3.後悔というのは、後からするもの
(やっぱり免許、取らなきゃなあ)
バスに揺られながら雪花はため息をつく。
今日は、午前だけの講義だから昼食を取っての帰宅だった。だから兄に連絡をする必要はない――はずだった。
窓の外は土砂降りの雨。
山を越えて走るバスの窓の外は、雨のしずくで何も見えない。
友人みんなは、車で帰宅。雪花とは方向が違うし、雨だからという理由だけで送ってもらうのも悪い。
『雨の日は迎えに行くから』
そう兄たちに言われていることを思い出す。
嫌なわけじゃない。
でも――独り立ちできていないことが嫌。
雨はますます強くなっている。きゅっとバスが揺れた、横滑りしたのだ、少し怖いと思う。
――雪花、大丈夫か?
蒼士お兄ちゃんからのLINEに答える。
蒼士兄ちゃんは、二九歳の若さながら大学で社会学の准教授をしている。だから割合自由もきく。今日は、早めに家に帰ったのだろうか。
――今、バスに乗っている
途端にスマホが震える。
『雪花? 今どこだ』
バスの中だよ、会話はだめだよ。という声を飲み込んで、そっと返事をする。
「どこってバスの――」
『すぐ迎えに行く。だから、場所を――』
何言ってるの、バスだよ!?
いいよ、と言いかけたその時、がくんっと上下に揺さぶられる。
スマホがふっとぶ、スマホと自分の揺れる身体を、どちらを優先させようか迷う間に体が浮いて、前の座席に乗り上げてしまう。
叫び声が後ろから響く。
後部座席より急ブレーキの音が響き、雪花も多分叫び声をあげたかもしれない。
いきなり左右に揺さぶられる浮遊感に襲われる。
隣の窓が天井になる、横転した、そう理解ができたかは怪しい。
体が窓に叩きつけられる。
痛みが全身に走って、息ができなくなる。それから冷たく濡れる感触。雨なのか、血なのか。
そして、意識がなくなった。
***
ぱちぱちという音が響いて、それから痛くて目が覚めた。
「う……」
声が出ない。どうやら仰向けにたおれているみたいだ。土の匂いにむせる。動こうとして全身の痛みに体を震わせて、息を止めた。
(……無理だ)
どうしてなのか、全然動かない。
雨が叩きつけている。寒くてたまらない。その時大きな音が響いて、木々の合間からヘリコプターが見えた。
「あ……」
その先には、黒い煙があがっている。
多分、バスの事故現場だろう。首だけを動かしてみると、土肌がむき出しになっていた。
どうやら自分はバスから投げ出されたらしい。また一つヘリコプターが飛んでいく。けれど、雪花にはだれも気づかない。
(……だれ、か)
ひゅ、という音だけが漏れた。体を動かそうとするとまた全身が痛んだ。
雨が痛い。出血しているのだろうか、全身が痺れている。ただ、このままだと死ぬと言うことがわかる。
いたい。さむい。体がガクガクと震える。ひゅっと喉がなる。
今度は怖くて喉がなっているのかもしれない。涙がにじむ。
「お……」
(おにい、ちゃん)
燐斗お兄ちゃん、蒼士お兄ちゃん、翔ちゃん。
自分の大事な家族を思う。
「た……」
たすけ、て。たすけて。
お兄ちゃんたちの言うことを聞けばよかった。迎えに来てもらえばよかった。
ううん、お兄ちゃんでも、危なかったかもしれない。
いや、獣姿のお兄ちゃんならば、怖いものはない。
駅周辺にでる猪や熊情報も、雪花の家の周辺ではない。おそらく、燐斗達に怯えて獣は姿を表さないのだろう。
「さむ……」
冷たい。雨は苦手だ。
そうだ、兄も弟も、猫系だ。彼らは濡れるのが苦手だった。雪花のほうがまだまし。でも雨が苦手でも、雪花のためにならばきてくれるだろう。
「たす……け」
意識が遠くなる、けれど何かの足音を感じた。獣だ。兄ではない、弟でもない。
ササッと軽やかなひそめる音。
それを最後にまた意識が遠くなる。
***
地面が揺れている、痛みはすこし楽になっていた。そして温かい。
獣の毛に頬が触れる。
馴染みのものよりもだいぶ硬いけれど、雪花には懐かしい感触だ。落とされないように手で掴むと、それに気づいたのか鼻面が寄せられる。
黒い獣だ。
「…蒼士ちゃん?」
黒い獣は、蒼士お兄ちゃんだ。でも彼は、こんなに毛深くない。
温かい舌が雪花の頬を舐める。そしてまた意識が遠くなった。