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9.それはまるで悪夢のような

 怒涛のような出来事が終わると、急に波が引いたみたいに日々は平穏になった。


「雪花ちゃーん」


 翔が背中から抱きついてくる。顎を私の頭の上に置くのが彼のお気に入りのポジション。


 少し重いけど、スキンシップは猫のストレス緩和。ごろごろ喉を鳴らして、頭を振り振り、彼は雪花の猫毛を掻きまわす。


「翔ちゃん、髪の毛崩れる」

「雪花ちゃんは可愛いよ」


 いつも通りのセリフだが、雪花には気づいたことがある。

 森羅に言われた可愛いはとても恥ずかしかったのに、翔だといつものこと、と思ってしまう。


(それって……)


 それ以上は考えないようにする。


「翔ちゃん、もう大学行くから」

「送ってくのにー」


 事故や雪花の月経の匂いで、ずっとスキンシップができなかった翔は、ちょっと欲求不満みたい。彼らはスキンシップが足りないと、イライラが募るのだ。


「翔ちゃんは二限からでしょ。私も二限、私を送っていたら間に合わないの」


 最近は天気がいい日なら、バスも乗れるようになってきた。


 とはいえ、なんとなく体調はいまいちだ。

 講義中、妙に体が熱い気がしていた。歩くとめまいもする。風邪だろうか。どんどんそれらの症状が酷くなる気がして、雪花は午後の講義は欠席して、帰ることにした。

 

 時刻は13時半、普段ならば空いているはずのバスだが、まばらに男性が乗ってくる。


 中央より後ろの二人席の窓側に座り、雪花は強い日差しを避けるためカーテンを下ろす。

 発車直前、また男性が駆け込むように乗ってきて、それからバスが動き出した。

 

 バスが左右に揺れる。めまいのせいか、だるくて少し寝てしまっていた。また揺れる。この箇所は、いつも揺れるのだ。

 その拍子にか横に座った男性が重力に任せて雪花のほうによりかかり、その手がスカートの上から太ももに乗る。


「……!」


 最初は勘違いかと思った。顔を見ようとしたとたんに、口が塞がれる。気が付けば座席に引きずり倒されていた。

 顔と手も、塞ぐように押さえつけられる。乗りかかる様にされていて、けれど座席の陰に隠れて、何をされているか周囲には見えない。


 その目は血走り、息が荒く、まともじゃない。


「……や」


 声が出ない。何が起きているのかわからない。

 

 満員電車の中でもみくちゃにされて、もがいている感覚だ、逃げられない。

 だけど、のしかかってきた手がスカートをめくりあげて、太ももにじかに触れた。


「……お客さん。お座り下さ――」


 いぶかし気な運転手の声だけむなしく響く。

 助けてと言いたいが、怖くておまけに手でふさがれていて声が出ない。


 のしかかる男は乱れたシャツ、青いストライプネクタイは歪んでいる、無精ひげ、血走った目、粗い息遣い。


 バスの中にいた男性たちが立ち上がり、周囲を囲んでいる。

 誰かの手で、両手が押さえつけられる。ブラウスが外される。のしかかってきて、スカートをめくりあげて、手が太ももにじかに触れた。


「……」


 まさかという恐怖で声が出ない。

 ひんやりした感触、パンツがずり下ろされた。どの目も血走って息が荒い。

 

 不意にバスがけたたましい音を立てて急停車する。

 がくんと前のめりになり、バタバタと男達が転がっていく。


 雪花はもがくように、目の前の男をおしのけて、椅子から転がり落ち、床を這うようにして固まった。


「――ひっ、いいいいいいっ!!」


 運転主が叫んでいる。

 そのあとに、「おおおおお、狼っ!」という声が響いた。

 

 同時に、真横の壁がきしんだ。


 凄まじい音とともに、歪んだ光が差しかけている、その向こう、バスの中央にあるひしゃげたドアがなくなると、大きな黒い獣が乗り込んでくる。


「ひ」


 誰かが声をあげる。そして、大きな狼に驚いてまばらにいた客が叫びだす。


 誰も雪花には構わなかった。

 雪花は頭を腕のしたにして、椅子の下にできるだけもぐりこむ。


 先ほどの男だろうか、雪花の背中を蹴り振り返りもせず、逃げようとした。


 けれど不意に重みがなくなる。

 顔をそっとあげると、大きくて銀色の獣が獰猛な牙を剥いて唸りながら、そいつの首根っこを咥えていた。

 そいつは意味のない言葉を漏らし、失禁し、そのあと気を失う。


 獣は苛立ちと共に、口から勢いよく離して、ほうり投げた。


 いつのまにか、乗客は這う這うの体で、できるだけ距離を取る様に一番前の入口の方に殺到していて、押し合いへし合いそこを塞いでいる。


 雪花は大狼を見つめた。


「あ……」


 動けない。


 でも、狼は違った。鮮やかすぎるほど青い目は雪花をじっと見据えた後、ぺろりと大きな舌で雪花の頬を舐める。

 反射的に目を閉じた雪花の身体の下にもぐりこみ、背中にころんと乗せられる。


「……森羅?」


 その毛を雪花が掴むと、彼は自身が空けた穴から雪花ごとバスから抜け出した。


 景色が走り出す。

 

 慌てて首に手を回し、そして毛並みに顔を埋める。


 温かい。ホッとして涙ぐむ。胸が痛い、あちこちが痛い。


 ぐうっと喉がなる。それに気づいたのだろうか、狼の肩がぴんと張る。雪花は首に手を回して、押し付けるようにぎゅうっと顔をうずめた。


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