7.突然の挨拶です
私は、いつも通り自分の家にいた。
けれど、ここは、かってないほどの緊張感に包まれている。
「俺は、悠の里の森羅という。里の長をしている。先ほどは失礼した」
『雪花に彼氏ができたら、あいさつに来た時大騒ぎになるね』と友人たちには言われていた。
雪花自身もそう思っていた。
というか、そもそも彼ができるのか、という不安も大きかったけれど。
「その非礼を詫びるとともに、雪花を俺の伴侶として、もらい受けたい」
なのに今、相手は結婚の申し込みに来ている。
なぜ!?
「悠里か。お前の正体はわかった。――だが、俺が許すと思うのか?」
うちのソファは大きい。さらに言えばリビングはもっと広い。
郊外に建てたのはそのためだ。何しろ、獣がくつろぐための広さだ。
コの字の底辺がない形のソファが二つ接していて、片方は長兄。
向かい合い床に座るのは銀髪の人。一度だけ兄が進めたが、彼は座らなかった。
だが緊張しているそぶりもなく、背筋はスッと伸びている。足を開いた正座だ。武道をやっているのかもしれない。
横のソファに座るのは、雪花を真ん中に次兄と弟だ。
「無礼は詫びよう。先に保護者である貴殿に申し込むのが礼儀だった」
やけに物々しい言い方をする人だ。
けれど、さまになっている。武士か? それとも将軍か?
なんだか、そんな名称が頭によぎる。
「探していた女性に会えた。その嬉しさで、つい先に手を触れてしまった」
そして彼は、こちらを見る。
「すまなかった、雪花」
「名前を呼ぶ許可を出した覚えはない」
次兄の蒼士が冷たく言い放つ。
一見落ち着いて見えるが、彼の見えない爪が飛び出し、今にも飛びかかって相手をえぐりそうだ。けれど、銀の髪の彼はやすやすと受け止めてしまいそうな、余裕の雰囲気がある。
長兄が攻撃できなかったのは、彼が初めてだ。
「では許可が欲しい。くれるまで何度も乞いにくる」
「何度頼まれても、許可は上げないよ」
翔が言い放つ。
彼はとび色の瞳を細めて今にも飛びかかりそう。その喉がぐるぐる鳴っている。目もすでに猫の目だ。人の目ではない。
でも銀の彼は動じていない。
そう、彼も人間じゃないのだ。
「待って。あのね、さっきも言ったけど」
そう、雪花には一目でわかった。
「この人は私の命の恩人なの」
彼が月の夜の銀狼だと。
「それは感謝している。だが雪花をやるのとは話が別だ」
燐斗は冷静な性格で、相手の話をじっくり聞く。
蒼士お兄ちゃんは、すぐに正論で返してしまうときもあるけれど、燐斗お兄ちゃんは企業の社長をしているせいか、すぐに諭さない。
相手が何を言いたいか、本当に意図していること、そこに潜む問題は何か、丁寧に探って答えを出す。
でも今は違う。
牙をむいて、今にも首筋にかみつきそうだ。
「失礼を承知で問いたい。――貴殿らは、雪花を娶るつもりか」
最後までは言わせなかった。蒼士が、一番冷静な兄が、彼に飛びかかる。
「蒼士ちゃん!」
黒豹が人間にのしかかる。そのまま大きな口をあける。
雪花の悲鳴のような声だけが響き、弟は何も言わなかった。
「――やめろ、蒼」
そして、鋭く命じる燐斗の言葉。
身じろぎする二人、いや一人と一匹。
銀の彼――森羅は動揺さえしていなかった。
腕で喉をかばっていて、その腕から蒼士の牙が抜ける。
「蒼士、離れろ」
蒼士がぐるる、と凶暴に喉を鳴らして、のそり、森羅から離れる。
が、兄が移動してきたのは、雪花の目の前だ、何も見えなくなる。
「蒼士ちゃん」
雪花がその首に不安げに腕をまわすと、蒼士がパタンをしっぽで雪花の腕を叩く。どうやら心配するな、ということみたいだけど。
「つくづく礼儀知らずな奴だ」
「無礼を承知で、と言ったはず。そして別に非難をしているつもりはない。当然のことだ」
兄たちは反応しない。雪花だけが困惑を隠せない。難しい言葉の連鎖だ。
でも大体はわかる。
「我々幻獣の血をひく種族は、伴侶を得ることが難しい。ましてや子を産んでくれる雌は貴重だ。血を分けた同胞であろうと、結ばれるのは、さほどおかしなことではない」
ああでもやっぱり難しい。はらからって何? ていうか、おかしいよね。うん、おかしい。ていうか、幻獣って何?
「だが雪花は変化するものだ。もはや時間がないのはわかっているだろう」
変化するもの? それって?
「それでも、お前にやる道理はない」
後ろで翔が言い放つ。いつもは笑いながら皮肉を言う彼が、冷たい目で相手を見据えている。
「わかっている。だが俺は里の長だ。長の伴侶に手を出す獣はいない。里ならば雪花の危険は、格段に減るだろう、いや、確実に雪花を守る」
「――出て行ってくれ」
兄の言葉は一言だけだった。
森羅の表情は硬い、だが兄の顔はもっと強張っていた。
***
「――森羅」
森羅の車は、黒のBMWだった。
なんだかすごいな。車に乗り込む前の彼と、帰り際に話すことを兄は許してくれた。ただ許されたのは話すことだけ。
その百メートル後ろでは、兄と弟が控えている。
「助けてくれてありがとう」
彼は運転のためにとつけていたサングラスを外して、雪花を見下ろす。
「いいや。俺こそ悪かった」
彼は口を覆い、そして気まずげに口ごもる。
「ごめん。雪花の気持ちを無視して、あんな話をして」
その口調に雪花は笑う、少しほっとした。
雪花は百六十三センチ。
だけど、彼はお兄ちゃんと同じくらいの身長。かなりの身長差だが、雪花も見上げるのは慣れている。
「ううん。よかった」
「何が?」
「ふつうに、話せるんだね」
彼は逸らしがちだった目を瞬かせた。
「変だった?」
「うーん。武士かと思った」
「礼を尽くさないといけないと思って。緊張してたんだ」
彼の緊張の表し方がおかしい。
雪花が肩を震わせて笑うと、彼はまた口を手で覆って目を逸らす。
「どうしたの」
「ごめん。あまりにも可愛くて」
「……」
そんなストレートに言われましても。
しかもかなりの美形だ、切れ長の目、凛々しい表情。
その彼が照れて目を逸らすとか。本当なのか信じていいのかわからない。
「本当だよ。雪花を見ると嬉しくて、しっぽをパタパタ振っちゃうんだ」
「ええと」
その表現はわかる。人間の姿でも、兄が爪を尖らせているとか、牙をむいているとか、気配でわかるときがある。
「さっきは、雪花が幻獣の雌だからという風に聞こえたかもしれないけれど、違うんだ」
彼は目を細めた。風がなびいて彼の後ろ髪を揺らす。
「雪花が俺の傷をなめたとき、俺の伴侶だって思ったんだ」