家での出来事
学校からまっすぐ平坦な道を進み、100メートルは続く急な坂道を上って、左に曲がり少ししたところに黒瀬家はある。
なんてことはない2階建ての一軒家である。
ドアノブに手をかけると鍵が開いていたので、そのままドアを開き「ただいま」と言いながら家に入る。
すると「おかえり~」という若い女性の声が返ってくる。
その声の主は制服のままソファーに座り、女性用ファッション誌を読んでいた。
中学2年生の俺の妹である。
名前は黒瀬由利。
150センチくらいの身長で霞よりもちょっと小さい。
黒髪というところは俺と同じだが、瞳は綺麗なライトブラウンの色をしている。
中学での成績はそれなりに優秀らしく、部活はテニス部に所属している。
最近になり色づいたのか、髪型をポニテにしたりツインテにしたりお団子にしたりといろいろ試しているようだが、元の素材がいいのでお世辞とかなしに大概何でも似合う。
ちなみに今はお団子にしている。
「先に帰ってたのか、由利」
「うん。まあ私たちの場合、始業式とクラス発表だけだったからね。10時くらいに学校が終わったよ」
由利はファッション誌を見ながらそう応える。
「それよりユウ兄ぃ、友だち出来た?」
いつも俺の学校事情に関して興味を持たない由利が、珍しくそう聞いてくる。
俺はリュックを下ろしながら
「1日で友だち出来るはずがないだろ。まあ、一応クラスにカズと霞がいたぞ。あ、あと隣の席の人とも一応少しは会話したか。ってかどうしたんだよ、いきなりそんなこと聞くなんて。珍しいな」
「妹なりにユウ兄ぃの心配をしてあげただけ。でもそっか、和樹さんと美波さんいるなら安心だね。ちなみに隣の人ってどんな人?男?女?」
「女だよ。どんな人かっていえば、まあ、美人で優しそうな人だったぞ。」
「へえ~、ユウ兄ぃがそう言うならかなりの美人さんなんだろうね。ねぇ、写真とか持っていないの?」
由利はファッション誌をパタンと閉じ、少し興味を持ったかのような目で聞いてくる。
「持っているわけないだろ。今日初めて会った人に『写真撮ってもいいですか?』とか言えるわけねぇし」
俺がそう言うと、由利は「はあ」とため息をつき、
「まあ、そりゃそうだよね。じゃあ名前はなんて言うの?」
「佐藤朱音だ。朱色の『朱』に音楽の『音』で朱音だ」
「ふーん、佐藤朱音さんね。………ねぇ、今度家に連れてきてよ。どんな人か見てみたい」
はあ!?出来るわけないだろう。
まず、彼女を家に誘う理由がない。
何かしら理由でもない限り、異性の家に行く人なんてそうそういないだろう。
しかも豆腐メンタルの俺にとって異性を誘うのなんて難易度が超高い。
ということで残念。連れてくることは出来ないのでした。と言ってもいいのだが、万が一があるかもしれないので
「ああ、機会があったらな」
と「行けたら行く」的な感じの言葉を返しておいた。
この会話が終わると、由利は再びファッション誌を開き読み始めた。
さて、俺も着替えるかと思い視線を動かすと、リビングの机の上にあるかごに入っている個装のチョコレートが目に入った。
ちょうど甘いものが欲しかった俺は、十数個あるから一個くらい食べでもいいだろうと思い、一応由利に「チョコレート一個貰うぞ」と断りを入れた後、チョコレートの包装紙を綺麗にとる。
「ああ、それは………」
由利がなにか言おうとしていたが、俺はそれに構わずチョコレートを口に含んだ。
次の瞬間俺の口の中に広がったのは程よい甘み………ではなく強烈な苦味だった。
俺はえもいわれぬ苦味にその場に倒れそうになったが何とか持ちこたえ、たまたま机の上にあったペットボトル飲料を口に含んだ。
ペットボトルの中に入っていたのはオレンジジュースだったようだが、苦いものを食べた後だからだろうか、いつもより相当甘みを感じた。
「ああ、それ私のオレンジジュース!」
由利の悲痛な叫びが聞こえるが、あの時、俺は誰よりも飲み物を必要としていたのだ。
だからしょうがない………というわけにもいかないらしく
「もう、それ全部ユウ兄ぃにあげるから後でお金返して」
「少ししか飲んでないから、そんなケチんなくてもいいじゃないか」
実際、飲んだのは数十ミリリットルでまだ中身も半分以上残っている。
「いや、量関係なしにユウ兄ぃが口付けたやつとかもう飲めないから」
「………はい、分かりました」
そういうことになった。
その後、俺は私服に着替えてから、ちゃんと由利にオレンジジュース代、150円を手渡した。
「というか、誰がこんな苦いチョコレート買ったんだ?絶対カカオ100%のやつだろ、これ。由利、お前か?それとも母さんか?」
父さんは絶対にこんなものを買わないので、おそらく母さんか由利のどちらかだろう。
「うん、カカオ100%ってのは正解だけど、買ったのは私でもお母さんでもないよ」
だが、由利から返ってきた答えはどちらでもなかった。
「え、じゃあ誰だ?爺ちゃん婆ちゃんか?」
そういえば、たまにふらっと来てお土産など置いていく爺ちゃん婆ちゃんの可能性もあるな。
「ううん、違う違う。トモ兄ぃだよ。今日ちょうど私が帰ってきた時に寄ってきていたんだよ」
「トモ兄ぃ………。犯人はあいつか。しかもなんの為に来たんだよ」
完璧に選択肢から外していた奴の名前が出た。
黒瀬倫也。この家の長男だ。
今は確か大学3年生だったはずだ。
比較的近い大学に通っているが、俺らとは別居している。
トモ兄ぃは俺が大嫌いな奴の一人だ。
なぜならいつも俺にちょっかいばかりかけてきたり、いたずらをしてきたりするからだ。
いろいろと大事なところで何度邪魔されただろうか。
その数は数えしれない。
けれどそれだけだったらただの「嫌い」で済む。
それに「大」をつける理由がもちろんある。がそれはまた今度語ることとしよう。
ああ、というか、トモ兄ぃのことを考えただけでも腹立たしくなってきた。
その怒りにはカカオ100%のチョコレートの件も含まれていたかもしれない。
「そんな怖い顔しなくていいじゃん。そもそも私の警告を聞かず食べたユウ兄ぃが悪い訳だし」
少しムシャムシャしていた俺は、思っていたよりも怖い顔をしていたらしい。
「まあ………それはそうだな」
「それにトモ兄ぃが今日うちを寄ったのはこれの為だし」
そう言って由利は制服のポケットから封筒を取り出し、俺に「はい」と言って渡した。
「ユウ兄ぃの入学祝いだって。『直接渡せばいいのに』って言ったんだけど、『俺はそれでもいいんだけど、多分裕也が嫌な顔するからな』とか言われてさ。だから私が仲介を引き受けたの。確かに渡したからね」
おお、トモ兄ぃ、しっかり分かってんじゃねぇか。
その気遣いには感謝しよう。
「由利、ありがとう」
「どういたしまして。ってその感謝はトモ兄ぃに伝えといてよ。で、いくら入ってた?」
由利がデリカシーのない事を興味深々に聞いてくる。
伝えるかどうか悩んだが、家族間のことだからいいかと思い、札束の枚数を数え始める。
札束は全て万札だった。
1枚、2枚とお札をめくりながら数えていくとちょうど10枚のところでめくり終えた。
「………10万円だった」
「え、ヤバ、10万!?今の大学生ってそんなお金持ってんの!?」
俺もそう思う。
この金額はやばい。
そんなに貰える理由が見あたらず、嬉しいとかそういう感情通り越してちょっと恐怖を感じる。
なんかトモ兄ぃ、入れる金額を間違えたりしたんじゃないのか。
そう考えたが、まあ、貰った入学祝い金だ。
返せとかは言われないだろうしありがたく使わせてもらおう。
「いや、多分トモ兄ぃが異常なだけだろう。そもそも入学祝いで10万とかちょっとやりすぎだしな。ちょっと使い道に困る」
「ねぇ、ユウ兄ぃ。そんなにあって使い道に困るなら私に1万くらい頂戴よ~」
由利が小悪魔スマイルでそうお願いしてくるが………
「駄目だ。これはあくまで俺がトモ兄ぃから貰った入学祝いだ。お前にはやらない」
「え~、ユウ兄ぃのケチ」
「オレンジジュース代でいろいろ言っていた奴に言われたくないな」
そうは言ったものの、俺だけ10万貰って由利には何もないというのは少しかわいそうに思えたし、このままだと由利が俺に対してブーブー言っていじけた態度を取りそうだったので、俺は自分の財布に入っていた1万円を取り出し由利に渡した。
「あれ、ユウ兄ぃ、いいの?」
由利が驚いた顔でそう問いかけてくる。
俺からまさか本当に貰えると思ってなかったのだろう。
俺が「ああ」と頷くと、由利は「ありがとう」と満面の笑みを浮かべた。
まったく、本当の意味で現金なやつだな。
その後、俺は母親が作り置きしていてくれたらしいオムライスを食べ、身だしなみを整えたところでふと時計を見ると1時20分だった。
想定外の事がいくつか起こったから、予定していたよりも時間が押していたらしい。
WGまで10分で行こうとすると全力で走ってギリギリ間に合うかという感じなので、やはり時間に余裕を持たせておいて良かった。
俺は1時半になると入学祝い金の半分である5万円と、学生証や許可証など必要なものを持って玄関のドアをあける。
「じゃあ、行ってくるわ」
「うん、いってらっしゃい」
由利にそう見送られ、俺は家を出た。
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