マリナ、カイさん
自分の意見を言えるようになってきたマリナ、彼女のなかで、カイさんの存在がとても大きくなっていた。
今度会おう。カイさんはそう言ったけれど、いつ会うのか、どこで会うのか、なにも決めていない。ただ、今度会おうと言っただけだった。
カランカラン
今朝の一番目のお客さんは、カイさんではない。カイさんは、最近あまりパン屋に来なくなった。
「いらっしゃいませ。」
新井さんは、ぼーっとしているマリナの方を見た。
「お客さんが来ましたよ。」
「あ、いらっしゃいませ!」
「寝不足ですか?」
「ちょっとだけ!でも大丈夫です!」
お客さんは、新作のイグアナのパンを買っていった。イグアナのパンは、めずらしくて面白いと話題になって、人気パンになったのだ。
「イグアナパンより、うさぎパンのほうが可愛いのに」
「うさぎの形はいろんなパン屋で売ってますけど、イグアナの形は他にないですから。」
マリナは、新井さんがイグアナの着ぐるみをきたら、もっとイグアナのパンが売れると思った。
「前もたくさんパンが売れてた。今もたくさん売れてますね。」
「小麦さんのパンは美味しいですから。」
「これからもたくさん売れるんですね。」
マリナは、どこか遠くにいきたいと思った。違う星や、違う次元。それか、違う生き物になりたいと思った。
その日の夜、またカイさんに電話をかけた。
「カイさん、新井さんが、イグアナの着ぐるみを着たら良いと思わない?」
「ははは!じゃあマリナちゃんは、うさぎの着ぐるみを着なよ」
「わたしも?」
「きっと似合うよ。可愛いだろうなあ」
「じゃあ、小麦さんに言ってみよーっと」
「マリナちゃん」
「なに?」
「マリナちゃんはほんとに可愛いね」
「カイさん、よく褒めてくれるね。カイさんはすごく優しいよ」
「優しさでできてるからね!」
毎日カイさんは、マリナを可愛いと言って褒めた。マリナが、優しいねって返事をすると、カイさんは、優しさでできてるからねって言うのが、お決まりだった。
「カイさんは、いつもなにしてるの?」
「なにもしてないよ」
「趣味はある?」
「ないよ」
「じゃあ、何をしてる時が、幸せなの?」
「マリナちゃんと話してるときかな」
「そうなんだ」
「マリナの話を聞かせて?何をしてるとにが幸せ?」
「カイさんと話してるとき」
「ははは!じゃあ、逆に辛いときはいつ?悲しいときは?」
マリナは、いつも笑っていたし、優しく振る舞うようにしていた。みんな、マリナを明るく陽気だと言う人ばかりだ。辛いとき、悲しいときはいつ?という質問をされたことなどなかった。
「明るくなりたいときは明るくなれば良い、でも、暗い気持ちの時だって、時には必要なんだよ」
「うん、わかった」
「もう寝よ?おやすみ」
「おやすみ」
「今日もありがとう。マリナちゃん」
マリナは、孤独で、生きづらかったこと、カイさんに話してしまいそうになった。
そして、強く会いたいと思った。
カイさんをもっと知りたい。その気持ちはどんどん強くなった。