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リンネの推理


 それから十五分もかからずにサロンにはリンネ、有馬、謎の美少年、そして立会いと称して島津、紅子姫が残るだけになった。あまり良い雰囲気ではないせいもあるが、部屋は静寂に包まれている。

 リンネと有馬、謎の美少年は暖炉の前に移動し、すぐそばのソファーに紅子姫一人が座り、島津は体の前で腕を組み立っている。紅子姫がこっそり残りたいと申し出てきた時には驚いたが、島津さまが残っているからだろうとリンネは納得した。


「では有馬さま、どうして彼が盗っただなんておっしゃるんですか? 何か証拠があるのでしょうか」


 新しい紅茶を運んできたイトが下がってから、まずリンネが問いかける。


「ここにそんなことをする人間は、こいつしかいないからだ」


 何を言っているのかと眉をひそめる有馬に、戸惑うリンネ。


(なにその発想! いったいこの人が何をしたって言うのよ)


 同情めいた気持ちで美少年に視線を向けるが、彼は表情一つ変えず燃え盛る暖炉の炎に視線を向けていた。どうやら彼も彼で、自分の身の潔白を証明するために努力しようとかそんな気はないらしい。

 なるほど。双方がこんな態度では堂々巡りになるのも当然だ。一つ一つ外堀を埋めなければ……。

 そこでリンネは考え方を変えることにした。


「有馬さま、お手元に懐中時計が確実にあったのはいつまでです?」

「そうだな……。6時前だ。時計を見たんだ」


 いつもそのあたりに仕舞っているのだろう、制服の胸のあたりを撫でる。


「そのあとは見ていない」

「ではなくなったと気付いたのはそれから一時間も経っていなかったわけですね」

「そうだね」

「では、あなたは……」

伊呂波千香士いろはちかし


 水を向けられた美少年がさらりと答える。

 ハッとする美貌の持ち主には似合いだが、いろはちかし、とはなんとも雅やかな名前である。


「では伊呂波さま。伊呂波さまがこの部屋に入られたのはいつですか? お茶会が始まる四時半にはいなかったですよね」

「俺が来たのは六時をいくばくか過ぎてからだ」


 やはり彼は終わり間際にここに来たのだ。


「伊呂波、君が他人のお茶会に参加すること自体初めてじゃないか。何か魂胆があったんだろう。例えば僕が参加すると聞いて、とか」

「なぜ俺が男のお前の尻を追い回す必要がある」

「時計を奪うつもりだったんだ。この懐中時計は金があれば持てるというものではない。君が一生かかっても持てない代物だからな」


 冷めた眼差しで伊呂波は首を振った。


「時計になど興味はない」


 興味がないと言い放つ彼の姿は堂々としている。自分に非はないとわかりきっているように、いや、そもそも時計どころか他人に自分がどう思われても全く興味がなさそうにも見える。


「いくら俺が貧していようとも、貴様の趣味の悪い懐中時計になど指一本触れん」

「なんだと!?」

「聞こえなかったか。ではもう一度言ってやろう。文鎮の代わりにもならん、貴様の懐中時計などに興味はない……。ああ、そうだな。もしかしたらカラスが持って行ったんじゃないか? 鳥獣は光るものを好むという。ちなみに貴様とお仲間だな。ピーチクパーチク品がない。おしゃべりが過ぎる」


 絶世の美女とも言える、花のかんばせから放たれる罵詈雑言にリンネは眩暈を覚えた。


「貴様っ……!」

「有馬、待て。伊呂波も言い過ぎだ」


 憤る有馬と伊呂波の間に入ったのはまた島津だ。彼がいてくれて良かったと思うと同時に、島津自身もこうなることがわかっていたようだ。


(もしかして普段から有馬さまと伊呂波さまは犬猿の仲なのかしら。それにしても、印象だけで言うのもなんだけど……あんな誤解されるような態度とってても平気な人ってすごいかも……)


 お互い手が出るほどではないが、わざわざ有馬を挑発する伊呂波にリンネは不思議な感情を覚える。

 小心者で、人と争うことや自己主張が苦手で、時にはどっちつかずのふわふわした態度をとりがちな人間であると自覚のあるリンネからしたら、伊呂波の態度は真似できないにしてもある意味羨ましいくらいだった。

 だがいくら伊呂波が堂々としていても、疑われたままではなにも解決しない。ここは時計が出てこない限り場が収まることはないはずだ。

 リンネは指先で軽く胸元に触れて心を落ち着けた後、有馬と伊呂波に向き直った。


「時計を見つけましょう」

「だがこの部屋にはないだろう。あればもう見つかってるはずだ」


 そう言ったのは島津だ。紅子姫もそれに続く。


「そうですわね。先ほど使用人達が食器を片付けていきましたから、仮に有馬さまがどこかに置いていたとしても、その者たちが気付きますでしょう?」

「ええ。だからここにはないんだと思います。でも……なんとなくどこにあるか予想はつきます」

「なんだと?」

「リンネさま、それ本当ですの?」


 目をみはる島津と紅子姫。同じく有馬も秀麗な眉を寄せた。


「はい」


 扉を開け、イトを呼び耳打ちする。


「かしこまりました」


 メイド服をひるがえし駆け出していく使用人の背中を全員が見送る。しばらくして戻ってきたイトの手にはハンカチと懐中時計があった。


「有馬さま、これは有馬さまのものでお間違いないですか?」


 リンネは白いハンカチの上に乗った懐中時計をそのまま持ち主へと差し出した。


「まさか、そんな……」


 有馬は首を横に振りながら、イトから受け取った。


「どこにあったんだ?」


 リンネは、ドアの前に控えているイトを振り返った。


「どこにあったの?」

「はい。お嬢様に言われた通り、男性用手洗いの洗面台脇に、そのハンカチと一緒に置いてありました」

「ありがとう。もう行っていいわ」


 イトは軽く一礼し、サロンを出て行った。


「手水だなんて……」

「いや待て、なぜアシュレイ嬢はそこにあるとわかったんだ」


 呆然と手の中の懐中時計を見つめている有馬を押しのけ、島津がリンネに詰め寄る。


「あの者はすぐに戻ってきた。当てずっぽうに探させてはいないだろう。確信があったはずだ」


(かっ……か、顔が近い……!)


 額がぶつかりそうな距離で島津が、リンネの顔を覗き込んでくる。

 だがそれは怪しむというふうではなかった。彼の瞳は好奇心でキラキラと輝いていて、リンネがなぜすぐに時計を見つけることができたのか、その一点に興味をそそられている様子だった。


「えっと、なぜと言われたら、それは、有馬さまが先ほどハンカチをお持ちでなかったからです」

「ハンカチ?」

「はい」


 有馬の正面に立ち、リンネは「失礼します」と一声かけ、彼の胸元に触れた。


「習慣でいつもここにハンカチを入れてらっしゃるんでしょう?」

「え? ああ……でもなぜわかったんだ」

「伊呂波さまに水をかけられた時、ここに触れてハンカチがないと言われましたから」


 有馬が胸ポケットに手をやる仕草は慣れた様子だった。毎朝有馬家の使用人が彼の制服に忍ばせているのだ。そして今日はアシュレイ邸でお茶会があることは周知の事実であろうから有馬家の使用人が準備を怠るはずがない。


「ハンカチがないとしたら……この部屋以外であれば、考えられるのは手水です。有馬さまは手を拭かれる時にハンカチを出し、それから同じく胸元に入れていた懐中時計を取り出しました」

「待て。なぜ取り出したとわかるんだ?」

「男性用手洗いには鏡がないからです」

「鏡?」

「はい」


 説明のため、有馬から島津へ視線を向ける。


「うちは女性用手洗いには鏡をつけているのですが、男性用にはつけていないんです。懐中時計は内側が鏡ばりになっているとおっしゃったのは有馬さまです。だから有馬さまはお手洗いで身だしなみを整える時に懐中時計を取り出されて内張りの鏡を見たのではないかと思いました。そしてつい手元に置かれてしまった……」

「なるほど。有馬のハンカチがないという発言からそこまで推測できたのか」


 島津はくっくっと肩を揺らして笑い、バシバシとリンネの両肩を叩く。


「アシュレイ嬢、見事な演繹法推理だ。俺は感動したよ!」


(いっ、痛い痛い!!)


「あ、ありがとう、ございますぅ……」


(演繹法推理ってなんだろう?)


 島津は上機嫌でしばらくリンネを犬のようにワシャワシャと撫で回し、気が済んだのかそれから唇を引き結んで黙っている有馬の肩を抱いて引き寄せた。


「よし、これで解決だな。有馬、伊呂波に謝罪しろ。全面的にお前が悪い」

「……ああ」


 有馬は小さくうなずいて、それから頭を下げた。


「僕が間違っていた。謝罪する」

「伊呂波も許してやってくれ。すまん」

「別にどうでもいい」


 てっきり有馬を悪し様に罵るに違いないと思ったのだが、伊呂波は体の前で腕を組んだまま首を横に振るだけだった。


(うそ、本当に? もしかしたら土下座くらいさせるのかと思っていたわ)


 なにか企んでいるのではと彼を観察してみたが、伊呂波の人形のような表情はピクリとも動かなかった。


(むしろ逆に……不満そう? 嫌われたいの? いや、まさかね。)


「そういうわけにはいかんだろ。まぁ、皆には俺からそれとなく説明しておくぜ」


 なんにしてもアシュレイ邸で時計がなくなったわけでもないのだから、リンネもまたホッと胸を撫で下ろしていた。


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