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須之内写真館  作者: 大橋むつお
15/50

15・美花の증조모(ジュンゾモ)・2

須之内写真館・15

【美花の증조모(ジュンゾモ)・2】       



 あ……


 玄蔵祖父ちゃんは、危うく声が出るところだった。


 美花ミファひい婆ちゃんは、古い濃紺のスーツ姿にブラウスの襟を出したもの。

 直美が見ても分かった。


 これは昔の小学校の女先生の姿だ。


「お恥ずかしいです、70年前のものですから」

「学校の先生でいらっしゃったんですか……」

「分かっていただいて恐縮です。婆さんの若作りと思われたらどうしようかと、ヒヤヒヤものでしたのよ」

「いいや、まるで大石先生だ……」

「『二十四の瞳』?」

「はい、子どもの頃に観て感動しました」

「あれ、わたしの理想ですのよ。現実は、あんなピュアなもんじゃありませんけどね……おっと、これを付けなきゃ」

 美花ひい婆ちゃんは、ワッペンのようなものを取り出し、左の胸に貼り付けた。

「なんですか、それ?」

「ヘヘ」

 美花ひい婆ちゃんは、声まで若くなって、イタズラっぽく笑った。

「これは、シールですなあ」

「はい、孫にパソコンで作ってもらいましたの。便利になりましたね画面の上から手書きすると、その通りにできるんですね」

「大阪におられたんですか?」

 胸の名札には、大阪の住所と氏名、血液型が書かれていた。


「二宮美子……通名ですか?」


「いいえ、本名……だと思っています。うちの親は創氏改名以前から日本名にしていましたから」

「そうなんですか」


 撮影の準備の手を止めて、玄蔵ジイチャンは聞いてしまった。


「1909年に民籍法というのができましてね。そのときチャッカリと親がやっちゃったんです。あの頃は、内地風の氏名を付けるのには厳しい制限があったんですけどね、満州なんかで仕事をするには、その方が都合が良くって。だから、わたしは生まれたときから二宮美子なんです。女学校を出て内地の女学校、師範学校を出て大阪で終戦まで国民学校の先生やってました。戦後はできなくなっちゃいましたけど、わたしが、一番わたしらしかった時代……それを残しておきたいと思いましてね」

「昔のお写真が残っていましたら、復元させていただきますが」

「お祖父ちゃん、上手いんですよ復元。こないだも、それで……」

「直美、自慢めいた話はするんじゃない」

「それが、8月14日の空襲で焼けてしまいましてね」

「終戦の前日ですか!?」

「ええ、まあ、京橋じゃ、ずいぶん亡くなった方がいらっしゃいましたから、写真が焼けただけなんて、贅沢な話です。それから、闇市やったり、日本と朝鮮を行き来して……親は、だいぶ危ない橋も渡ってきたようですけど……ああ、グチになるところでした。気分のいい間にお願いします!」

「はい、承知しました」


 そして20枚ほど撮って、3枚を選んでもらった。若干デジタル修正もやったので、五十代でも通りそうな写真ができた。


「では、三日後に仕上げて表装して、お渡しできると思います」


 でも、美花のひい婆ちゃんが、写真を取りに来ることはなかった。


 写真を撮った二日後の朝、ひい婆ちゃんは、起きてこなかった……永遠に。



 写真は遺影に使われた。



 穏やかな表情だったが、見ようによっては悲しそうにも見える。きっと、身内にも言えない苦労があったんだろう。美花は、それにたじろいだんだ……そう、直美は思った。



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