表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/31

さようならさえ告げずに


「……何も、しなくていいんじゃないのかな……」


 本当に小さな、ささやくような声がリンネの耳に届いた。


「きみは、きみのままで、いい……みんな、それを、望んでる……僕も……そうだよ」



 ふと目をさますと、肩に毛布が乗せられていた。おそらく後から来るといった兄の仕業だろう。窓の外の星はキラキラと輝き冴え冴えした夜の空気が偲ばれた。

 それからぼんやりと目の前のハルの寝顔を見つめる。幾分か顔色が良くなったようだ。


「ハル、早く目を覚まして……。話したいこといっぱいあるんだよ……」


 この調子ならきっとハルは良くなる。すぐに目覚める……。



 翌朝。顔を洗い身支度を整えてハルの病室に戻ると正装した両親が立っていた。


「あれ、父さま、母さま、そんな格好でどうしたの?」

「リンネ……。不本意かもしれんが、今日は四方拝だ」

「へ?」


 父の言葉に目が点になる。

 四方拝とは元日の早朝、帝が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯を着用し、伊勢の神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する儀式である。そしてその後お召し物を変えられる新年儀式の間、皇后や妃殿下方のマント・ド・クールの裳を捧げ持つというお役目を、リンネは今日、この日のために受けていたのだった。


「忘れてた……」

「だろうな」


 アンセルムは苦笑し、それから娘を真剣な眼差しで見つめた。


「こうなった以上、行かなくても良いと私は思っている。どうする」

「……行くわ」


 少し考えはしたが、リンネに迷いはなかった。


「いいの?」

「母さま、大丈夫よ。ハルだって楽しみにしてくれてたんだから」


 リンネはハルの枕元に向かい軽快に話しかける。


「ハル、行ってくるね。帰ってきたらどんなだったか話すから。待っててね」


 だがその約束は守られることはなかった。

 リンネが役目を果たして病院に戻った時、ハルの姿は消えていたのだ。



 もちろん病院は大騒ぎになっていた。警備は厳重、猫一匹出入りできないはずだった。

 まさかピエールの残党の仕業かとイツキがいきり立ったまさにその時、掃除夫が慌てたように手紙を持ってきた。ハルが眠っていた病室のドアの下に挟まっていたという。後から渡すつもりが忘れていたということだった。


「手紙、くださいっ!」


 封筒を受け取り中身を開ける。

 分厚く、相当数の便箋が押し込まれていた。取り出してみると、中身はアシュレイ夫妻宛と、シラユキ、イツキとカオリ、千香士、そしてリンネ宛に分けられていた。

 リンネはもどかしい思いで英語で書かれた自分宛の手紙に目を通す。


『初めての手紙がこれでごめん。心配させてごめん。僕はもうここにはいられない。リンネが出生の秘密を知った時、僕の役目は終わる。そして今日という日が来ることはもう随分前から分かっていたんだ』


(どういうこと……。出生の秘密って……葉桜の典侍の話をどうしてハルが……)


『幼い頃に誘拐されそうになったことを覚えてる? あの日から、リンネは女王陛下から監視、守護される対象になったんだ。そして僕はそのために立ち上げられたSecret Intelligence Service、SISのメンバー。英国王室直属のスパイとして育てられた子供なんだ。』


(SIS? 王室直属のスパイ……。なぜ英国王室が?)


 何度読んでも文字が頭に入っていかない。

 けれどハルの手紙は否応なくリンネに真実を突きつけてゆく。


『僕の役目はリンネを守ること。そして敵対するフランスの組織への潜入捜査だった。この国の末端の組織からピエールのところに斡旋され、彼の手足になり動いていた。

 御内儀で女官同士の争いがあった夜、僕はピエールの命令で御内儀にいた。死体を発見した時は驚いたけれど、混乱をチャンスと思い、女官の遺体をお風呂に運んだんだ。そうすれは穢れを嫌う帝は寝所を移さざるをえないからね。主人がいない部屋は調べやすい……。翌日僕は何食わない顔をしてリンネと一緒にメイジ宮殿へとやってきた。ピエールにはもちろん『手紙を探すため』と言い訳をして、でも実際は皇后への接触を試みたんだ。結局失敗して、近衛師団に逮捕されてしまったけれど……。そのあとのことはリンネも知っての通りだ。

 だから僕は姿を消す。もう、君のともだちじゃいられなくなったから』


 姿を消す。はっきりとそう書かれていた。


 そう、ハルの告白は全て理にかなっていた。パズルのピースがパチリパチリとはまってゆく。


(そう……そうなんだ。だから……)


 リンネは呆然と手紙を見つめる。隅から隅まで読み、裏返し、明かりに透かしてさえ見たが、それ以上の言葉はない。


「ハルッ……」


 ハルは自分の意思で消えた。さようならさえ告げずに。

 リンネは手紙を抱きしめ膝から崩れ落ちる。

 アシュレイ家の皆もハルからの手紙を手に、それぞれ複雑な表情をしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=516147942&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ