8・古写真の復元・1
須之内写真館・8
【古写真の復元・1】
杏奈は『社会問題研究同好会』という古色蒼然とした同好会の代表になった。
これは、ガールズバーのオーナー松岡のアイデアである。
U高校の規則では、バイトは原則禁止で、ガールズバーなどという風俗まがいのバイトなどもってのほかである。
「じゃ、部活にしちゃいましょう」
直子が相談にいくと、開店前に孫の様子を見に来た松岡の祖父・和秀の助言で、そうなった。
昔の高校には『社会問題研究部=社研』がたいていの学校にあった。前世紀の60年安保の頃が全盛期で、70年安保を境に急速に激減。今世紀に入って絶滅してしまった。
島本理事長は、大学こそノンポリを決め込んでいたが、高校時代は社研の部長で、高校生集会の幹部をやったり、ときには、他校に赴きオルグ(政治的宣伝)まがいのことをやっていた。
バイト先のデパートの配送センターでは仲間を募り組合まで作ろうとした。松岡の祖父は、そのころの仲間の一人なのである。
「いやあ、あのころはカブレていましたから。いっぱしのナロードニキのつもりでしたよ」
「ナロードニキ……祖父ちゃん、なんだよ、それ?」
「ロシア革命の用語でな『人民の中へ』ってな意味がある。革命化したインテリが農村や都市の労働者階級の中に入って共に働き、革命を宣伝することだよ。まあ、その二番煎じ……いや、三番煎じかな」
「……あの、も一つ見えてこないんですけど」
「戦後、左翼の連中が農村に入っていって『農民組合』を作ろうとして、田舎の村々に入り込んだんだけどね。まあ、邪魔者扱いで大失敗。そういうやつらが教師になって生徒をたきつけた。で、たきつけられたのが、ワシや島本理事長の世代だ」
「あ、分かった。杏奈に、そのカタチをとらせようっていうんだね」
で、「部活にしちゃいましょう」ということになったのである。
島本理事長は、あっさりとこれを認めた。認めざるを得なかった。
そして、ナロードニキですということで、ガールズバーのバイトは『社会探訪』という、今の先生達にも分かり易い言葉に意訳されて許可が下りた。
先だって元の文科省事務次官が「貧困女性の調査」ですと言って出会い系バー通いが通用している。
「ありがとうございます!」
杏奈は、数日たってお礼を言いに来た。
「お礼だったらメールでいいのに」
「いや、それじゃ失礼ですから」
と言ってペコリと頭を下げた。で、上げた時にはオチャメでイタズラっぽい女子高生の顔に戻っていた。
「あの、見ていただきたい写真があるんですけど」
そう言って、スマホを出して、一枚の写真を、直子に見せた。
「なに、これ!?」
いろんな写真を見てきた直子だが、それは思わず目を背けたくなるようなシロモノだった。
旧日本軍の軍人が、人の首を切った瞬間を捉えた写真だった……。