2.不思議な少女
大きくてつりあがった瞳が印象的な、意思の強そうな女の子だ。明るい色の癖毛が、ちょうど良いバランスで顔を縁取っている。
「ここに座ってもいいかしら」
少女は返事を待たず、するりとモトコの向かいの席にすべりこむと、
「どうしてそんな顔をしているのか、わたしに話して」
と、当然のように要求した。
友達か知り合いの妹かと記憶をさらう。どうしても見覚えがない。
「ごめんなさい。あなたのこと覚えてないわ」
「オボエテナイ?」
小首を傾げる少女をよく見ると、布を巻きつけた独特の服を纏っている。布は光沢のある繊細な織物。胸元と耳には金のアクセサリー。どことなく高貴な雰囲気がする。
他国からの旅行者なのだろう。幅広い人脈のあった父の知り合いの娘なのかもしれない。失礼のないように聞いた。
「どちらさまですか?」
「ドチラサマ?」
「あなたは誰ですか?」
「さぁ。わからない。モトコは自分が誰だかわかる?」
大きな瞳に覗き込まれると、奇妙な心持ちになった。名前ではなく、もっと根本的な『自分』について聞かれている気がした。
「わ、私は私よ。わかってるに決まってるわ」
「ふぅん」
少女は、焦るモトコを見透かしたような顔をした。変だった。モトコは無言で立ち上がると、足早に席を後にした。
「待って」
少女は追いかけてきた。
「わたし、モトコが気にいった」
「モトコは話を聞いてほしそうだった」
「だから、モトコと話したい」
モトコが無視して歩き続けても少女は言葉を続ける。
ストーカー? こんな少女が? 私なんかを? だんだん不思議に思えてきたモトコは足を止めた。
「いったい私のなにをそんなに気に入ったの?」
「黒くて長い髪かしら」
がっかりした。理由にもならない。
「なら、モトコは彼のどこが気に入ったの」
どこ? 二股でもかまわないと思うくらい、私はマサキのどこが好きなんだろう?
マサキの要素を、顔や性格といったパーツにわけて考えると、似た人はたくさんいる。マサキを好きなのはマサキだから、としか言いようがない。
顔を上げると、「ね、答えられないでしょう」と言わんばかりの少女と目が合った。大学の友人より、よほどきれいな目をしている。
落ち着いたからか、少女の愛らしさに気づいた。まだ五、六歳、きっと人懐こいだけだ。ここまで懐かれているのに、自分が忘れているのも悪い気がした。
「モトコ、話して」
「いいわよ。でも、話す前に、あなたのお名前を教えてちょうだい。忘れちゃったのよ」
「わたしの名前?」
「そう」
「さっき、わからないって言ったよ」
「もしかして迷子なの? どこから来たかわかる? 送ってあげるから正直に話して」
「わたし、気がついたらココにいたの。モトコを見たら、探していた気がしたから、声をかけた。モトコ、わたしはどうしてココにいるのかしら?」
本格的に迷子のようだ。詳しく聞こうとしたとき、大きな雨粒が落ちてきた。
今は天気が変わりやすい。『きまぐれな季節』と呼ばれている。雨もすぐに止むとはいえ、このまま濡れるのもばからしい。
「ついて来て」
モトコは駅に向かった。駅の案内所にいけば入ってきた観光客を調べてもらえる。
「モトコ、どこに行くの?」
「あなたを助けてくれる場所よ」
「わたしは困っていないわ」
私が困っているのよ、とは口に出さず、少女を盗み見た。
少女は本当に身一つだ。荷物を盗られた可能性もある。自分の名前もわからないのは、もしかしたら、盗られた拍子に頭を打ったかなにかで、記憶喪失になったのかもしれない。そんな観光客など、モトコの手に負えない。
「このままだとあなたも困るでしょう。お金を持ってないと、今日寝ることもできないのよ?」
「オカネ?」
いったいどこの国の人なんだろう。
「そうね……あなたのしてるそれ」
モトコは少女の金のペンダントを指さした。
「それを買ったとき交換に渡したものがあるでしょ。それがお金よ」
「モトコはこれがほしいの? こっちよ」
少女に手を引かれるまま、大きな店に連れて行かれた。モトコも存在だけは知っている町一番の高級宝石店だ。
ガラスケースの中に、大粒の宝石が整然と陳列されている。ペンダント、指輪といった装飾品、時計もある。どれもが美しいが素晴らしく高そうだ。手が届く品物ではない。
店を出るより先に店員がやってきた。
「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」
「これ。これがいい。モトコに似合うわ」
無邪気に言う少女の視線の先には、涙型にカットされた青い宝石のペンダントがあった。
「ありがと。でも、私」
「おつけします。こちらへどうぞ」
つけてもらうだけなら、とモトコは従った。
「うん。思ったとおり。似合うわ」
「お客様、本当によくお似合いですよ」
ペンダントは不思議とモトコにしっくりきていた。ただ、チラリと見えた値札には、大きな家が買えるほどの値段が書かれていた。
すぐに外そうとしたが、
「良かったねモトコ。さ、行こう」
少女はそのままモトコを店の外へ連れ出した。
「待って。まだ返してない。お店の人だって怒って……」
ガラス越しに見える店員は、笑顔で二人を見送っている。
「……あなた、このお店の娘さんなの?」
「違うわ。わたしに家族はいないもの」
とっさにモトコは少女を孤児だと思い、これ以上この質問を続けるのは悪いと考えた。
きっと紆余曲折な経緯で、お金持ちの養女にでもなったのだろう。お金はあるけど自由はない。そんな生活の憂さ晴らしに、お金を持ち歩かない、身分を明かさない、といった制限をつけた旅行を楽しんでいるのだ。その相手に、私を選んだに違いない。このペンダントは前払いというところだろう。
そう考えれば、少女の妙な点も納得できた。
「わかったわ。これ、ありがとう。実はすっごく気に入ってたのよ。で、行くってどこに行くつもりなの?」
「モトコの家」
「どうして?」
「わたしには帰るところがないんだもの」
大真面目に言うあたりがいかにもだった。お嬢様は家出ごっこをしているのだ。
お嬢様ならシズルの研究に興味があるとは思えない。気の張らない話し相手ならモトコも大歓迎だ。
「いいわ。家には私しかいないから気兼ねなく過ごせるわよ。でも、誰かに連絡くらいした方がいいんじゃないの?」
「大丈夫よ」
すでに連絡済みということか。
家に行く前に、念を入れることにした。
「ねぇ。名前がないのは不便だから、私がつけてもいい?」
「いいよ。なんて呼んでくれるの」
「キアラ」
「キアラ?」
「そう。ここの遺跡、キャラウェの宝のことをそう呼ぶの」
「ふぅん」
少女は本当にキアラを知らないようだ。モトコは少女キアラを家に案内した。
「大きな家ね」
「一人には広すぎるわ」
モトコはあらためて自分の家をながめる。
広めの敷地にゆったりと建てられた木造の平屋。あちこちに生物の彫り物がほどこされ、昔はそのひとつひとつに名前をつけたり、物語を作ったりしたものだ。
「これは?」
キアラは、ガラスケースに入っている小さな赤い屋根の建物を指している。
「キャラウェ遺跡の一部、キャラウェ神殿。再現するときに作った模型よ」
「ふぅん。これは?」
「キャラウェ時代の石版を書き写した書物よ。隣にあるのが今の言葉に翻訳したもの」
「ふぅん。これは?」
キアラは飽きることなく、部屋に積まれた物を見つけては、物珍しそうに質問していく。
お嬢様にはゴミゴミした部屋が珍しいのかもしれない。少しは片づけないと。モトコは乱雑な部屋を見下ろした。
「モトコ。これは?」
すでに隣の部屋にいたキアラを追って、家で一番広い部屋に入った。
「ああ。キャラウェ発掘途中の写真を引き伸ばしたものよ。父と写っている数少ない写真だわ」
写真は、壁の半分を閉めるほど大きく引き伸ばされていた。無数の穴が空いた土の壁を背景に、薄汚れた男と小さな女の子が写っている。
「チチ? この人、どこかで見たことがある」
「父は有名人だから」
「ここに書いてあるのは?」
写真の左上に、かくかくした絵のような文字が、四行に渡ってなぐり書きしてある。『キアラ』の四行だ。
「キャラウェ語。キャラウェ語ってどんなことも四行で書くのよ。ちょっとした暗号みたいになっていて、何通りも意味が含まれているわ」
「ふぅん。これはなんて書いてあるの?」
モトコは指でなぞりながら読み上げた。
「風の通らぬ 穴はなく
出口のない 迷路はない
…… …… …… ……
叶わぬ願いは なにもない」
この内容こそ、シズルとモトコしか知らない『キアラ』の内容だった。
「三行目は?」
「未解読。この一行さえ解読できれば、キャラウェの宝の位置や、キアラが具体的にどういったものなのかがわかると、父は考えているわ」
「ふぅん」
キアラは辺りを見渡した。
「ここにチチはいないのね」
「五年前から帰ってこないのよ。生きているのか、死んでいるのかもわからないの」
「ふぅん。これは?」
キアラが指したのは、籠いっぱいに積まれた色鮮やかな果物だった。
「そういえばおなかすいたわね。なにか作るわ」
果物を手に取り、モトコは台所に向かった。
「食べられないものってある?」
「タベラレナイモノ?」
「嫌いなものよ」
「ないわ」
「えらいのね。ちょっと時間かかるから、出来るまでゆっくりしてて」
モトコは、ほっとしたような、期待が外れたような気持ちだった。
少女はキャラウェに関係がないから連れてきた。でも、心のどこかで期待していたようだ。少女が今の生活を壊してくれるのかもしれない、と。
いったいいつまでこのままなんだろう。