第01話「二度別れた元彼女と週末の夜を」(1)
とある夏の金曜日の夜。
正確には土曜日の0時過ぎ。
マンションの一室に置かれたブラウン管テレビの前、横長に並べられたテーブルの上へ肘を乗せる体勢で一組の男女が並んで座していた。
其々が左手でレバーを握り、残る右手の指がピアノの演奏をしているかのように、横三つ縦二つに並べられたボタンの上をはしる。
だが、鍵盤に対するような動かし方ではない。
「ねぇ」
ボブカットでワイシャツ姿の女性が隣に声をかけた時、その小さい左手はレバーで四分の一の円を描き、細い右手の指先はボタンを叩いていた。
「しない」
男性が右上のボタンを押すと同時に、TV画面に映し出されていたゲームキャラの一人が。
ゆったりとした袖のアンダースリープの白さをアクセントとし、肩から足先までを一体化させるのではなく、腰の位置で分ける形の1800年代後半のドレス。
歪な釣り鐘のように見える二枚重ねのスカート。
血のような赤黒さを基調とした上半身部よりも、更に鮮烈な赤を纏った女性キャラの拳が、その豊かな胸元に向かって、猛スピードで伸びてきていた指先を打ち払う。
そう。
比喩ではなく――手の持ち主の腕が、成人男性を象ったような姿形の黒い靄の右腕部が伸びたのだ。
「まだ、何も言っていないんだけど」
『凍てつけッ』
その凛とした風貌から連想出来る通りの鋭くも美しい。
真冬さえ凍りつかせるかのように冷たいが、気品のある一声と同時に右手がピンと伸びる。
ゴォォォッと気温が急速に下がっていると想起させる音と共に雪のような指先から、これぞ純白という粉吹雪が吹き出していた。
「あァァッ! 読まれてたァッ!?」
『#%*+/-』
女の叫びも虚しく、人間には意味を理解するどころか――聞きとる事さえ出来ない断末魔の叫びを靄があげながら、人の姿をした氷の塊へと変わった。
そして、画面は乱暴にペンキを浴びられたように断片的に赤く染められる。
『K. O.。カーミラ・ウィン』
「ねぇ。イーブンなんだしさ。次を最後にしようよ」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐くを繰り返している対戦相手を見ながら、女性は問いかけた。
『ラウンド・スリー』
「いや、今のが百戦目だ。最初に決めたように休憩をいれよう」
(不完全燃焼みたいになるのは嫌だが、ずるずると続ける事になりそうだしな)
そう言うや、男性はごつさはないが、鍛えられている事がわかる指先をゲーム機のリセットボタンに。
猫達に踏まれ、悲鳴をあげた子ども達の声をうけ、ぐいっと押し込まないと駄目なように改良されたボタンに指をかける。
「あァァッ!」
妙に艶っぽい悲鳴じみた叫びを聞きながら、男は握り続けていたレバーから、そっと左手を離す。
TV画面が暗転し、ゲームの発売元である(株)POPCOのロゴが表示された。
続いて、古典を連想させる音楽が奏でられる中、画面の中央に薄っすらとした人影が現れる。
少し遅れて、女性も両手を離すと、むすっとしていた顔をゆっくりと、全力を尽くした結果に満足。
そう言いたげな顔に変えていく。
そして、先ほどまで、競い合っていた二人は――静かに隣の相手をじっと見つめあっていた。
「ん? 何? 惚れ直した?」
全てが凍りついたかのような静寂を動かさんとばかりに、小首を傾げた女性が問いかける。
女性だけの歌劇団で男役を務められそうな端正な顔立ちからは、誰も想像を出来ないだろう。
そのような可愛らしい声で。
「あ、いや」
声に反して、顔立ちが中性寄りの男性は何かを言いかけては、それを呑み込もうとばかりの勢いで口を閉じた。
「ねぇ。夜通しで対戦ゲームの練習に付きあってくれる女の子なんてさ。めったにいないんだよ」
女性はそう言うや、襲いかかるように――実際、カーペットの上に座っている状態から、器用に横に跳んで距離を詰めると手を伸ばした。
「だから、よりを戻そうよー」
「おいッ」
不意を突かれ、避けられない。
だが、下手に払いのけると、怪我をさせかねない。
結果、男性は組み敷かれ、遂には馬乗りになられてしまった。
「コスプレHをさせてくれる女の子も、めったにいないよー」
男性が何とか立ち上がろうと、右手を床につけるも、手を覆い被せられてしまう。
「俺にもさせるじゃん」
男性は嫌な何かを思い出したように顔を顰めると、ぼそっと呟いた。
「えー。二人で楽しもうよ」
女性の目は草食動物を狙う肉食動物のように、爛々と輝いていた。
「時々、俺に女装をさせるし」
「その時は私が男装をするし」
女性は抑えるのに使っていた右手を離すと、その指先を口元にやりながら、左手を自身の豊かな胸元にやる。
そして、男性の視線の移動に気づくと、満足気な笑みを浮かべた。
「そういう時、上に乗るのは私なんだからさ……別にいいじゃん」
自身のスタイルの良さを強調せんとばかりに、組んだ両腕で双丘を押し上げる。
「今みたいにさ」
女性は蠱惑的に囁きつつ、右手を後ろへ回して、その指先を弄るように動かした。
「ッ。それでイベントに参加もさせるし」
何かを堪えるかのような男性の声を聞くや、あと、もう少し圧せばいける――と言いたげに女性は勝ち誇った表情を浮かべる。
「いいじゃん。女装コスプレをしている時、アキラが男だって、誰も気づかないんだし」
「トイレで並ぶとさ……『間違えていますよ』って言われて面倒くさいんだよ」
「似合うからいいじゃん」
「帰る時に更衣室に並んだ時も。だから」
断る――男性がそう告げようと口を開けた瞬間、それを待っていたかのように、女性は勢いよく体を重ねた。
** § **** § **
そして、誰もコントローラーに触れない時間が長かった為、暗く重々しいが陰鬱さは無い曲を背景に、コンピューターが操作するキャラ同士が戦うデモ画面の再生が自動的に始まっていた。
『マミー ・ヴァーサス・ドール』
息苦しさと体の密着が生み出した熱から逃れんと、男性が体を動かすと――女性が抑え込む力を更にかける。
TV画面の中では試合開始早々、全身を布で包んだ男が右手の先から伸ばした包帯を、自分の身長の三分の一以下という小ささの日本人形に巻きつけ、一気に引き寄せていた。
『スラッグ ・ヴァーサス・ミスターフライ』
男は逃れようと、匍匐前進をするように背中で床を這った。
連動するかのように、新たに画面の左側に映されていた巨大なナメクジも地面を這い始めた。
女性が男性を逃すまいと動くと、画面の右端から、ハエ男がふわっと浮かび上がる。
「ハァッフ」
遂に息苦しさに耐えかねた男性が強引に払い落とそうとした瞬間、女性が重ねていた唇をそっと離した。
何度も息を吸っては吐く様子を楽しげに見下ろしながら、女性はゆっくりと腰を浮き上がらせる。
『カーミラ ・ヴァーサス・アンノウン』
床に寝転がったままの男性を見下ろしながら、女性が襟元に指先を入れた時、TVにはドレスをまとった美女と無数のタコ足を生やした奇怪な生物が映っていた。
「通算4:6くらいで負け越したけど」
そう言うや、紳士の決闘で手袋を投げつけるように――さっと脱いだ上着を男の顔に被せた。
「次は負けないから」
女性は立ち上がりながら、器用にブラジャーを外し、続いてスカートのホックにも手をかける。
「シャワー借りるね」
長年住み慣れた家であるかのように、女は迷い一つ無くバスルームへと消えていった。
その過程に点々と着ていた衣服を。
童話で通り道にパンくずを残していくように、脱ぎ落としていきながら。