6.キアラの力~後
マサキの部屋の扉に手をかけたところで、部屋の中にマサキともう一人いるのに気づいて、モトコは手を止めた。
「マサキ、答えなさいよ!」
マサキに詰め寄っているのは、いつか話した観光客だった。
「どうしたのよ? 私のこと忘れたとでも言うつもり? あなたがシズル博士の娘とつきあってるの、私、都市でずっと我慢してた。研究のため、キアラのためだから仕方ないって。でも、いったいいつまでかかるのよ? あの手紙の内容さえわかれば終わりだって言ってたじゃない。今日のはなによ? まさか本気になったんじゃないわよね?」
モトコは駆け出した。痛いほどわかった。モトコの無意識下レベルの望みも、キアラは叶えていたのだ。
いや、キアラのせいじゃない。自分が望んだことなのだ。
あのとき、キャラウェにいるかもしれない父よりマサキに会うことを選んだことも、機会があったのにマサキに手紙の内容を深く追求しなかったことも、手紙の文字を父の字だと気づかない振りをしたことも、すべてモトコ自身が選んだことだ。
「……ただいま」
「早かったのね。もっとゆっくりしてくるんだと思ってた」
「…………」
「モトコ、元気ない?」
「そんなことないわ。普通よ」
「じゃあ、今からキャラウェに行く?」
「もうキャラウェに行く必要ないじゃない」
「チチが言ってたでしょ。モトコに託すって。取りに行かないの?」
「ああ。今日は疲れちゃったから、明日にするわ。もう寝ましょ」
「モトコがそう言うなら」
二人はシズルのベッドに入った。
窓には、ちょうど黄昏の空が見えていた。
「ああいうのをキレイって言うの?」
橙色と藍色のグラデーションは確かに美しかった。見ている間にも刻々と変わっていく様子は、胸が痛かった。
「キアラ……あなたはなに? なんのために存在しているの?」
黄昏に目をやったままモトコはつぶやくように続けた。
「本当は、なにも食べなくてもいいんでしょう? 汗もかかないからお風呂も必要ない。なにもしなくても生きていける。なにより、あなたが望んだことは、すべて叶う」
「そうよ」
「なにかをする必要もなく、望みがすべて叶うなら、どうしてキアラはここにいるの? ここにいる意味ってあるの?」
「わたしは、わたしのいる意味なんてわからない。でも、もういるんだもの。どうしようもないじゃない?」
キアラの口調だけが、出会ったときから変わらなかった。
「そうね」
「あ、モトコやっと笑ったね。帰ってから、初めて笑った」
「そう?」
「そうよ」
「……キアラ。ありがとね」
「モトコ?」
「もう寝るわ。おやすみ」
「うん。オヤスミ」
キアラも目を閉じた。
明日はモトコとなにをしよう? まずキャラウェに行こう。今度は飛んで行けばいい。モトコと飛ぶのは楽しい。今まで、空を飛ぶことを楽しいって思ったことなかった。
強い光を瞼の上に感じて、キアラはまばたきをした。外はすっかり明るい。
「モトコ?」
ベッドにはモトコのぬくもりすらなく、以前のような香りも漂っていない。
キアラはまず台所へ行った。モトコの姿はない。
写真の部屋に入った。背を向けたソファから、モトコの長く黒い髪と、腕がはみ出していた。
「モトコ。昼まで寝てたらメガクサルんでしょ。起きて」
キアラはソファの表にまわり、モトコの正面に立つ。
「モトコってば」
モトコは返事もしない。
キアラは、そっとモトコの頬に触れた。冷たかった。
もうモトコはここにいないのがわかった。
「どうして?」
モトコの顔は、ただ眠っているように見える。身体も、昨晩のモトコと違わない。冷たいだけで、手も、足も、なにもかもがあるのに、モトコは動かなかった。
いつもつけていた、あのネックレスをしていない。どうしたんだろう?
四角いテーブルの上に、あのネックレスと小さな薬瓶を見つけた。手紙に使っていた紙が一枚置いてあった。
ありがとう。さようなら。
「どうして? わたしはモトコと一緒にいれたら、それだけで良かった。モトコはそうじゃなかったの?」
キアラの問いに、モトコは答えない。
「わたしのこと、もう『キアラ』って呼んでくれないの? わたしに笑ってくれないの?」
キアラの耳にシズルの言葉がよみがえった。
『君がそばにいてくれたんだね。ありがとう』
「わたしがいなければ、モトコは生きてたの? わたしがモトコと出会わなければ、モトコはもっと早く手紙に気づいて、チチを見つけられたの?」
無くなった命に関しては、自分の力は及ばなかった気がする。だからシズルにも、あれだけしか出来なかったのだ。
でも。
でも、今なら、間に合うかもしれない。
キアラは顔を上げた。
かすれた手紙を手に、キアラは時間を遡った。
雲の切れ間から、ちらちらと太陽がのぞく。
湿った風は少し冷たいけれど、快い。
林のガーデンカフェにはほとんど人がいない。いつ雨が降るともしれない『気まぐれな季節』では、温室でお茶を飲む方が安心だからだ。
木々の葉ずれがさざなみのように聞こえる。長い黒髪の女性は、小さなテーブルにノートを広げて、見るともなしにぼんやりとしていた。
「モトコ」
名前を呼ばれてモトコは顔を上げた。目の前の少女は誰だろうと考えるが、知り合いの子供でもない。
「そんなことどうでもいいの。よく聞いてモトコ。この手紙と、モトコの家に飾ってある写真を持ってキャラウェに行って。そうすれば、モトコが探している人に会えるから」
モトコは渡された手紙に目を通した。
「この字……まさか、この手紙、父さんから?」
少女の姿はなかった。
モトコは再び手紙に目を落とす。
「かすれていてはっきりしないけど、これは父さんの字に間違いないわ。あの子、家の写真のことまで知ってた。もしかして、父さんに会ったの? この場所に父さんがいるのね!」
モトコは手紙を大切に握り締めた。
キアラは元の時間に戻っていた。
どこまでも高い青空を、くるくると踊るように飛ぶ。
「これで大丈夫。モトコはチチを見つける。モトコは死なない。良かった」
飛び跳ねながら、再現されたキャラウェ神殿まで来た。
軽い足取りで、深い赤色の屋根を蹴っては高く飛び上がり、くるくると回転しながら下りると、再び飛び上がる。
「こんなに気分がいいのって初めて。どこまでも行けそう」
速度を上げ、高く高く天に向かう。
「!?」
ひっかかるような違和感のあと、速度が落ちた。
「なに?」
とりあえず、キャラウェ神殿の屋根に着地しようとしたが、今度は進むことすらままならなくなった。
「わたし、どうしちゃったの?」
自分の意思では動けない。高度だけが、じりじりと下がっていく。
モトコと初めて飛んだときのことを思い出した。
モトコもこんな風に落ちたっけ。
キアラの落下速度は増していった。
途中で、キアラの身体はひっくり返った。
逆さまになった目にも、落ちていくのがはっきりとわかる。
もう、地面がそこまで迫っていた。
キアラは目を閉じた。
激突する前に、キアラの姿は消えた。
抜けるような青空の下、美しく映える神殿に見守られ、町に乾いた風が吹き抜けた。
これで完結です。
お読みいただきありがとうございました。
20030607修正20061212修正20070115修正20190529
もともとはいつか見た夢でした。