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人形の家  作者: まきの・えり
9/11

人形の家9

「絵美、私、どうしたらいい?」と由香が言った。

 朝になり、全員が、前日何事もなかったように、春行さんのお母さんが作ってくれた朝食を食べ、「お世話になりましたあ」とショックが大きすぎたせいか、何も覚えていない良平さんは、元気に挨拶していた。

「オレ、出席日数まずいから、ここからガッコに直行するわ」らしい。

 私と由香も、まだボンヤリして生気のない春行さんを横目で見ながら、お母さんに挨拶して、家を出た。

 春行さんは、怪我のことで、お母さんに散々に叱られていた。

 あんなに叱らなくてもいいのに。

 怪我が悪くなったらどうする気だろう。

 何となく、この日も学校をさぼってしまいそうな気配だ。

「どうしたらいい、て言われても」

 ほんまに、男女のことは、私にはわからない。

「良平と付き合って、前世の因縁を繰り返すわけ?」と由香は、いつの間にか、前世肯定論者になってしまったみたいだ。

「別に繰り返さんでもいいんと違うん?」

「けど、そういう因縁て、本人がやめようと思って、やめられるもんと違うらしいし」

「由香、シッカリしてよ。由香は由香やないの」

「うん……」といつもの由香ではない。

「こうなったら、期末のために徹底的に勉強しよう」

「そうやね」

「期末が終わるまで、すべて棚上げ」

「よし」

 期末試験まであと二日しかないというのも好条件だった。

 勉強どころではないと思いながらも、どこかで危機感が芽生えている。

 私と由香は散々相談した結果、二日間私のマンションに籠城することにした。

 由香が家に自分の勉強道具や着替えを取りに帰り、私は外で待っていることにした。

 何となく、由香のお母さんは苦手だ。

 ウンショウンショと言いながら、由香が大きな荷物を二つも運んで出てきた。

「ちょっと、たった二日やのに」と私は驚いた。

「そやかって、洗面道具もお風呂用品も……」

「そんなん、うちにあるのに」

「そやかって、慣れたのがいいし、それにこれ」と枕まで入れて来た模様。

「信じられへん」と私は言った。

「こんなん、どうやって、うちまで運ぶんよ」

「そっかー」と言っているところに、「こんなところで何をしている」という声が、聞こえてきた。

 車に乗った隆さんで、由香は、やったー、という表情をしている。

 何となく、隆さんと車というのは、似合わない気がしたが、そんなことは言ってられない状況だ。

「伯父さーん、お願い、車で荷物運んでくれませーん?」と由香は、お得意の甘え声を出した。

「そんな暇はない。訓練だと思って、歩いて運べ」

「ええ、こんなん、絵美一人で運べって言うの? 私、腕を痛めていて……」

「嘘をつけ、嘘を」と言いながら、隆さんは荷物をトランクに積み込んでくれた。

「お前達まで乗るのか」とブツブツ言っている。

「春行は、消耗してるだろう」と車を運転しながら、隆さんが言った。

「はい。どうしたのか、というぐらい」と私は心配していた。

「お前は、また霊に連れて行かれそうになったな。

 春行は休む間がないな」と言って、隆さんは笑った。

「けど、彼いうたら、肝心の時になったら寝てしまって、全然役立たずやってんから、ねえ、絵美」と由香が言った。

「その前に、力を使い果たしてる。

 この女がフラフラと異界に紛れ込むからだ」

 異界?

 違う世界?

 私には、全然覚えがなかった。

「昨晩は、オレも春行に呼ばれたが、生憎、こっちも騒霊現象だ。

 春子を呼べ、と言っておいた。

 磁場が乱れているのか、霊の動きが活発だ。

 開発が進んで、霊の休まる場が減っているせいだろう。

 春子は、おかしな女だな。

 霊と共存しているように見える。

 しかし、共存できる霊ばかりではないからな」と隆さんは運転している間中、話し続けていた。

「これを持って行って、外と繋がる場所に貼っておけ」と言って、隆さんは束になったお札のような物を出した。

「ドアとか窓だ。少しは違うだろう。

 それから、霊の言うことを聞くな。完全に無視しろ。

 お前達の関心がエネルギー源の一つになる。

 特に若い女の関心が霊は好きだ。

 気持ちを強く持て。

 フラフラと迷うな。

 霊につけこまれる」

 私と由香は、「はい」「はい」と素直な生徒のように、隆さんの言うことを聞いていた。

怖い目に会った後だから、なおさらだ。

「よっぽど怖かった、と見える」と言って、隆さんは笑った。

「もう怖いなんてもんじゃないって。

 真っ暗な中に、おばさんが蝋燭を持ってきて、それに照らされた顔の怖かったこと……」と言って、由香は身震いし、隆さんは、ワッハッハッハ、と大きな声で笑った。

 私は、由香が気絶した後、お母さんがアッという間に霊を退散させた様子を語った。

「春子らしい」と言って、また隆さんは笑った。

 隆さんは、マンションの前で荷物を下ろすと、そのまま帰ってしまったので、私と由香で苦労して、荷物を部屋まで引きずって行った。

「ケチ伯父さん」と由香は、額の汗を拭いながら言った。

「きっと、これぐらいのトレーニングはしておけ、と思ってるのよ」と私は、何となく、隆さんを庇っていた。

「お札、お札」と由香は、文句を言っていたくせに、律儀に、ドアや窓にお札を貼り始めた。

「外と繋がる場所だから、電話とインタフォンにも貼っておこう」と中々芸が細かい。

 由香は、持って来た荷物を洗面所や風呂場や寝室に区分けし始めた。

「それから、食事は、お兄ちゃん達が交代で届けてくれるって言ってる。

 だって、料理って、大変でしょ。

 心配しなくても、宅配ピザみたいに、玄関までのお届けだから、邪魔にはならへんって」

「そっかー。そういう生活もいいなあ」と私は言った。

 でも、料理とか洗濯って、勉強の気分転換にはなるんだけど。

「じゃ、早速」

 勉強、勉強。

 勉強の能率が一番いいのは、やはり朝。

 次いで、真夜中。

 一番悪いのが、昼食後。

 まず、各自で分担して、各教科の試験範囲をまとめることにした。

「受験前だから、三年間習ったところ全部」などという先生もいたが、とにかくまとめていく。

「うわあ、もう手がパア。脳がウニ」と1時間もしないうちに、由香が音を上げた。

「じゃあ、立って、深呼吸。身体をほぐして、再開」

「うわ、絵美って勉強の鬼」

「私は、勉強の鬼です、はい」

 大抵のことに同じことが言えるが、勉強も最初のうちが一番苦しい。

 そのうちに、身体と脳が適応を始める。

 すると集中力がアップして、頭がよくなったような気になる。

 その時に、脳を騙す。

『お前は頭がいい、頭がいい。

 何でもできる、何でもわかる、何でも覚えられる』

 脳は暗示に弱い。すぐに、その気になる。

 反面、不安にも過敏に反応する。

『覚えられなかったらどうしよう』と思うと、覚えなくなる。

 私は、脳を褒めて褒めて、褒めまくりながら、勉強を進めていった。

 ピンポーン、ときっちり正午に、インタフォンが鳴った。

「はい」

「お昼の宅配です」

「私が出る」と言って、由香が出て、言っていた通り、食事だけを受け取ると、ドアを冷たく閉じた。

「絵美にはできないでしょうから」と由香は言った。確かにできない。

 トレイに乗った布巾を取ると、具がたっぷりのサンドイッチが現れた。

「やるなあ」と由香が言った。

「スープと食後のコーヒー付きだ」

「1時間休憩」と私が休憩宣言をした。

「ひええ、お代官様、1時間も休憩くださるですか」と由香がおどけた。

「午後は能率が下がるから、気を抜かないように」

「ゲエ、熱血教師だ」

「3時から15分間、体操」

「ギエエ」

 食後にテレビをつけようとした由香の手を止めた。

「テレビはダメ。

 勉強した分がパーになる」

「鬼や、私は、このマンションで鬼を見た」

「由香、今日と明日しかないんやから」

「はい……」

 1時から勉強再開。

 3時から、ストレッチをして、また、勉強。

 由香と私の顔が熱を帯びてきた。

 6時に、ピンポーン、とインタフォンの音。

「私が出る」とまた由香の出番。

 トレイに乗った布巾を取ると、華麗に彩られた混ぜ寿司とお吸い物が現れた。

「これは、お母さんの手だな」と由香が料理鑑定人のように言った。

 7時から勉強再開。

「私、テレビで見るものが」と由香が言った。

「ダメ」と私。

「鬼や、鬼がいてる。

 皆さん、鬼がいてまっせー」

「由香。そんなこと言うてると、ほんまに出るよー」

「言いません、二度と言いません」

 さすがに疲れてきて、由香は時々コックリコックリし始めた。

 ま、多少は目をつぶろう。

「就寝」と12時に、私は、就寝宣言をした。

「今日勉強したことは、寝ている間に、脳がシッカリ覚えます」

「絵美、あんた、ガッコの先生になり」と由香が言った。

「私、一日でこんなに勉強したことないわ。

 勉強記念日や」

「私も、由香のいるお蔭で気が散らずにすんだ」と私も言った。

「明日は、7時起床。

 ラジオ体操の後、勉強に突入」

「おー」


 隆さんのくれたお札のお蔭かどうか、二日間は何事もなく過ぎ、試験の日がやってきた。

「絵美、私、決心した。

 試験の間、ここに泊まる」と由香が言った。

「ここは、何かすごい勉強しやすい。

 きっと絵美がいつも勉強している所やからや」

「いいけど、私と一緒にいたら、勉強漬けやで」

「私かて、一生に一度ぐらい、勉強漬けにならな。

 過去最高得点を目指すぞ」

「その意気よ、由香」

 由香の通学カバンの内側に隆さんのお札が貼ってあった。

「覚えたもんが出て行かないように」と由香が恥ずかしそうに言った。

 試験の後は、「できた、できた」と由香が喜んでいた。

 由香は、途中で何回か家に必要な物を取りに帰り、朝昼晩と宅配はキチンキチンと届き、土日をはさんで8日間の試験期間は、無事に終了した。

 その間に、私は、ひっそりと十八才になった。

「私、この試験で、目茶苦茶頭よくなった気がする」と由香が言った。

「それは、いっぱい勉強したんやから、よくなってるって」

「絵美先生のお蔭です」

「何言うてんの」と言いながら、ちょっといい気持ちかも。

「けど、絵美のお母さんて、全然帰って来ないんやね」

「うん」それは、私も気になっていた。

 しかし、長い時には、二週間ぐらいは、平気で戻って来ない。

 仕事がうまくいっていないのだろう。

「けど、私は、その方がよかったけど」

 由香が荷物をまとめているのに付き合っていると、ジワッと淋しくなってきた。

「そっかー」と突然、由香が言った。

「終業式まで休みなんやし、慌てて帰ることもないか」

 そう言うと、また、荷物をほどき始めた。

「それに、受験勉強も一緒の方がはかどるかも。

 何か、私、絵美先生がおらんと勉強できへん身体になったかもしれへん」

「うん」と私は、半分泣きかけになりながら、言った。

「けど、今日だけは、勉強忘れて、ブラブラしよ」

「うん」

「服着替えて、絵美の彼氏の顔でも見に行ってやるか」

「そ、そんな。何言うてんの」

「けど、あの人って、普段何やってんのやろ」

「さあ」

「学校に行ってる風でもないし、働いている風でもないし」

 そう言われて、自分が春行さんのことを何も知らないことに、気がついた。

「人形に負けてるなあ……」と私は言った。

「勉強には強いけど、恋愛には弱い、か」と由香も言った。

「けど、男って何なんやろな。

 勉強してる間、良平のことなんか、コロッと忘れてた」

「男の方というのは、暇で退屈な時の刺激剤。

 お料理でいえば、香辛料に当たります。

 それだけでは栄養になりませんが、料理の味は引き立ちます」

「ええ、そんなこと、誰が言うたん」

「前世の由香さん」

「嘘ー!」

「嘘。口から出まかせ」

「すごーい。絵美って、潜在的な悪女なんと違う?」

「実は、そうかも」

「勉強し過ぎて、潜在能力が開発されたとか」

「エヘン」

「チャネリングやサイコキネシス」

「オホン」

「もう、どーんな男でもグーイグイ。

 春行もイチコロリン」

「……ならいいけど……」

「あー、疲れた。んじゃ、ブラッと人形オタクの顔でも見に行くか」

 由香と私は、私服に着替えて、ブラブラと歩き始めた。

「お前達、こんなところで何をしている」という声が、聞こえてきた。

 車に乗った隆さんで、由香は、アレー? という表情をしている。

「伯父さんこそ、こんなところで何してんの」

「まあ乗れ、面白いものを見せてやろう」と隆さんは言った。

「誰かいないか、と思っていたところだ。

 どうせ、また、春行の傷を増やしに行く気だろう」とズバリ見抜かれている。

「あの札は効いただろう。

 普通の家なら、あの程度で大丈夫だ。

 今度は、あの家用に、強力なのを作ってみたから、試してみよう、と思っている」

「あ、伯父さん、ハンドル、ハンドル」と由香が叫んでいた。

「ああ、これを誰かに見せたかった。

 車が念で動くかどうかを知りたくて、車を買ったのだ」

「ね、念で動かしてるう?」

「後でかなり疲れるが、立派なものだろう。

 ガソリンがいらん。

 空気は清浄なまま。ただ、途中で時々眠くなる」

「お、伯父さん、前、前」

 どこかの壁にぶつかりそうになっている。

「おっと」と隆さんは、ハンドルを握ったが、そのとたんに車は止まった。

「何だか疲れた。

 しばらく休ませてくれ」と言って、隆さんは眠ってしまった。

「ほんま。これやったら、何のための車かわからへんわ」と由香が言った。

「歩いた方が、よっぽど早いやないの。絵美、歩いて行こう」

 由香がドアを開けようとしたが、ドアはビクともしなかった。

「オートロックや。あーあ。動かなければ、ただの窮屈な箱」

 その時、車がゆっくりと動き始めていた。

「もう、伯父さん、人が悪い。寝たふりなんかして」

「由香、違う。伯父さんは寝ている」と私は、言った。

 運転席からは、スースーという寝息が聞こえている。

 私と由香は、顔を見合わせた。

「念……」と由香が言った。

「誰かの念?」と私も言った。

 誰の?

「由香、いい?

 怖がったらダメ」と私が言った。

 しかし、膝がガクガクしている。

「きっと、今の私達、潜在能力がアップしてる。

 二人で春行さんを呼ぶ」

「どうやって」

 見なくても、由香が涙目になっているのが声でわかる。

「二人で、助けて、と呼ぶのよ」

「けど、聞こえたとしても、どうやって来るの?」

 そうか、と力が抜けたとたん、車のスピードが上がって行った。

「キャア」と由香が叫ぶ。

「怖い」

「もうどうやってでもいいから、来てもらうの。

 いい、一緒に呼ぶよ!」

『春行さん、来て』

『来て、来て、早く、助けてー!』

「それから、何とかして、隆さんを起こさないと」

 由香がカバンを開けて、パッとお札を取り出した。

「予備」と由香は言って、もう一枚取り出した。

「由香、偉い」

 もう何が何だかわからないが、一枚を隆さんの額に貼り、もう一枚をハンドルに貼ってみた。

 何も起こらない。

 車は暴走し始めた。

「隆さん、起きて」と私は叫んだ。

 由香は、バシバシと後ろから頭を叩いている。

「車は何で走る?」

「エンジン」と由香が答えた。

 二人同時に、答えがわかった。

「エンジン、止まれ」と言うと同時に、強く思った。

 ガクガクガクッと揺れた後、シュー、というような音を立てて、車は停止した。

 車が急に止まった反動で、私と由香は、前のシートで頭を打ち、運転席からは、グウ、というような声が聞こえた。

「アイタタ」という隆さんの声がして、私と由香は抱き合った。

「油断したな」と隆さんが額にお札をつけたままで言った。

「気が一番落ちた時を狙われた。

 しかし、お前達にしては、上出来だ」

「伯父さん、起きてたの?」

「寝ていたけれど、聞こえていた。

 まかせて大丈夫そうだったから、寝ていられた」

「ヒドイヒドイ」と言って、由香はまた、ボカボカと隆さんの頭を殴った。

 その衝撃で、隆さんの額からお札がパラリと落ちた。

「コラ、何回殴れば、気がすむ」

「ここは、どこなんでしょう」と私は、言った。

「さあな。霊が連れて来るんだから、霊の好きな場所だろう。

 墓場とか死体置き場とか」

「イヤー!」と由香が叫んだ。

「または、霊がエネルギーを吸収しやすい水のそば。

 地下水脈の上。

 うちの家の建っている一帯は、そういうエネルギーの集合しやすい場所だ。

 そういう場所には、霊的能力の発達した人間が育ちやすい。

 春子とか春行とか、オレとかがそうだ。

 父なんかも、そうなのかもしれない」

「じゃあ」

「多分。降りるぞ、気をしっかり持て。さっきの調子だ」

 ドアを開けると、簡単に開いた。

 オートロックではなかったようだ。

 私の腰にしがみつくようにして、由香が降りてきた。

 目の前には、見慣れた鉄の門があった。

 車は、門の手前5センチぐらいのところで止まっていた。

「激突させるつもりだったか」と隆さんは言った。

「または、ただの脅かしか。ちょっと手伝ってくれ」と隆さんが言い、私と由香で、車を押して、塀の横につける羽目になった。


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