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人形の家  作者: まきの・えり
2/11

人形の家2

 佐藤圭吾十九才と、佐藤仁十八才。年令にして約1才離れているけれど、3月生まれと4月生まれのせいで、今では同じ大学の一年生だということだった。

「へえ、絵美ちゃん、オレラと同じガッコ、狙ってるんや」

「オレラのガッコ、ええでえ」

「そや、絵美ちゃん、ボク、家庭教師するわ」

「アカン、アカン。コイツ、補欠入学やから。その点オレは、推薦入試やで」

「もう、お兄ちゃん達は! 私が、勉強教えて欲しい、言うた時は、試験やバイトや何やかんやで忙しい、て言うくせに」

「そ、そんなことないで」

「そやで。絵美ちゃんと一緒に、ミッチリ教えたるで」

「いい加減なことばっかり言うて」

「そやかて、オレラは寮生活やんか。滅多に家に帰って来られへん。な?」

「な? 由香にかって、こういう機会でもないと、滅多に会われへんやないか」

「もう、調子がいいんやから」

 由香はプンプン怒っていたけれど、フと思いついたように言った。

「それよりもお兄ちゃん、あの家に住んでる人のこと、何か聞いた?」

 私の心臓は、急にドキドキし始めた。

「あの家ってさ、何かわけありやったけど、それ、何か知ってる?」

「さあなあ」というのが、二人に共通した答えのようだった。

「オレラ、滅多に家に帰って来いへんからなあ。誰かに掃除させてるみたいなことは、前から言うてたような気が……」

「そうそう。大分前やけど、祖父ちゃんは、誰かが帰ってくるみたいなこと言うて、めっちゃ喜んでたなあ」

「そうや。季節に関係あるな、て思った。そうや。春子ちゃんや」

「春子ちゃん?」と私は尋ねた。

 その瞬間、パシッという音がして、部屋の電気が消えた。

 それまで鳴っていたCDプレーヤーの音も止まった。

 周囲は真っ暗だ。

「うわ。何や、これ」

「多分、ブレーカーが飛んだんや」

「お前、ちょっと見て来いよ」

「いややわ、何で、オレが」

「一緒に見に行くか?」

「そやな」

 二人が部屋を出て行くと、ブーンという低い音が聞こえてきた。

 地の底を這っているような音だ。

 蜂の羽音に似ている、と私は思い、そんなものは聞いたこともないのに、とも思った。

 どこか遠くで、ニャーという猫の鳴き声がした。

「キャアア!」と突然、由香が叫んだ。

「何かいる!」

 急にゾクッと寒気がした。

 部屋の気温が急激に下がっている。

「絵美!」と由香が言い、私と由香は暗闇の中で、ヒシと抱き合っていた。

 由香の肌の温もりに、奇妙な懐かしさを感じる。

 由香は、私の胸に顔を埋める恰好になっていた。

 暗闇に目が慣れてきたのか、私の目には、部屋のそこここに、ポツポツと小さな明かりが灯り始めているように思えた。

 由香のお兄さん達は、どこに行ってしまったのかは、まだ帰って来ない。

『お前達……』となぜか私は思った。

 暗闇の中から、ボウッと人形達の姿が浮かび上がってきた。

 ポツポツと灯っていた小さな明かりは、人形達の目の光だ。

『ずっと待っていた』と私の正面にいる人形が言った。

 大変美しい顔立ちをした、優美な日本人形だった。

『私達は、ずっと待っていた』

 ずっと待っていた?

 何を?

 誰を?

 その瞬間、パチパチパチという音がして、部屋の電灯がついた。

 ドタドタドタという音を立てて、由香のお兄さん達が戻ってきた。

 部屋の冷気は消えていた。

 私は、自分の周囲を見回したが、部屋の内部は元通りの由香の部屋で、どこにも日本人形なんかはいなかった。

 由香の兄さん達は、奇妙な顔をしていた。

「ブレーカーなんか、下りてなかった」

「下の部屋は、電気がついていた」

「二階だけ、停電したみたいや」

「何か、不気味やな」

「絵美」と私の胸に顔を埋めていた美香が言った。

「今日、絶対、泊まっていって。お願い」

 え? と私は思った。

「お願い。一生に一度のお願い。

 私、凄く怖い。

 今日、この部屋で一人でいるの、考えられへん。さっき……」

 由香は、ブルッと身を震わせた。

「さっき、絶対、何かいたもん」

 そう。確かに何かいた。

 人形達がいた。しかし、本当にそうなんだろうか。

 真っ暗闇の中で、本当ならいないものを想像してしまっただけなのかもしれない。

「ほんまやな。そうやで、絵美ちゃん、泊まっていきいや」

 なぜか、由香の兄さん達も、声を震わせて言った。

「怖いもん知らずの由香が、これだけ怖がるんも珍しいし」

「オレまで怖くなるわ」

「そうします」と私が答えると、なぜか周囲の気温が上昇したように思えた。

「やったー」

「バンザーイ」

「絵美ちゃんが、お泊まりするぞお」

 私の母は、当分戻っては来ない。

 仕事で九州に行っていて、どんなに早くても1週間は戻って来ない。

 旅先から電話が来ることもない。

 そんなことは、一度もなかった。

 一度もないと言えば、ハガキ一枚ですら届くことはなかった。

 そういう生活を、別段淋しいと思ったこともなかったけれど、どこかで、ここの家族なら、毎日電話がかかり、毎日手紙が届くような気がした。

 泊まる準備なんかしてきてなかったのだけど、由香が、大抵の準備を整えてくれた。

「ごめんね、絵美。こんなことになって」と由香は言ったが、心の奥で、すごく喜んでいるのがわかった。

 私も、なぜか、嬉しかった。

「由香、ごはんよー」という声が、階下から聞こえて来る。

「あーあ、もう、ごはんか」と由香が言う。

 そんなことを一度も言ったことのない私は、微かに戸惑いを覚えた。

「しょうがないから、行ってやるか」

 私は、たった一人きりの、細々とした自分の食事を思った。

 全てが初めての体験だった。

 他人の家にいること。そこに泊まること。

 そして、何よりも、そこの家族と食事をすること。

 私は、必要以上に神経質になって、かなりギクシャクして階段を下りて行った。

「……華さん?」という声が、耳に飛び込んできた。

 また、『華さん』だ。

 声の行方を見れば、多分、由香のお祖父さんだろう。

 小さな顔をした老人が、階段の途中で、ジッと私の顔を見ていた。

 お爺さんは、泣いているような、笑っているような、奇妙な表情をしている。

 顔をクシャクシャにして、私を見ている。

「……華さん……本当に戻ってきてくれたんやな……」

 ポタポタと階段に落ちていくのは、汗のようでもあったけれど、よく見れば、お爺さんの涙だった。

「華さん……華さん……」

 どうしよう、と思いながら、私は、握られている自分の手を、無理に振り払うことはできなかった。

「わしやで、華さん……」

 お爺さんが、私に何か訴えたいのはわかったが、私にはどうしようもなかった。


 私は、一人、場違いに感じていた。

 こんなに大勢の人と食事をするという機会もなければ、そういう思い出もなく、ただただ、目立たないように、ヒッソリと片隅に身を沈めていた。

「絵美ちゃん、これ、うまいよ」とお兄さんの一人に言われると、ニッコリ笑わなくては、と思いながら、ビクッと身体が強張った。

 見知らぬ食堂に迷いこんで、何を注文していいのかわからない客みたいに、私は、愚かな微笑みを顔に浮かべたまま、硬直していた。

「ああ、これはうまいなあ。母さんの牛蒡の煮物は最高だ」と言っているのは、由香のお父さん。

 こんなことを思っては悪いけれども、とても顔が大きい。

 そう思って見ていると、由香はお父さん似だ。

「母さん、もう、食べられるだけ作ってよ」とブツブツ文句を言っているのは、由香の上のお兄さんの圭吾さん。

「ああ、オレ、野菜ばっかりの料理は飽きたわ」と言っているのは、下のお兄さんの仁さん。

 上と下に分けては悪いぐらいに、顔も背も双子のように似ていて、この二人はお母さん似だ。

 もう少し言えば、お爺ちゃん似だ。

 お爺ちゃんも、お母さんに似ている。

「絵美ちゃん、野菜ばっかりでイヤかもしれへんけど、もっと食べたら?」

 私が硬直しているのは、何も大勢で食べているせいばかりではなく、どういうわけか、ジョギングの君とそのお母さんらしい人も、一緒に、ごはんを食べているせいだった。

 箸がうまく使えない。

 口に押し込んだものが、喉の奥になかなか行ってくれない。

 ゴックンという飲み込む音が聞こえたらどうしよう……

 私は、食事を楽しむなんていう心境には程遠く、そういう些細なことに神経を擦り減らしていた。

 それに、何よりも神経を使ったのは、由香のお母さんが、私の方を全然見ないくせに、私に全神経を集中しているように思えることだった。

 きっと、内心、迷惑に思っているに違いない、と私は確信していた。

 そして、ジョギングの君。

 彼は、時折、ジッと私に視線を向けている。

 その視線は、瞬間、私を貫き通すほど強かった。

 唯一の救いは、お爺ちゃんだった。

 私の隣に座って、何かブツブツ言いながら、「華さん、これ、おいしいよ」「華さん、これ食べたらどうや」と話しかけてくれている。

 多分、こういう状況でなく、普段だったら、すっごく迷惑なお爺さん、と思ったかもしれないけれど、この時だけは、そのお蔭で、随分救われていた。

「なあ、春行」とお爺さんは、ジョギングの君にも話しかけた。

 その瞬間、私は、全身が耳になる。

 そうか。『春行さん』ていうんだ。

「……それで、華さんが、あれを全部、春子ちゃんにやったんやったなあ。それで、あれは、全部、春子ちゃんのものになったんや」

「うん、うん」とジョギングの君、今では『春行さん』が答えている。

 春行さんは、おいしそうに牛蒡の煮物を食べていた。

 私の煮物は、もっと砂糖が少なくて健康的よ、と内心思う。

 でも、牛蒡は、今まで扱ったことはなかった。

 今度、挑戦してみよう。

「なあ、春子ちゃん、そうやったなあ」

 お爺さんの視線の先を追うと、春行さんのお母さんらしい人に行き当たった。

 私も、夢に出てきた春子ちゃんには興味があったけれど、視線の先には、夢の中に出てきた可愛らしくて愛くるしい少女はいなくて、うちの母よりももっと年上に見える、中年のおばさんしかいなかった。

 ハッキリ言って、春子ちゃんの面影すらなかった。

 春行さんは、きっと、お父さん似だ。

『春子ちゃん』と呼ばれたおばさんは、由香のお母さんのついだビールを飲んで、ウハハ、ウハハと笑っている。

 スッカリ酔っているみたいだ。

「なあ、春子ちゃん、そうやったなあ」とお爺さんは、しつこかった。

「もう、爺ちゃんは、お酒飲まへんのやから」と言って、春子おばさんは、また、ウハハハハ、と笑った。

「春子ちゃん……」とお爺さんは、悲しそうに言った。

「華さんが帰って来て、嬉しくないんかいな」

 私には、なぜか、お爺さんの気持ちがよくわかった。

 多分 お爺さんは、何か間違った気持ちを抱いている。

 でも、その気持ちは、お爺さんが生きていくには、大切なものなのだ。

「うん、ほんと。華さんに似てるよね、範子ちゃん」と春行さんが、お爺さんを救うように言ったのは、いいのだけれど、私は、急に注目を浴びて、ようやく食べようとした牛蒡をポロリと落としてしまった。

 わあ、大変。

 由香のお母さんは、初めて正面から、私の顔を見た。

 その視線は大変に強くて、私の身体から全ての水分が蒸発してしまいそうだった。

「どこがですか?」

 そのとたん、私は、ここにはいない人間になったような気がした。

 お母さんが私を見たのは一瞬だ。

 しかし、その瞬間に私の全てが裁かれてしまったような気がした。

 お母さんの声はとんがっていて、どこかしら、憎しみのようなものすら感じられた。

 私は、いたたまれない気持ちになった。

 この瞬間に、どこかに消えてしまいたかった。

 自分の大好きな友達のお母さんに、初対面でこれだけ嫌われるのは、どこか自分に原因があるような気がした。

 それは、理屈抜きで、悲しいことだった。

「じゃ、ご馳走さま」と由香が、ガタンという音を立てて、席を立った。

「今日は、絵美と勉強するから。絵美は、今日泊まるから」と由香は言った。

「絵美の家には話してあるし、後で布団を取りに来るから」

 そう言って、由香は、自分のお母さんを睨んでいた。

「さ、絵美、行こう。勉強せんと」

「あ、うん」と私は言って、「ご馳走さまでした」とお母さんに頭を下げた。

「あ、オレも勉強があるし」

「オレは、ちょっと、やることあるし」

 由香の二人のお兄さんも、私達と同時に席を立った。

 お母さんに気付かれなければいいけれど、二人共、私と由香の方を見て、ニッと笑っていた。


「おでれーたな」と由香の部屋に腰を落ち着けたとたん、お兄さんの圭吾さんが言った。

「驚いたな」と言っているらしい。

「マジで、ビックリッす」と弟の仁さんも言った。

「あれ、ほんまに、お母さんなん?」と由香が言う。

 私には、三人が何を言っているのかわからない。

「なーんか、全体に変よね」と由香が言った。

「あの……私、帰った方がいいんじゃないか、と……」などという私の声は、誰の耳にも聞こえていない。

「オフクロ、マジで若返ったよな」

「ほんま、ほんま。夏帰った時と、別人」

「アイツのせいやわ」と由香が、何となく、私の方に気を使いながら言った。

「ここ1ヵ月で、段々と変になっていったんやから。

 若返ったなんてもん、ちゃうで。

 アレは、化けもんの世界やわ。

 まず、こってり化粧するようになって、真っ赤な口紅をつけるようになって、髪をメッシュにするようになって、最終的に、今日、髪の毛にソバージュかけたんや」

「けど、似合ってるやん」と兄の圭吾さんが言った。

「うん。オレも若いオフクロ、嫌いやないな」と仁さんが言う。

「けど、あれは若返ったんやなくて、完璧な若造りやわ」

 そう言った後、由香は、しばらく黙っていたが、最終的に吐き捨てるように言った。

「あんな変な女、絶対に、お母さんと違うわ」

 うーん、と二人のお兄さんは、しばらく唸っていた。

「そやけど、夏休みのまんまやったら、完璧ババア路線やったで」とようやく、圭吾さんの方が言った。

 その時、コッコッコとドアをノックする音が聞こえて、部屋にいた全員が、ビクッと飛び上がった。

「誰?」と由香が尋ねると、「わし」という、お爺さんの声が聞こえてきた。

「あー、ビックリした。噂をすればのお袋かと思った」と兄弟は口を揃えて言った。

「お祖父ちゃん、私達勉強してるから、また今度ね」とドアを半分開けて、由香が宣言していた。

「これ、華さんに」と言う、お爺さんの声が聞こえていた。

「もう、お祖父ちゃん。この人は、私の友達で、坂口絵美さんなんよ。

 お祖父ちゃんの知ってる華さんとは違うんよ……」と言って、由香は何か思案していた。

「お祖父ちゃん、ちょっと入って来て」

「由香、どないするんや、祖父ちゃんなんか呼んで」と兄さん二人はブーイングだ。

「ちょっと聞きたいことがあるんよ」

 お爺さんは、ニコニコしながら部屋の中に入ってきて、私の近くまでくると、ポケットからハンカチを取り出した。

「これ」と言って、私に渡そうとする。

「私にくれるの?」

「何言うてんねんな。華さんのやないか」

 華さんのやないか、と言われても、私にはわからない。

 ヨレヨレの布切れのようなハンカチには、あちこちにシミがついている。

 もらって嬉しいプレゼントではなかった。

「ねえ、お祖父ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんやけど。華さんて、誰?」

 お爺さんは、キョトンとした顔をして、私の方を見た。

「華さん」と私を由香に紹介した。

「もう違うでしょう!

 お祖父ちゃん、絵美に会ったの、今日が初めてやないの。

 その絵美が何で、お祖父ちゃんの知り合いの華さんなん?

 もう、その人の写真かなんかないの?」

 お爺さんは、しばらくボウッとしていたが、ズボンのポケットをガサガサと探り始めた。

 部屋にいる全員が、お爺さんに注目している。

 お爺さんは、ポケットの中から、いつのものかわからない、くずれたお饅頭を出した。

 丸めたティッシュと小さな鉛筆も現れた。

 てのひらサイズの鏡を出すと、しげしげと自分の顔を見た。

「もう! お祖父ちゃん、写真!」と由香がイライラして叫んだ。

 お線香とろうそくとマッチの後に、手帳が出てきた。

 お爺さんは、手帳を丁寧に開くと、中から一枚の色あせた写真を取り出した。

 由香が受け取ろうとすると、お爺さんは、素早く写真を隠した。

「もう、見せてくれてもいいでしょう。絶対、取ったりしないから」

 お爺さんが、固く握って写真を離そうとしないので、全員がお爺さんの後ろから写真を見る羽目になった。

「華さん」とお爺さんは言った。

「うわ、嘘ー」

「うわ、ほんま、目茶クリソツ」

 お兄さん達が騒いでいる。

 セピア色になってしまったモノクロの写真には、髪に昔風のパーマをかけた女性が写っていた。

 緊張しているのか、顔は怒っているみたいだ。

 大きな白い襟のついたワンピースを来て椅子に座っている。

 年令はわからないが、二十才ぐらいだろうか。

 女性の膝には、黒い猫が座っていて、猫はカメラを睨んでいるようだ。

 目に光が入って、白く光っている。

「ウワッ」と思わず、私は叫んだ。

「どうしたの、絵美?」と由香が尋ねる。

 背景は薄暗くて、最初はよくわからなかったけれど、薄暗がりの中に、点々と小さな光が見える。

 見ているうちに、ボウッとした人形の姿が浮かび上がってきた。

「人形が、いっぱい……」と私は呟いた。

「ええ? どこどこ? 何にも見えへんけど」と由香が言った。

「華さんの人形や」とお爺さんが、満足そうに言った。

「今では、春子ちゃんと隆のもんや」

「ええ! 隆って、あの変な伯父さん?」と由香が言った。

「ここの隣に一人で住んでる?」

「あそこは、華さんが住んでた家や。康子さんが死んでからな」

「康子さんて、誰?」

「春子ちゃんのお母さんやがな」

 そう言って、お爺さんは、ジッと由香の顔を見ていた。

「あんた、康子さんか?」

「もう、祖父ちゃん、シッカリしてよ。

 孫の由香。忘れてしまわないでよ」

「祖父ちゃん、オレ、誰?」と圭吾さんが尋ねた。

「あんたは、誰やったかなあ」

「うわ、オレ、ショック。圭吾やんか、お祖父ちゃん」

「オレは? オレは?」と仁さんも悪ノリする。

 お爺さんは、ジッと目を細めて、仁さんを見ている。

「範子によく似てる」とお爺さんは言った。

「ガビーン」と言って、仁さんは床に倒れた。

「お袋に似てるのは、親子やからやろ、祖父ちゃん。

 ええ、オレラのこと、忘れてしまってるんか?」

 由香が、アメリカ人みたいに、肩をすくめて見せた。

「じゃあ、この写真の家が、華さんの家?」と私は尋ねた。

「もう覚えてないんかいな、華さん」とお爺さんは、今までの仕返しをするように言った。

「春子ちゃんと春行が戻ってきて、次は絶対に、華さんが戻ってくると思ってたんやで、わしは。

 ずっと待ってたんやで、華さん」

 そう言って、お爺さんは、ポタポタと涙をこぼしたので、由香が慌てて、ティッシュの箱をお爺さんの前に置いた。

 お爺さんは、ティッシュで涙を拭くと、それをポケットに丸めて入れた。

 出して来た順番通りに、ポケットの中に色々な物を仕舞い始めた。

「どらえもんのポケットみたいやな」と仁さんが言った。

「春子ちゃんと春行っと華っさん」とお爺さんは、歌うように言った。

「春子ちゃんと春行っと華っさん」と歌いながら、お爺さんは、由香の部屋から出て行った。

「祖父ちゃん、完璧にイッてんなあ」と圭吾さんが言った。

「けど、お祖父ちゃんが間違うん、無理ないわ。

 めっちゃ似てたやんか、絵美ちゃんに」と仁さんが言う。

「ああ、私、もう頭が痛くなってきた」と由香が言った。

「もう再起不能。勉強のできる身体じゃなくなってしもた」

「元々やろ」と仁さんが言って、由香がドンとお兄さんの背中を叩いた。



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