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須之内写真館  作者: 大橋むつお
10/50

10・ドイツのカメラ・1

須之内写真館・10

【ドイツのカメラ・1】         



「ごめんくださいまし……」


 慎ましやかな声は、なぜか店の奥の直子にもはっきり聞こえた。

 だが、動き出したのは、お祖父ちゃんの玄蔵だった。


 お茶を出しにスタジオに出ると、八千草薫にどことなく似た品の良い老婦人が、祖父と向き合っている。


「おかげでさまで、母も……こんにちは、お孫さんでいらっしゃいますか?」

「はい、孫の直子です」

「やっぱり、写真のお仕事をなさってらっしゃいますの?」

 直子が頭を下げて言いかけると、お祖父ちゃんに先を越された。

「まあ、なんとか使い走りに使える程度です」

 直子は、内心ムッとしたが、普段のように文句を言ったり、生意気を言う雰囲気ではなかった。

「孫の直子です。いらっしゃいませ」


「目の輝きが似てらっしゃるわ。あ、お約束ですので、お返しにあがりました……」


 老婦人は、きれいに表装された写真帳を出した。

「拝見いたします」

 祖父ちゃんは、拝むようにして写真帳を開いた。


「役目を果たせたようで……安堵いたしました。恭子さんはよろしいのですか」

「ええ、わたくしは……とても母のようにはやってはいけません。馬齢を重ねるだけですので、どうぞ他の方に」

 柔らかいが、凛とした気持ちの伝わる声だった。

 そして、恭子という老婦人は過不足のない世間話をして、十分ちょっとで店を出て行った。


「この人は、あの恭子さん……?」


 茶器を片づけに出て、直子は写真帳を手に取った。

「いや、それは恭子さんのお母さんの英子さんだ。先週百五歳で逝かれた……」

「百五歳!」

「ああ、親父が魔法のカメラで寿命を延ばしてさしあげたんだ」

「魔法のカメラ?」

「ああ、直子も見とくといい……」


 祖父ちゃんは、キャビネットの中から黒いカメラケースに収まったそれを出した。


「……これ、戦前のライカじゃないの!?」

「ああ、このカメラ一つで、小さな家なら建つぐらいのしろものだ」

「ひい祖父ちゃんが、これで?」

「伝説のカメラさ。引き伸ばしによく耐えるカメラでな……こいつは人の命も引き延ばすんだ」

「アハハ、珍しいね、祖父ちゃんがオヤジギャグとばすなんて」

 直子が、茶器を台所で洗っていると、何かが燃える臭いがした。


「祖父ちゃん、なに焼いてるの?」

 祖父ちゃんは、狭い庭に一斗缶を出し、その中で、枯れ葉といっしょに写真帳を燃やしていた。

「焼いちゃうの、よく撮れた写真なのに……」

「役目を果たしたからな。こうしないと、同じ目的で写真は撮れないからな……」

 一斗缶で、それを焼いている祖父ちゃんの姿は、寂寞と実りの両方を感じさせる風景で、直子は二十枚ほど祖父ちゃんの姿を写真に撮った。


 その夜のニュースに、直子は驚いた。


 戦後日本経済の牽引力になって、今でも産業界で動かぬ存在感を持っている『南部産業』の会長夫人であった南部英子の訃報を伝えていたのだ。

――享年百五歳。戦後の混乱期から高度経済社会、そしてバブル時代でも手堅い経営で傘下の各社の手綱をとり、現在の日本経済の安定に寄与した功績は……――


「朝鮮戦争のあとの不況で、ご主人が亡くなってな。英子さんは女手一つで家と会社、企業グループを支えてこられたんだ……ところが、ご主人を亡くされた後、英子さん自身がガンになってしまわれてな。どこの医者からも見放され、当時写真屋の伝説になっていたオヤジのライカで写真を撮ったんだ……」

「え……それで治っちゃったの?」

「オヤジは、戦前修業先のドイツで、このカメラと出会ってな……いや、直子にはおとぎ話だろうがな」


 その後、祖父ちゃんは、その話はしなかった。直子もどこか、かつがれたような気で居た。


 引き伸ばしに強いカメラ……命が引き延ばせる。


 直子は小さく笑うだけだった。



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