設定
※この話は設定なので、面白くありません!
次の話からお楽しみください。
超能力。(ちょうのうりょく)
このような力は古代から神の力と言われ、御伽噺や伝説での産物であり全く証明がつかない異能力であった。
この能力を現代社会に引き込まれていったのは何時のことだろうか。
超能力は“神の真効力”と呼ばれ、言われ信じる者・信じない者で分かれていた。
確認できる最初の記録は西暦2004年のこととされている。
ある小学校に薬物依存の暴走族による学校テロをとある少年が阻止したあの事件が一番最初に超能力が確認された事例とされている。
少年が使用した能力は、物質構築能力という物質の原子の動きをコントロールできる能力。
当時は、それについて必死に研究する機関が多様であったがこれを証明できる者はなく、証明不可能と考えられていた。
だがそれは、誤りであった。
ほとんどの研究機関が赤字により中止され、証明される余地がなかったのだが
日本の南西に位置するとある大きな研究機関が研究を進行させてい
た。
そして2025年9月1日、21年間に渡り証明不可能と言われていた現象を証明したのが貝塚明彦という天才研究者が証明したのである。
人には気を集中・願念をする時に念力という力が生まれる。
そして念力を空気中に拡散している時(集中している時)に身体の周り窒素が”ヘキサンジウム”という気体に変化するのだ。
このヘキサンジウムを分解することで不思議な現象(超能力)が起きる。
一般人は念力は創り出すことができるが、それを分解する能力がない。だから超能力が使えない。
超能力者とはこの念力・ヘキサンジウムを分解や構築・コントロールできる優れた人類を示すようだ。
超能力の種類の違いはヘキサンジウムの粒子の種類の違いである。
透視能力(透視できる能力)や水流操作(水を操作できる能力)や・念動力者(手を使わずに物が動かせる能力者)などいる。
能力の強さというものは念力の強さやヘキサンジウムのコントロール技術などで変わってくる。
超能力は生まれつきの問題であり、遺伝することわかっている。
超能力者は日本に数少ないとても稀で貴重な存在だ。
当時は世界中が統一される気配が無く、戦争が続いていること現状があった。
だが現代の世界中は”超能力”という技術や文化などで統一されつつある。
そのおかげで日本や世界は外国などのグローバル化が多くなり、科学技術や建築技術などが大きく発展した。
普通の一般人は能力が使えないが、全ての時間割を受ければ紙コップ1個位は動かすことができるようになる。分解能力がつくということだ。
世界中は超能力者の育成や技術の提供に争って取り組んでいる。
超能力とは異常なエネルギーを造り出すことができ、大量発電などが社会の大きな負担を大きく減らすことが可能なのだ。
それだけ超能力とは可能性を秘めている。
最近の社会は能力育成の模様が多く関わってきている。
そのため学校には「能力技術」という時間割が多く取られるようになった。
高校では能力全般の授業しかない国立学校や専門学校が出てきている。
その中の一つ。
「科学技術国立高等学校」(かがくぎじゅつこくりつこうとうがっこう)。
前のこの学校は理系の天才エリート校であったのだが、最近の経済の動きにより能力技術の育成のための高校になった。
能力が使えない一般人でもこの学校に入れば、必ず能力が使えるようになると言われ、多くの能力者や天才を生み出している。
最近の高校は学力より能力が優先され、能力技術がないもの・あるもので優劣が決められてしまうような実力主義になっている。いや、能力主義である。
そしてこれが今の世界。
超能力を技術化しようと全世界の動きが止まらない。
能力主義で優劣差別ができている。世界は大きく変わってしまっているのだ。