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人形の家  作者: まきの・えり
3/11

人形の家3

 この部屋まで聞こえてくるはずもないのに、私の意識は、時折階下に飛ぶ。

 心の中で、聞き耳を立てている。

「何、ボウッとしてんのよ。ちょっと、その汚いもん貸して」と由香が、私の膝の上に、所在なげに置いてあったハンカチを取った。

「何、これ? 雑巾みたい。きったねえ」

 元は、多分、紺地に小花模様のハンカチだったのだろうが、色々なシミがついてしまって、かなりサイケな模様になっている。

「それ、夏休みにも、祖父ちゃんが持ってるの、見たで」と仁さんが言った。

「そう言われてみると、正月にみんなで集まった時にも、持ってたような……」

 そうこうしているうちに、トイレに行きたくなってきた。

 しばらくは我慢していたが、とうとう「おトイレ貸して」と由香に小声で言った。

「ドアから出て、右手の突き当たり」

「絵美さん、案内しましょうか」と圭吾さんが言ったが、「いいえ、大丈夫です」と断った。

 男の人にトイレに入るところを見られるなんて、恥ずかしくて死んでしまう。

 廊下に出ると、いくつか部屋が並んでいて、ちょうど突き当たりに、ドアがあった。

 ノックしようと思ったとたんに、ドアが開き、水の流れる音が聞こえた。

 私は、パニックに陥った。

 春行さんが、中から現れたのだ。

「ああ、どうぞ」と春行さんが言い、私は、真っ赤になって、トイレに駆け込んだ。

 ガチャリと鍵をかけると、目の端に涙が滲んできた。

 よりによって、春行さんに、トイレに入るところを見られるなんて……

 もう、このまま、トイレに飛び込んで、流れて死んでしまいたい。

 音がしないように、水を流しながら、用を足す。

 トイレの外に出るのが、恐ろしかった。

 心臓が脳に移動してしまったように、頭がズキズキと脈打っている。

 トイレのドアを開ける手が、細かく震えていた。

 思い切って、ドアを開けたが、当然のように、彼の姿はなかった。

 ホッとする気持ちと、何を期待していたのか、ガッカリする気持ちの両方が、同時に心の中にある。

 何となく、彼は、私を待ってくれているのではないか、という期待が、心の奥底にはあったらしい。

 それで、廊下の途中、一階への階段があるところで、横から腕をつかまれた時には、ギョッとした。

「君は、誰?」と彼が尋ねた。

「私は……」

「坂口絵美さんというのは、わかった」

 そうか。

 私の口から、華さんだと言わせたいのか。

「私が、華さんだったら、どうなんですか?」

「会いたかった」と言って、彼は、私を両腕で抱き締めた。

 少し苦しかったけれど、イヤな気分はしなかった。

 それどころか、ずっと昔から、彼を知っているような気さえした。

 ずっと昔?

 はるか昔?

 それは、いつ?

「ちょっとお、絵美に何すんのよ、この変態!」という由香の声がした。

 由香は、ドンと背中を殴ったようだった。

「絵美さんを離せ」と圭吾さんが、彼を突き飛ばした。

 私は、ボウッとしたままだった。

「何すんねん、お宅、頭、おかしいんとちゃうか」と仁さんが言った。

「遅いと思って、心配になって来てみたら。信じられへんわ。抱きつき魔か」

「ああ、すみません」と彼が言った。

 あの不思議な笑みを浮かべている。

「懐かしかったものですから」

「ねえ、ちょっと」と由香が、彼の腕をつかんだ。

「華さんて、あんたの何なん?」

「伯母です」と彼は、答えた。

「もっとも、前世のですけど」

「ぜ、前世え!」と由香の声が裏返った。

 由香はつかんだ腕を放して、私の方を見て、肩をすくめて見せた。

「春樹、何してんの? 帰るよー」という声が、階段の下から聞こえてきた。

「じゃ、失礼します」

 何事もなかったかのような顔で、彼は、階段を降りて行った。

 春樹さん?

 春行さん?

 きっと『春行』と言ったのが、『春樹』に聞こえたのだ。

「絵美さん、大丈夫ですかあ?」と圭吾さんが言った。

「ほんま、突然、女の子に抱きつくなんて、とんでもない羨ましいヤツや」

「何発か、殴ったったら、よかったかな」と仁さん。

「もう、私、脳がウニになってしまった。もう何も考えずに、寝る」と由香。

「おう、それがいいで」

 由香のお兄さん達も、それぞれの部屋に引き上げて、私と由香は、由香の部屋に戻った。

 フー、と由香は、溜め息をついた。

「うちって、変な家」と由香は言った。

「それに、あのジョギングの君は、絶対に危ないヤツやで。

 信じられへんわ。トイレ帰りを襲うやなんて。

どっかイッてるんやわ、絶対。

 何か、お祖父ちゃんと、いい勝負な気がする」

「うん」と口では言いながら、彼の姿を初めて見た瞬間に、カメラのシャッターを押してしまったような自分がいる。

 その残像は、いつも、頭の片隅にある。

「伯母です」と彼は、言った。

「前世のですけど」

 前世でも何でもいい。伯母でも甥でも何でもいい。

 もう、私は、『華さん』でいい。

 坂口絵美でなくてもいい。

「あーあ」と由香は言った。

「こら、あかんわ。目がハートになってる」

「本当に、前世なんかあるんやろか」

「私に聞いても、知らんわ」

「誰に聞いたら、いいんやろ」

『前世からの恋人同士です』と言われたら、きっと、もっと嬉しかっただろう。

「そんなもん、漫画か映画の中だけやって。

 それに、もしもやで、前世なんかがあったとしても、私は、そんなもんに振り回されたくないわ。

 私は、私。

 今、ここにいる私が、私の全て。

 前世療法とかいうんがあって、それに行った友達もいてるけど、そんなん絶対にインチキに決まってる」

「そっかー。インチキか」

「当たり前やんか。

 ねえ、それより現実問題。

 絵美ってさあ、滅多にお母さんが家にいてへんわけでしょ?

 どないしてるの? ごはんとかお弁当とか」

「一応お金は預かってるから、買い物して、ごはんを作って、お弁当も作って持っていってる」

「ゲエ。嘘みたい。あのお弁当、毎日、絵美が作ってたんや」

「うん、そう」

「偉い。偉すぎー」

「え? けど、割りと小さい時からそうやから」

「ええ、けど、家にずっと一人なわけでしょ? 夜とか怖くないわけ?」

「うーん。ずっとそんな感じやから、別に何ともないけど」

「そっかー。そんなもんなんか。

 私なんか、一人では絶対暮らされへんわ。

 料理なんかしたことないし。

 そやから調理実習は、大抵洗い物専門。

 超怖がりやから、夜なんか、絶対一人でいてられへんわ。

 それに、目茶、淋しがりやし」

 そう言われて初めて、私にも、淋しかったり怖かったりすることがあることに、気がついた。

 けれど、淋しくても怖くても、どうすることもできないから、そういう気持ちは、どこかに棚上げされている。

「お兄さんとかお姉さんとか、いてたらよかったのにねえ」

「けど、元々おらへんのやから、あんまり思ったことないわ」

「そっかー。絵美は、見かけよりも、ずっと強い子なんや」

「そんなことないって」

 ただ、それしか仕方がなかったのだから、他にどうしようもないだけだった。

 途中から、その辺りを片づけて、一緒に布団を敷いた。

「私、寝相悪いから、ベッドやと便利やねんけど、落ちるんやんか」と由香が言った。

「寝てる間に、踏み潰したら、ごめんしてね」

「うん。いいよ」

「今日は、いっぱいいっぱい話しよね」と言っていた由香だったが、横になったとたんに、眠ってしまったようだった。

 私の方は、授業中の爆睡がたたったのか、早朝から刺激の強すぎる一日だったせいか、目がさえて、中々寝つかれなかった。

 どこかで、いつも家族に囲まれている由香を羨ましいと思っている。

 家族に大事にされている由香が羨ましい。

 でも、そういう環境にいる自分というのを想像しようと思っても、できなかった。

 明日は日曜日。

 普段なら、家の大掃除と大物の洗濯をする日だ。

 それから、日用品と食料品の買い出しと。

 そう思っているうちに、ウトウトし始めた。

 どこか遠くから、猫の鳴き声が聞こえている。

 私は、フッと、華さんの抱いていた黒い猫を思い出していた。

 点々と目が光る人形の姿を頭から振り払うと、私は、眠りに落ちていった。


 私は、夢を見ていた。

 夢の中の私は、人形だった。

 周囲には、大勢の仲間の人形達がいた。

 手や脚を怪我している人形や、片目や片方の耳のない人形もいる。

 私は、どうやら、人形達のリーダー格らしかった。

 私は、滑るように動き回っては、人形達の訴えを聞いたり、悩みのある人形の相談に乗っていた。

 そういう全てのことが、人形のことばで話されていたので、最初のうちは、自分が何を聞いて、何を答えているのかが、全然わからなかった。

 全然わからないのだけれど、私は、リーダーとして、親身になって話を聞かなければならない。

 相談にのってあげなければいけないのだった。

 そのうち、おぼろげに、人形達の話している内容が、輪郭を持ち、理解できるようになっていった。

 数式を解いたり、習うまでは知らなかった英語を勉強するようなものか、と私は思った。

 人形達の口は動かないので、思っていることが空気を振動させ、それが直接、脳に伝わってくるような感じだ。

 これで全員の話を聞いたかな、と思った時に、まだ話をしていない人形が見つかった。

『この子達は、どうしたの?』と私は尋ねた。

 それは、二体で一体のように折り重なっている人形で、何も語らなかった。

 着物が焼け焦げていて、髪の毛は焼けて縮れ、顔や手や足は、今にも溶け出してしまいそうに見えた。

『この子達は、話せない』と近くにいた人形が言った。

『可哀相に。辛い目にあった』

 私は、その二体の人形を慰めようと、人形の背中に手を置いた。

 その瞬間、私には、その人形達の受けた苦しみが乗り移ってきた。

 身体から身体に経験を伝えようというのか。

 二人は、親子の人形のようだった。

 または、姉と妹だったのかもしれない。

 一方が、もう片方よりも、身体が大きい。

 小さな人形を、大きな人形が庇う形になっているのだ。

 私の身体は、今焼けているかのように、熱を持ち始めた。

 今、大きな火事を経験しているのだ。

 火の手が迫っている。もうどこにも逃げ場はない。

 大きな人形は、小さな人形を、火から守ろうと、我身で庇ったのだ。しかし、火の勢いは強い。

 上になった人形を焼いた火は、下の人形までを燃やそうとしている。

『熱い! 熱い!』と突然、上になった人形が、叫び始めた。

『熱い!』

 人形達の記憶の中の炎は、私の着物にも、飛び火し始めた。

 着物が、ジリジリと燃え始めていた。

 炎はドンドンと大きくなり、私だけでなく、周囲の人形達にも、火が燃え移り始めている。

 ああ、熱い!

 私は、炎にまかれていた。

 

 私は、全身に、ビッショリと汗をかいて、目を覚ました。

 夢だとは、どこかで知っていたはずなのに、まだ、身体中に炎の感触が残っている。

 

 まだ、身体が燃えているような気がした。

 夢なのに、周囲に何かが焦げるような匂いが充満している。

「由香、由香」と私は、由香を起こそうとしたが、完全に熟睡していて、起きてくる気配はなかった。

『助けて』という声が聞こえてきた。

 この脳に直接振動が伝わってくるのは、人形達の声だ。

『華さん、助けて』

『春子ちゃん、春子ちゃん』

『春行』

 そういう切羽詰まった声が聞こえてくる。

『お祖父ちゃん』という声もあった。

 ついさっきまで、私は、人形達のリーダーだったのだ。

 助けを呼ぶ声を無視することはできなかった。

 私は、パジャマの上にコートを羽織ると、由香の部屋のドアを開け、階段を駆け下りた。

 階段の下で、ウロウロしていたお爺さんに、思い切りぶつかった。

「華さん」とお爺さんは、涙とハナをたらしながら、訴えるような目で、私を見た。

「お爺さんにも、聞こえるのね?」

 うん、うん、とお爺さんは、うなずいた。

 玄関のドアを開けると、何かが焦げるような匂いは、一段と強くなった。

「こっち」とお爺さんは、私の手を引いて、鉄の門を出て、右手にグルリと回ると、同じような門のある家の前に出た。

 門の前には、数人の人が集まっていて、「佐藤さん」「隆さん」「先生」と何人かがインタフォンを鳴らしたり、門を叩いたりしていた。

「気がつかんと寝てはったら、えらいことや」

「何事ですか? 火事ですか?」と徐々に、門の前に人数が増えてきている。

「ようわかりませんけど、何しろ、焦げ臭い匂いがするもんやから」

「漏電ですか」

「寝煙草かもしれませんな」

「そら、えらいことや」

「やかましい。何の騒ぎだ」という声が、突然インタフォンから聞こえてきた。

 門の近くにいた人は、ビクッとして、反射的に、門から離れた。

 おそるおそるインタフォンに近寄るった何人かの一人が、「何か燃えてるんと違いますか?」と言った。

「ずっと、物の焦げる匂いがしてるもんで」

「天プラを揚げてただけだ」

「え、引火したんでっか?」

「やかましい。ちょっと焦がしただけだ」

「それやったらええんですけど。もう大丈夫ですか?」

「ずっと大丈夫だ。夜中に人騒がせなヤツラだ」

「天プラ揚げてたらしい」と集まった人達は、ガヤガヤと話した後、自分の家に帰って行くようだった。

「ほんまに、どっちが人騒がせやねん」

「ほんま、おかしな先生や」

「こんな真夜中に、天プラ揚げるか、フツー」

「ほんま、近所迷惑な話や」

 本当に、天プラなんか揚げていたんだろうか、と思いながら、私も帰ることにした。

 ところが、お爺さんは、門まで行って、ピンポンピンポンとインタフォンを鳴らしている。

「何だ」という声が聞こえてきた。声の感じだけだけど、本当に怖そうな人だ。

「わし」とお爺さんが言った。

「お父さんか。こんな夜中に出歩いてはいけませんよ」と声の調子が優しくなった。

『お父さん』ということは、お爺さんの息子さんか、と私は思った。

 多分、由香の言う『変なおじさん』だ。本当に、伯父さんだったんだ。

「華さんが、帰ってきた」とお爺さんは言った。

 私は、心臓がドッキンと止まりそうになった。

 しかし、インタフォンの向こう側のおじさんの衝撃の方が強いみたいで、空気がビリビリと震えるような気がした。

 何の返事も来ないうちに、ガチャッと鉄の門が開いた。

 由香の家と同じ場所にインタフォンがあるとすると、門まで瞬間移動をしてきたのかと思えるほどの速さだ。

「入れ」と相手は、言った。

 お爺さんの息子だというから、ずっと年配の人を想像していたけれど、三十才ぐらいのハンサムな男の人だった。

 これが、由香の伯父さんか。

 彼は、素早く周囲を見回すと、再び、門を閉めた。

「よし。誰もいない」と自分に言い聞かせるように言った。

 なぜか、私の顔は、見ようとしなかった。

 奇妙な歩き方をする人だった。

 まるで、夢の中で人形になった私のような歩き方だ。

 地面に足がついていないのではないか、と思える。

 滑るように動いている。

 玄関の扉を開けると、焦げ臭い匂いが一層強くなり、それは奥に行くほど強烈だ。

 目から涙が、ポロポロと流れた。

 お爺さんは、ジャージャーというほど涙を流している。

『華さん』という声が聞こえてきた。

 人形達がいるのだ。

 隆さんが襖を開けると、煙が目に飛び込んできた。

 煙が充満していて、ハッキリとは見えないが、私は、ポケットからハンカチを出して、口と鼻を押さえた。

 お爺さんは、と見ると、シッカリシャツの前を上げて、涙とハナを拭いている。

「突然、発火した。わけがわからん」と隆さんが言った。

 目が慣れてくると、部屋の中には、夢の中に出てきたのと同じぐらい沢山の人形がいた。

 そのうちの二体が折り重なるようになって、焼け焦げている。

 まだ、プスプスと着物の辺りから煙が出ていた。

「また、春子のせいだ」と隆さんが言った。

「あいつが来るまでは、平和だったんだ。

 あいつが来てから、ろくなことがない。

 まだ、成仏していないのか。

 春行まで、春子の言いなりだ」

 隆さんは、ブツブツとわけのわからないことを呟きながら、部屋の中を行ったり来たりしている。

 私は、焼け焦げた人形の所に行って、それを手に取り、ハンカチで煤を払った。

 もう煙は出ていなかった。

 その時、空気にピシッという亀裂が入ったような気がした。

 気がつくと、隆さんが、私のハンカチを手に持っていた。

 しかし、それは、いつも私の使っているハンカチではなく、お爺さんが私にくれたものだった。

 私は、驚いて、ポケットを探った。

 さっきまで、手に持っていたハンカチが入っている。

 一体、いつの間に、お爺さんのくれたハンカチがここに現れたのだろうか。

 あれは、由香の部屋に置いてきたはずだった。

 もしかすると、無意識のうちに持って来てしまったんだろうか。

「あんたが、何で、これを持っている」と隆さんが言った。

「これは、華さんのものだ」

 物凄く責められているような気がして、私は、蚊の鳴くような声で答えた。

「……お爺さんが、私にくださったんです」

 別に、くれとねだったわけでも、盗んだわけでもないことを、何とかわかってもらいたかった。

「何で、そんなことをした」と隆さんは、お爺さんをにらんだ。

「何、アホなこと言うてんのや。華さんのハンカチやないか」とお爺さんが答えた。

「あのう……お爺さんは、私のことを華さんという人だと思っているみたいで……」と何とかお爺さんのために弁解しようとした。

「お前には、聞いていない!」

 私は、ビクッとして、口を閉じた。

 何もそんな怖い言い方をしなくても、と心の中で思っていると、人形達がざわめいているのがわかった。

 夢の中と同じような、落ち着きのない動揺した雰囲気だ。

『華さん?』

 人形達の中でも、一際目をひく西洋人形が、その青い目で、ジッと私を見据えて、話しているようだった。

 夢の中の学習効果か、私には、人形の話すことがわかるような気がしている。

 金色の髪を高く結い上げ、腰の部分がギュッとくびれた、純白のドレスを身につけている。

 他の日本人形とは、全然違っていた。

『・・・・・・』

 しかし、実際には、何を言っているのか、よくわからなかった。 

 もしかすると、日本語ではないのかもしれない、と私は思った。

『私達』というのと、『華さん』ということばだけが、辛ろうじて聞き取れた。

「黙れ! 黙れ!」と隆さんが怒鳴った。

「お前達は、いつも、たわごとばかり言う。

 いつ、オレが、お前達を苛めた。火をつけて、燃やしたり焼いたりした。

 いつ、お前達を閉じ込めた。

 お前達は、昔からそうだ。なぜ、華さんや春子のことしか頭にない。

 なぜ、オレの命令が聞けない!」

「ここは、あんたの家やったんやで」とお爺さんがのんびりと言った。

「康子さんが死んでから、あんたの家になった。

 あんたは、死ぬまで、ここにいた。

 春子ちゃんの人形と一緒に」

 なぜ、今まで見たこともない人形達が、こんなに懐かしいのだろうか、と私は思った。

 夢の中で、何度も会っているからだろうか。

 それとも、春行さんの言う『前世』で、私は、この子達とずっと一緒に暮らしていたせいだろうか。

「何で、戻ってきた」と隆さんが言った。 

 相変わらず、私の方は見ず、一人ごとを言っているような感じだ。

「春行に会いに戻ってきたのか。春子のことが心配だったのか。年は、何才だ」

「もうじき十八です」と私は、ドキドキしながら言った。

 この人って怖い。

「十八か。

 死んで二年もしないうちに転生したのか。

 春行も同じ年に転生している。 

 死んでから、二十五年も経ってからだ。

 康子も同じ年の転生だ。

 この分でいくと、もしかすると、啓介も転生しているかもしれないな。

 または、まだ生きて、どこかをほっつき歩いているのか。

 生きていたら、親父よりも二才上だから、八十になる。

 お前は、春行の転生に合わせるために、死んだのか……

 最後まで、オレには……

 親父だって、オレや範子よりも、春子や春行が可愛かった。

 なぜなんだ……」

 それまで、若々しかった隆さんが、急にガックリと年を取ってしまったように見えた。

「お父さん、教えてくれ。

 何で、オレだけが、この実りない人生を生きながらえているのか」

「春子ちゃんや春行や、華さんに、また会うためやないか。

 わしと一緒や」

 そう言って、お爺さんは、よしよしというように、隆さんの頭を撫でていた。

 隆さんの端正な顔が歪み、私は、大人の男の人が泣くところを、生まれて初めて見た。

「また、会えたということか」と隆さんが言い、「そうや」とお爺さんが答えた。

『隆さんは、バカ』

『隆さんは、意地悪』

『隆さんは、ウンコ』

 人形達が口々に言っていることが今度はわかった。

「やかましい!」と隆さんは、涙を拭いながら、怒鳴った。



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