15.お家事情が、ちょい見えます
重いような甘いような言葉を言われて混乱しながら、雪花は誘われるように里の奥へと進む。そうすると、立派な平屋建ての日本家屋がだんだん近づいてくる。
(まさか、あれ)
「俺の家だよ」
(大地主? お殿さま!!)
そこに行くの、と雪花は驚愕した。
***
敷地を囲むのは澄んだ水の流れる溝と垣根。
敷地入口には、戸のようなものはなかった。そもそも垣根も腰のあたりまでで、屋敷を囲む庭がよく見渡せる。見晴らしがいいくらい。
だが屋敷はその庭の木々や池なんかにさえぎられてよく見えない。
ぽっかり開いた入口は、戸のようなものはなく、代わりに一人の男が控えていた。
「――紫藤」
森羅が呼びかけると、彼は軽く頭を下げる。
「紫籐。雪花だ」
彼は軽く頷くと、目礼した。
歳は森羅と同じくらいだろうか、彼も顔立ちはいいが愛層がない。柴犬? いいや、神社にいるような狛犬を連想させられた。
誰も寄せ付けない厳しい気配で屋敷を護っている、そんな人。
「紫籐は、俺の腹違いの弟だ」
(ええええ! 突然身内に紹介! しかも複雑な事情!)
しかもあんまり歓迎されていない!
「よろしくおねがいします、紫籐さん」
僅かながら声が震えたのは許してほしい。
彼は射貫くような目で雪花を見た。
「兄上――」
こそっと彼が森羅に呟いた。森羅は表情も変えず仕草もかえない。ただ聞くだけだった。
そのまま彼を入口に残して森羅は雪花を先に入る様にと促す。
足元は敷石、左右に植えられた花の咲いていない椿の道を進むと、ようやく玄関らしきものが見えてきた。
雪花が胸に手を当てて深呼吸をしていると、引き戸に手をかけた森羅が笑う。
「相当緊張している?」
「そりゃあ……」
「どうして?」
(どうしてって、こんな大きな屋敷に! 敷居が高すぎてびびりまくりだよ)
「雪花が緊張するのは俺の家だから? その意味は?」
「え…ええ!?」
「ただの友人の家を見物に来たと思えばいい。興味本位にね、そう思えば大したことじゃない」
彼はカラッと笑って、戸を開けた。すうっと滑らかに動く戸を見ながら雪花は口を引きつらせた。
(友人でも、こんな格式高そうな家、緊張するよ!)
けれどそれを言う前に、玄関の先、上がり框を上がったところにはすでに人がいた。三つ指をついて、頭を下げた女の子が。
「お帰りなさいませ、旦那様。お嬢様」
「夕月、戻った」
スッと顔をあげたのは、少女だった。黒くてサラサラの髪は肩先で切りそろえられている。華やかではないが、左右バランスの良い顔立ち、瞳が紫を帯びていて少し不思議な雰囲気を醸し出している。
「夕月。雪花だ。――雪花、夕月はうちの屋敷を切り盛りしてくれている。何か入り用なものがあれば、頼めばいい」
「雪花様。至らぬところもございますが、よろしくお願いいたします」
「いいえ、あの……」
私のほうこそ、と声にならない声で言い淀む。
ああもう彼女の方が年下だよね!?
スッと伸びた指先や、伸ばした背筋、そろえた膝。もちろん彼女も着物だ。
所作というのだろうか、彼女の雰囲気に圧倒されて、さま付けとか、そんな言葉遣いとか、もうどこから普通にしてほしいと頼めばいいのか、わからなくなる。
森羅が先に上がり框に足をかけて、雪花を振り返り手を差し出してくれるからそれを取る。床に膝をついたままの夕月ちゃんの横を通り過ぎるのは、なんだか気が引けた。
ここの勝手がわからない。
先に森羅が歩き、雪花の後ろを夕月が歩く。
庭を左手に見ながら廊下を進むと、森羅が振り返る。
「夕月。雪花を部屋に案内してくれ。雪花、俺は先に用を済ませてくるから、後で」
「ええと――」
「また迎えをよこすよ」
そういって、彼は緊張する雪花をなだめるように不意に屈んで額に唇を寄せた。
***
後ろにいたので、見ていた夕月ちゃんの反応はわかりません!
失礼しますと彼女が断りを入れ、先導されて案内されたのは、結構奥の部屋。
そこには座卓とか、鏡台とか、着物立てとかが置いてある。
奥の部屋は、後で寝具を敷くと言われる。
畳は新しい井草の匂いがする。調度類も新調したのだろうか。客間というよりも雪花のために用意された部屋という感じで、うろたえる。
「どうされましたか?」
「ええと。畳が新しいんだね」
「雪花様をお迎えするのにあたって、当然です」
かわいらしい顔立ち、年下のようだけど、雰囲気に甘えたところが一切ない。歳が一番近そうなのに、これじゃ居づらいぞ。
「夕月ちゃんは、幾つ?」
「十六になります。夕月とお呼び捨てくださいませ」
「私は十八だよ。だから様はやめて」
夕月ちゃんは、じっと雪花を見つめたあと、ふいっと背を向けて庭に向ける戸を開く。途端に、庭の景観が目の前に飛び込んでくる。
「致しません。私は、こちらに大旦那様の頃から仕えております。現在の主に当たる旦那様の奥方になられる方と、そのように親しい呼称で呼び合うことはできません」
「……」
「屋敷内は、都会の方には堅苦しいものもございましょう。西洋のものも申し付けてくだされば、手配いたします。雪花様にはお寛ぎくださいますよう」
彼女は座布団を勧めて、自分は出口へと足を進める。
「茶を入れて参ります」
その隙のなさ。距離を縮めるという気のなさに、圧倒されていると不意に荒い足音が響いてくる。男の人のような重みはない、子どものような軽さでもない、わざと感情で床を踏み抜いているような感じだ。
「ちょっと夕月!? 森羅様のお相手ってもう来てるの!?」
パンって開けられる戸。
そこにいたのは、夕月と同じくらいの女の子。赤みが混じった毛は天然なのかわずかに跳ねていて、同じく橙色がかかった瞳は燃えるように力強かった。
「……彩媛」
後ろで夕月ちゃんが、額に手を当てて憂鬱そうなため息をついた。




