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気まぐれ  作者: 高山小石
5/7

5.キアラの力~中

連続投稿しています。2/2

 モトコは家を出た。

 バスを待つのももどかしい。歩く方が早いと歩き出すと、にわかに雲が広がり空を覆っていった。

 みるみる辺りは暗くなり、雨が降り出した。

 大粒の雨は、あっと言う間に世界を灰色に変えた。傘を取りに戻るには遅すぎるし、たまには雨に濡れるのも悪くない。とにかく今は、早くマサキに会いたかった。

「そんなに濡れて……」

 マサキはタオルでモトコを包み、ストーブの前に座らせ、すぐに風呂を沸かすから、と部屋を後にした。

 机には暖かなココアがあり、ほんのりした気持ちになった。

 二、三口すすると、マサキがばたばたと戻ってきた。

「寒くないか?」

「大丈夫よ」

「びっくりしたよ。まさかずぶ濡れでくるとは思わなかった」

「私も」

「なんだか嬉しそうだね。なにかいいことでもあったの?」

「なにも。どうしてだろう。ただ、幸せなの」

 マサキはタオルごとモトコを抱きしめ、肌に唇をつけた。

「マサキも濡れるよ」

「いいんだ」

 二人は倒れ込んで、キスを交わした。

「マサキ、お風呂の水、止めなきゃ」

「今はそんなこと気にするな」

 聞こえるのは、激しくなった雨の音と、浴槽を満たし溢れる水の音だけ。現実から遠く離れた場所に二人きりでいるようだった。

「……ん」

 目覚めると、すっかり日が落ちていた。

 今も激しく降り続く雨の音に目をやると、窓辺に見慣れた紙が置いてあった。

 手紙に使われる小さな紙だ。


  ゆっくりしてきてね。

            キアラ


 こんな雨の中、鳥が飛ぶとは思えない。鳥を呼ぶ笛を持っているのは、モトコとシズルとマサキだけだ。だいたい鳥は家に手紙を運ぶのであって、モトコのいる場所には運べない。キアラのことだ。あの不思議な力で手紙だけを届けたのだろう。

「どうした?」

「なんでもない。手紙を見てただけ」

「手紙って誰から?」

 マサキも起き上がった。

「話したよね。家にいる女の子」

「俺も見ていいかな?」

「いいよ」

「へぇ。本当にキアラちゃんなんだ。手紙といえばさ。博士から手紙でも連絡ないのか?」

「手紙も、五年前に来たきりよ。あの手紙、あなたも見たでしょ?」

「ああ。でも、本当に、なにもないのか?」

「なにかあったら、マサキにも言うわよ」

「そうだな」

「ねぇ。手紙といえば、この前の」

 マサキの唇がモトコの言葉を遮った。

「まだ夜は長い。キアラちゃんの許しも出たことだし、もっと楽しもう」


 次に目を覚ました時には、もう日が高くなっていた。自己嫌悪に陥りながら、身体を起こす。

 マサキの姿はない。台所から良い匂いがする。遅い朝ごはんを作っているようだ。

 枕もとに乾かされてキッチリたたまれた服があった。マサキの几帳面さは好ましい。

 窓からさしこむ光は強くなっていた。

 昨日の大雨は、気まぐれな季節の終わりのものだ。今日からは、空気は乾き青空が続く。

「起きたのか。ごはん食べるだろ?」

 気のせいか、マサキの微笑みがいつもと違って見える。妙に照れてしまって、目をそらした。

「どうした?」

「なんだかドキドキする」

「俺の顔を見るだけでドキドキするんだ。嬉しいね。じゃあ、もっと近づいたら、もっとドキドキする?」

「もう。今日はなんだか変なのよ」

「で、ドキドキする?」

「……うん」

 自分でも不思議だった。

 ひかれるように唇を重ねた。

「朝からダメだよ」

「俺はかまわないけどね」

「ごはん食べよ。おなかすいたよ」

「はいはい」

 ブランチが終わると、マサキはコーヒーをいれはじめた。こだわりのサイフォン式で、良い香りが満ちていく。

 キアラを思い出した。結局、一日経ってしまった。どうしているだろう。一人でなにか食べたんだろうか。

「淹れたては美味しいよ」

「ありがと。これを飲んだら、私、帰るわ。キアラ一人じゃ心配だし」

 羽の音がした。白い鳥は窓枠に止まると、小首をかしげてじっとモトコを見つめた。

「ありがとね」

 手紙を外すと、鳥はすぐに飛びさった。


  モトコへ

  少し出かけてきます。

  ゆっくりしてきてね。

            キアラ


 手紙を覗きこんだマサキが笑う。

「良かったじゃん。ゆっくりしていきなよ」

「いいの?」

「もちろん。いいに決まってるじゃないか」

 いつものマサキからは考えられないことだった。ことが終わるまでならともかく、ことが終われば、「仕事があるから」「早く帰らないと噂になるよ」と、帰るように促されることはあっても、引き止められたことはない。

「俺も今日は休みなんだ。二人で暇な日なんて珍しいよね。行きたい所とかあるかい?」

 デート先もいつもマサキが決めていた。モトコはとっさに頭に浮かんだ場所を口にした。

「キャラウェ」

「目と鼻の先だよ。そんな所でいいの?」

「どこでもいいの。マサキとゆっくり一日中いられるんだったら、部屋でもいい。どこにも行かなくったっていいのよ」

「俺もだよ。でも、せっかくのいい天気だから、外に出ようか。モトコは、最近キャラウェに行ってないんだろ?」

 さすがに昨日行ったとは言えないし、行きたいのは本当だった。今までマサキと一緒にキャラウェに行ったことはない。一緒にキャラウェに行けるのなら、友達の話していたことも、昨日の電話も杞憂だとわかる。

 準備をするマサキには、他の研究員の目を気にするぞぶりもない。二股は考えすぎだったんだ。モトコはほっとした。


 二人でキャラウェに向かう丘を歩く。

 洗いたての髪が乾いた風に流れて気持ちがいい。

「思っていたより風があるね」

 空には雲ひとつない。

 坂の途中で、マサキはモトコの手をとって立ち止まった。

「こうして目を閉じると、なんだか空を飛べそうな気になるね」

「そうね」

 実際に空を飛ぶよりも幸せだった。二人で空想の空中遊泳を楽しんでいると、

「モトコ!」

 空の向こうからキアラが飛んで来た。

「一緒に来て!」

「どうしたのよ?」

「チチよ。チチがいたのよ!」

「父さんが?」

 モトコも飛び上がった。

「どこ? どこにいたの?」

「あの穴の奥。私、あれから気になって、行ってみたんだけど。とにかく来て!」

 二人は昨日の穴まで飛んだ。

 穴に入ると、キアラから懐中電灯を手渡された。

「持っていて。一気に行くわ」

 言葉が終わるのと同時に、辺りは暗闇に包まれた。

 ひんやりとした空気。

 水滴の落ちる音がする。

 空気が抜けるような音が定期的に聞こえる。

「父さん?」

 モトコはいそいで明かりをつけた。

 シズルの姿はどこにもない。

「父さん。いるんでしょ? どこにいるの」

「……モ……トコ?」

 空気の抜ける音は、シズルの荒い息遣いだった。

「父さん!」

 怪我をしているようだ。声のする方向に明かりを向けた。岩が浮かび上がるだけで、シズルの姿は見えない。

「まさか、この下にいるの?」

「会い……たかった……。声だけでも……嬉しい……」

「私だって会いたかったよ!」

「満足だ……。最後に、おまえの声が聞けた。もう、思い残すことは……」

「なに言ってるのよ。キアラは? キャラウェの宝は父さんの夢でしょう?」

「キア……ラ……」

 はあっ、と、大きな息がもれた。続いて激しくせき込む音が響く。

「大丈夫? しっかりして!」

「……ここに、キアラのすべてがある。モトコ……あとは、おまえが…………」

「父さん? 父さん!」

 息遣いも消えてしまった。

「キアラ。私の願いをなんでもきいてくれるって言ったよね?」

「うん」

「私、まだ全部話してないのよ。お願い。父さんに会わせて!」

「いいわ」

 キアラは左手を、シズルの声のした方向に伸ばした。

 迎えるように開かれた指先は、闇の中、ゆっくりと淡い光をおびていった。光は少しずつ、人の形になっていった。

「父さん……?」

 流れ上がる光の粒子は、モトコの息にかき消えそうになりながら、シズルの姿を形成した。八十三歳のはずの姿が、六十代くらいに見える。あの写真に写っているシズルそのものだ。

 シズルの右手はキアラの左手とつながっている。シズルは不思議そうな顔をしていたが、モトコに気づいて笑った。

『モトコ。大きくなったね』

「父さん……!」

 シズルに触れようとしたモトコを、キアラは右手で止めた。

『こんな形でも、会えて嬉しいよ』

 モトコに微笑むと、シズルはキアラと視線を交わした。

『時間がない。モトコ、よく聞いておくれ。私はキアラを見つけた。キアラがどうやって作られたのか、それとも元々存在していたのかはわからない。わかったのは、キアラは「宇宙の力」、「人の願いを叶えようとする力」の増幅器のようなものだということだ』

「増幅器?」

『そう。それも絶大な力だ。だから神殿の幾重もの布は、キアラが人々の目に直接ふれないように、隠すためだったと考えられる』

「どうして、隠したりなんか」

『神は公平でなくてはならない。神が人の姿を見れば感情が生まれ、願いが偏ってしまうと考えたのだろう。キアラは神殿に祭られ、外部と遮断された中で、人々から届く願いを叶え続けた。それこそ神のようにね。でも、あるとき、神殿に入った人間によって、キャラウェは崩壊した』

「キアラと直接会っただけで文明が滅んだって言うの?」

『おそらく、その人間が滅びを望んでいたのだろう。キアラは純粋な増幅器で、善も悪もない。望まれるままに力を使う。その人間も、滅びを口にはしなかったのかもしれない。直接出会ったことで、無意識レベルの望みまでも叶えられた可能性がある。それほど、キアラの力は強いのだ』

「そんなこと信じられないよ」

『モトコは、この姿をどう思う? 若いだろう。ここに閉じ込められてから、日に日に若くなったんだ。最初は気のせいだと思ったが、間違いない。私が望んだからだ。「キャラウェの謎を解くまでは死にたくない」、「モトコに会うまでは死ねない」それだけで、飲まず食わずでも、ずっと生かされ続けてきた。もう十分だ。キアラについては、死体のそばに詳しく書きとめて置いてある。研究員をこの場所までつれてきてほしい』

「いやよ。だって、研究員が父さんをここに閉じこめたんでしょう? そんな人達に知らせるなんて絶対にいや!」

 シズルは寂しそう笑った。

『確かに仲間に閉じこめられた。でも、おかげでキアラを見つけることができた。今となっては良かったと思っている。これでこの事業は成功で終わる。なにもかもが長かった。これで良かったんだ。あとはモトコに託したい。モトコがすべてを継ぐように、遺書も書いた』

 話している間にも、シズルの身体はちぎれて、うすく小さくなっていった。

「なんで、なんでもっと早く連絡してくれなかったの? ここにいるってわかってたら、私……」

『手紙を出したのは気まぐれな季節より前だ。それまでは出口もわからなかった。へたに出て研究員に見つかれば殺されるだろうと、機会を窺っていた。やっと出口を見つけ、モトコにだけわかるようにと手紙を出したんだが……遅すぎたようだ』

 最後に、顔だけになったシズルはキアラを見た。

 シズルの顔は、もう、半分以上消えていた。キアラの胸元を見て、懐かしそうに目を細めた。

『君がそばにいてくれたんだね。ありがとう。モトコは寂しくなかった……だろ…………』

「父さん!」

 光の粒子は完全に消えた。

 明かりは床を照らす懐中電灯のみで、水滴の落ちる音だけが空しく音をつなげた。しばらく待って、キアラが口を開いた。

「モトコ」

「……帰らなくちゃ。キアラ、外に出して」

 キアラはモトコの手を取ると、穴の外に出た。外の様子は、穴に入る前と少しも変わらない。

 青空の下、乾いた風に吹かれていると、さっき起こったことが夢のようだった。

「私、マサキのところによってくから。先に家に帰ってて」


 強い日差しの中、モトコはマサキの家に向かった。

 なにから話せばいいのか、見当もつかない。いや、まずマサキから、目の前で飛んでいったことを聞かれるだろうか。

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