第04話「川辺の怪」(3)
一見、ふざけた連撃だったが、それは結果として、極めて効果的なものとなった。
宙を飛んでいる――とまでは言えないまでも、地に足が着く瞬間に、新たな一撃を打ち込まれる。
浮き上がらせられた状態が続く為、反撃の為に踏ん張る事が出来ない。
空中で苦し紛れ的に足先を振るっても、充分に腰が入っていない状態での一振りなのだから、のれんに腕押しだ。
「いゃっはっあッッッ」
一方的に相手を蹂躙している状況が、より興奮を招いたのだろうか?
河童は奇声をあげるや、突っ張りの速度を更に速めた。
「ァゥ」
ギシィ。
軽量とはいえ、大人の女性一人分の重量をぶつけられた木製の柵が悲鳴じみた軋み音をたてる。
直後、河童は後ろを確認しないで跳び、柔軟な体の女性だけが出来る鋭角で振り上げられた右足が、風切り音と共に空を裂いた。
「真っ赤な薔薇型のガーターベルトと、絹のタイツはお洒落なのに」
地に足を着けるや、素早く腹ばいになっていた河童は顎に手を当てながら、真剣な表情で語る。
「だっせぇパンツ」
美女となったアキラが大きく振り上げた足の付け根を。
否、股の間を評論家じみた顔で凝視していた河童は、心底落胆したという声を出すと立ち上がった。
下着なんて、見られたところで気にする必要はない。
そう思っていたアキラに考え直させる程であり、怒りに駆らせて走らせる評だった。
抱きしめてやらんとばかりに、河童は水掻き付きの両手を全開で構え、腰を落とすと両足も大きく開いた。
荒い息を吐きながら、走り出したアキラの全身から、薄っすらと水蒸気が立ちのぼり始める。
スカートに隠された左足が地に着き、次に右足が続く度に、その姿は薄ぼんやりとしたものへ。
やがて、その姿は夜闇に溶け込んだように、目を凝らさなければ見えない姿へと変わっていた。
(何だ? 体が?)
眼前で跳んで――回し蹴り、もしくは、頭を掴んでの膝蹴り。
相手の反応に注視していたアキラが違和感に気づけたのは、正に跳ばんとする一歩手前だった。
もはや、この勢いでは、腹側の甲羅を踏み台にして、跳ぶ以外では、衝突を回避する手段が無いという状況。
だが、足を振り上げようとしても、まるで存在しないかのように動かない。
(折れたとかじゃないのに……何で感覚が無いんだ)
優雅に紅茶を飲むのが最も絵になるだろう姿には、最も不釣り合いな表情でアキラは、凍ったように動かなくなった河童に衝突を――しなかった。
そう。河童が蜃気楼か幻だったかのように、何事もなく突き抜けたのだ。
「ちィッ」
何を仕掛けてこようと、受け止めてやる。
そのような表情をしていた河童が慌てて、後ろを振り向くと、呆然とした表情の美女が自身の手をじっと見ていた。
「霧かも出来るのかよ。そこそこ、腕もたつみたいだけどなッ! 技を暴発させるなんて、対戦では命取りだぜェーー」
格闘ゲーム『カーミラ』では、レバーを相手方向に続けて二度倒す事で、素早く移動をする『ダッシュ』が出来る。
そして、女吸血鬼の場合、キャラクター固有の能力として、体を非実体の霧に変えて、相手をすり抜ける事が出来た。
(対戦? 技の暴発?)
それらキーワードから、アキラは河童が格闘ゲームの経験者である事を連想。
(こいつも俺達みたいに、ゲームのキャラになって)
次に相手の正体の推理へと繋がった。
(この河童は『妖之砦』のか!)
『妖之砦』とは――。
誘拐された姫を救う為、槍を片手にした侍が妖怪達の巣食う砦に乗り込むという(株)POPCOを代表する高難易度の横スクロールゲームの一つだ。
(やっぱり、格闘ゲームだけが現実化したわけじゃないのか……。いや、そんな事よりも、元の世界に戻る為に)
休戦を呼びかけようとアキラが口を開くのと同時だった。
「女ゲーマーはこれだからッ」
格闘ゲームの初心者だから、技を暴発させた――ではなく、女性プレイヤーだから、技を暴発させた。
偏見に満ちた嘲りの表情を向けられ、アキラは唇をぎゅっと結ぶと、鋭い目を向けた。
「もらったァ」
霧になれるという技は一見便利なようであるが、元の姿へ戻りきるまで、何も出来ないという弱点がある。
但し――。
「せいッ」
弱点を『知っている」と『突ける』は別である。
そして、性懲りも無く――胸元に向かって、直線で飛び込んでくる相手に一撃を打ち込む。
魅せる為の戦い――殺陣と、台本の無い戦い――格闘技試合で、様々な経験を積んできたアキラにとって、それはあまりに容易な事だった。
「ヴェッ」
空中で顔面に右拳を叩き込まれ、言葉にならない声をあげて仰け反った直後に――。
「せぃやぁッ」
顎に左拳を打ち込まれ、浮き上がり、無防備な体勢になるや――。
「いァァッ」
シャァァッ――と空を裂いた右回し蹴りを、甲羅で守られているとはいえ、脇腹に打ち込まれたのだ。
自動車に撥ねられたように、勢い良く地面に叩きつけられた後も、河童は何も出来ずに転がり続けた。
(くそッ。やり過ぎたか?)
横転が緩やかになり、止まるも、苦鳴をあげる事も出来ずに、ただピクピクと痙攣をしているのをじっと見た後、苦い顔をしたアキラは大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
それを二度繰り返した後、静かに構えを解いた。
(甲羅があるから、大事には至っていないと思うが)
憂鬱な顔で黄金の長髪を乱暴に掻き毟ると、食堂の方へと歩き出す。
(ゲームだと、蛙みたいに飛び跳ねるだけだったけど、こいつには『中の人』がいる)
足を止め、後ろを振り向いたアキラは遂に気絶をした河童を見ながら、ほっと安堵の息を吐く。
(しかし、昔話みたいに、水中に引きずり込まれなくてよかった)
この時、アキラは二つの間違いを犯していた。
一つは、勝敗が決したと思ってしまった事。
そして、目の前の存在が何者なのかを確かめなかった事。
ちゃんと、考えるべきだったのだ。
自分達のように、格ゲープレイヤーの誰かが、愛用キャラに酷似した姿になったという可能性も。
** § **
音も無く、気配もさせず。
まるで幽鬼のように、河童がゆらりと立ち上がったのは、アキラが重ねられた椅子の側で屈んでいる時だった。
(痴漢と手を組むのは嫌だが、俺達のいた地球に帰る方法を見つけるには人手がいる。とりあえず縛って、逃げられないようにしてから)
凜とした美しい顔を曇らせながら、物陰に隠しておいた背負い袋の紐を緩めていく。
「第ニュラウンダァーーー」
たどたどしいが聞きとれない事はない。
背後からの不意の叫び声に、アキラは反射的に立ち上がると同時に跳んだ、
(もう起き上がった? もっと強く入れておくべきだったか!?)
宙を舞ったスカートが主の体の捻りに追随して、夜風をすぱっと切った。
氷上のバレリーナのように、着地と同時に踵でブレーキをかけながら、アキラは叫び主の姿を確認する。
放置をし過ぎた虫歯が悪化したかのように、左頬側が酷い事になってはいる。
だが、河童は両足でしっかりと、大地を踏みしめていた。
「シュモキュタの河童と呼ばッたぅれ様が、同ュ格ゲーキャラ相ェ」
(ん! 今、同じ格ゲーと言った?)
握った右拳を前に構えていたアキラは口をポカンと開け、かっと目を見開いた。
(だが、POPCOの格ゲーに妖怪なんていないぞ……。ロケテスト中の新作? いや、それよりも)
肩まで下りている長い金髪を風の中に泳がしながら、アキラは夜闇を振るわせる声を響かせる。
「俺もお前と同じように、別の地球から、ここに来て」
一旦、言葉をきり、顔を曇らせた後、ゆっくりと口を開き直した。
「この格好になっていたんだ。なぁ。俺達のいた地球に帰る為に」
「うるしぇ。しゅう言ぇて、ぉ断させゅて、俺を捕ぁえる気わなッ」
しかめ面の河童を目を細めると、口ばしの先から、唾を飛ばす勢いで叫んだ。
「にゅ度も騙ぁぃねぇど」
宿での凛子との会話を思い出し、アキラは躊躇いがちに舌打ち音を鳴らした。
(やっぱり、俺達以外にも、ゲームキャラになった奴がいて……そいつにも、痴漢として捕まえられかけたのか)
アキラはうなだれると、諦め顔で、頭を素早く左右振るった。
(なら、その誰かも見つけて……)
そして、腰を深く落とし、右手を前面に突き出しながら、開いた左手を腰の所に構えた。
「格ヴェーで女相手ィ負けっぱなしゅいにはいァねぇぇぇ」
強張った表情のアキラが拳をぎゅっと握ると、その爪先が手の内に食い込んだ。
(女の格ゲープレイヤーは少ないから、必然的に強い奴とは出会い難いってのは確かだけどな)
「女が格ゲーで弱いなんてのは思い込みだ。それと、聞けッ! 俺は――ブェッ」
男だ――と言おうとしたが、今度も言えなかった。
河童の大きく開かれた口から、猛烈な勢いで噴き出し始めた水を顔面に叩き込まれ、アキラは尻餅をつかせられた。
「けぇッ ふぇ」
口内に入った水を必死に吐き出すアキラを前に、河童はゆっくりと嘴を閉じると腰を落とす。
(まずい。やられた)
アキラは霞む視界を快復せんと、左手で目元を必死にマッサージ。
右手をぼんやりと見える相手に向けて、腰を落として構えをとっていたが、攻め入るチャンスなのは明らかだ。
だが、河童は仕掛けない。
その代わりとばかりに、左右の足を交互に高々と掲げては地を踏み、夜闇に力強い音を響かせる。
音が段々と重くなるにつれて、アキラの頬を流れる冷たい汗の量が増していく。
(そうか、こいつは)
アキラは自身の心臓の鼓動が急激に速くなっていくのを感じた。
(Gセンに載ってた『御江戸バスター』の河童だ)
『御江戸バスター』とは――。
徳川幕府の弾圧に怒った妖怪達が、江戸城に攻め入るという設定の対戦格闘ゲームである。
本作の特徴は操作を出来るキャラクター全員が日本の妖怪であり、実写取り込みである事。
そして、勝敗決着時には、スプラッター映画ばりの止めをさす事も可能である。
惨殺の演出は内部設定で無しにする事も出来るが『全体的に暴力描写がきつ過ぎる』と、入荷を控えたゲームセンターが多かった。
ドォッン。ドォォン。ドォォッン。
夜の川辺を揺らす河童の体から、湯気が二人を照らす月に向かって立ち昇る。
遠目にも分かる程にぬめぬめした肌は、風呂でのぼせる寸前のように赤く染まりだした。
(地元のゲーセンに入らなかったから、一度、現物を見たいとは思っていたけど……。まさか、こんな形で)
全身が熱くなり、視界が霞み始める。
それは、歴史的な猛暑日のヒーローショーの午後の回が終わり、握手会が始まった時の事を。
ブラックやブルー達が体調不調を訴えた為、一人で子供達全員との交流を担当する事になった時を。
司会のお姉さんの必死の仕切りも虚しく――周りを子供達に囲まれた時の事をアキラに思い出させていた。
(何だ。何が起きてる!?)
四股には色々な意味があるとされているが、『御江戸バスター』の製作者達は、大地に巣食う邪まなモノの活動を封じ、同時に大地に住まう善きモノを目覚めさせる行為だと解釈。
自分達が作ったキャラクターの河童の四股という技に、大地から力を取り込む事で自身を強くする。
反対に対戦相手の力を封じる事で弱体化させるという効能を与えていた。
(これはダメージの蓄積じゃない)
風邪での高熱に苦しめられている時のように、しっかりと立っている事が出来ない。
突然の不調の理由が分からない為に顔を歪めた美女の前で河童の口が開く。
茹で上がったように、真っ赤かに火照った全身から湯気を立ち昇らせながら――大きく。それは、それは大きく開いた。
「ぃまの俺は、さっきまでのぅれとは違うからなッ」
頬の腫れが大分沈静化し、発声が正常になりつつある河童がどっしりと腰を落とす。
鋭い眼光を放ちながら、悠々と告げる。
(俺がカーミラの技を使えるように、河童もゲームでの技を使った? だが、どんな技だ?)
手足を思うように動かせない。
アキラは水中でやっているかのように苦しそうに構えを作っていく。
(水の噴きつけ以外に何を出来る?)
必死に記憶を辿り、記事の内容を思い出しかけた時だった。
「にゅぇちゃんの柔らかい骨なんて、うっかりすると、折っちまうからぁ! とっとと、ギブアップしゅぉ!!」
勝負に待ったは無い。
故にアキラは唇をぎゅっと結ぶと、一挙一動を見逃すまいと眼前の敵に意識を集中させた。