入れ替わっていた。
「相棒が言ったじゃろう」
猛スピードで迫ってくる霧を見て、ドワーフはニンマリと笑みを浮かべる。
「対処方法は知っていると」
赤銅色の金属に包まれた右手が霧に向かって伸びた。
お世辞にも素早いとは言えない。
最も、速いも遅いも関係は無い。
そもそも、霧とは掴めない自然現象なのだから。
だが――。
「なッ!?」
ドワーフの右手が突き入れられると同時に、霧が掻き消える。
代わりに、重々しい金属で覆われた手に肩を掴まれ、口をポカンと開けたアキラが現れた。
「ふんッ」
ドワーフの手の動きに合わせて、同年代の平均よりも軽い体となったアキラは軽々と体勢を崩されてしまう。
「くゥ」
必死に転ぶまいとアキラは美しい顔を顰め、足を動かした。
すると、即座にその額に向かって、堅い兜で守られたドワーフの額が振り落とされる。
「がッ……ァゥ」
赤い紅が塗られた唇から飛沫が飛び、アキラの右足は折れたように歪んだ。
だが、倒れまいと――体を支える物を求めて、両手が素早く伸びる。
反撃に繋げんと――両足も動く。
ちぃ。
兜を掴まれたドワーフが忌々しげに舌打ち音を鳴らす。
それを合図としかのように、スカートに隠された両膝がリズミカルに上がる。
イチ、ニィ、イチッ、ニー。
右膝、左膝、右膝、左膝。
だが、苦痛で顔を歪めたのは、腹に何発も叩き込まれている側ではない。
仕掛けている側の方だった。
「ふぅぅッん」
それは体内にある空気全てを吐きださんとばかりの一声。
肘のばねと手首だけを使った裏拳の一振りを、ドワーフはお返しとばかりにアキラの腹へと叩き込んだ。
「ァ」
眼球を激しく揺らしながら、アキラは悲鳴をあげる間も無く、床に倒れ落ちた。
「足癖の悪い娘っ子。面白い技も使うようだがな」
ドワーフは地に伏した敗者を哀れむように静かに語ると――。
「鍛え方が足りんぞ」
見せつけるかのように、力強く右拳をぎゅっと握った。
「何発食らおうと耐える体と、一発で勝負を決めるパワーがあれば……技など不要」
「筋肉馬鹿が」
呆れ顔をしたエルフは溜め息混じりに語ると、床に転がったままのハンマーを拾ってやろうと屈み込んだ。
「もやし小僧が」
ドワーフが鼻息荒く、薄笑いをした時だった。
「どちらも違うわ」
唐突に誰かに会話へ割り込まれ、二人は同時に視線を向け、同じ事を思う。
(女? いや、長髪の男?)
本来の自分の姿になりつつも、着ているのは男物の――アキラのワイシャツ。
そのよう姿格好の為、ぱっと見では性別不詳の東洋人――凛子は自分を見上げる二人に意味ありげに微笑んだ。
「ほぅ。ならば主の答えは?」
「自分で確かめてみたら」
力でも、技でもない。勝負を決する何かを持つ者。
それが勝ち誇るように笑った第三者の視線の先にいると分かり、二人は静かに後ろを振り向いた。