12.里にようこそ
「雪花、よかったら俺の里を見てみないか」
森羅にそう言われたのは、あの症状が始まってから十日後のことだった。
あの五日間はずっと家の中で軟禁状態、外に出るのも禁止。それから二日後にようやく大学に行くのを許された。
あれから森羅は何度も雪花を訪ねてきた。兄たちがいると獣はこの近辺に近づくのさえ恐れる、なのに森羅は動じない。
面会には必ず兄弟が同席していたけど、それでも普通の顔で、にこやかに会話をして帰っていく。
「あいつ、どういうつもりだよ!」
翔ちゃんはぷんぷん怒っていたが、燐斗はそれを許していた。その理由が雪花にはわからない。
「お兄ちゃんたちは一緒には来れないの?」
森羅は苦笑した。
「彼らはどれも、長になれるほどの力がある。他の群れに来るということは、そこの長の座を狙いに来るとみなされる」
確かに、燐斗や蒼士は体の大きさからも性格からも誰かの下につくことはないだろう。でも弟もそうなのかと雪花は驚く。
「幻獣というものがどういうものか、見ておくのもいいと思う」
躊躇する雪花に彼は安心させるように笑う。
「もちろん。ちゃんと送り返す、それは約束する」
燐斗は反対をしなかった、ただし一日だけだ、といった。
「もし雪花を帰さなかったら、お前の里に乗り込む」
獣の瞳で、燐斗はそう言い放った。
***
前回と同じくメルセデスベンツの後部座席に雪花は森羅とともに座っていた。車は奥地へと入っていく。この辺りは東京とは思えないほど森が深い。
「ここ、どの辺?」
森羅は笑うだけで答えない。
「ごめん。少しだけ眠くなるよ」
俺たちの里は隠してあるから。そう告げる森羅に頷いている間に、眠くなってくる。
「――雪花、起きて」
直後に起こされて目を開けると、車は止まっていた。
車から降りる前から雪花は気づいていた、空気が違う。
二十三区から移り住んだのは、兄弟たちが空気の汚さや騒音を嫌ったから。雪花もそうだ。都会の煩さにはなれないし、空気も汚い。けれど、ここの空気は自然の清涼さとも全然違う。
降りてみると、眼下に見下ろすのは青々と山肌を見せるなだらかな渓谷。その下には棚田が広がり、赤いものが点在する。家の屋根だろうか。
雲が切れ陽光が谷を照らす、緑の濃淡が鮮やかになる。
空気はひんやりとしているが、清冽ではない。優しく柔らかい。雪花がふんふんと匂いを嗅いでいると、森羅が笑う。
「雪花、耳が立っている」
そうなのかな? 見えない耳がぴんと張っているみたい。目も好奇心で輝いているだろう。
「降りようか」
里へ車では入れない。そう言って彼は雪花を抱き上げた。
「少し怖い思いをするかもしれないから、目を閉じていて」
そう言われて最初は目を閉じていたけれど、頬に当たる風が結構強くて、雪花は目を少し開けた。揺れはしない、安定している。彼の腕がそれだけの筋力があるからだ。
胸に頭を預けて、雪花は縮こまっていたけれど、そっと彼の胸を片手で掴むと、森羅が見下ろして小さく笑った。
口元だけをほころばせる自信に満ちた笑み。ここは彼の庭なのだ。
獣の姿ではない、人間の彼の胸に抱きかかえられていた。
通り過ぎる木々は様々で、足元は草木が生い茂り、人の通り道ではないとわかる。
木々の隙間をぬうようにして、彼が駆け抜ける。
普通ならば手入れをされていない森はうっそうとしていて、光も入らず怖いだけのはずなのに、胸が弾む。風が気持ちいい。
森羅に守られているから?
(ううん、この森が――この一帯が安心するのだ)
大きな神社の社に向かう時に感じる、静謐の気配にも似たもの。ここは森羅の気配に満ちている。
(ここ、森羅の縄張りなんだ)
そう感じた。
結構なスピードで川を越え、岩山も越えて、そして森羅が足を止めたのはまだ木々が深いところ。
「雪花。――ここから先が、俺の里だ」
いったいどこに?
そう思いながらも、森羅に抱かれたままでいると彼はゆっくり歩きだす。
そして大きな岩と岩の間をくぐると、何かを潜り抜けたような浮遊感に襲われて、そして雪花たちは整えられた竹林の中を歩いていた。
「ここ?」
「そう俺の領域、悠の里にようこそ。――雪花」




